どこまでを知ったのか。
君を抱けない夜に焦れながらも、まさか藤原の家に忍ぶわけにもゆかず、君との記憶しか残らぬ隠れ家で静かに夜をやり過ごしていた。
朝になれば、君に逢えるだろう。
日に日に色を落とす頬の血色にも、やつれていく身体にも胸は痛むが、心配することすら許されぬ距離よりマシだった。
倒れることがあれば、この腕で支えよう。
幸鷹‥‥あまり根を詰めるものではないよ。その真実が君にとって必要なものだとしても、君自身が崩れては何の意味もない。
苦しく夜空を見上げた私に、愛しい気配が駆け寄って‥‥飛び込んだ。
「翡翠ぃ‥‥っ」
私の腕でしか泣けない君を褒め称えたいような気分になる。
おかえり。
言葉にはできない言葉を宙に投げて、その身を高く抱き上げた。
さて、どこまでを知ったのか。
私に答えを求めぬ君に、知っているとも知らぬとも言えず、ただその背を撫で続ける。
「時々、自分の幼さに嫌気が差す」
ほろりと漏らした幸鷹が、切ないほど大人びて見える。‥‥あの頃の幸鷹なら、こうも落ち着いて現実を受け入れることなどできなかっただろう。ましてや自分の在り方を愁う余裕など。やはり時は待つものだと、感動さえ覚える。
「そんなに急いで老け込むこともないだろうさ」
苦く零した私を笑った幸鷹は、穏やかな表情で口付けを落とす。
離したくない。
それがどんなに我が侭な願いなのだとしても、幸鷹の心が少しでもここに残るのなら、何もかもを捨てていい。自由な暮らしも、あの海さえも。君に代わるものなど何一つ有り得はしない。
なけなしの情熱を、すべて君へ。
大切なものなど一つでいい。この手に余る栄誉はいらない。君という存在を支えるためならば、私の心も身体も力も祈りも、全てを捧げよう。
願いなら初めから一つだけ。
「幸鷹‥‥君を離したくない」
それが君の決意なのだとしても、尊重することなどできそうにない。
君が消えた時間を知ってしまった私は、あの時よりも相当聞き分けが悪くなってしまったのだよ。
もう二度と、君のいない時間を歩めない。
どんな理屈も君の幸福さえも、この胸を埋めることはできない。大人げないと罵られようと、そんな己を冷めた目で見つめて笑うことなどできはしない。
私らしくもない、ならば私という男を消してしまえばいい。端から執着するほどの自我などありはしないのだよ。
君を失う未来に比べれば。
「なにが起きても、君を離せない‥‥」
拘束するようにキツク抱きしめた腕の中で、幸鷹の嵐が、止まった。
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