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[翡幸]想双歌 〜16〜

「なにが起きても、君を離せない‥‥」
 狂おしいほどの激しさで抱かれた腕の中、深い底から湧き上がるような低い‥‥低い声が、それを告げた。
「あ‥‥‥‥」
 あれほど溢れた涙は根元を涸らし、身体の震えもピタリと止まる。気が触れたように翡翠を求めていた私は、半ば茫然として座り込んだ。
 そうだ。
 記憶を失くそうと何度振り出しに戻ろうと、私達は傍にあるのだと、あの時誓ったはずなのに。私は何を怖れていたのか。
「翡翠‥‥‥私は、この世界の者ではないかもしれない」
「そう」
「神子殿と同じ時空の狭間から落とされた、迷い子かもしれない」
「うん」
「それでも‥‥‥?」
 私を、求めてくれるか。
 声にしない言葉を笑うように、強く抱き寄せられた。
「‥‥‥ハ‥ッ‥」
 言葉もなく奪われることに感じてしまうのは、それだけ翡翠の想いを近く感じるからだ。
 鋭い眼光に射すくめられて、息が止まる。
 しなるように激しく動く身体が慣らしもせずに私を差し貫いて、貪るように抉った。
 バカ、これではまるで肉食の獣だ。
 食われて感じる身体が恨めしく思えるほど、物凄い速度で高みへと押し上げられる。
「ぅあ‥‥っ、ひす‥‥‥っああぁ」
 心臓は、まるで私を壊さんばかりに胸を打ち付ける。
 首に、肩に、腕に、腰に、噛みついては口付けを落とす翡翠の痕跡が散りばめられて、その数を増やすごとに堪えようのない痺れが全身を襲う。
 怖い。
 力ずくで奪われる感覚は未知のもので、その迫力に呑まれる。
「ふあ、ぁんっ」
 唐突に前の猛りを握りこまれ、不埒なほど高い声が出る。
 ビクビクと動く腰を楽しむように肩越しにジッと覗き込む翡翠は、酷く楽しげで、見とれるほどに美しかった。

 エメラルドの瞳が、私の痴態を見つめている。

 それだけで泣きたくなるほど身悶える。見ないで欲しいと。いつまでも飽くことなく見つめていて欲しいと。掻き消えてしまいたいと。淫欲にまみれて‥‥お前に犯される快楽に溺れて泣き叫ぶ私を、見せつけたいと。
「翡翠、堪えられない」
「そうかい。‥‥私など、何年も前からイキっぱなしだがね」
 熱く掠れる声に背筋がゾクリと震える。
「ああっ、もう‥‥っ、翡翠‥‥翡翠ぃ!」
「何度でも吐き出せばいい。私の限界まで、気が触れても付き合って頂くのだからね‥‥ほら、寝ている暇などありはしないよ」
「‥‥ク、ハ‥ッ、あ‥‥‥ああっ、あー‥‥‥っ」
 仰け反った私の首筋を熱い舌が何度も舐め上げる。だらしなく開いたままの口から唾液が溢れるたび、その一滴すらも逃がさぬと言いたげに。
「綺麗だね‥‥幸鷹」
 脳髄に刻むような距離から吹き込まれる、壮絶な色香。
「ソコ‥‥‥だめ‥ぇ‥‥‥ひ、す‥‥」
 身体の中の弱い部分を意地悪く抉りながら、乱暴に腰を揺らして微笑む姿に、目眩がする。額からツっと流れた汗を絡め取る舌先に、それを飲み下す喉の動きにまで感じてしまう。
 翡翠は、綺麗すぎて、怖い。
「そう。それではもっと掻き混ぜてさしあげねば、ね。‥‥ここだろう?」
「んあぁんっ」
 痛みと快楽の境目。限界の少し先。
 突き上げられた時に飛んだ星は、今も目の前をチカチカしている。
「こんなに、はしたなく締め付けて‥‥かわいいよ、幸鷹」
 耳から流れ込む羞恥心。それにすら悦びを隠せない。
「何度でも気をやるといい。縛り付けて快楽の泥に浸して、君の足腰が立たなくなるまで奪い尽くしてあげようか」
 奪って。
 もうこの身には、お前以外の何も宿していないけれど。
「ひすい‥‥ひすい‥‥?」
「なんだい、幸鷹」

「‥‥‥キス‥‥して」

 一瞬お前が花のように笑った気がしたのは、幻だろうか。
 優しく触れるようなキスは段々と激しくなって、そのまま‥‥夢見心地で意識を飛ばした。
 
 
 
