書き下ろし同人誌[甘い贅沢]に完全リンクしています。ネタバレ以前に読んでいないと解らないネタも含まれていますので、ご了承下さい。

 甘い誘惑 06


 -花曇- 









“ふぅぅうう〜”と政宗は腹の底から溜息を吐いた。
 もう一人の小十郎がいつの間にか去った後、その事に驚く間もなく部屋へと足音が近付いて来たかと思えば障子が開き、現れたのは成実ともう一人の自分だった。成実の手には膳。“休憩もかねて”と軽い昼餉を運んで来たのだ。
 成実が単に昼餉を運んできた訳でないことは判った。不器用な従弟は気遣いを隠し切れていない。夜這いを焚き付けた張本人の一人として、失敗した事に責任を感じているらしいのだが、その気遣いが逆に政宗を情けなくさせるとは気付いている訳もなく、又それが彼らしいので苦笑いで許せてしまう。
 それにしても……成実はいい。成実は。気持ちの筋としても話の筋としても理解出来る。
 しかし、もう一人の自分は一体──
「何しに来た」
 上座に座り直した政宗に膳を置いた瞬間の言葉に、成実は眉を顰めた。
「え、何って昼餉持ってき」
「シゲじゃねぇ。そっち」
 顎で“んっ!”と指し示すと、成実の横にいた政宗と同じ顔した彼は「俺?」と少しキョトリとしてから「あぁ」と軽く手を打ち、右手を左手の袖口に突っ込んで袂を探り始めた。
「?」
 何をし始めるのかと見つめる政宗と成実を気にすることなく、ごそごそと何かを探り当て、微笑みながら微かな光で色を放つ白絹の小さな小袋を取り出した。
「……なんだそれ?」と好奇心に少し身を乗り出した政宗の手を彼は素早く取ると、その掌に小袋を乗せてしっかりと握らせ、にっこり、言い表しようのない含み笑いを浮かべ、
「び・や・く」
「うわぁああっっ!!」
 聞くと同時に握らされていた小袋は、政宗の手からふわり宙を舞って、膳の横にぽとりと床に落ちた。
「な、なに握らせるんだテメェ!!」
「何って餞別」と、またしてもにっこりと、全く悪気なく微笑むので政宗は顔を引き攣らせるしか出来ず。
 成実は顔を片手で覆い無言のままだ。
「こんな物俺には必要ねぇ!」
「安心しろ、そんなに強いヤツじゃない。子供騙しだ。ま、それでもアイツの螺子飛ばしてしまえば立てなくなるのはお前の方だと思うが」
 顔を真っ赤にさせて言葉を無くす政宗と、顔を両手で覆うしかない成実。
「ばっ! おまっ! 何言ってっっ」
「何って事実を言ったまでだ。アイツの螺子飛ばすと大変な事になるからな。程々にしろよ?」
 体験談をしみじみと語るようにぽんっと肩に手を置かれると、なんだかソレを今からすると決定付けられたようで、更に頭へ血が上る。
 ガッと力任せに政宗は肩に置かれた手を払った。
「だからこんなモンいらねぇって言ってンだ!! 俺はっ、お前と違ってもっともっと、ずっとずっとこの気持ちを大切にしようと決めたんだ。目に見えるものじゃなくて、解りやすいものじゃなくて、もっと別の──」
「だからだ」
「……は?」
「だからそいつを渡したんだ」
 冷静な物言いと見つめる隻眼は茶化している風に取れず、熱くなった感情を落ち着かせる効力もあって、乗り出していた身に気付いて政宗は姿勢を元に戻すと、同じ顔の彼と静かに向き合った。
「……言ってることとやってることが違うんじゃねぇか?」
「いや、合ってる。お前が小十郎を想う気持ちを大事にすると決めたからこそのお守りだ」
 同じ顔。だが不思議と似てはない。そしてその口から紡がれる言葉は明らかに別の視点で成り立っていて。
 膳の影に隠れるよう床に落ちている小袋を一瞥してから、視線を同じ顔へと戻す。
「どういう事だ?」
「綺麗な感情を優先すれば、自ずと生まれる衝動は悪かと躊躇うものとなる。自然と生まれる欲求すら、正しくないものとして封じ込めてしまう」
「……」
「間違うな。愛するって言うのはな、相手の汚いものと同時に自分の汚いものも受け入れることだ。善も悪もない。あるがままを認められるかどうか」
