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[譲景]帰り道

「景時さん。‥‥こんな遅くまで、お疲れさまでした」
 全身が泡立つのを感じた。
 皆が寝静まった頃合いを狙って、忍び込むように帰り着いた我が家。
 まさか避けていた張本人に出迎えられるなんて。
「譲、くん‥‥」
 声が掠れる。
 こんなに緊張するものか‥‥人を殺めるわけでもないのにね。
「そろそろ帰ってくる頃かなんて思ってたら眠れなくなってしまって。でもまさか本当に今夜中に会えるなんて‥‥、まだ信じられないんですけど」
 鎌倉への所用を済ませての帰り道。
 君に逢いたくて早足になったり、君に逢いたくなくて足取りが重くなったり。あれほど一心不乱に黙々と歩いたのに、まだ整理できない己の心を抱えたまま。
 せめて、あと一夜。
 この夜が明けるまでは時間があると油断していたのに。
「あ‥‥。‥ありがと〜、待っててくれたの?嬉しいなぁ」
 上擦る声を必死で制御しながら、いつもの自分を演じる。
 いつもの。
 いつもの‥‥俺は、どんなだった?
「‥‥景時さん」
 いつもの君、じゃ、ない。

 腹の奥に何かを抱えるような重い空気が、近づいてくる。

 背中に固い感触。
 気付けばろくに返事も出来ぬまま、壁際に追い詰められていた。
 静かに譲くんの手がかかる。
 わからない。
 何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか。だけど何かの覚悟を迫る君が。
 そっと、重なった‥‥‥。

 噛み切れば、いいのか?
 きっと俺がそうしたいのなら、君は拒まない。
 突き飛ばせばいいのか?
 その後で、君の瞳を見つめる勇気があるのならば。
 受け入れれば、いいのか。
 ‥‥‥何を?
 君を?

 話はそんな単純じゃない。

 混乱しているけど、たぶん君がそれを望むなら、想いがあるとみていいんだろう。君にとっての俺は‥‥何の利用価値もない存在なんだから。まさか身の快楽が目当てというワケでもあるまい。そんな対象に男を選ぶような趣味じゃないはずだ。
 だから。
 消去法でいけば、君は、俺が。

 想いを受け入れる?
 そんなことなら悩まない。頼まれなくても、俺は‥‥。
 だけど、ダメだ。
 どう伝えればいい?
 全てを知れば君が危うい。だけどこんなこと、半端に拒めば、君は‥‥。

 グルグルと思い悩む俺を置き去りにして、交わりは深くなるばかりだった。
 それが心地よくて。
 何も考えずに、このまま流されてしまいたいような自堕落な欲に支配されて。

 気付けば応えていた。


 走れども走れども虚しいばかりの道が、初めて暖かい日差しに包まれたような心地で‥‥うっとりと目を閉じた俺を、優しい指が辿る。
 疲れていたんだ。
 きっと、この一夜を越えたら‥‥君を傷つけぬように細心の注意を払って、君から離れよう。
「貴方が‥‥好きです‥」
 必死で自分に言い訳をしている俺を甘やかすような囁き。
 僅かに残った理性すら押し流す、熱い吐息。
 ハ‥‥ァ‥‥‥
 困ったな。ものも知らぬ処女でもあるまいに‥‥こんな。
 触れられた箇所が熱く痺れて、言葉にもならない。

 はじめて、だと思う。
 淫欲に溺れるような行為は珍しくもないのに。
 初めて、愛されている、と‥‥。
「恐ろしくはないですか?」
「ん。‥‥大丈夫、だよ」
 君からは、愛以外の感情を感じない。
 気遣うように笑った中に、チリチリと燃えるものを見つけて可笑しくなる。
 そう。ゴメンね。
 恐怖も感じぬほど慣らされた身体で。
 君の愛を受けるには、幾らか汚れている身体で。
「愛しています」
 それでも構わないというように、この穢れた身を掻き抱いた君に。

 気付けば、溺れていた。

 結局、全てを話した俺を、君は捨てることもなく。
 知っていたような眼差しで柔らかく微笑んだ。
「貴方の身に危険が及ぶようなら、考えますが」
「それは、ないんだけど‥‥ね」
 言葉を濁したまま、また鎌倉へと足を向けた俺を、君がどんな気持ちで見送るのかと思えば、気は重い。

 隠し事は得意な方だと自負していたのに‥‥‥。

 早々に退散しようと身構えた俺に、頼朝様が意地の悪い笑みを向ける。
「ほう、‥‥囚われたか」
「何のお話でしょうか」
「構わぬ。退け」
 可笑しそうに弛められた口元に、何もかもを見透かされた気分で御前を後にする。
 ま、確かに執着されているわけじゃないと知っていたから、ここへも来れたんだけどねぇ‥‥。
 頼朝様にしてみれば、全てが戯れなのだろう。
 現世への執着が増えれば、あの方の意志に逆らう芽が一つ消える。そう。その程度のこと。
 そうだよ、譲くん。
 君を人質にするようなものなのに。
 そう言ったら。
『俺は平気ですよ。このまま今すぐ貴方に殺されても構いません』
 俺に受け入れられない方が辛いだなんて、軽く笑い飛ばされてしまった。

 君に逢いたいと、早足になったり。
 胸が苦しくて、足を止めたり。
 気付けば京屋敷。

 扉の向こうに、俺を待つ影が一つ。