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【酔恋譚】 ~Suirentan-08~

 情熱とは、何処にあるのか。
 愛とは、どんな色なのか。
 生まれ落ちた意味。この身が朽ちぬ理由。虚しい心の理由。

 全ての答えが、此処にあった。

 もう生きる意味もないほど、全ての答えに手が届いた。



 まずは確実な方から。
 そういって、神子殿の助言通り、鷹通のカケラが戻ってきた場所を今一度訪ねる。
 急に静かになり、覚悟を決めたように目を閉じた鷹通を見守るが、鉄の意志で閉ざした表情を読みとることは不可能だった。
 今までのカケラとは違うようだ。
 動揺して、助けを求めるように向けられた視線を思い出す。
 忘れるべきではないことを思い出すのだから、確かに心地良いものではないのだが…。

 半刻ほども立ち尽くしていただろうか。
 躊躇いがちに開いた視線がスルリと音を立てるように絡みつき、心の臓を掴んだ。
 奥深い沢の水のような緑の湖面が、静かに見つめている。
「戻ってきたのかい?」
 念のために問うてみると、何かを押しとどめるように利き手を抱いて、掠れた声で応えた。
「長らくお待たせいたしました。……全てが済んだら、事情をお話しいたします。友雅殿の場所へ、参りましょう」
 事情を話す?
 冷静な鷹通を、こんなにも乱れさせる傷み。……聞いて良いものなのかと、おののく気持ちもあるが、好奇心が遙かに勝って先を急いだ。
 自分のカケラなど、たいしたこともあるまい。
 鷹通は、何を思い出したのか。
 印象がガラリと変わるような熱っぽい視線と、情欲に灼かれた声。まるで発情期の牡のようなソレを暴きたい欲望に駆られて、身を捩る。早足で向かう私を咎めることもなく黙々と後を追う鷹通の、跳ねた息づかいに欲情している自分を感じていた。
 発情期の牡は、私の方か……?
 こんな事情でもなければ、振り向いて口づけて、髪を梳きながら…。
 次々と浮かぶ煩悩に、頭痛を覚える。
 私はとうとうオカシクなってしまったのか。

 しゃくなげの色が見えた。
 気付けば鷹通は、しっかりと私の手を握りしめて、隣に立つ。
 他人に触れるのが苦手だと聞いていた。だから一度も触れていなかったはずの……。

 バクン、と、心臓が跳ねる。

 あまりの質量に失神するのではないかと危ぶむほど。
 ……これは、カケラではなく……心そのものなのではないか…?
 耳鳴りが大きすぎて、何も聞こえない。
 痙攣をしたかのように身体が震えて膝を落とそうとすると、何か、大きなものに包み込まれるように、強く支えられた。
 奥歯を噛みしめて僅かに目を開けば、慈愛にも似た視線が降り注ぐ。
 ああ……。
「君だったのかい」
 スゥと波が引くように震えが止まり耳鳴りの消えた今、世界が閉ざされたような静けさの中に、鷹通だけがいた。
「友…雅殿…」

 涙を流さない方が、不自然なのだ。

 忘れていたことに対する罪悪感も、それを奪った敵に対する憎しみも、何もない。
 ただ、この男の傍に在ることを…生まれ落ちたという幸運を、感謝した。
「鷹通…。…逢いたかった…」
 生まれ落ちた時からずっと、君に逢いたかった。
 逢えずに終われば、何度でも君に逢うために生まれてきた。
 情熱を忘れていたわけではない。
 君に向かわぬ情熱は、何も意味がなかったというだけの。
 それだけの、ことなのだ。

 深く、深く、深く。
 忘却の彼方で、しかし、とどまることなく育ち続けた想い。
「友雅殿……私の、最後のカケラは…」
 その唇を深く奪ってから、耳元で叱る。
「言うのかい。……無粋な男だな」
 困ったような視線を消すために、目蓋に接吻を落として、抱きしめた。