 
 
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[翡幸]想双歌 〜15〜

 どこまでを知ったのか。

 君を抱けない夜に焦れながらも、まさか藤原の家に忍ぶわけにもゆかず、君との記憶しか残らぬ隠れ家で静かに夜をやり過ごしていた。
 朝になれば、君に逢えるだろう。
 日に日に色を落とす頬の血色にも、やつれていく身体にも胸は痛むが、心配することすら許されぬ距離よりマシだった。
 倒れることがあれば、この腕で支えよう。
 幸鷹‥‥あまり根を詰めるものではないよ。その真実が君にとって必要なものだとしても、君自身が崩れては何の意味もない。
 苦しく夜空を見上げた私に、愛しい気配が駆け寄って‥‥飛び込んだ。
「翡翠ぃ‥‥っ」
 私の腕でしか泣けない君を褒め称えたいような気分になる。
 おかえり。
 言葉にはできない言葉を宙に投げて、その身を高く抱き上げた。

 さて、どこまでを知ったのか。
 私に答えを求めぬ君に、知っているとも知らぬとも言えず、ただその背を撫で続ける。
「時々、自分の幼さに嫌気が差す」
 ほろりと漏らした幸鷹が、切ないほど大人びて見える。‥‥あの頃の幸鷹なら、こうも落ち着いて現実を受け入れることなどできなかっただろう。ましてや自分の在り方を愁う余裕など。やはり時は待つものだと、感動さえ覚える。
「そんなに急いで老け込むこともないだろうさ」
 苦く零した私を笑った幸鷹は、穏やかな表情で口付けを落とす。

 離したくない。
 それがどんなに我が侭な願いなのだとしても、幸鷹の心が少しでもここに残るのなら、何もかもを捨てていい。自由な暮らしも、あの海さえも。君に代わるものなど何一つ有り得はしない。
 なけなしの情熱を、すべて君へ。
 大切なものなど一つでいい。この手に余る栄誉はいらない。君という存在を支えるためならば、私の心も身体も力も祈りも、全てを捧げよう。
 願いなら初めから一つだけ。

「幸鷹‥‥君を離したくない」

 それが君の決意なのだとしても、尊重することなどできそうにない。
 君が消えた時間を知ってしまった私は、あの時よりも相当聞き分けが悪くなってしまったのだよ。
 もう二度と、君のいない時間を歩めない。
 どんな理屈も君の幸福さえも、この胸を埋めることはできない。大人げないと罵られようと、そんな己を冷めた目で見つめて笑うことなどできはしない。
 私らしくもない、ならば私という男を消してしまえばいい。端から執着するほどの自我などありはしないのだよ。
 君を失う未来に比べれば。
「なにが起きても、君を離せない‥‥」

 拘束するようにキツク抱きしめた腕の中で、幸鷹の嵐が、止まった。
 
 
 
 
 
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[翡幸]想双歌 〜14〜

 八葉の役目も、検非違使別当としての役目も、手を抜くことなどしない。
 これは私事。
 それでも真実を追究するために‥‥この不安を埋めるためには、夜の時間を使うことしかできなかった。
「おやおや、別当殿はお疲れのご様子だ」
 欠伸を噛み殺す私を見てはクスクス笑うけれど、その目は厳しいものだった。
「ホントだ〜。幸鷹さん、少しやつれたみたい‥‥。今日はやめておきましょうか」
「いえ、ご心配には及びませんよ。白虎の試練を遂げねば京に未来はないのですから。‥‥参りましょう、神子殿」

 試練は思うよりも簡単なものだった。
 そう‥‥幾重にも隠された真実を暴く作業より、ずっと‥‥。

 私の戸籍が捏造されたものであることは解った。そして私の記憶に手を加えた者が、安倍の陰陽師‥‥これは泰継殿のことではないかと確認を取る。
「術師は秘密を漏らせぬ。知ることを欲するならば、それを望んだ者に聞くがいい」
 望んだ者。依頼人。
 順当に考えれば、それは私の両親ということになる。
「‥‥‥わかりました」
 大事にされていた記憶ばかりが蘇る。
 両親は私を欺いていたわけではないのだろう。それを信じさせるほど、無償の愛で包まれていた自覚はあるのだ。まるで、翡翠がするように‥‥。

