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[九弁]契り

「ん‥‥‥‥‥弁、慶‥‥」
 まったく困った人だ、そんな無防備な寝顔を晒して。
 僕の懐で安心しきっている姿を、見るとはなしに見つめていると、溜息が出てしまう。
 長い遠征になると、いつもこうだ。
 見かけからは想像もできないけれど、人一倍神経の細い九郎は元々、深い睡眠を取ることが難しい。それが戦の直中で野宿ともなれば当然の如く悪化する。
 憔悴しきっている顔は、味方にも見せず。
 無駄に溢れる体力と精神力にものをいわせて、倒れるどころか、ふらつくことすらなく突き進んでしまう。
 いや、そもそも「味方」なんてものは、幾らもないのかもしれない。
 勘の鈍いフリをして、九郎はすっかり気付いている。あれほどまでに傾倒している、兄上‥‥頼朝にとって、九郎は望ましくもない『使い捨ての駒』なのだということに。
 そこらに紛れている密偵。
 こんな状況で何を信じろというのか。
「だからといって、僕を信じていいという話にはなりませんよ」
 呟いて髪を梳いた手に、フゥと瞼が上がる。
「あ‥‥すまない、すっかり眠ってしまったようだ」
「構いませんよ、今のうちに少し休んでおいてください。敵の動きが判らない以上、2、3日は様子を見ることになりますし‥‥ここには誰も来ませんから」
 せめてもの心遣いと、宿を取れる日は少し離れた場所に部屋をもらう。
 少なくとも日が昇るまでは、ここを訪れる者はない。
「いや、休息ならば、もう十分に取れた。今度はお前が休め」
 バカを言うものではないと、目に見えぬ場所で苛ついている。野宿で雑魚寝をしている時の方が、よほど深く眠れるというものだ。
 君の傍で安らかに眠れるわけがない。
「僕はしっかり休みましたよ。お気になさらずに」
「そんなはずがないだろう、疲れた顔をして。‥‥弁慶、俺はお前に何もしてやれないのか」
 弱気な声に視線を上げると、情けないほど肩を落として項垂れている姿が。
「どうしてだろうな。いつでもお前に守られているような気がする‥‥もう子供ではないというのに。お前の目には、出逢った頃の姿のまま写っているんじゃないかと、自分が情けなく思える」
「考えすぎですよ。すっかり立派になって、眩しいほどです」
 そう‥‥眩しすぎて、直視するのが辛いほど。
 ダメですよ、九郎。
 そんなに素直に頬を赤らめては‥‥理性を保てる自信がありません。
「僕が気になって眠れないというなら、出ていますね」
 堪えきれずに立ち上がりかけた腕を強く引かれて、その腕の中に倒れ込む。
 息を飲んで押し黙った頬に、吐息を感じて。
 理性の針が、ブンと揺れる。
「‥‥‥‥‥‥行くな‥‥」
 小さな声に、震える肩に、逆らえるはずがない。
「傍にいた方がいいですか? それならここに居ますから、手を離してください」
 腕の中から抜け出そうとした身体を、強く束縛されて混乱する。
 まるで抱きしめられているかのようで‥‥そんな状況にいらぬ期待をしてしまいそうな自分に焦っている。
「九郎‥‥冗談はこの辺にしておいてくださいね、唇を奪ってしまいますよ?」
 真っ赤になって手を離すだろうと叩いた軽口に‥‥まるで頷くように顔が近づいて、重なる。
 ぶつかるような、不器用な口づけ。
 突然の事態を飲み込めずに時を止める。それはまるで己が願望にみた幻影のようで、すぐには信じることもできずに、息を飲んだまま。
「九‥‥郎‥?」
 解放された唇で呆然と呟くと、すり減りそうな音を立てて歯軋りをした。
「本当に、俺は馬鹿だな。‥‥傍にいてほしいなどと言って、どうしてお前が傍を離れるような事をしてしまうんだろう。俺には、お前だけだというのに‥‥」
 らしくない弱気な声。
 混乱した頭のまま、無意識に抱き返していた。『こんなに都合の良いことがあるはずがない』と警告を出す心を宥める術もなく。それでも今、九郎を独りにしてしまうことはできないと‥‥それだけは、できないと。
 勘違いならばいい。それならば、あとで何とでも言い繕うことはできる。
 今はただ、目の前に在る不可思議な人が、何を望むのかと。
 ‥‥僕も馬鹿ですね。期待をしていないと自分に言い聞かせている時点で、自らそれを否定しているというのに。
 期待‥‥しては、いけませんか。
 僕は決して聖人ではない。本当は君に触れたくて触れたくて触れたくて触れたくて、たまらない。傍にいるだけで抑えが効かなくなるほど。逃げられるものなら、いっそ逃げ出してしまいたいほど。

