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【酔恋譚】 ~Suirentan-05~

 温かい気持ちと苦しい気持ち。確かに大切なものである記憶は、必ずしも幸せなものではないと気付いた。
 手元にあった時には何も感じず。
 知らずに心を温めて、知らずに心を苛んでいた、情の塊。

 1つ思い出す事に、もっとも大切なものを忘れているという焦燥感が募る。
 忘れてはならないことを、忘れている。
 それは、忘れていた方が良い感情なのかもしれないが…。



 一つ目のカケラは、美しい水田の地に彷徨っていた。
 京に生きる大切な人達…父や兄や、産みの母。…一度に思いだして涙が出そうになった。記憶にはあったくせに、大切に想う感情が稀薄になっていたことに、驚いて、納得した。
 心の一部を失って以来、全てを忘れて、ひたすらに走り回っていた自分が、哀れにすら思えた。
 自分にも家族があるように、この世に生きる全ての人には繋がりがあり、情が通っている。それを叩き壊す「鬼」という存在は、やはり許しておけるものではない。
 ………では、鬼には、通う情はないのであろうか。
 疑問が壁となり、考えて寝過ごした朝。
「どうかしたのかい。少し目が赤いようだが」
「………ん?」
 なぜか枕元に侍従の香り。
 開いた視界は、華やかな布地に埋め尽くされている。
「何時まで眠っているつもりだい、お寝坊さん。あまり遅いので心配になって迎えに来てしまったよ」
「と、友雅殿!?」
「おやおや、そんなに驚かなくてもいいじゃないか。君は真面目な男が好きなのだろう?……少しは努力しないとね」
 悪戯っぽい笑顔に優しく見下ろされて、このまま貝になってしまいたい気持ちになる。
「どうしたんだい、布団をかぶり直したりして。早く神子殿の元へ参ろう」
 神子殿の元へ?……そうか。そうですよね。
「友雅殿……申し訳ないのですが、本日は胸が悪く…、あの、一日ばかり休養を頂いてもよろしいでしょうか…」
「珍しいこともあったものだね。しかしそういうことなら、ゆっくり休みたまえ。あまり頑張りすぎないことだよ」
 音もなく立ち上がる気配に、何故だか涙が滲みそうになる。
「あの………申し訳ありませんでした。せっかく迎えに来て頂いたのに……」
「気にすることではないよ。この程度では、いつもの礼にもなりはしない。ゆっくりお休み、鷹通」
 遠ざかる足音に酷く後悔しながら、それでも起きあがることができずにいた。嘘をついた罰だろうか、本当に胸が悪くなって、食事も取れずに一日を過ごす。
 何故……あんなことを、言ってしまったのだろう。
 何故、こんなにも落胆しているのだろう。
 あまりにも遠い答えに降参して、諦めた。
 心のカケラを取り戻して、気持ちが不安定になっているからだろう。
 明日は、友雅殿に謝らなければ。
 
 二つ目のカケラは椿香る神社の片隅に。
 すっかり手放していた、大切な人の記憶。なぜそんなことを忘れていられたのか、不思議でならなかった。
 長いあいだ問い続けたはずの、存在の意義。
 生まれたことに意味があるのならば、それを世に人に、己に問うためにも、辿り着かねばならない命の真理。
 あの人が信じてくれた『私の意味』を知りたかった。
 私を信じてくれた母は正しかったのだと、世に知らしめることができるのなら……その時初めて、私は私の存在を許すことができる。
 しかしそれは容易いことではなく。
 苛立つ心を抑える為に、仕事に埋もれて生きてきた。忙しさに紛れている時だけ、呼吸をしている心地になれた。その教えに従い「世の為に人の為に」と、この身を削ることで、自己の存在を許してきた。
 そこへ舞い降りた、八葉という宿命。
 理想へと辿り着くことができる道を示されたような気がして、私は……歓喜に震えたのだと、それを知られたくなかったのだ、貴方にだけは。
 貴方に、だけは………?
 わからない。
 まだ一つ、解らないことがある。
 あのときの私が、何を……誰を、怖れていたのか。
 残る欠片は,あと一つ。
 暗く沈みこむ私を余所に、友雅殿は神子殿をからかいながら、知らん顔で花を愛でていた。そういえば、一つ目のカケラを取り戻した日も、友雅殿と共に行動していたと思い出す。
 カケラを取り戻せるのは神子殿のおかげといえ、急激に戻る感情に取り乱しそうになる時に、そっとフォローしてくれる存在が有り難い。…次のカケラもそうであればいいと、密かな願をかけてみる。
 そしてできれば、友雅殿のカケラが戻る時も、共にありたいと…。
 
 
 
 
 
 
 
小説TOP04 || 目次 || 06
 
 

微妙に友雅を意識してる鷹通。初っ端が『戸惑いゼロ』だったから、この辺で味を出してみました。片恋の戸惑いもいいもんですね、見てるだけなら(他人事)カケラの場所なんかどーでも良かったのですが、水田も椿も桜も前半戦でないと見られないものなので(水は涸れるし花は散るし)ちょっとだけ。