「ん‥‥‥‥‥弁、慶‥‥」
まったく困った人だ、そんな無防備な寝顔を晒して。
僕の懐で安心しきっている姿を、見るとはなしに見つめていると、溜息が出てしまう。
長い遠征になると、いつもこうだ。
見かけからは想像もできないけれど、人一倍神経の細い九郎は元々、深い睡眠を取ることが難しい。それが戦の直中で野宿ともなれば当然の如く悪化する。
憔悴しきっている顔は、味方にも見せず。
無駄に溢れる体力と精神力にものをいわせて、倒れるどころか、ふらつくことすらなく突き進んでしまう。
いや、そもそも「味方」なんてものは、幾らもないのかもしれない。
勘の鈍いフリをして、九郎はすっかり気付いている。あれほどまでに傾倒している、兄上‥‥頼朝にとって、九郎は望ましくもない『使い捨ての駒』なのだということに。
そこらに紛れている密偵。
こんな状況で何を信じろというのか。
「だからといって、僕を信じていいという話にはなりませんよ」
呟いて髪を梳いた手に、フゥと瞼が上がる。
「あ‥‥すまない、すっかり眠ってしまったようだ」
「構いませんよ、今のうちに少し休んでおいてください。敵の動きが判らない以上、2、3日は様子を見ることになりますし‥‥ここには誰も来ませんから」
せめてもの心遣いと、宿を取れる日は少し離れた場所に部屋をもらう。
少なくとも日が昇るまでは、ここを訪れる者はない。
「いや、休息ならば、もう十分に取れた。今度はお前が休め」
バカを言うものではないと、目に見えぬ場所で苛ついている。野宿で雑魚寝をしている時の方が、よほど深く眠れるというものだ。
君の傍で安らかに眠れるわけがない。
「僕はしっかり休みましたよ。お気になさらずに」
「そんなはずがないだろう、疲れた顔をして。‥‥弁慶、俺はお前に何もしてやれないのか」
弱気な声に視線を上げると、情けないほど肩を落として項垂れている姿が。
「どうしてだろうな。いつでもお前に守られているような気がする‥‥もう子供ではないというのに。お前の目には、出逢った頃の姿のまま写っているんじゃないかと、自分が情けなく思える」
「考えすぎですよ。すっかり立派になって、眩しいほどです」
そう‥‥眩しすぎて、直視するのが辛いほど。
ダメですよ、九郎。
そんなに素直に頬を赤らめては‥‥理性を保てる自信がありません。
「僕が気になって眠れないというなら、出ていますね」
堪えきれずに立ち上がりかけた腕を強く引かれて、その腕の中に倒れ込む。
息を飲んで押し黙った頬に、吐息を感じて。
理性の針が、ブンと揺れる。
「‥‥‥‥‥‥行くな‥‥」
小さな声に、震える肩に、逆らえるはずがない。
「傍にいた方がいいですか? それならここに居ますから、手を離してください」
腕の中から抜け出そうとした身体を、強く束縛されて混乱する。
まるで抱きしめられているかのようで‥‥そんな状況にいらぬ期待をしてしまいそうな自分に焦っている。
「九郎‥‥冗談はこの辺にしておいてくださいね、唇を奪ってしまいますよ?」
真っ赤になって手を離すだろうと叩いた軽口に‥‥まるで頷くように顔が近づいて、重なる。
ぶつかるような、不器用な口づけ。
突然の事態を飲み込めずに時を止める。それはまるで己が願望にみた幻影のようで、すぐには信じることもできずに、息を飲んだまま。
「九‥‥郎‥?」
解放された唇で呆然と呟くと、すり減りそうな音を立てて歯軋りをした。
「本当に、俺は馬鹿だな。‥‥傍にいてほしいなどと言って、どうしてお前が傍を離れるような事をしてしまうんだろう。俺には、お前だけだというのに‥‥」
らしくない弱気な声。
混乱した頭のまま、無意識に抱き返していた。『こんなに都合の良いことがあるはずがない』と警告を出す心を宥める術もなく。それでも今、九郎を独りにしてしまうことはできないと‥‥それだけは、できないと。
勘違いならばいい。それならば、あとで何とでも言い繕うことはできる。
今はただ、目の前に在る不可思議な人が、何を望むのかと。
‥‥僕も馬鹿ですね。期待をしていないと自分に言い聞かせている時点で、自らそれを否定しているというのに。
期待‥‥しては、いけませんか。
僕は決して聖人ではない。本当は君に触れたくて触れたくて触れたくて触れたくて、たまらない。傍にいるだけで抑えが効かなくなるほど。逃げられるものなら、いっそ逃げ出してしまいたいほど。
指を絡めて、祈るように握り合う。
「九郎‥‥」
君の望みは何ですか。
それは、僕に差し出せるものですか。
「弁慶‥‥駄目だ、もう」
何がダメなのかと問いかけようとした唇を、奪われて、そのまま‥‥。
「すまない‥‥すまない、弁慶‥」
僕が望む通りの展開になったのだから、謝る必要はありませんよ?
言えない。
溢れる激情のままに我が身を奪う九郎は、あまりにも愛しすぎる。
込み上げる笑いを噛み殺しながら、流されるがままに身を投げ、契りを受ける。
「はっ‥‥‥は、ああっ」
気付かれぬように手助けをしていたのは、初めのうちだけだった。
野性的な勘の良さでコツ?を掴むと、呼吸も難しいほどの激しさで攻めたてられる。
「ん、ふ‥‥‥九、郎‥っ」
何も言わない代わりとばかり、音を立てて背中に口づけて、前に回した手で胸を‥‥過敏な熱の塊を、弄ぶ。あれほどに余裕の無かった九郎は、身体を重ねる毎に落ち着きを取り戻し、いつの間にやら僕を翻弄していた。
否、あるいは。
僕がその手に溺れたがっているだけなのかもしれない。
不器用な言葉からは、おおよそ想像ができないほど雄弁に「愛」を語る指先に、甘えていたい。‥‥ただ、それだけなのかもしれない。
身勝手に果てて意識を落とした横顔を笑いながら、髪を梳く。
「ゆっくりと、おやすみなさい」
さてさて。目覚めた君は、これを無かったこととするのでしょうか。
もしもそうなら、僕はそんな君を許してあげられるのかな。‥‥‥いえ、構いませんよ。その時はもう一度、今度は逃げることも叶わないほど確実に、罠を張りましょう。
残念ながら君に選択肢はありません。
僕の願いは君を傷つけないのだと、知ってしまいましたからね。