 指を絡めて、祈るように握り合う。
「九郎‥‥」
 君の望みは何ですか。
 それは、僕に差し出せるものですか。
「弁慶‥‥駄目だ、もう」
 何がダメなのかと問いかけようとした唇を、奪われて、そのまま‥‥。
「すまない‥‥すまない、弁慶‥」
 僕が望む通りの展開になったのだから、謝る必要はありませんよ?
 言えない。
 溢れる激情のままに我が身を奪う九郎は、あまりにも愛しすぎる。
 込み上げる笑いを噛み殺しながら、流されるがままに身を投げ、契りを受ける。

「はっ‥‥‥は、ああっ」

 気付かれぬように手助けをしていたのは、初めのうちだけだった。
 野性的な勘の良さでコツ?を掴むと、呼吸も難しいほどの激しさで攻めたてられる。
「ん、ふ‥‥‥九、郎‥っ」
 何も言わない代わりとばかり、音を立てて背中に口づけて、前に回した手で胸を‥‥過敏な熱の塊を、弄ぶ。あれほどに余裕の無かった九郎は、身体を重ねる毎に落ち着きを取り戻し、いつの間にやら僕を翻弄していた。
 否、あるいは。
 僕がその手に溺れたがっているだけなのかもしれない。
 不器用な言葉からは、おおよそ想像ができないほど雄弁に「愛」を語る指先に、甘えていたい。‥‥ただ、それだけなのかもしれない。


 身勝手に果てて意識を落とした横顔を笑いながら、髪を梳く。
「ゆっくりと、おやすみなさい」
 さてさて。目覚めた君は、これを無かったこととするのでしょうか。
 もしもそうなら、僕はそんな君を許してあげられるのかな。‥‥‥いえ、構いませんよ。その時はもう一度、今度は逃げることも叶わないほど確実に、罠を張りましょう。
 残念ながら君に選択肢はありません。
 僕の願いは君を傷つけないのだと、知ってしまいましたからね。

[江戸遙か 番外]蕎麦屋の二階

「そろそろお客さんが切れてきたわね。少し早いけど、今日は閉めようか」
「そうね。湯屋が混み始める前に行ってしまえると楽なんだけど」
 楽しげな二人の会話を聞きながら、悟られないように溜息をつく。
 今日は、来てくれなかったな…。
 暖簾を下げようと表に出たところへ、焦がれていた待ち人の姿が・・・。

 

[江戸遙か・番外]蕎麦屋の二階

 

