■>2頁>3頁>4頁>5頁>6頁>7頁 『カレーライスの女』 バスタブいっぱいに溜まった赤い液体をしばらく放っておいたら、目玉焼きの半熟の黄身みたいに、表面に膜が張り始めた。バスタブの底の栓を抜くと、膜を側面に残しながら、少しずつ水位を下げていった。地下で他の汚水と混ざり合って、赤い色を周囲に溶け込ませてしまうのだろうか? 濁った瞳がバスルームの天井を睨んでいた。何を見ているのか気になって、私も天井を見上げてみた。ムンクの『叫び』を横に倒したような大きな染みが見えた。私はしばらくの間、ムンクとにらめっこをした。 1 この部屋はタケルの部屋。 私の大切なタケルの部屋。 カレンダーの今日の日付には、蛍光ピンクのペンで二重丸がついている。アルバイトがある日の印。タケルに頼まれて、私がつけた印。 ――蛍光ピンクがお前らしいな。 そう言って、タケルは笑った。カーテンの隙間から射し込む金色の中で、タケルの陽射しと同じ色の前髪がゆらゆらと揺れた。タケルの笑顔はすごく可愛い。見ているこっちまで楽しくなる、太陽のような温かさがある。 このときも、私はタケルの笑顔に舞い上がってしまって、いつもなら絶対に言えないようなことを口にしていた。 ――バイトが終わるのって夜遅くだから、いつも帰って来る頃にはヘトヘトで、お腹もペコペコでしょ? 私が御飯を作っておこうか? ずっと言いたくて――でも、おせっかいな女だと思われたくなくて、胸の中に閉じ込めていた言葉。 その場のノリで軽く切り出したのがよかったのか、タケルは私の提案を喜んでくれた。 ――じゃあ、部屋の合鍵渡しとくな。失くすなよ。 タケルの部屋の鍵。 私の大切なタケルの部屋の鍵。 銀色に光る小さな宝物は、強く握り締めたら氷のように溶けてしまう気がして、私は慎重に受け取った。 ――おいおい、失くすなって言ったって、そこまで緊張しなくていいぞ。財布に入れるとか、キーホルダー付けるとか、普通に気をつけてくれりゃいいって。 お前って本当に気が小さいな、ってタケルは笑った。つられて私も笑った。掌の中の鍵を少しだけ強く握ってみた。硬くて冷たい感触が心地よかった。 ピンク色のリボンを買ってきて、鍵をペンダントのように首にぶら下げた。服の下に隠しておくのはもったいないけれど、大切な鍵だから我慢した。本当は、「これは私の大切な人がくれた鍵なんです」って、世界中の人に見せびらかして回りたいぐらいだけれど、頑張って堪えた。 もちろん、今も身につけている。絶対に失くしたりしないように――。 カレンダーの印をそっと指でなぞってみた。リボンの色と同じ、ピンク色の印。 今日はタケルのアルバイトの日。 私の大切なタケルのアルバイトの日。 こんな日は私が夕飯を作る。タケルと交わした、素敵な約束。 ■>2頁>3頁>4頁>5頁>6頁>7頁 |