「愛している……いや、そんな言葉では足りないな。…君の存在が、私の心そのものなのだよ、鷹通。……君が、全てだ。…わかるかい?」
 わからなくともいい。
 言葉で想いの全てを伝えられる筈などないのだから。
「鷹通」
 それならばいっそ、その名を呼ぶ、響きだけで…。
「鷹通。………鷹通」
 伝わったのか、熱に浮かされたように胸苦しい溜息をつきながら、もどかしい視線が絡みついた。
「友雅殿…っ」
 感極まって瞳を濡らす涙を見て、少しばかり正気が戻る。
 こんな場所で、これ以上どうするつもりだったのか。

「君に覚悟があるのならば、闇に紛れて忍んでおいで。…朝まで待っている」
 
 
 
 
 
 
 
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そんなわけでアリエナイ設定を突っ走っております。神子無しでカケラ探し(笑)今だけ特別にお許し下さい。しかも過激なことに?鷹通は半刻(1時間もっ)立ち尽くしてます。黙って付き合う友雅も凄い。しゃくなげは、夏(ゲーム後半)に咲く花。あんまり殺風景な場所で告白もアレですからね(どーせ見てないだろうけど)

【酔恋譚】 ~Suirentan-07~

 それが何を指すのか、未だ見えず。
 しかし、深い森を抜ける導のように、灯るものを感じる。

 不安よりも焦燥よりも、求める気持ちが先に立つ。

 この先に何を見ても自分が自分で在れるよう、心を静めていよう。
 綺麗ではない自己を知り、期待とは違う現実を知り、希望とは違う先を感じて……それでも、何を捨てる覚悟も必要ないと解った。
 全てが導かれるまま、自然な所へ落ちる。

 そんな未来を、貴方と見たい。



 泰明殿が、京から姿を消した。
 事情が見えずに狼狽えた私達を前にして、神子殿は何事もなかったように微笑みながら、キッパリと言い切った。
「きっと帰ってきますから。…信じていてください」

 揺るぎない、信頼。

 世界の重圧を背負って立つ神子殿にとって、八葉は唯一の拠り所なのだと思っていた。私達が神子殿を守っているのだと。それは…大きな間違えだったのかもしれない。
 京の人間が背を向けていた『鬼』という存在に、心を砕き。
 人に仇なす『怨霊』すら、温かい同情で封印して。
 心を削るような日々の中で、絶えず八葉の一人一人と信頼の絆を紡ぐ。

「おやおや、すっかり龍神の神子らしくなったものだね。…君が信じるというなら、無駄に探ることはしないよ」
「ま、お前がそう言うなら、いいんじゃねぇのか」
「うん。あかねちゃんが大丈夫だって言うなら、きっと平気だよ」
「我らは、あなたを信じておりますゆえ」
「ええ。それに泰明殿のことですから、何かお考えがあるのかもしれません」
「ったく、なに考えてんだか知らねーけど、あかねに心配かけんなっつーの」
 絆は確かに紡がれている。
 その証拠に、神子殿の一言で、ピリピリとした空気が一瞬にして和らいだ。
「大丈夫ですよ、神子殿。泰明殿がお戻りになるまで、私達が今まで以上にお守り申し上げます。安心なさってください」
「うわぁ、頼もしいな。宜しくお願いしますね」
 主従関係でなく、同列でもなく、先導者でもない。
 ついてこいと言われずとも、常に傍に在ろうと誓ってしまう。
 神子殿は……とても、不思議な方に思う。

「それで、今日はすみません。鷹通さんと友雅さん、一緒に来ていただけますか。ちょっと確かめたいことがあるので」
 確かめたいこと?
「ええ、私は構いませんが」
「……意味深なことを言うね。気になるじゃないか」
「うふふ。気にしててください。私の推理が当たったら、種明かししますからね」
 そして行き先も告げずに先導を切る神子殿が向かったのは、若葉の茂る桜の丘だった。

 そこで不意に襲う感覚。
 三度目だというのに、僅かにも慣れることのない、感情の嵐。

 今度は、記憶ではなく……傷みだった。
 もどかしいばかりの傷み。狂おしく身を捩るような、官能的な苦しみ。
 これは。……慕情…?

