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[翡幸]珈琲

 ‥‥‥コトン。

 珈琲の香りが近づいて、私の傍らにそれが置かれる。
 身体ごと包みこむような香ばしい湯気が、ふわりふわりと視界を奪う。
「頼んだ覚えはない」
 不意にこみあげた涙を悟られまいとして辛辣な声をあげても「そうだね」とかわしてくる、不敵な笑み。
「私が飲みたかったのだよ。ついでに、君もどうだい?」
 ついで、という言葉を強調されて、断る理由も消えた指が勝手にそれを持ち上げた。

 うっかり、幸せな溜息をつきそうになる。

 ついでのはずのソレは、明らかに私の為だけに作られたものだと知れる。
 翡翠が好むのは、酸味も苦みも強い、濃い珈琲。
 手の中で揺れる透き通った琥珀は、私が自分の為だけに煎れるものと酷似した‥‥しかしもっと手間のかかる方法で煎れられたものと解る。
 お前は、私を甘やかすことにつけては手を抜かない。
 それがたまに鬱陶しくも思える。
 本音を言うと少し心地良くて、それが悔しい。
「今日は‥‥‥もう、休まないかい」
 私に限界が来ていることを、私よりも先に気付くお前が、悔しい。
 ギリッと歯を噛み合わせて俯くと、当然のように身体ごと抱きしめる腕。
 涙を悟っても拭うこともなく。
 甘く髪を撫でる仕草もなく。
 嗚咽を堪える強がりさえ、静かに許してくれる。
「どこにも、行くな‥‥っ」
 子供っぽいワガママを素直にぶつける気になったのは、それだけ心が弱くなっていたからなのだろう。
 からかう素振りもなく、コツンと頭が触れる。
「君が望むだけ、傍にいるよ」
 望まなければ消えるのか。
 お前を望まない私には興味がないか。

 そもそも私は、翡翠の存在を望んでいるのか。

 認めたくなどない。
 だが‥‥悔しいけれど、求めているのは私の方なのかもしれない。