1頁<2頁<3頁<4頁<5頁<■>7頁 6 「……ルストウィラードア、ハンバ、ハンバームヤン、ランダバンウーンラダン、トゥンジュンカンラー……」 私の知らない歌を口ずさみながら、友だちが冷蔵庫の中を漁っている。 この部屋は私の部屋。 特に思い入れのない、私の部屋。 「モスラーヤ、モスラー……っと。なぁ、悠ちゃん、冷凍室に入っとる肉ってなんなん?」 「あ、それは置いといて。今度大学の友だちと鍋パーティーするときに持ってくから」 「了解! うーん、この冷蔵庫はいつ見てもろくなもんが入ってへんなー。これやったら、チャーハンぐらいしかできへんで」 「私は、ケーちゃんが作るチャーハン、大好きだよ」 得意料理がカレーだけの私と違って、某調理師専門学校生のケーちゃんは料理のレパートリーが豊富だ。そして、どれもほっぺたが落ちそうになるぐらい美味しい。住み慣れない関西で一人暮らしをしている私のために、よく夕飯を作りに来てくれる。 「なんか、毎回チャーハン作っとる気がすんねんけど……。次は、もっと腕の揮い甲斐のある食材を入れといてや」 タケルとも似たような会話をしたことがある。 ――好きだからいいけどさぁ。毎回カレー作ってないか? ――だって、冷蔵庫の中にろくな物が入ってないんだもん。 本当は別の理由があるんだけど、私は嘘をついた。 ――今日は色々入ってたと思うぞ。もしかして……、お前って、インド人の血が流れてたりする? 隠し味用のヨーグルトを指で掬い取りながら、タケルは真剣な口調で言った。 ――インド人? どうリアクションしていいかわからなくて、素で聞き返してしまう。 ――知らないのか? インド人って、無意識のうちにカレーを作っちゃうんだぜ。色んな食材を使ったり、炒めたり、煮込んだり、焼いたり、油で揚げたり、数十種類のスパイスを混ぜたり……、どんな調理方法でも、出来上がるのは毎回カレー。 ――嘘だぁ! ――マジマジ! 甘い料理を作ろうとして、砂糖を糖尿病になりそうなぐらいたっぷり入れても……、完成するのはいつもカレー。 ――絶対嘘でしょ! タケルの大真面目な表情がおかしさを倍増させて、私は呼吸ができなくなるくらい大笑いした。ここ数年で、涙が出るほど笑ったのはあの時だけだ。 「おーい、悠ちゃん! 悠ちゃーん! なに思い出しセンチしとんの?」 「えっ、え? 思い出しセンチ?」 きょとんとして聞き返したら、ケーちゃんは真顔で頷いた。 「言わへん? 思い出し笑い、思い出し怒りに続く、思い出しシリーズ第三弾」 「言わないよぉ! ていうか、センチメンタル自体が死語だよ」 ケーちゃんとタケルのノリはどこか似ている。この世に生を受けた瞬間からボケとツッコミが出来るという関西人のケーちゃんと、ただ単に嘘つきなだけのタケルには大きな差があるけれど――。 「ほら、また自分の世界に入ってしもてる……。ホンマのホンマになんか悩んどるんやったら、いくらでも相談に乗んで?」 中華鍋を火に掛けながら、ケーちゃんが静かに言った。今までとは打って変わってシリアスな口調。私の座っているリビングのソファーからは背中しか見えなくなってしまったので、どんな表情をしているのかはわからない。 「ほら、ウチはいっつも素のまんまやん? カタギの人間に平気で特撮の話とかするし。悩みがあるときも、アンタとか、学校の友だちとか、オタク仲間とか、すぐに誰かに愚痴るねん。まあ、誰にも言えん悩みもあるけど――全部を一人で背負い込んだりはせんから」 ケーちゃんはそこまで言って振り返った。毎回わざわざ持参しているタータン・チェックのエプロンの裾が少しだけ浮き上がり、ゆっくりと沈んだ。ケーちゃんは、怒っているような、哀しんでいるような、複雑な表情をしていた。 「悠ちゃんは、なんか悩んどるってことも誰にも言わんやん。そりゃぁ、ウチはなんの力にもなれんやろけど――もし、もしも、声に出すことでほんの少しでも楽になれるんやったら、言うて欲しいなって」 「私、悩みがあるように見える?」 「いや……、アンタみたいな一見おっとりボケボケなタイプは、人知れず悩んどることが多いから」 よかった。具体的なことには気付いていないみたいだ。 「おっとりボケボケは酷いよ!」 私はできるだけ明るい声と表情を作るように努力した。この優しい友だちに、タケルのことは知られたくない。 「私は見かけどおりのお気楽人間で、悩みなんか全然ないけど、ボケボケはないよ、ボケボケはぁ」 「アハハ、ごめんごめん」 「もう……。本気で心配してくれてるのはわかったから、許してあげる。 ありがとうね、ケーちゃん」 大丈夫。私は一人で答えを出したから。それに――私は、タケルのためなら、家族もケーちゃんも平気で切り捨てることのできる女だから。ケーちゃんに、こんなに深刻に心配してもらう資格なんてないから。 「余計な心配やったみたいやな。 なんかあったら、ウチの豊満な胸で思う存分泣いてええでっ!」 「うんっ、飛び込んで行くよ!」 ごめんね。もう、一人でさんざん泣いた。 「……あれ? ケーちゃんって、料理の途中じゃなかった?」 「そう言えば……?」 ゆっくりと、ガスコンロの方を振り返るケーちゃん。 「ああっ、煙! 鍋から煙がっ!!」 明らかに熱しすぎの中華鍋。コンロの奥の壁に取り付けられた換気扇が歪んで見えるのは陽炎のせいだろう。 「中華料理は火力が命、だけどねぇ……」 やる気のないツッコミは、お芝居でもなんでもなく、心の底からの声だった。 1頁<2頁<3頁<4頁<5頁<■>7頁 |