「やっぱりなぁ。なんか変だと思ってたんですよ」
「何が変だと言うのだい?」
「あれ?…友雅さん、気付いてないんですか?」
 ……そういう、ことですか。
「鷹通さんは気付いたんですね。そうですよね。ここには何度も一緒に来てますものね」
 そう。つい数日前にも、訪れた場所だというのに。
「ん?二人の秘密かい?……捨て置けないね」
「もーう。そんなんじゃないですよ。鷹通さんの心のカケラだけが行方不明で、私少し焦ってたんですから。…よくわかんないんですけど、鷹通さんのカケラって、友雅さんと一緒に居ないと戻ってこないみたいで」
「そんなことを気にしていらしたのですか」
 こんなに大変な毎日の中で、私のカケラなど……。
「そんなこと、じゃないですよー。京を救うことも大切だけど、アクラムに壊されたものは全部修復しないと気が済みません!怨霊だって、もうすぐ封印しきれるし。札だって、四神だって、ちゃんと元の位置に戻すんだから!」
 神子殿が、その小さな両手を握りしめて、目をキラキラさせているのを見て……不謹慎とは思うのに、笑いが込み上げてしまった。
「プッ、ククククク……」
「なによー、二人とも、笑うことないじゃなぁい」
「いや、馬鹿にしているわけではないのだよ。その完璧主義っぷりは、あまりにも鷹通に似ていると思ってね。…そうかそうか。今まで誰に似ているのかとモヤモヤ考え込んでいたのに」
 私に似ている!?
 そんな、それは神子殿に失礼な意見ではありませんか。
「あ、友雅さんもそー思う?…私も鷹通さんと一緒にいると、自分見てるみたいで可笑しい時あるんだー」
 神子殿!?
「そうだろう?とても生真面目で肩の力が抜けなくて…そうだね、神子殿の言葉を借りれば、バランスが宜しくない人間なのかもしれない。……それが、私には眩しく映るのだが」
 神子殿と私を交互に見つめる視線が、これ以上はないというほど柔らかく幸せそうに微笑んでいる。

 ムキになって否定をする場面では…ないのでしょう。
「ありがとうございます…」
 二人がどういうつもりで言ったのかは、この際どうでも良い。
 尊敬に値すると仰ぐ存在と並べられたのは、嬉しいこと。好意を持つ相手から評価されるのは、誇らしいこと。
「んー……。それで、天地の白虎様に、お願いがあるんだけど。いいかな」
 お願いですか。
「もちろん、出来る限りのことでしたら助力は惜しみませんよ」
「それじゃ遠慮なく言っちゃうけど。…二人の心のカケラ、取り戻してきてくれる?」
 取り戻して、とは…。
「……どういうことだい?」
「うん。やってみてダメっぽかったら、教えてほしいんだけど。…たぶんもう、私がいなくても戻ってくると思うんですよね。最後のカケラ」
 神子殿が居なくても、戻ってくる?
「あの、申し上げにくいのですが。私はともかく友雅殿のカケラは、神子殿と共にでなければ返らないのではありませんか」
「鷹通のカケラも、神子殿の力があってこそ戻ったのではないかな」
「だから。実験!……半信半疑だったけど、今日は勝ったでしょ?他の六人はどうあれ、白虎の絆なら、それもアリかなって思ったの。付き合ってもらえませんか」
 そうか。確かに八葉のカケラも残らず取り戻して、怨霊も全て封印して…これを全て神子殿が手がけるのは、難儀なことだと言わざるを得ない。
「戯れ言は、できることを試してから言うべきだったね。……行こう、鷹通」
 友雅殿も同じ事を感じたらしい。
 そう。何も試さずに軽々しく『できない』などと言うべきではない。
 神子殿の荷物を少しでも減らせるのならば。
「…参りましょう、友雅殿」

「あっ、でも、今日一日は、私に頂戴ね。やることは『てんこ盛り』なんだから!」
 
 
 
 
 
 
 
