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[翡幸]深々と

深々と降り積もる雪。
それに何を感ずるわけではないが‥‥。

小さく吐いた溜息に振り返る君が、何故だか儚い者のように見えて身震いをする。
「こちらにおいで」
何の意図もなく伸ばした腕に、不自然なほど自然に寄り添う君を、そっと抱きしめる。
底のない不安を誤魔化すように「珍しい」などと茶化せば、気分を害した風もなく、薄く笑った。

「静かだから……」
「そうだね…。嘘みたいに、静かだ…」

現実味のない空気。
寄り添う体温だけが確かなものをくれる。

無意識に私の腕を抱いて、幸せな溜息を紡ぐ君。
こんな時ばかり天使のように微笑む、天の邪鬼な恋人。
ねぇ、幸鷹。
君と共になら、いっそこのまま消えてしまうのも一興、などと言えば君は怒るかい‥‥?

[翡幸]珈琲

 ‥‥‥コトン。

 珈琲の香りが近づいて、私の傍らにそれが置かれる。
 身体ごと包みこむような香ばしい湯気が、ふわりふわりと視界を奪う。
「頼んだ覚えはない」
 不意にこみあげた涙を悟られまいとして辛辣な声をあげても「そうだね」とかわしてくる、不敵な笑み。
「私が飲みたかったのだよ。ついでに、君もどうだい?」
 ついで、という言葉を強調されて、断る理由も消えた指が勝手にそれを持ち上げた。

 うっかり、幸せな溜息をつきそうになる。

 ついでのはずのソレは、明らかに私の為だけに作られたものだと知れる。
 翡翠が好むのは、酸味も苦みも強い、濃い珈琲。
 手の中で揺れる透き通った琥珀は、私が自分の為だけに煎れるものと酷似した‥‥しかしもっと手間のかかる方法で煎れられたものと解る。
 お前は、私を甘やかすことにつけては手を抜かない。
 それがたまに鬱陶しくも思える。
 本音を言うと少し心地良くて、それが悔しい。
「今日は‥‥‥もう、休まないかい」
 私に限界が来ていることを、私よりも先に気付くお前が、悔しい。
 ギリッと歯を噛み合わせて俯くと、当然のように身体ごと抱きしめる腕。
 涙を悟っても拭うこともなく。
 甘く髪を撫でる仕草もなく。
 嗚咽を堪える強がりさえ、静かに許してくれる。
「どこにも、行くな‥‥っ」
 子供っぽいワガママを素直にぶつける気になったのは、それだけ心が弱くなっていたからなのだろう。
 からかう素振りもなく、コツンと頭が触れる。
「君が望むだけ、傍にいるよ」
 望まなければ消えるのか。
 お前を望まない私には興味がないか。

 そもそも私は、翡翠の存在を望んでいるのか。

 認めたくなどない。
 だが‥‥悔しいけれど、求めているのは私の方なのかもしれない。

[翡幸]蛍の誘い

幸鷹はツンデレかもしれないけど、つれない態度を取る自分を正当化できていないと好きかな。もっと優しくしたいんだけど、つい冷たい態度を取ってしまう自分が歯痒い、とか。
翡翠は、そんな幸鷹の「しまった、言い過ぎた」みたいな心も解った上で、拗ねたり許したりしてるんじゃないかと。


 柔らかい光の中、肌に夜風が落ちた。
「そういうことか」
 少しガッカリとした気分で、恋人の暴挙を受け入れる。
 誰が通りかかる場所でもなし、拒む理由もないが‥‥「蛍を見に行こう」などと、お前にしては珍しく情緒のある誘いだと思ったのに。花見だ月見だとくりだしては、何も見ずに酒を浴びる人種と同じかと思えば、興醒めは仕方のない。
「そうだよ、いつだって私の願いは君を手に入れることでしかない。‥‥だが、君には見えるだろう。君の視界を綺麗なもので覆いたかった。それでは理由にならないかい?」
 言われて初めて、空を見る。
 草むらに戯れる私達をからかうように、ふわりと灯り、ふわりと消える、柔らかな光。夢中で私を屠るお前には見えていない、奇跡のような光景。
 ‥‥‥ハ‥‥ッ。
 脅かさぬよう声を殺して身を捩れば、傍の草に降りた光が、ふうわりと飛び立つ。そして翡翠の髪に止まり、また飛び立ってその満足げな表情を掠めていく。
 夏草の匂いも、川のせせらぎも‥‥幻想的な灯りも、全てが優しかった。
 静かすぎる屋敷での交わりが、悲しくすら思えるほど。
「幸鷹‥‥たまにでいいから、私の顔を見る気はないかい?」
 バカな奴だ。自分で用意した舞台に嫉妬して。
 そうは思っても、今は‥‥優しい微笑みしか返してやれない。すっかり毒気を抜かれるほど、今夜の床は美しかった。
「‥‥近すぎる。‥溶けそうだ‥‥」
 すっかり溺れた身体は、もうどこからが翡翠で、どこからが自分のものなのかすら判断が付かない。
「それではもっと溶かしてしまおうか」
 甘い言葉を上手く返すことはできそうにない。
「そうだな‥‥」
 私を喜ばせることにばかり長けた翡翠と、ただ応えることにさえ不器用な自分は、とても釣り合いそうな気がしないが。
「幸‥‥‥?」
 ただ口元を綻ばせただけの返事で、翡翠は‥‥とろけそうな笑みを浮かべた。

「たまに君が愛しすぎて、気が触れそうになるよ」

[翡幸]秘密の岩場

「っっ、なにを」
「黙って幸鷹、舌を噛むよ?」
 無理矢理に割り込む舌先を、噛み千切ってやろうかと思う。
 いつだってそうだ、この男は。
 我が儘で強引で‥‥そのくせ妙な所に聡い。
「からかったりしないよ。誘いたかったのだろう?」
「誰がっ」
「心当たりがないのならば、伊予の海で御祓はやめたまえ。私以外の輩に肌を見せる必要など無いだろう」
「貴様に見せる必要こそない」
「おや、見せたくないと?」
「当然だ!」
「それでは私は目を閉じたまま、この手で君を暴くとしよう」
「な‥‥‥‥」
 何を言うっっっっ。
「赤くなってる」
「なってないっ」
「目を閉じていてもわかるよ。‥‥いや、むしろ目を閉じていた方が解ることもある」
「‥‥っ?」
「知りたいの?」
「言ってみればいい」
「知りたいなら、一つだけ本当のことを言って?」
「本当の‥‥?」

「私を、愛していると」

[翡幸]甘い熱

「ん‥‥‥幸‥‥もっと‥」
 コトの後のせいか、珍しく幸鷹から唇を合わせてくるものだから、つい調子に乗ってみる。やれやれと言いたげに笑う顔が『とても嬉しそうだ』なんて口にしたら、君はどんな顔をするのだろうね。
 興味はある。
 だが、今は‥‥‥早く‥‥。
 スーッと目を細めると、吸い寄せられるように唇をついばんだ。
「お前はまるで、毒のある花のようだな」
 うん。その表現はいいね。
「ならば君は、そうと知って吸い寄せられる蝶といったところかな」
 馬鹿らしいと吐き捨てる唇と、私を抱き寄せる素直な腕。
 幸鷹、わかるかい?
 君は私が求める全てを、知らぬうちに満たしているのだよ。

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