「あれ、今日はもうおしまい?」
「いいえっ」
 下げかけた暖簾を元に戻して袖を引くと、困ったように笑いながら頭を掻く。
「無理しちゃダメだよ。俺は大丈夫だからさ」
 何が無理なものか。毎日毎日、貴方だけを待ち続けているというのに。
「あら、景さん。よかった、まだ鍋も片づけてないし、食べるものは沢山あるわよ。譲、暖簾は落としちゃうからね、何か作ってあげて」
「まあ。仕方のない兄でご免なさいね、譲くん。洗い物は済ませておいたから、あとは宜しく頼めるかしら」
「任せてください。湯屋が混みだす前に、ですよね」
「聞いていたの?恥ずかしいわ」
 朔さんは柔らかく笑いながら、先に行ってしまった姉さんの後を追って小走りに店を出ていく。
 やれやれと息を付くと、そこには所在なさげに立ちつくす景時さんの姿。
「あ、すみません、お茶も出さずに」
「いいんだよ〜。……俺こそゴメンね、変な時間に」
「そんなことありませんって。俺…貴方が来るのを待っていたんですから」
 小さく呟いた言葉は、通りの喧騒にかき消されて貴方に届かない。
「え?」
「なんでもありませんっ、座っていてください!!」
 1人で赤くなって奥に下がる。
 景時さんの食事を用意しながら、店の片づけをするために重い鍋を持ち上げようとした時、背中越しに体温を感じた。
「このくらいは手伝わせてよ」
 心臓が跳ね上がって、手に力が入らない。
「だ、大丈夫です。俺は男ですから、このくらい平気です。座っていていただけませんか。……せっかく休みに来たんですから、ここでくらい気を遣わずに休んでくれたら嬉しいです」
 鍋を元の位置に戻してから、景時さんに向き直る。
 何を悩んでいるのかは知らない。
 だけど貴方が、言葉にできないほどの荷物を肩に乗せて生きているのは判る。
 何もできないけれど、せめて止まり木のように…いっときでも貴方を休ませることはできないだろうか。いつも、そればかり考えている。
「譲くん…」
 差し伸べた手に、トンと雫が落ちる。
「景時さん?」
「ゴメン……ゴメン、譲くん。君に触れる資格なんかないのに…。許して、今だけ…こうさせて」
 背中に回された手に力一杯抱きしめられて、気が遠くなる。
 貴方は、どうしてそんなに悲しい…。
「今だけなんて寂しいこと言わないでください…」
 できることなら、こうして、いつでも貴方に寄り添っていたい。貴方を苦しめるものから遠ざけて、貴方を守ってあげたい。貴方を包んでいたい。
 そんなワガママを言って困らせるわけにもいかない。そうしたいのなら…そうできるのなら、貴方がそれを選ぶはずだから。回した指先に込めた願いを口にすることはできないけれど。
 せめて、つかの間の気紛れでも。
「景時さん、いいお酒入ってますよ。飲みませんか」