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泰明が消えた・・・これは神子殿と泰明のカケライベントの1つです。友×鷹だし、神子は泰明にあげよう。そうしよう(バカ)
ところでここからゲーム設定を崩しますが、友雅がいないと返ってこないカケラって・・・すみません。かなり強引です。実際のゲームでは有り得ません。あくまでアイテム扱いで。どうか。

【酔恋譚】 ~Suirentan-06~

 その面影が、心を温める。
 その面影が、心を凍てつかせる。
 ゆらりゆらりと浮かぶ影は、私を何処へ導くのか。

 恋に焦がれる歳でもあるまいに。
 この胸に芽生えた熱と、忘却の彼方より私を呼ぶ炎。

 どちらにせろ手が届かぬような予感は、絶望と同じ色をしている。



 心のカケラは次々と戻ってきた。
 それはまぁ、これだけ神子殿と行動を共にしていれば、呼び寄せてしまうのも仕方ないのかもしれない。
「忙しいのに、いつも付き合ってもらってすみません」
 悪びれずに笑う彼女が、どうやら私に懐いていると気付いたのは、二度目の物忌みの日だった。

 自分の住む世界でもないのに、ひたむきに前向きにつき進む少女を、可愛く思うのは……誰かの面影を感じるからだ。

「友雅さん、私気付いたんですけど、土地の力を強めて五行が高まっても、怨霊の復活と共に消えてしまうみたいなんです。…だからって何度も何度も戦うのは、怨霊に可哀想な気もするし…」
 せっかく来てもらったし、一緒にご飯を食べましょう。そんな軽い提案の後、不安げに真面目な話を始める。
 ……本当にこの娘は、誰かに似ている。
「神子殿は、本当に一生懸命だね。……そんなに思い詰めて、疲れないかい?」
 軽く茶化してやると、ふうわりと気持ちの良い笑顔を浮かべて、首を傾げた。
「やっぱり友雅さんって、いいなぁ。…こんなことを藤姫ちゃんに聞かせたら、心配かけちゃいそうで云えないんだけどね。私、少しバランスが悪い人間なんですよ。やらなきゃって思うと、ガチガチになっちゃう。京のためって思うけど、かなり荷が重いし、正直言うと、どうしていいのか解らないっていうのが本音で。……だから友雅さんと一緒にいると、楽なんです。いつも頼ってしまってゴメンナサイ」
 それを言うなら、こちらが謝らなければならない。
 巻き込んだ上に大任を背負わせて、こんな幼い少女に『京の未来を守れ』だなんて、何かの冗談としか。
「謝ることはないよ、姫君に頼りにしていただけるとは光栄だ。しかし君は……はじめて現れた時から、気丈なほど明るく前向きに、この世界のことを捉えているように思えるよ。……なぜかな」
 これは、機会があったら聞いてみたいと思っていたことだった。
 遠い時空の狭間からやってきたと思われる少女が、こちらに住む者よりも熱心な姿勢を見せるのは、どうしてなのか。
「それは。…信じてもらえるか解らないのだけど…。この京が壊れると、私の存在も…私の家族も、友達も。私のいた世界の全てが、壊れてしまうかもしれないと、思うからなんです」
「ん?……どういうことだい」
 神子殿は言葉を探して、探して…探しても、見つからないといった顔で、困ったように笑った後。…驚くようなことを口にした。
「私は、たぶん、ずーっとずーっと先の未来から、この世界に呼ばれた……みたいで…」
 未来?
 ということは、ここは神子殿にとっては『過去』の世界ということになるのか。
「それでは、神子殿は、この世界の何処かで生まれるかもしれないと?」
「えっと……もっとずっとずっとずーっと先になって。帝の世界も終わって、政治も世の中も何もかもが入れ替わって……その後で、私も、この国に生まれるんだと思います」
 突拍子もない話だが、ここで嘘をついて彼女に特があるとは思えない。
「……そうか。いや、まだきちんと飲み込めてはいないが、神子殿の話が真実だとして。それでも政治まで全てが変わるのなら、ここでの小競り合いなど、あまり関係はないのではないかな?」
「ええ。そうかもしれません。……でもやっぱり私にできることなら、頑張らなくちゃいけないかなって気持ちになったんです。できないことをヤレと云われても困りますけどね。私にそんな力があるなら、使わなくちゃ」
 この少女を好ましく思うのは、不自然なことではない。

