向き合った相手を、刀の錆としていく。
背後の譲くんを庇いながらの戦いは、動きづらくはあるが……研ぎ澄まされる。
場の空気を全て手中に収め無駄な動きを無くしていけば、どれほどの手練れであろうと…連携も統率もない烏合の衆に負ける気はしない。
あと一人。
睨んだ時点で腰が引けた侍を斬りつけたのは、その者の背後に在る冷徹な刀だった。
「もうよい。…腰抜けが」
ブンッと刀を振り血を落とした舞台主は、いっそ『鬼神』と呼ぶに相応しいほどの威圧感を以て正面に立つ。
「どうする、景時。やりおうてみるか」
その声色に凍りつく。
引き返せない。逃げる手だてもない。……どうすればいい。譲くんを助けるには、二人で生き延びるには。
[江戸遙か]ただ傍にいて
静まりかえった部屋の中、キン…と、耳鳴りがした。
その時、遠くから何かの気配が。
何かを留め立てするような声。キンキンと金切り声を上げる女房の数が、なにやら身分ある者の往来を告げる。
「……………?」
視線を解いて振り向いた頼朝様の視界に…そして俺の目に、美しい女性の姿が飛び込んでくる。
「………あら。これは何の騒ぎですの?」
「北の方様、どうか奥へお戻り下さいませっ」
「血生臭いのですわね」
「政子……何用だ」
この方に政子と呼ばれる女性を、一人だけ知っている。
本来なれば、視界に入れただけでも問題になろうという立場の…。
「あなた。ご確認したいことがあって参りましたの。九郎という名前を、お聞きになったことがありまして?」
不躾な質問に、頼朝様が眉を顰める。
「下町で騒がれている男か」
「そのようですわ。妙な話を耳に挟んで、調べさせておりましたの。……貴方が殺そうとしていたとか、その者が私にとっては縁にあたる者だとか」
「………なに?」
「どうですの!? お心当たりがございますの? 私…あなたを信じて、いつもずっと待っておりましたのに…。あなたはそれが私の縁にあたると知って、御無体をなさっていたのですか」
どこから聞いても支離滅裂な問い。
九郎の身を案じているわけではあるまい。ポッと出た親類の名など、この女性にとってはたいした価値もないと見てとれる。……要は、待ちくたびれているのに、そんなことをして遊んでいたのかと……そういう意味合いなのではないか。
一見しただけで『他愛のないワガママ』と知れるそれに、しかし、おいおいと泣き崩れる身体を支えて、どこか慌てる後姿。
言葉少なに宥めながら消えていく…鬼神であった者の…姿を確認して、そっと屋敷を後にした。
追われることもなく。
「上手く逃げられましたか? 逃げられましたよね。しばらくあの屋敷は、内部の業火を鎮めるのに、てんてこまいでしょうから」
狐に抓まれたような気分で蕎麦屋の暖簾をくぐると、いつの間に釈放されたのか、望美ちゃんと朔の姿。そして九郎と……弁慶と。
「か~げ~さぁん?」
恨まし気な声に、身を震わせる。
「な、何かな、望美ちゃん」
「なにかなじゃないわよーっ、譲を置いて一体どこへ消えてたの!!私や朔がどれほど心配したと思ってるのよっ。譲が壊れるかと思ったじゃないの、この唐変木!!」
後ろでそうだそうだと頷く妹君にさえ、自分の身を案じられていなかったかと思うと……少々情けない気分にもなるけれど。
「ご……ゴメンねぇ…」
つい、謝ってしまう自分は、変えようもない。
「その辺にしてください。心配をかけてすまなかったとは思いますが、景時さんが悪いわけじゃ」
「いや、絶対コイツが悪い!!!!」
異口同音。
満場一致。
「反省してるよ~。さ、譲くん」
逃げよう?
目と目で交わした合図と同時に、外へと駆けだす。
「どこへ行くんですか」
「どこでもいいよ~。静かな所……君を、独り占めできる場所なら、…どこでも」
「それなら二階に逃げ込めばよかったのに。階段、上から外せますよ?」
「そ~れは知らなかったな~。じゃ、明日からは外しちゃおうね」
「朝になったら解放してくださいねっ」
「ん~~。ど~しよっかな~」
アハハ…と笑いながら、長屋の陰で唇を奪う。
空き家を見つけて鍵を下ろして、着物を……上から下まで順序もなく剥いでしまう。
晒された空気と羞恥心に身震いした譲くんを、何も着けずに抱えて、そのまま抱いて…。薄い壁の向こうで子供をどやす声なんか聞きながら、声を殺して混じり合って。
見つめて……溶け合って。
人形のように受け止めていた譲くんは、もうそこには居なかった。
もどかしげに肌を求める腕が、愛しくて愛しくてたまらない。言葉ではなく、その身の全てで愛を語る仕草に脳髄を溶かされて、息をすることすら忘れそうになる。
何もかもを失ってしまった。
生きてきた道も、仕事も、収入も、鎖も、後悔も……君以外の全てを手放して、情けないほど一人。糸のない凧のような自分。
だから君の手の中に在りたい。
離さないで……風に攫われぬように、いつでも抱いていて。
生きたいと願う。
強烈なまでに、生きたいと願う。
君と……ふたりなら。
突き上げる熱に身を反らした、この腕の中の奇跡を、もう二度と泣かせることのないように…もう二度と傷つけることのないように。
命をかけて守るから。
大切な人を大切にする為に、……必ず。
「景時さん……」
夢のように柔らかく呼ばれたそれが、自分の名だと気付いて……驚く。
「なぁに、譲くん」
夢のように甘く囁いたそれが、自分の声だと気付いて……狼狽える。
「よかった。あなたと、逢えて」
柔らかく柔らかく笑ったまま、眠りに落ちた君を。