 静かに杯を進める貴方の笑みが、ふと変わる瞬間がある。
 何かを迷いながら飲んでいた手を止めて、吹っ切れたように見上げる笑顔。
 それは……俺を抱くと、決めた顔。
 気を殺がないように、貴方が俺に気付かないように、視線を合わせずに寄り添う。
 二階へ続く急な階段を上る間、逃がさないとでも言いたげに固く手を握りしめる貴方は、さっきまでの優しい仮面を外して、ドス黒い闇を宿した瞳で俺を見つめる。
 それが貴方であるなら、愛しさしか感じない。
 正直を言うと、はじめに組み敷かれた時は恐ろしいと思った。豹変した貴方が貴方に見えなくて、俺を何かと間違えているのかと……それでも、不思議と逃げたい気持ちはなかった。そんな風に情熱の捌け口を求めているのならば、いつでもこの身を捧げたい。
 景時さん、知らないでしょう。俺は初めて逢った時から、貴方を…愛していたんです。
 まさか自分が、こんなに欲深い人間とは思わなかった。
 店の常連客と軽口を叩く貴方を見て、許せないと感じてしまうほど病的に。貴方が俺だけを見つめていてくれればいいと、どれほど願ったか。
 どれほど、呪ったか。
 乱暴に着物の紐を解く貴方に、どれほど手酷く扱われてもかまわない。
 貴方は今、俺だけを見つめて…俺だけを感じているんだから。
「は…っ……」
 強く胸を吸われてヒュッと息を飲む。
 一日中立ち仕事をしていた俺の身体は、汚くはないだろうか。気になるけれど、躊躇する姿を見せることも叶わない。
「あ、ん。……はんっ」
 貴方の舌が首筋を脇腹を背中を…俺の全てを喰らい尽くすように、時に歯を立てながら攻め上げてくる。
「うっ、あー…んはぁ……」
 声にもならない嬌声を上げて悦ぶ俺を、愉しそうに見つめる顔。
 薄暗い、狩人の顔。
「譲くんは、痛いのが好きなのかな。そんなにイイ顔をして」
「あ……景時さ、ん」
 甘い声が耳元を滑って、強く耳朶を囓る。
 全身に走ったものは痛みか快楽か。
 何度も貴方に教えられた場所が、疼いているのがわかった。
 痛くていい。
 貴方に、抱かれたい。
 気取られてはならない。こんなに欲深く求めている俺を。
 貴方が好きなように、どんな無茶な注文にでも応えるから、好きに扱える…言いなりになる人形にでもなるから。
 俺を、捨てないで。
 何も言わずに短い呼吸を繰り返す俺をどう思ったのか、優しげな声が肩越しに降り注いだ。
「そんなわけがないよね。身体が辛くなるのは困るはずだ……ほら、自分でほぐしてみせて。やり方は教えたよね?」
 後ろから腰を抱えて尻の肉を嬲りながら、クツクツと意地悪く笑う声が命じた。
 景時さんの目の前で……そんな。
 恥ずかしくて躊躇すると、舐め上げていた場所をガリッと囓って歯形を残す。
「つあっ」
「ほら、早く」
 痛みに…恐怖に屈服しているように見えているのだろう。
 その役を与えられたのなら、演じきってみせよう。
「やります、から…、痛くしないで」
 しおらしい言葉を口に乗せながら、指を沈めて中をほぐしていく。
 早く、早く貴方が欲しい。
 本当はただ『ご褒美』をもらうために、望んでしていることなのに。
「あっあっんっ、はっ……あ、景時さん、もう、もう許して」
 早く貴方を沈めて。
 体温が欲しい…独り遊びは、凍り付くほど。
「譲くん、可愛いよ」
 愛してるとは言ってくれない。ただの一度も。
 いつも貴方の言うとおりに役をこなせた時だけ、可愛いと健気だと良い子だとからかうように告げるばかりで。
 それでも。
「はぁ………いいよ、譲くん。よくほぐれて…君の中は熱くて気持ちがいいね」
 沈み込む時は、それ以上ないほど幸せな溜息をつくから。
「景時さん、んはぁ、あ、あ、景時さんっ」
 腕の中でしなりながら揺さぶられて、堪えきれずに何度も達してしまう自身を手拭いで覆いながら、貴方のそれを身体に受けて、中も外も汚されていく。背中にかかったそれを拭われるだけで、引きつりそうなほどの快感が駆け抜ける。
 いつまで続くか判らない攻め地獄に感覚が壊れて、俺の全身が…指の先まで悦楽の鍵となる。
「景時さん、もっとぉ…もっとして…」
「ふふ。はしたない子だね。そんなに欲しいなら俺の上に乗ってごらん。そう、素直だね。…壊れた君は可愛いよ」
 壊れてる。確かに、壊れている。
 何度達しても気が遠くなっても足りない、貴方が欲しい。
 俺は事の初めから、壊れている。
 ユサユサと揺さぶられながら、冷たく笑う貴方に感じている。
 もっと酷くされたい。もっと深く傷を付けられたい。貴方が消えても生きていけるように…消えない傷が欲しい。
「んああ、景時さぁん」
 下からドンと突き上げられて、目の前に星が飛ぶ。
 冷ややかな自分が『女のようだ』と笑っているけれど、どうでもいい。貴方が望むなら、どうとでも変われる。
「あー…んっ、ふっあ、ああっ、景時さん、景時さん…っ」
 もう何度目になるだろう。
 大きくしなった景時さんの身体にしがみついて、布団に倒れ込む。
 胸の中に包まれながら、二人同時に意識を手放していく。

 景時さん……消えないで…。

 力の入らない腕で貴方の頭を抱きしめて、その儚い佇まいに震えている。
 何もいらない。
 貴方の気持ちが此処にないなら、それすらもいらない。
 ただ貴方が傍にいてくれれば。
 貴方の熱を手放すことがないなら、もうそれだけでいいから…。

[景譲]キスまでの距離〜景時サイド

 天気がいい日は気分がいい。
 汚れた洗濯物をキレイにすると、薄汚れた自分までキレイになるような気がして、本当に気分がいい。
 なんか最近、煩悩まみれって感じだしな〜。
 溜息を噛み殺すように鼻歌なんか歌って、パンッと着物の皺を伸ばした時、歩み寄る気配に気付いた。
 ・・・譲、くん?
 布越しに物言いたげな視線を受けて、態度を決めかねる。
 正直いうと今は君に逢いたくない。
 まあ黙っていても殺されるわけではないし、そのまま様子を見ていようと思いながら洗濯を続ける。

 好きか嫌いかと問われれば、好きだと言うしかない。
 好き。
 うん・・・俺は、君のことが好きだよ。
 背中を預けられる大切な人。信頼している、大切だと思っている。君が俺の対で良かったと、本気で思う。
 そこで終われば良かったんだ。
 朔が望美ちゃんを慕うように一途に仲間として大切だと、そこで完結できれば、こんなに苦しい心を押し隠す必要もなかったのにね。
 今はもう傍に在ることすら辛い。その姿を見ることも、声を聞くことも、君の存在の全てが辛い。
 お願い譲くん、早く立ち去って。
 じゃないと俺は、君に酷いことをしてしまいそうだ。
 手遅れになる前に。
 仲間で在り続けるために。この想いが暴走を始める前に。