 だから三つ目のカケラが返った時、私は彼女に惚れてしまったのかと内心焦っていた。彼女はいつか月の世界に帰るかぐや姫。生まれて初めて本気になった相手が、そんなに儚い存在だとは…。いや、儚い存在だからこそ、本気になってしまったのか。
 そう、生まれて初めて…。

 うちひしがれる胸の内で、何か強烈な違和感を覚えた。

 心のカケラは、こんなにも戻ってきている。それなりに大切にしていた想いは、すでに胸の内にある。
 その中に影も形も無かった存在が…まだ、あるのか?
 神子殿への慕情が『初めて』のものでないとするなら、誰をそんなに想っていたのか。それは私の心を、この世界に留めておくだけの想いなのだろうか。
 この身を打ち捨て『心だけでも…』と、共に月の世界へ旅立ってしまいそうな自分を感じていた。
 なにも繋ぎ止めるものなど無い、この身を焦がす情熱の存在しない世界など、すぐに捨ててしまえる自分が悲しかった。

 強い想いで土地にしがみつく怨霊。
 その心を羨ましく想うのは、世界に私一人なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
小説TOP05 || 目次 || 07
 
 

実は結構、女の子が好きです(笑)だから友雅と鷹通だけ書いてりゃいーじゃないかと思われる話でも、神子殿は軽視しません。情に厚くて気の効いた神子殿ってイメージなので、これからも絡んできます。ふふふ。恋路の邪魔はしませんから、ご安心を。

【酔恋譚】 ~Suirentan-05~

 温かい気持ちと苦しい気持ち。確かに大切なものである記憶は、必ずしも幸せなものではないと気付いた。
 手元にあった時には何も感じず。
 知らずに心を温めて、知らずに心を苛んでいた、情の塊。

 1つ思い出す事に、もっとも大切なものを忘れているという焦燥感が募る。
 忘れてはならないことを、忘れている。
 それは、忘れていた方が良い感情なのかもしれないが…。



 一つ目のカケラは、美しい水田の地に彷徨っていた。
 京に生きる大切な人達…父や兄や、産みの母。…一度に思いだして涙が出そうになった。記憶にはあったくせに、大切に想う感情が稀薄になっていたことに、驚いて、納得した。
 心の一部を失って以来、全てを忘れて、ひたすらに走り回っていた自分が、哀れにすら思えた。
 自分にも家族があるように、この世に生きる全ての人には繋がりがあり、情が通っている。それを叩き壊す「鬼」という存在は、やはり許しておけるものではない。
 ………では、鬼には、通う情はないのであろうか。
 疑問が壁となり、考えて寝過ごした朝。
「どうかしたのかい。少し目が赤いようだが」
「………ん?」
 なぜか枕元に侍従の香り。
 開いた視界は、華やかな布地に埋め尽くされている。
「何時まで眠っているつもりだい、お寝坊さん。あまり遅いので心配になって迎えに来てしまったよ」
「と、友雅殿!?」
「おやおや、そんなに驚かなくてもいいじゃないか。君は真面目な男が好きなのだろう?……少しは努力しないとね」
 悪戯っぽい笑顔に優しく見下ろされて、このまま貝になってしまいたい気持ちになる。
「どうしたんだい、布団をかぶり直したりして。早く神子殿の元へ参ろう」
 神子殿の元へ?……そうか。そうですよね。
「友雅殿……申し訳ないのですが、本日は胸が悪く…、あの、一日ばかり休養を頂いてもよろしいでしょうか…」
「珍しいこともあったものだね。しかしそういうことなら、ゆっくり休みたまえ。あまり頑張りすぎないことだよ」
 音もなく立ち上がる気配に、何故だか涙が滲みそうになる。
「あの………申し訳ありませんでした。せっかく迎えに来て頂いたのに……」
「気にすることではないよ。この程度では、いつもの礼にもなりはしない。ゆっくりお休み、鷹通」
 遠ざかる足音に酷く後悔しながら、それでも起きあがることができずにいた。嘘をついた罰だろうか、本当に胸が悪くなって、食事も取れずに一日を過ごす。
 何故……あんなことを、言ってしまったのだろう。
 何故、こんなにも落胆しているのだろう。
 あまりにも遠い答えに降参して、諦めた。
 心のカケラを取り戻して、気持ちが不安定になっているからだろう。
 明日は、友雅殿に謝らなければ。
 
