洗いざらいぶちまけてしまうと、なぜか自分の抱えているものは、たいした重みを持たないような気持ちになるから不思議だ。
今までは本気で逃げようとしなかった。
いつか死ぬ日のために命を使っていたからなのだろう。
君を守りたいと…君と生きたいと本気で望めば、恐いものなど何もないような気持ちになる。
だから、驚いた。
食事を取りはじめて、3日も経たないうちに回復した君の若さにも驚いたけれど、君が、俺を置いて、頼朝様の元へ向かったのだと気付いた時は。
驚きすぎて………寝込むかと、思った。
[江戸遙か]狂乱の道化師
「若さと書いて、無謀と読めばよいのですか」
呆れ顔の弁慶は、俺が置いていった九郎の隠れ家で……耳かきなんぞされている。平和すぎて意味が解らない。
「姉君を助けに向かったのだろう、それほど無謀なことなのか?」
あまりの台詞に驚いて声も出ない。
望美ちゃんといい、朔といい、譲くんといい、九郎といい。相手の規模が解らないのかと呆れるべきか、恐い物知らずの若さと褒め称るべきか。
理解する余力がない時は無視をするに限る。…この点において弁慶とは気が合うらしく、ひとまず胸を撫で下ろした。
「しかし不味いですね。朔さんたちは保障できますが、譲くんには放免される謂われがありません。捕らえられたが最期という気もしますが」
「そんな怖いこと言わないでよ~」
「まあ、単身で向かわずに僕のところに寄ってくれたのは、英断だと思いますよ。………助けましょう」
「頼むよ」
長く付き合いがあるとはいえ、依頼主の身辺については詳しくない。
今すぐにでも飛んでいきたい気持ちはあろうとも、失敗するわけにはいかないのだから、小細工をする必要はあった。
「屋敷の間取りは解ります。身辺については………おおよそ、五十」
「ごっ、五十ぅ~?」
九郎のあげる素っ頓狂な声に生真面目に頷きながら、弁慶の目が険しくなる。
「どんなに豪勢な屋敷でも、警護は二十もあれば足りるだろう。五十人もどこに入るというんだ」
「そうですね……目に見える場所であれば、交代を含めても三十に満たないかと思います。あとは…」
「在るといえば在る。無いといえば無い。動きの見えない連中が、ね~」
「隠者か………」
闇を取り締まるような役目にあっても、九郎も所詮は昼の人。言葉は知っていようとも、その存在を実感することなど無いのだろう。…だからこそ、隠者と呼ばれるのだが。
「別に屋根裏に隠れてるばかりじゃないんだよ。普段は普通に町で暮らしている、俺みたいのもいるしね」
「お前も隠者か!?」
そんなに目を丸くしなくても。
「ちょっと違うけど、まぁ、似たようなもんだよ。……そろそろ、自分が置かれてる立場が解ってきたんでしょ?」
どこまで話したのかと弁慶を盗み見ると、憂いのない顔でニッコリ微笑んだ。
「九郎のことはいいんですよ。今は譲くんを救出することだけ考えましょう」
「その役目、加わることは許されないか」
くると思った。
つい顔を見合わせてしまった俺たちは、どちらからともなく笑いだし、弁慶は肩を揺すったまま九郎の膝を叩いた。
「もちろんですよ。使えるものは全て使うのが、僕の流儀ですからね。……かなり危険な配役になりますが、お願いできますか」
「当然だ」
使えるものは全て………確かにそう言っていた。
しかし、これは…。
もしや町一つをそのまま使う気なのか?
呆れるほどに弁慶の思惑通りに動いていく人の群れを…空恐ろしく思いながら、屋敷へと潜入した。
死んだはずの九郎が生きていた。
あの火事以来すっかり混乱の中にあった人々が、鰯の群のように蠢いている。
「ま、ちょうど、例の『お灸』の準備が調ったところですから。ふふふ……期待していてくださいね」
内容について詳しく聞いている時間はなかったが、援護されていることは解る。…騒ぎの真相を確認に向かったのだろう、屋敷内は閑散とした空気さえ流れていた。
物陰から背後を取り、まずは一人。
隣の茂みに音を立て注意を逸らし、また一人。
この人数ならば、焦らずに順を追ってさえいけば自分一人で潜入することなぞわけもない。
どうか無事でいて。
祈るような想いで奥へと進むと、いつか深層部へと辿り着いた。
そこで初めて、いらない歓迎を受けていることに気付く。
柱に括り付けられた譲くんが、陰から様子を伺っている俺に気付いて険しい目をする。
罠です。逃げて。
祈るように閉じられた瞳。
逃げ場のない袋小路を思わせる、屋敷の造り。
「どうした、景時。襖を開けて中に入ればよかろう?」
譲くんの反応を見ている。相手の声は、向こうの壁を叩いて戻ってくる。
ということは…こちらに背を向けて。
ひょっとすると、すぐ近くに控えているのかもしれない。
ここで襖を開ければ、四方から斬りつけられるか、八方から矢が飛ぶか。
裏切り者の始末などに時間をかけるのは、それだけ頼朝様が楽しんでいるからと解ってしまう。気付かれずに辿り着いたと思っていたのは自分だけで『全てが手の内だったのだ』と笑われて……それでもこの戸を開けるのは、とんだ茶番としか言いようがない。
死ぬことが、今、初めて怖い。
譲くんの目に、自分の死に様を晒すことが、なにより怖い。
それでも飛び込まずにいられようか。
戻る場所など何処にもない。罠と知りつつ狂い舞う、道化にもなろう。
指をかけた瞬間、この襖に罠があることを知る。
パンッ!
小気味の良い音を立てて襖を開け放ち、思いきり後ろへ飛ぶ。
天井から雨のように振った矢に、譲くんの悲鳴。
廊下を助走に、畳へと突き刺さった矢を飛び越える。
「譲くんっ!!」
一瞬で縄を焼いて振り返ると、血に飢えた顔の浪人が三人、ニヤニヤと笑っている。
その奥に、舞台主の姿。
人を殺したいと思ったことは、一度もなかった。
全てが命令。
全てが他人の意志。
なればこそ己を許せていた節もあるけれど。
人が人を切ることに、たいした理由はないのだと知る。
死にたくない。
君の前で、死ぬわけにはいかない。
狂乱の紅を纏う……道化師となろう。
小説TOP ≪ 戻ル || 目次 || 進ム