 気配が動いた。

 急激に近づく殺気のようなものに、身構える間もなく捉えられる。
「え、譲くん・・・」
 噛みつくように唇を奪われた。
 重なり合った場所から君の想いが流れ込んできて、混乱する。
 強い欲求。
 強い感情。
 一途に、ひたすらに向かってくる・・・これは、恋情?
 不器用に絡みついた腕に頭を抱えられて、柄にもなく胸が高鳴る。愛しいなどと言ったら、子供扱いをするなと怒るんだろうか。
 君が掴めない。だけど愛しい。
 腰を抱き寄せて胸を合わせると、君の鼓動がこの胸にまで響いてくる。
 不器用でまっすぐで強い。
 若さなどではないんだろう。きっと君は生まれた時からそんな風で、幾つになってもそのままで。
 あまりの眩しさに目を細める俺を知らず、執拗に求めて続ける口づけに、理性を壊されそうになる。
「ね、譲くん・・・待って」
 切れ切れに声を上げて白旗を振ると、君は仁王立ちのまま肩で息を付いた。
 熱烈な口づけも楽しいけど、ね、せっかくだから甘く寄り添いたいな〜なんて思わない?
 込み上げる笑いを噛み殺して肩に寄りかかる俺を、佇まいと寸分変わらぬまっすぐな声が斬りつける。
「すみません、景時さん」
 ん〜、どうしてそうなるのかな。
 口づけには応えたよね。それとも「俺も君を愛しているよ」なんて、言葉で伝えなければ信じられないのかな。

 よかった。
 やっばり君は、俺より子供みたいだよ。

 込み上げる笑いを隠すこともせず、緊張する君の瞳をそっと見つめる。
「謝られちゃうと、どうしていいのか悩むよ。・・・嬉しかったって言ってもいいかな」
 片恋を信じていた君の心が、色づくように幸せに変わる。
「景時、さん・・・?」
 回された腕に寄り添って、君の匂いに包まれる。
 暖かな、俺の太陽。

 ね、譲くん・・・ずっと俺の傍にいてくれないかな。

[譲景]キスまでの距離

「〜〜♪〜♪」
 ご機嫌に歌いながら、洗濯物に埋もれてる貴方。
 シーツの影からそっと近づいて声をかけたら驚くかな・・・そんなガキっぽいことを考えながら、目の前まで来たのに。気付かない。後ろを向いて次の紐に洗濯を干し始めた貴方が、風に揺らめく布の隙間から見え隠れするのに。
 ・・・まさか、な。
 気配を断ったつもりはない。音を、声を立てないだけで、俺は確かに此処にいるのに。まさか危険な戦場で生きる人が気付かないなんてことがあるわけがない。
 庭中に張り巡らせた紐を埋め尽くすように、少しずつ遠ざかる貴方を見つめながら、ただ立ちつくす。
 軽やかに俺の存在を無視し続ける貴方に、腹が立って。
 こんな事で腹を立てる自分の身勝手さが惨めで。
 揺れる布を掻き分けながら、すぐそこの貴方を捕まえた。
「え、譲く・・・・」
 何も聞きたくない。何も言いたくない。何も見たくない。
 気遣うような貴方の声も、貴方を責める心も、戸惑う瞳も・・・こんな、茶番のような午後は、全て夢だといい。
 逃がさないように首に回した両腕を引き離すどころか、その腕で腰を抱いて、そっと引き寄せてくる。不自然に飛びついた姿勢を正すように、ピタリと身体が密着して・・・息が、上がる。
 涙が出そうだ。
 景時さん、貴方の優しさは残酷です。
 突き放してくれたら、きっとすぐに諦められたのに。玉砕覚悟の暴走は、いっそ気持ちよく砕いてくれたら良かったのに。
 好きでもないくせに、俺を許すんですか。

 問い質したい。赦されたい。逃げ帰りたい。離れたくない。

 絡み合う互いの熱に、何も考えられなくなる。
 いつしか俺は戸惑うことも忘れて、夢中で貴方を求めた。
 深く、もっと深く。
 甘やかな吐息が頬にかかるたび、際限なく貴方が欲しくなる。
「ゆ・・ずる、くん。・・・待って・・」
 息をあげた貴方が降参するように片手を上げて、反らした顔を肩に乗せる。