 翡翠。

 気付けば宵闇の中を駆けていた。
 それがお前に続いているのならば、伊予までの道程すら短く感じるほど、無性に逢いたかった。叱られるかもしれない。呆れられるかもしれない。それでもいい。なんでもいい。お前の声が聞きたい。
 待ち合わせたわけでもないのに、何故か戸口で立ち尽くしていた胸にドンッと飛び込む。
「翡翠ぃ‥‥っ」
 全ての現実から逃げ出すようにしゃくりあげる私を、何も言わず何も聞かずに包みこんだ腕が苦しかった。愛しすぎて、涙が溢れた。

 あの頃より随分と重くなった私を、それでもやはり翡翠は軽々と抱き上げる。

 片手で担ぎ上げるように引き入れると、さっさと戸の鍵を落とし、履き物を放りながら寝所へと向かう。
 迷いのない姿が、やはり好きだと思う。
 何事かと問い質されれば逃げることしかできなかっただろう。
 寝所の床に腰を落として、そのままの姿勢で私を抱きしめた胸を、何も言わずに抱きしめる。
 一言の説明も無しに取り乱す私は、どこまで小さな子供なのだろうと思う。それに呆れず付き合う翡翠は、どこまで大人なのだろうと。やはり私とお前の距離は縮まることなどないのだと諦めるのは、決して心地の悪いものではないと、不意に気付いた‥‥。
 
 
 
 
 
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[翡幸]想双歌 〜13〜

 長い秋は、唐突に終わりを告げた。
 京の気を分断していた東の要は綺麗に除かれ、次は西‥‥私と幸鷹の試練を待つという。
 穢れは年の内に正さねばならぬ。
 その道理は解る。
 京の民に思うところは無いが、ここまでやり抜いた神子殿の気持ちを折るには忍びなく、それはそれなりに京を想う幸鷹の為にも、助力を惜しむつもりは毛頭無かった。
 しかし。
「何故‥‥‥‥」
 冬の訪れを待つように舞い戻った心のカケラは、私に軽い絶望を見せる。

 私が何より心に暖めていた記憶。
 それは私が伊予にいた頃、国主としてやってきた【藤原幸鷹】という人物についての、克明な調書だった。
 寝所の中で幸鷹が無意識に口にする言葉を理解できず、またその不安定な心理を理解するにも材料が無く、幸鷹自身の口からは語られることのない『何か』を知るために八方手を尽くした、その記憶。

 藤原幸鷹は、藤原家の嫡男ではない。
 幸鷹に何らかの呪いを施したのは、かの安倍晴明殿の気を受け継ぐと言われる安倍泰継殿。
 すっかり忘れていたことだが、私は泰継殿本人にも確認を取りに出向いたのだ。まだ幸鷹が伊予で奮闘していた頃、所用だと偽り京へと出向いて。‥‥何を聞いても『おまえには関わりのないことだ』と黙秘を決め込まれてしまったが。

 当時の私は切れ切れの情報に苛立っていた。
 名高い名家と知られる藤原家が、それについて沈黙を通す意味はハッキリとしない。子を持たぬわけでもなし、家の名誉のためならば放り出すのが筋と言えよう。そんなわけでその場は黙って引き下がったが、何も伝えず虚ろな呪いなどで幸鷹を縛り付けるような胡散臭い【名家】とやらに、大切な人を近づける気になどなれよう筈もない。
 どんな理由があるにせよ、歪められた記憶によって幸鷹が苦しめられているのは明らかだった。色を知らぬ子供が執拗に人肌を乞うのは、心に癒えぬ傷を持つからだろう。
 国主の任が解かれようと、そのまま伊予に残らぬかと乞うたのは、酔狂などではない。
 抱き上げた私の胸に、飢えるように縋りついた幸鷹が、切なかった。
 私でそれを埋めることはできないかと、せめて幸鷹が肌寒さを覚えぬ程度には暖めることが適わぬかと、あれで私は私なりに精一杯だったと言えば、可笑しく思うだろうか。


『翡翠‥‥キスして‥‥』
 それは仕草で気付いた。
『翡翠の瞳はエメラルドみたいだな‥‥‥キラキラして、とてもキレイだ』
 うっとりと呟くそれは宝玉のようなものだろうか、残念ながら私の管轄になく、妙に心に残っていた。
 幸鷹が睦言の最中に零す、謎の言葉。
 キス。エメラルド。他にもいくつかの風雅な響き。
 調べることなどできようはずもなかったそれを、今の私は知っている。
 教えてくれたのは、神子殿。
 幸鷹が無邪気に零した言葉は、どれも全て神子殿の世界では当然に使われているものと知ることは、希望とはなり得ない。

