「大浴場か‥‥いいよ、行っておいで」
「はい?」
一瞬、言葉が通じていないのかと思った。
景色のいい露天風呂が自慢の旅館。せっかく選んで旅行に来たのだから、一緒に行こうと誘ったのに。
「一緒に入りませんか?」
遠い時空。熊野での、ささやかな約束。
その頃から‥‥恋人と呼べる関係だった貴方は、皆と一緒に行った温泉で皮肉げに笑いながら、そっと囁いたじゃないですか。
『今度は二人だけで、温泉に来たいね』
だから俺は‥‥クダラナイかもしれないけど、こんな計画を。ただ、貴方が喜ぶ顔が見たくて。
「勘弁してよ。‥‥譲くんは、俺を壊したいの?」
「どういうことですか?」
ジリジリと距離を詰める景時さんが、少し怖い。
「っあ‥‥っ」
手荷物無しで移動できるようにと先に着ていた浴衣。その裾を強引に割って、優しげな手つきで太股を撫で上げる指に、容易く煽られてしまう。
「そのままの意味だよ。今まで一度でも君と一緒に湯船に浸かって我慢が利いたことがあった?」
確かに‥‥現代に飛んでからは。
思い返すと恥ずかしくなるくらい、強引に貪欲に求められた場面ばかりを思い出して、息が乱れそうになる。だけど確かに、あの時。
「ありましたよ。‥‥熊野で」
「ああ」
嫌なことを思い出したような声色が不安を掻きたてる。
俺にとっては幸せな記憶。
景時さんにとっては‥‥そうじゃなかった?
「あの時の君は、無防備だったよね」
振り向けずに固まる俺の腰の辺りから、不機嫌な声が聞こえる。
スーッと足元から風が入って身を固くした俺の足を、滑らかに撫で上げては撫で下げて。内股に頬を寄せながら繰り返す景時さんは、どこか甘えているようにも見える。
それはまるで大切な宝物を扱うように。
俺なんかに、そんな価値があるわけもないのに‥‥。
「景時さんが言ったんですよ。今度は二人でって」
「そうだったね」
吐き捨てるように言って笑うと、強引に股を割って、そこに幾つもの赤い華を散らす。
苛立つ理由が見えない。
どうしよう。何か嫌われるようなことをしてしまったのか。
「君は本当に知らないんだね。あの時、どれほど俺が‥‥‥‥いや、言うことじゃないな」
「なんですか、貴方が!?言ってくれなくちゃ解りませんよっ!!」
「ゴメン、なんでもないんだ。君は何も悪くないのに‥‥本当、ゴメン‥‥」
急激に変わる気配。
俺を責め立てる支配者のそれから、小さく震える弱々しいそれに。
足に絡みつく景時さんは、俺を拘束するというより、見捨てないでとしがみつく子供みたいだ。
「話してくれなくちゃ解りませんよ。それとも俺が知るべきではないことですか。どうしても、教えたくないようなことなんですか?」
できるだけ優しく言って頭を撫でると、情けなく眉を寄せた顔がジッと見上げてきた。可愛すぎて噴き出しそうだなんて、ちょっと言えないけど。
「譲くんは無防備だよ。俺は‥‥嫉妬で狂いそうになってたのに」
‥‥‥え。
そういえば、九郎さんの背中を流してあげてる途中で大袈裟に転んだり、弁慶さんと湯船で喋っていた所を不自然に割り込んできたり、敦盛とじゃれていたら判らないように抱きしめられたり。
あの時の景時さんは確かにおかしかった。
まさか、あれは。
「すみません、そんなこと考えもしないで‥‥だって相手は男ですよ?」
「俺だって男だよ」
「そうですけど‥‥っ」
普通に考えて、恋愛対象になる相手じゃないですからっ。
むしろ俺は景時さんの視線ばかりが気になって、傍に行くのも恥ずかしいくらいだったのに。
「我が侭なのは解ってるけど」
「いえ‥‥‥スミマセンでした」
そんな風に見ていてくれたなんて、思ってもみなかった。
申し訳ないけど、嬉しいな‥‥。
「だから今日は一緒に入りませんか?」
照れくさいのは変わらないけど。
「ダメ。我慢できないし」
「それじゃ俺も行きません。部屋にもお風呂がありますし」
一件落着かと思った俺の前で、何か悪いことを企んでる顔が強かに笑った。
「罰ゲームだよ。譲くん一人で行っておいで‥‥帰ってきたら、しっかり愛してあげる」
罰ゲーム‥‥?
「それじゃ、貴方以外の人の目に触れますよ?」
「うん。そんな所に華を散らして‥‥ね?」
まさかっ。
バッと裾を広げると、遠目にも解りそうなほどハッキリと。
恥ずかしい所ばかりを狙って。
「かっ、景時さん!!!」
「仕返しだよ〜♪さ、行っておいで。ちゃんと温まってきたら、誰にも触られてないかどうか、確認するからね‥‥身体の隅々まで」
ニコニコと物騒なことを言う人に結局逆らえず、過敏すぎるほど人目を気にした俺は‥‥。
その場に居ない恋人に抱かれたまま、立ち上る湯煙を見つめていた。