 二つ目のカケラは椿香る神社の片隅に。
 すっかり手放していた、大切な人の記憶。なぜそんなことを忘れていられたのか、不思議でならなかった。
 長いあいだ問い続けたはずの、存在の意義。
 生まれたことに意味があるのならば、それを世に人に、己に問うためにも、辿り着かねばならない命の真理。
 あの人が信じてくれた『私の意味』を知りたかった。
 私を信じてくれた母は正しかったのだと、世に知らしめることができるのなら……その時初めて、私は私の存在を許すことができる。
 しかしそれは容易いことではなく。
 苛立つ心を抑える為に、仕事に埋もれて生きてきた。忙しさに紛れている時だけ、呼吸をしている心地になれた。その教えに従い「世の為に人の為に」と、この身を削ることで、自己の存在を許してきた。
 そこへ舞い降りた、八葉という宿命。
 理想へと辿り着くことができる道を示されたような気がして、私は……歓喜に震えたのだと、それを知られたくなかったのだ、貴方にだけは。
 貴方に、だけは………?
 わからない。
 まだ一つ、解らないことがある。
 あのときの私が、何を……誰を、怖れていたのか。
 残る欠片は,あと一つ。
 暗く沈みこむ私を余所に、友雅殿は神子殿をからかいながら、知らん顔で花を愛でていた。そういえば、一つ目のカケラを取り戻した日も、友雅殿と共に行動していたと思い出す。
 カケラを取り戻せるのは神子殿のおかげといえ、急激に戻る感情に取り乱しそうになる時に、そっとフォローしてくれる存在が有り難い。…次のカケラもそうであればいいと、密かな願をかけてみる。
 そしてできれば、友雅殿のカケラが戻る時も、共にありたいと…。
 
 
 
 
 
 
 
小説TOP04 || 目次 || 06
 
 

微妙に友雅を意識してる鷹通。初っ端が『戸惑いゼロ』だったから、この辺で味を出してみました。片恋の戸惑いもいいもんですね、見てるだけなら(他人事)カケラの場所なんかどーでも良かったのですが、水田も椿も桜も前半戦でないと見られないものなので(水は涸れるし花は散るし)ちょっとだけ。

【酔恋譚】 ~Suirentan-04~

 心のカケラを失ってしまったらしい。
 たぶん八葉全員を亡き者にしようとしたのだろうが、神子殿が龍神の力を用いて抗ったせいで、その程度の被害で済んだわけだ。
 まったく、生きているとたまには楽しいこともあるものだね。
 失ってしまったカケラを気にする者も在るようだが、私には関係ない。今ある記憶を遡る限り、大切にしていた存在など何一つ思い当たらないし、失くしても支障のない記憶ならば無くなってしまえばいい。
 胸に残る空虚な感じは、幼い頃から抱いてきたのと同じ色だ。
 大切な物など無い。
 大切な者など無い。
 こうしてこのまま朽ち果てていくのだろう。…それもよい。