 ようやく辿り着いた【事の真相】は、悠遠の彼方‥‥。

 それが真実ならば、心の洞を満たすものは全てそこに揃っているのかもしれない。それこそが幸福なのかもしれない。
 だが‥‥。
 この手を離すには、私は君を愛しすぎてしまったよ。‥‥‥幸鷹。
 
 
 
 
 
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[翡幸]想双歌 〜12〜

 どこか、違和感を感じていた。
 世界に対して。否、この世界に存在する私自身に対しての、払拭できぬ違和感を。
 言葉で交わることはできる。
 逆に言えば言語の通じぬ相手との交流は不可能だった。

 私は、他人に触れるのが怖ろしい。

 流れ込む不吉な何かを避けるために、袖の長い服でこの身を覆い、静かに全てを拒絶していた。その感覚は、泰継殿の言う「気が乱れる」というものなのだろうと八葉となって初めて知ったが、なぜキレイに覆い隠したはずの不安を泰継殿によって言い当てられるのか、それが解せない。

 翡翠は‥‥‥。
 伊予の国主となった私を「挨拶がてら」と笑いながら、あろうことか抱き上げて拐かしたのだ。‥‥とはいえ、難しい顔をしていた幼い私に「伊予の海」を見せたかっただけだという言葉に他意はないのだろう。
 本当に驚いた。
 私の身体より重い装束ごと軽々と抱き上げた腕の力も、直に触れられて‥‥何一つの違和感も覚えなかったことも。
 思えばあの瞬間から、私は翡翠を受け入れていたのだろう。
 私を愛してくれる家族の抱擁ですら、どれほどの努力と忍耐を以ても受け入れられなかった私は、気付くことのないほど根底から孤独に病んでいた。
 人肌は恋しい。
 しかし人肌は苦しい。

 翡翠だけが、それを満たすのだと、この時知った。

 単純な言葉にしてしまえば、私は「寂しかった」のだと思う。
 何もかも投げ捨てて胸の中で甘えたい欲求と、尊敬を覚える存在に私を認めさせたいという自尊心との狭間で揺れながらも。翡翠が求めるのなら‥‥と自分を甘やかして、関係を持った。
 本当は、飢えていたのは私の方だったというのに。触れて欲しいと、触れたいと渇望していたのは私の方だったというのに。
『幸鷹‥‥‥おいで』
 甘やかすように伸ばされた腕に不承不承という顔で凭れて、心の中では、そんな私に愛想を尽かす翡翠を想って震えていた。
 上手にはできない。
 甘えることも、求めることも、愛されることも。

 戸惑う私を構いもせず、強引に帯を解く翡翠が好きだった。
 すっかり解いた重い着物から私を抱き上げて、一糸乱れぬ姿で包みこむ流れも、日に焼けた肌も、太陽の匂いも‥‥全てが好きだった。
 胸の中で肌をすりあわせていると、虚ろに凍り付いた心の洞が、温かいもので満たされていくのを感じた。
 気付けばもう、私はお前に夢中で。
 あれほど見事に伊予を治めることができたのは、ただお前に認められたいが故。従順で無能な恋人を愛せる男ではないと感じたから、その枠に填らぬように足掻くことしかできなかった。


 一人きりの部屋で床に身を投げて、己の指先を見つめる。

 神子殿の手に触れた時の、あの感覚が忘れられない。
 凄まじい衝撃と、世界の流転。
 あるはずのない記憶への執着と違和感。
 心のカケラは一つも失っていないはずの私が、なぜこのような波に晒されるのか、その意味も解らず。
「デジャヴ‥‥」
 ふと呟いて、明らかに京の言葉ではないそれの意味を知る自分に、驚く。
 あれは確かに存在する世界なのだろう。神子殿がそこから舞い降りたと言う以上、偽りの記憶などではないはずだ。‥‥‥そう、偽りの‥‥。

 得心がいく。
 だからこそ怖ろしい。

 この世界が、私にとって仮初めの宿なのだとしたら。伊予といわず京といわず、翡翠の前から姿を消さなければならない日がやって来るのだろうか‥‥。
 込み上げる恐怖に震える私は、まるで翡翠を知る前の子供の時分に戻っているかのようだった。
 
 
 
 
 
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