何か、おかしい。
あれほど執拗に求めてきた腕が遠のいて、不自然な距離を取り始めたのがわかった。
景時さん、俺は貴方にとって、もう不必要な人間なんですか。
何かの気紛れかとは思った。
何も生み出さない不自然な関係。解っていながらこの手を伸ばしてしまった俺を愛しげに抱く腕は、あまりにも幸せすぎて、現実味に欠けている。
気紛れでもいいと思った。
新しい玩具をバラす時のように、貴方が嬉しげに俺を抱くから。
貴方が俺に飽きて消えてしまう日を少しでも遠ざけたくて、そればかりに必死で、俺は何かを間違えてしまったんだろうか。
執拗に求められた身体が、慣れない行為に悲鳴をあげている。こんなものは貴方を得られる幸福になど、比べる対象にすらない。
貴方の玩具でいい。
壊れるまで、この欲が・・・貴方を求める欲が、完全に壊れてしまうまで。抱かれていたかった。貴方の物でありたかった。
引き際なんて知らない。元より刹那的なこの想い。もう俺は、貴方の居ない世界で生きていける気がしない。
景時さん。
景時さん。
景時さん。
せめて俺の、息の根を止めて・・・。
変に思い詰めたのがいけなかったのか。
迷惑だろうと解っているのに、無意識に職場にまで足を運んでしまった俺を、貴方は亡霊でも見たような顔で見つめている。
「どうして・・・譲くん」
言葉にならず、手を伸ばす。
何を言えばいいんだろう。考えても考えてもマトモな言葉は出てこない。
これではワガママな子供だ。
自分の欲求を押しつけるばかりで、貴方に迷惑ばかりをかけて。
俺は、狂っている。
・・・そう、狂っているんだ。
急に気持ちが鎮まった。狂ってしまった自分。あとは無惨に捨てられるまで、惨めに縋ればいい。貴方が気紛れで、もう一度求めてくれるかもしれない。もう一度、赦してくれるかもしれない。
「欲しいんです・・・もう一度抱いてくれたら、俺は消えますから。一度だけ・・・」
その言葉に眉をひそめた貴方は、洗い上がったタオルを括る紐を取り出して、器用に俺を縛り上げていく。身動きが取れないばかりじゃない。身じろぎするたびに紐が擦れて、困る。
こんな。
貴方に触れられてもいないのに。
冷ややかな視線で犯されるだけで、どうにかなってしまいそうで。
「景時さん、どうして・・・」
「・・・もう、逃げられないようにね」
逃げる?
俺が、貴方から?
「君がこんな所にまで来てしまうから」
呻くように呟いた言葉は、どう理解していいんだろう。
いけない。冷静になれない。
これではまるで貴方が俺を欲しがっているようにしか。
そんなはずがないのに。
「嫌、かい?」
わけもわからず首を振る。
飛び散った雫は、涙なのか・・・?
「景時さん、俺はまだ貴方に求められていると勘違いしていいんですか」
「勘違い・・・そうだね『まだ求めている』んじゃなくて」
少し乱暴に、顎をしゃくられる。
苦しげに見つめてくる視線は、見慣れた欲情の熱に潤んで・・・。
「いつでも、際限なく、君が欲しいんだ」
深く口づけられて、身も心も貴方に溶けていく。
安堵感なんて、そんなレベルじゃない。どこまで信じていいのかすら、読みとれない。
ああ、もう、これが嘘でも。
この逢瀬の後、どんな地獄へと突き落とされようと構わない。貴方が俺を求めている。そんな夢に殺されるなら、もう・・・なんでも、かまわない。
「愛しくて、愛しくて、この欲で君を壊してしまいそうだと思ったから」
笑ってしまう。
壊してほしいと・・・ただそれだけを願っていたのに。
「だから俺から逃げたんですか」
「そうだよ。これ以上君の傍にいれば・・・きっと俺は」
「っあ・・・あ・・」
いきなり沈み込んだ質量に息が詰まる。
背を反らせて力を逃がしながら、手酷い痛みに酔いしれる。
「譲くん・・っ」
貴方の想いに気付かなかったことが罪なのか。
甘美な痛みに翻弄されて、その瞳を覗くことすら叶わない。
「ひっ、ああああ・・・っ」
「このまま君を啼かせて繋いで、俺以外の誰にも見えない場所に閉じ込めてしまいたい」
布の海から手拭いのようなものを拾い上げて、俺の視界を塞ぐ指。
「や・・・景時さん、そん、な。ああっ」
貴方を見つめていたいのに。
「君が逃げるのなら、いっそこの手で殺めてでも」
殺意を感じる指先に身を任せる。
貴方になら殺められたいと、分不相応な望みを抱きながら。
フッと笑った気配がした。
目を閉じていても判る。自嘲的な笑み。
「何も欲しがるまいと思っていたよ。俺みたいなダメな男に、愛を求める資格なんてあるわけがない」
吐き捨てるような響き。裏腹に、深くなる契り。
「うあ、あ・・・・あ・・」
言葉は無力と知りつつも、貴方に声をかけたいと祈ってしまう。
この身では拭えない傷と知りつつも、貴方を抱きしめたいと願ってしまう。
こんなに深く繋がっているのに、どうして貴方の孤独を拭えないのか。俺には何が足りないのか。ぶつかりあいながら、すれ違う想い。
「手に入れても指の間から滑り落ちる砂ならば、求めることも虚しいだけだと。・・・俺には、それを繋ぎ止める力はないからね」
拭えない涙を流す貴方。
透明な雫さえ形にすることなく、こんな時に不自然な笑みさえ浮かべて。
悲しすぎる。
「かげ、ときさ・・・」
「それでも、君が欲しくなった」
凛とした音色。
歌うようにこの身を乞う貴方は、それでもまだその血を止めることもなく。
諦めに似た笑みを浮かべて。
「もう、どうして良いのか解らない。止まらない・・・止められないんだ、譲くん」
意識が飛ぶかと思った。
強く捉えられて、早く深く何度も貫かれて、力を逃がすことも呼吸をすることも許されず、その腕の中で踊る。
貴方の本気が見えた。この身で捉えて、もう二度と逃さない。
「・・ハ・・・ン、ァ・・カゲトキ、サン・・・」
腕を伸ばして頭を抱き寄せる。
音にならない涙を声にならない悲鳴を、包み込むように。
もう二度と貴方が独りにならないように。
「どうして・・・?こんな、酷いことをしているのに」
戸惑う貴方は、崩れてしまいそうなほど危うい。
こんなに強い人なのに、自分を信じることも叶わないほどの何に怯えてきたのか、俺にはまだ見えないけれど。
「貴方は、俺が・・・」
頬を挟んで強引に引き寄せる。
深い深い口づけを、貴方の魂に誓いを立てる気持ちで。
「っ!!」
「俺が、守ります・・・」
永久に続く誓い。
たとえ貴方が俺を必要としなくても、俺の気持ちは変わることがない。
愛している。
ただ貴方だけを・・・永遠に。
「貴方は、俺が守ります」
抱きしめた腕の中、貴方の流した涙が時を刻み始める。
どこかに置き忘れてきた時間をつれて。
俺の、この腕の中で・・・。