「それで、薬?」
「少なからず、それを欲する気持ちはお前の中にあっただろぅ?」
 ぐっと息を呑む。
 確かに無かったとは言えない。いや、あった。口付けより先を望む気持ち。いや今も……確かにある。確かにあるが今は凪ぎ、あるがまま、ただ想おうと決めたのだ。
「わざわざ波風たたせるつもりか? 今回の騒動の切っ掛けみたく」
「違う。波風が立てば、その波風もそういう物だと受け止めろと言っている」
「……」
 内心解っていた。彼の言っている事が。そして自分がもう一人の自分に対して禅問答のように楯突いていると。軽い一言一言が、まるで自分の中にあった不安の解答と繋がっている気がしているにもかかわらず、素直に飲み込めず、理屈を聞き出していた。
 そう、理屈。本当なら必要無い。
 色々と言葉を連ねているものの、同じ顔の彼から発せられる言葉には、共通した何かがあった。まるで答えは全て自分の中にあると言っているような──
 初めて恋して、初めて愛して。その想いを一気に証明したくなって、戸惑って。
 それ全てへの答え。
 ふと、見つめ直す。
 同じ顔の別人の隻眼には、己が映り込んでいた。
 彼はゆっくりとその瞳を細め、顔を綻ばせる。
 別人の、自分。
「──なぁ、その、あのさぁ」
 ずいっと、顔を覆っていた片手を軽く上げ、成実は政宗と彼を交互に見ながら恐る恐ると口を挟んできた。
「どうした、成実」
 素早く対応した彼に「すっごい気に掛かってたことなんだけどよ」と、成実は切り出した。
「ウチの政宗よりあんた、あまりにも罪悪とか躊躇い無くね?」
 そう指摘され「俺?」と彼は自分自身を指差す。
「そ。そりゃアンタは、超偉いさんになってよ? 年月も経ってるかも知れないし、こじゅ兄とはそりゃ結ばれてるだろうし、未来も知ってるだろうし達観性だってあると思うよ? あるとは思うけどさ、その“政宗”でもあったんだろ? ウチの政宗とは別としてもこじゅ兄に恋する頃もあっただろうしさ。って事は、今の政宗の躊躇う気持ちとか葛藤とか解るだろうよ。それを簡単に“押し倒せー”の一本調子みたく……」
 疑問と同時に政宗へ現状への助け船らしきものを出したつもりなのだろう。成実らしい気のまわし方にまた笑みが浮かんでしまう。
 そして質問を振られた彼は腕組みをして、うーんと困ったように首を捻った。
「なに? 昔過ぎて忘れたとか?」
「いや、今でも覚えているが……全くそういったものがなかったというか」
「──は?」
 政宗と成実の声が重なった。
「全くなかったって、いくら相手がこじゅ兄でもよ、こう、恋に対して戸惑いとか、きゅんってのがあるだろうが、きゅんっていうのが」
 変なところで熱を帯びる口調に「……成実?」と政宗は不安になって声をかけるが、さて返答する彼の言葉も負けない。
「まぁ恋に対して確かにあったが、それ以前に“片倉小十郎は伊達政宗のモノ”だろう? 常識的に考えて。小十郎は俺のものだし俺の事が好きだからな。そこへ俺が何かを躊躇う必要がどこにある?」
「なんだ!? この天上天下。いくら何でもそれじゃ恋って成り立たないだろ。ってかどういうこと? いくら何でも躊躇い無しで成り立つのは恋じゃないだろ!? てか小十郎の気持ちまるっと無視!?」
 その言葉に「あぁ」と何か納得した後、彼は申し訳なさそうに笑った。
「すまん。確かに葛藤は何度か経験したが、想いを遂げた際は全くなかったんでな」
 二人してその言葉に目を見開いた。
 恋など、それを告げる時や適う時が一番こう──
 小十郎から告白があったのかとも思うが、ここで言う愛の告白など、どこの世界の小十郎も何が何でも墓まで背負い込む気満々だと想像出来る。絶対。ではどうやって目の前に居る“政宗”らしい人物は……
 二人の不思議そうな顔が耐えられなかったのか、彼はアッサリと言い放った。
「説明が難しいが……自分は小十郎が好きなんだなと思った時には──ヤってた」