 肩で息を付きながら、波が引くのを待つ。
 これきりと知っているくせに、なぜだか満たされた気持ちになったのは・・・貴方が、本当に優しい人だからなんでしょうね。
「すみません、景時さん」
 今更だろう。それでも何故か許してくれるような気がして。
 長い沈黙に堪えかねて上げた視線の中、困ったように首を傾げた貴方の瞳は、柔らかく笑っていた。
「謝られちゃうと、どうしていいのか悩むよ。・・・嬉しかったって言ってもいいかな」
 呆然と・・・無意識に抱き寄せた身体は、何の抵抗もなく。
「景時、さん・・・?」
 夢でもいい。
 こんなに幸せな時間をくれるなら、それが夢でもかまわない。

 抱き返してくれた腕の確かな強さを感じながら、貴方の匂いで胸を満たして。
 結局俺たちは、日が傾くまでそのまま・・・白い風の中で抱き合っていた。

[景譲]貴方の玩具

 何か、おかしい。
 あれほど執拗に求めてきた腕が遠のいて、不自然な距離を取り始めたのがわかった。
 景時さん、俺は貴方にとって、もう不必要な人間なんですか。
 何かの気紛れかとは思った。
 何も生み出さない不自然な関係。解っていながらこの手を伸ばしてしまった俺を愛しげに抱く腕は、あまりにも幸せすぎて、現実味に欠けている。
 気紛れでもいいと思った。
 新しい玩具をバラす時のように、貴方が嬉しげに俺を抱くから。
 貴方が俺に飽きて消えてしまう日を少しでも遠ざけたくて、そればかりに必死で、俺は何かを間違えてしまったんだろうか。
 執拗に求められた身体が、慣れない行為に悲鳴をあげている。こんなものは貴方を得られる幸福になど、比べる対象にすらない。
 貴方の玩具でいい。
 壊れるまで、この欲が・・・貴方を求める欲が、完全に壊れてしまうまで。抱かれていたかった。貴方の物でありたかった。

 引き際なんて知らない。元より刹那的なこの想い。もう俺は、貴方の居ない世界で生きていける気がしない。
 景時さん。
 景時さん。
 景時さん。
 せめて俺の、息の根を止めて・・・。


 変に思い詰めたのがいけなかったのか。
 迷惑だろうと解っているのに、無意識に職場にまで足を運んでしまった俺を、貴方は亡霊でも見たような顔で見つめている。
「どうして・・・譲くん」
 言葉にならず、手を伸ばす。
 何を言えばいいんだろう。考えても考えてもマトモな言葉は出てこない。
 これではワガママな子供だ。
 自分の欲求を押しつけるばかりで、貴方に迷惑ばかりをかけて。
 俺は、狂っている。
 ・・・そう、狂っているんだ。
 急に気持ちが鎮まった。狂ってしまった自分。あとは無惨に捨てられるまで、惨めに縋ればいい。貴方が気紛れで、もう一度求めてくれるかもしれない。もう一度、赦してくれるかもしれない。
「欲しいんです・・・もう一度抱いてくれたら、俺は消えますから。一度だけ・・・」
 その言葉に眉をひそめた貴方は、洗い上がったタオルを括る紐を取り出して、器用に俺を縛り上げていく。身動きが取れないばかりじゃない。身じろぎするたびに紐が擦れて、困る。
 こんな。
 貴方に触れられてもいないのに。
 冷ややかな視線で犯されるだけで、どうにかなってしまいそうで。
「景時さん、どうして・・・」
「・・・もう、逃げられないようにね」
 逃げる?
 俺が、貴方から?
「君がこんな所にまで来てしまうから」
 呻くように呟いた言葉は、どう理解していいんだろう。
 いけない。冷静になれない。
 これではまるで貴方が俺を欲しがっているようにしか。

