『顔に難あり』夢主ネタ。
ミルディーヌ・ウリエル・シルヴィアナ・エスメラス王女殿下ことミューズは柳眉を寄せて小首をかしげる。
一見すると流麗なる所作の端々から零れる気品に腰を折りたくなるが、生憎とアヴィンもマイルも出会って間もない『王女殿下』が見目麗しいだけの乙女ではないと嫌というほど学ばされていた。王女だからと言って、今更敬える気も、見惚れられる気もしない。
「あなた……NoNameと言ったかしら?」
「はい?」
ミューズに名を呼ばれ、NoNameは首を傾げる。
仕草だけを見るのなら、先ほどのミューズに負けず劣らず可愛らしい仕草ではあるのだが――――――いかんせん、その容貌は特殊すぎた。
ミューズが名指しでNoNameを呼んだのも、その容姿のせいだろう。
「王女であるわたくしが身分を明かしたのです。
あなたも、その暑っ苦しい頭巾を取って素顔をお見せなさい」
目の周りのみを開いた頭巾を頭からすっぽりと被った旅装束の娘。
荒野や砂漠を旅するのであれは相応しい出で立ちかもしれないが、草原や森林を歩く装束としてはいささか重装備すぎる。ミューズが不審に思うのも仕方がないことだろう。第一、ともに旅をしているアヴィンとマイルにしたところで、外套や厚めの上着こそ着ているものの、頭部をすっぽりと覆うような頭巾まではしていない。王都を歩くのに『田舎者の青年2人』は目立ったが、それよりはるかにNoNameの『頭巾ですっぽりと顔を隠した娘(たぶん)』の方がひと目を引いていた。とはいえ、NoNameの場合は頭巾を被っていない方がひと目を引く。
「あの……王女さま」
NoNameを背中に隠しながら、マイルがミューズの前に進み出る。
どうにかしてミューズの気を逸らせないものかと考えを巡らせるが、マイルが口を開くよりも先にミューズがぴしゃりと言い放った。
「ミューズとお呼びなさい」
「ああ、はい」
誰もが一度は想像するであろう『お姫様』像とはかけ離れ、どちらかと言うとその道の人にはたまらない『女王様』の気迫を持って迫るミューズに、背筋を冷や汗が伝う。
さて、どうしたものか――――――と思案に暮れるマイルの外套を、後ろから小さく引く力があった。
「ねえ、マイル。
わたし、別に顔見せても……」
「ああ、本人が見たいって言ってるんだし、いいんじゃないか?」
のん気な姉弟弟子の提案にマイルは眉をひそめてアヴィンを振り返る。
この場合、NoNameを見てはいけない。
なまじその素顔を知っているばかりに頭巾の下の表情がありありと想像できてしまい、彼女の提案の全てを受け入れてしまうのは間違いない。
「あのね、アヴィン。
レミュラス様がなんでNoNameを隠して育てていたか……」
「そうは言うけどさ。
ここならひと目はないし、いいんじゃないか?
そのお姫様だって、一度見れば納得するさ」
あたりを見渡し人気のないことを確認するアヴィンに、マイルはそっとため息を吐く。
確かに、チブリの村へと続く林道に自分達以外の旅人の姿は見えなかった。
当然だ。
王都からの旅人は兵士に足止めをされているはずだし、チブリの村からの旅人は村ごと盗賊団に占拠された今では出入りを制限されているはずだ。
本来ならば一部仕事中の冒険者ギルドメンバーを除いて、現在王都からチブリの村へと続く山道には王国軍しか居ないはずである。
「「ここでごねられても面倒だし」」
そう声を揃えた姉弟弟子に、マイルは軽い頭痛を覚えながらNoNameの肩を抱いてミューズの前へと押し出した。
確かに、ここでミューズの機嫌を損ねても得はないし、NoNameの素顔を見られたからと言って『自分達に』害がある訳ではない。アヴィンは今更NoNameの顔など見飽きているし、自分はNoNameの背後に立ってしまえば素顔など見えない。
「……マーティさんはどうします?」
頭巾娘の素顔を見るか、見ないか。
「マイル君的には、見せたくないみたいだね」
苦笑を浮かべながら動向を見守っていた苦学生は、それでも一歩前へと進み出た。
やはり、彼も頭巾娘の素顔が気になっていたらしい。
「あまりお勧めはできないけれど……」
「大げさだな。
ただちょっと『顔に難がある』だけだろ」
2度目のため息をもらすマイルに、アヴィンは小さく肩をすくませた。
「あら、そうですの?
NoNameの顔に大痣があろうが、夢に出てきそうな醜女であろうが、気にしませんわ。
わたくしたち、もう『お友達』ですもの」
「殿下、前半はさすがに失礼だと思います」
容姿など気にしない。
言っていることは立派だが、事実としてNoNameの顔に大痣があった場合。女性であるNoNameがそれを気にしていないはずはない。
そっとミューズを諌めるマーティに苦笑を浮かべ、マイルはNoNameの背後に立つ。
ウルト村の住民に比べればNoNameの素顔を見る機会も多かったが、8年間同じ庵でNoNameと寝起きを共にしたアヴィンと比べ、マイルはまだNoNameの素顔を当たり前のものとして受け入れられてはいない。その素顔を久しぶりに見るとなれば……我を忘れずに居られる自信はなかった。
マイルが完全に自分の後ろに下がったことを確認してから、NoNameは顔を覆う頭巾へと手を伸ばす。
村を出てから身体を清める時以外で、初めて顔が外気に触れる気がした。
頭巾を持ったNoNameの腕が下ろされる。
絹糸のように艶やかな髪がマイルの眼前に広がった。
NoNameの肩越しにミューズとマーティの様子を伺い、マイルは何度目かのため息を吐く。
「ああ、やっぱり固まったな」
NoNameの顔を見つめたまま微動だにしないミューズに、アヴィンがその眼前で手のひらを泳がせる。
ひらりひらりと目の前で動く手はどう考えても邪魔なはずだが――――――ミューズはそんなことは気にならないとでも言うようにNoNameの顔を見つめていた。
その横に立つマーティも似たような状態だ。
じっとNoNameの顔を見つめたまま微動だにしない。
「そんなに珍しいか? この顔。
俺はアイメルの方がよっぽど可愛いと思うけど……」
「アヴィンのは環境から来る不感症だよ。
普通、見ただけで他人の行動を制限する美人なんて、そうそう居ない」
ミューズも王女という肩書きを抜きにしても美人に分類される美貌を誇る。
しかし、その美しさは町ですれ違っても「お、美人♪」と一瞬見とれる程度だ。
視界に入った瞬間に目が吸い付けられ、呼吸することさえ忘れさえるNoNameの美貌とは根本からして破壊力が違う。
NoNameの手から頭巾を受け取り、マイルはそれを再び被せる。
艶やかな髪が裾から零れ出てはいるが、これぐらいならまだマシだ。