「えぇっっ!?」
 驚きのあまりパキッと固まった二人を見ながら、彼は仕方ないだろうと言いたげに頭を掻いていた。
「お前もうちょっと、それはっ……ってやっぱり襲ったのか」
「襲っていない。誘った。」
「!! 俺はもう少し羞恥とか貞操観念あるぞ!?」
「しかたねぇだろう。筆おろし前のガキに羞恥や貞操観念説いたところで」
 再びパキッと二人は凍りついた。
 怖ろしい言葉を耳にしてしまった。聞き間違えでなければ……
「筆おろし前の」
「ガキ?」
「あ、安心しろ。あん時は入ってねぇから。ちゃんとやったのは元服終わっ」
「もうそこは問題じゃねぇだろう!?」
 かろうじて意識を保っていた成実が慌てて突っ込みを入れるが、政宗に関してはもう、心も想像も許容範囲を超えてパニックになっていた。
 政宗は悪童で遊び人とはいえ、蝶よ花よの箱入り息子だからややこしい。しかも初恋がずっと傍に居た小十郎であり、つい最近その想いを自覚してさて成就! と、いうところでその言葉は衝撃過ぎた。
 自分の小十郎でないにしろあの小十郎が、最後までやっていなかったとはいえ元服前の、つまり梵天丸時代に睦み合っていたかと思うと、自分の事でもないのに想像で顔から火が吹き出そうな気がする。
「ちょ、えぇ!? こじゅ兄って稚児趣味があったのかよ……」
「それはないと思うぞ。」
 顔を真っ赤にして思考停止に陥っている政宗を下から覗き込み、彼は人差し指で額を押し突いて政宗の面を上げた。
「俺だったからあいつは堕ちたんだ。“あいして”の一言でな」
「!?」
「この意味が解るか?“政宗”」
「──」
 上げさせられた面を、政宗は背けて下げる。解るからこそ上げていられなかった。
 自分よりももっとずっと前から、小十郎は政宗の事を想い続けていたのだ。それは美しくも真っ直ぐとした一途な想いであり、政宗によって全てが委ねられるほど危うくも激しい想いであり。
 ばくばくと心臓が跳ね始めた。
「? おい政宗?」
 借りてきた猫のように大人しくなった政宗の様子を窺おうと、成実が腰を上げて手を伸ばすが、その手が届く直前で「失礼いたします」と、低く聞き慣れた声が部屋に響いた。
 びくりと、政宗は大げさなほどに肩をゆらして顔を上げる。
 小十郎の声だ。
「政宗様に聞き届け願いたい事が──」
「……」
 政宗は固まったまま、緊張で怯えるように障子を見る。待たせるのもおかしいだろうからと何かを言おうとするが、口が開いてパクパクと動くだけで言葉にならない。
「政宗?」と声をかけるが、戸惑いが全面に出た政宗の珍しい表情を前に成実は“無理だ”と判断した。
「小十郎、今政宗昼飯で──?」
 誤魔化そうとした成実の袖を強く握って首を振ったのは、誰でもない政宗自身だった。
 幾層にも幾層にも、袖に皺が作られてゆく。このままでは穴が空きかねないほど、手を震わせて握りしめる。
「……ちょっと散らかってるけどいいよな? 俺達出ていくし」
 その姿に成実は、障子の向こうへそう言葉を続けると「“俺達”?」と疑問を打ってから「失礼」と短い断りの後障子が開いた。
 ふわりと空気が入れ替わると共に「成実、俺達とは」と現れた小十郎は途中まで言って──口の中で全てを出さずに噤んだ。
 部屋の中には成実と政宗と、そしてイレギュラーなもう一人。政宗の前に置かれている膳は手つかずのまま。
 大体、何の話をされていたか解る。
「これは……お揃いで」
「うん、お揃い。でも退散するから。──な!」
「え? あ、おいっ」
 勢いよく立ち上がると同時に成実は怖いもの無しにもう一人の彼の襟首をひっ捕まえて、小十郎が開けた障子の隙間を器用にかい潜って退散する。
 廊下から騒がしいながらも少しずつ遠退く人声。小十郎と政宗は呆気にとられて見送りながらも、声が聞き取り辛くなった頃に待っているのは、部屋に二人という静かな現実で。
「……」
「……」
 部屋の中には、借りてきた猫が二匹となっていた。