 そんなはずがないのに。

「嫌、かい?」
 わけもわからず首を振る。
 飛び散った雫は、涙なのか・・・?
「景時さん、俺はまだ貴方に求められていると勘違いしていいんですか」
「勘違い・・・そうだね『まだ求めている』んじゃなくて」
 少し乱暴に、顎をしゃくられる。
 苦しげに見つめてくる視線は、見慣れた欲情の熱に潤んで・・・。
「いつでも、際限なく、君が欲しいんだ」
 深く口づけられて、身も心も貴方に溶けていく。
 安堵感なんて、そんなレベルじゃない。どこまで信じていいのかすら、読みとれない。
 ああ、もう、これが嘘でも。
 この逢瀬の後、どんな地獄へと突き落とされようと構わない。貴方が俺を求めている。そんな夢に殺されるなら、もう・・・なんでも、かまわない。
「愛しくて、愛しくて、この欲で君を壊してしまいそうだと思ったから」
 笑ってしまう。
 壊してほしいと・・・ただそれだけを願っていたのに。
「だから俺から逃げたんですか」
「そうだよ。これ以上君の傍にいれば・・・きっと俺は」
「っあ・・・あ・・」
 いきなり沈み込んだ質量に息が詰まる。
 背を反らせて力を逃がしながら、手酷い痛みに酔いしれる。
「譲くん・・っ」
 貴方の想いに気付かなかったことが罪なのか。
 甘美な痛みに翻弄されて、その瞳を覗くことすら叶わない。
「ひっ、ああああ・・・っ」
「このまま君を啼かせて繋いで、俺以外の誰にも見えない場所に閉じ込めてしまいたい」
 布の海から手拭いのようなものを拾い上げて、俺の視界を塞ぐ指。
「や・・・景時さん、そん、な。ああっ」
 貴方を見つめていたいのに。
「君が逃げるのなら、いっそこの手で殺めてでも」
 殺意を感じる指先に身を任せる。
 貴方になら殺められたいと、分不相応な望みを抱きながら。

 フッと笑った気配がした。
 目を閉じていても判る。自嘲的な笑み。
「何も欲しがるまいと思っていたよ。俺みたいなダメな男に、愛を求める資格なんてあるわけがない」
 吐き捨てるような響き。裏腹に、深くなる契り。
「うあ、あ・・・・あ・・」
 言葉は無力と知りつつも、貴方に声をかけたいと祈ってしまう。
 この身では拭えない傷と知りつつも、貴方を抱きしめたいと願ってしまう。
 こんなに深く繋がっているのに、どうして貴方の孤独を拭えないのか。俺には何が足りないのか。ぶつかりあいながら、すれ違う想い。
「手に入れても指の間から滑り落ちる砂ならば、求めることも虚しいだけだと。・・・俺には、それを繋ぎ止める力はないからね」
 拭えない涙を流す貴方。
 透明な雫さえ形にすることなく、こんな時に不自然な笑みさえ浮かべて。
 悲しすぎる。
「かげ、ときさ・・・」
「それでも、君が欲しくなった」
 凛とした音色。
 歌うようにこの身を乞う貴方は、それでもまだその血を止めることもなく。
 諦めに似た笑みを浮かべて。
「もう、どうして良いのか解らない。止まらない・・・止められないんだ、譲くん」
 意識が飛ぶかと思った。
 強く捉えられて、早く深く何度も貫かれて、力を逃がすことも呼吸をすることも許されず、その腕の中で踊る。
 貴方の本気が見えた。この身で捉えて、もう二度と逃さない。
「・・ハ・・・ン、ァ・・カゲトキ、サン・・・」
 腕を伸ばして頭を抱き寄せる。
 音にならない涙を声にならない悲鳴を、包み込むように。
 もう二度と貴方が独りにならないように。
「どうして・・・?こんな、酷いことをしているのに」
 戸惑う貴方は、崩れてしまいそうなほど危うい。
 こんなに強い人なのに、自分を信じることも叶わないほどの何に怯えてきたのか、俺にはまだ見えないけれど。
「貴方は、俺が・・・」
 頬を挟んで強引に引き寄せる。
 深い深い口づけを、貴方の魂に誓いを立てる気持ちで。
「っ!!」
「俺が、守ります・・・」
 永久に続く誓い。
 たとえ貴方が俺を必要としなくても、俺の気持ちは変わることがない。

 愛している。
 ただ貴方だけを・・・永遠に。

「貴方は、俺が守ります」

 抱きしめた腕の中、貴方の流した涙が時を刻み始める。
 どこかに置き忘れてきた時間をつれて。
 俺の、この腕の中で・・・。

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