記事一覧

[翡幸]想双歌 〜13〜

 長い秋は、唐突に終わりを告げた。
 京の気を分断していた東の要は綺麗に除かれ、次は西‥‥私と幸鷹の試練を待つという。
 穢れは年の内に正さねばならぬ。
 その道理は解る。
 京の民に思うところは無いが、ここまでやり抜いた神子殿の気持ちを折るには忍びなく、それはそれなりに京を想う幸鷹の為にも、助力を惜しむつもりは毛頭無かった。
 しかし。
「何故‥‥‥‥」
 冬の訪れを待つように舞い戻った心のカケラは、私に軽い絶望を見せる。

 私が何より心に暖めていた記憶。
 それは私が伊予にいた頃、国主としてやってきた【藤原幸鷹】という人物についての、克明な調書だった。
 寝所の中で幸鷹が無意識に口にする言葉を理解できず、またその不安定な心理を理解するにも材料が無く、幸鷹自身の口からは語られることのない『何か』を知るために八方手を尽くした、その記憶。

 藤原幸鷹は、藤原家の嫡男ではない。
 幸鷹に何らかの呪いを施したのは、かの安倍晴明殿の気を受け継ぐと言われる安倍泰継殿。
 すっかり忘れていたことだが、私は泰継殿本人にも確認を取りに出向いたのだ。まだ幸鷹が伊予で奮闘していた頃、所用だと偽り京へと出向いて。‥‥何を聞いても『おまえには関わりのないことだ』と黙秘を決め込まれてしまったが。

 当時の私は切れ切れの情報に苛立っていた。
 名高い名家と知られる藤原家が、それについて沈黙を通す意味はハッキリとしない。子を持たぬわけでもなし、家の名誉のためならば放り出すのが筋と言えよう。そんなわけでその場は黙って引き下がったが、何も伝えず虚ろな呪いなどで幸鷹を縛り付けるような胡散臭い【名家】とやらに、大切な人を近づける気になどなれよう筈もない。
 どんな理由があるにせよ、歪められた記憶によって幸鷹が苦しめられているのは明らかだった。色を知らぬ子供が執拗に人肌を乞うのは、心に癒えぬ傷を持つからだろう。
 国主の任が解かれようと、そのまま伊予に残らぬかと乞うたのは、酔狂などではない。
 抱き上げた私の胸に、飢えるように縋りついた幸鷹が、切なかった。
 私でそれを埋めることはできないかと、せめて幸鷹が肌寒さを覚えぬ程度には暖めることが適わぬかと、あれで私は私なりに精一杯だったと言えば、可笑しく思うだろうか。


『翡翠‥‥キスして‥‥』
 それは仕草で気付いた。
『翡翠の瞳はエメラルドみたいだな‥‥‥キラキラして、とてもキレイだ』
 うっとりと呟くそれは宝玉のようなものだろうか、残念ながら私の管轄になく、妙に心に残っていた。
 幸鷹が睦言の最中に零す、謎の言葉。
 キス。エメラルド。他にもいくつかの風雅な響き。
 調べることなどできようはずもなかったそれを、今の私は知っている。
 教えてくれたのは、神子殿。
 幸鷹が無邪気に零した言葉は、どれも全て神子殿の世界では当然に使われているものと知ることは、希望とはなり得ない。

 ようやく辿り着いた【事の真相】は、悠遠の彼方‥‥。

 それが真実ならば、心の洞を満たすものは全てそこに揃っているのかもしれない。それこそが幸福なのかもしれない。
 だが‥‥。
 この手を離すには、私は君を愛しすぎてしまったよ。‥‥‥幸鷹。
 
 
 
 
 
--
 
小説TOP12 || 目次 || 14
 
--