「友雅殿。何処へおいでですかっ」
 やれやれ、見つかってしまったか…。
「ここだ、鷹通。…そんな大声を出すものじゃないよ、全く情緒のない男だねぇ」
 クスクス笑うと、顔から湯気が出そうなほど赤くなって怒り出す。
「貴方という人は…っ。この状況を解っておられるのですか!?京の街では怨霊が蔓延り、人々は夜も眠れず…」
「わかっているよ。大丈夫……鷹通、お役目を忘れたりはしないから、ね?」
「甘い声を出してもダメですっ。もう少し真面目にやっていただかないと………京が、滅んでしまいます…」
 怒りが脳天を抜けたら、今度は涙まで流して。……必死という言葉は、彼の為にあるものなのだろうね。
「ああ、わかったよ。泣かせるつもりはなかった。真面目にやるから、落ち着いてくれないか」
「泣いてなどおりません…っ」
 顔を背けて袖を濡らす。こんな仕草を可愛い女人にやられたら、それこそ仕事なんて投げ出して、昼間から頑張ってしまいそうだ。

 藤原鷹通。どうやら彼は、私の対になる存在らしい。
 生きる姿勢、仕事に対する姿勢、全てが対極にあたるこの男を、実は少し気に入っている。
「行きましょう、友雅殿」
 私を堂々と下の名前で呼ぶ…その響きも心地良い。知り合ったのは最近のはずだが、いつの間にそういうことになったのか。…まぁ、どうでもいいことだが。
「はいはい」
 何も毎日通い詰めなくても、必要な時だけ呼んでくれたらいいのに…とは思うのだが。真面目一本槍の鷹通は「放っておくと何時まで経ってもいらっしゃらない」と怒りながら、日々お出迎えをしてくれるから、仕方なく付き合うことになってしまう。
 鷹通にしてみれば、白虎という括りで粗相があってはならないといった所か。
「まぁ、いいのだけれどね…」
「何が宜しいのですか?」
 迎えに来てもらうのは、嬉しいものだからね。などと口にすれば、もう二度と来ないのだろう。
「ふふふ。……いや、もう少し肩の力を抜いていいのではないかな、と」
「貴方は抜けすぎですっ。よいですか、鬼が京全体に穢れを撒き散らして」
「あーあーあー、わかった、わかったから」
 まぁいいのだけれどね……昨夜は内裏に怨霊騒ぎがあって、朝まで働いていたのだが…。

「友雅殿!?…今日はお休みになってよろしかったですのに。昨夜の騒ぎはもう落ち着きましたの?」
 開口一番、藤姫のネタばらしから始まり、鷹通の顔色が変わる。
「友…雅………殿……?」
 消え入りそうな声で名を呼ぶ鷹通が、心の中で「私はなんてことをっ」と叫びながら頭を抱えているのが見える。
 この顔を見られただけでも、ここまで来た甲斐があるというものだ。
 真面目で世話焼きで可愛い男。
「気にしなくていいのだよ。無理だと思ったら言うに決まっているじゃないか。私がそんなに真面目な男に見えるかい?」
「………友雅殿」

「友雅、今ごろ来たのかよ、遅ぇーよ」
「天真殿、友雅殿は昨夜寝ずの番でお仕事をなさっていたのですよ?」
「だったら来んなよ、役に立たねーじゃんか」
「天真先輩、それはあんまりですよっ。友雅さん、気にしないでくださいね。天真先輩の口が悪いのは生まれつきで」
「だーれーがっ、生まれつき性悪なんだよっ」
「痛っ、痛いよ、天真先輩。僕、性悪なんて言ってない~っ」
「お二人とも、喧嘩はおやめくださいませっ」
 可愛い相方と、無遠慮な仲間。策略と私怨にまみれた内裏より、よほど楽しい役目だという他ないだろう。
「友雅殿…今日は、本当に……」
「まだ言うのかい?…それならお詫びに、明日からも迎えに来てくれるかな。どうも私は朝に弱くてね」
 言葉無く嬉しそうに笑う鷹通に、胸の奥がチリチリと焦げる。
 懐かしいような感覚が、何故か不思議に思えた。
 
 
 
 
 
 
 
小説TOP03 || 目次 || 05
 
 

さてさて、こちらもカケラが無くなって、なんか忘れてます。2章で愛を語った舌の根も乾かないうちに、このザマです。実はカケラ騒動の前に『デキてても』いーかなー、なんて思ってたんですが。そうなるとこの辺を書く時に、私の胃が痛いので(←強調)やめました。二人のためではありません(笑)

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