   □■□




 廊下をぽてぽてと歩きながら、ふぁあと大きく一あくびをして呑気に伸びをする彼を一瞥し、成実は思わず溜息を吐いた。容姿は似ているが心臓に毛が生えているとか、ふてぶてしさに磨きがかかりすぎているとか。
「なんだ? 馬鹿の考え休むに似たるだぞ、成実」
「馬鹿言うな。そりゃ──馬鹿だけど」
「拗ねるな。安心しろ。“政宗”の下に馬鹿はいらん」
「どっちだよ」
 唇を尖らせ片眉を器用に引き上げる成実に微笑み、彼はぽんぽんと背中を叩く。そして、無言。
 お互い饒舌でありながら、本当の所を口にするのが下手なのは似ていた。
「なぁ」
「ん?」
「大丈夫かな」
「“俺”と小十郎を信じろ。──ま、何もないと思うが」
「えぇ!? ここまできて!?」
「人の心理とは複雑なものだ、若いの」
 ぽんぽんと今度は先輩面で頭を軽く叩かれ、又も成実は唇を尖らせる。
「勘弁してくれよぉ」
「以前より少しはマシになると思うが」
“少しは”という言葉に成実は、溜息を吐いて妥協する。
 雨はいつの間にか上がり、全体的に薄雲はかかっているが光差す空。
 どこへ向かうか決めぬまま、静かに二人は歩む。
 何も語らないが語らないことで伝わる事、気付く事は多い。
 容姿はよく似ている。しかしそれは容姿だけで、今の政宗より何かが欠落しているようなそんな違和感も成実は覚えていた。現れて半ば引っかき回す姿は、はしゃぐ子供にも見え。
 躊躇う。だが、口を開く。
「……なぁ、一つ聞いていいか?」
「ん?」

「何でアンタ居る時“小十郎”いないの?」

 本当の動揺というものは決して分かり易く面に出るものではない。ただ時が止まる。その止まった時を、いかに上手く動かせるかは動揺した本人次第で。
 唇を笑みの形に保ち、彼は言う。とても落ち着いた声と瞳で。
「目敏いな」
 一瞬にして辺りの空気まで征してしまうような、政宗と似ても似つかないものが現れた。ここに居ると言うのにこの世界と存在が切り離れている。多分これが本来の“彼”。感情がない訳ではないが、この世界と関われない、部外者としての達観した光の宿る隻眼。
「聞かなくてもいいのは解ってたけどな。気になると黙っていられない口で」
「そんな事はよく知っている」
 彼は自分の胸をトントンと叩き、胸に置いた手へ愛おしそうに微笑んだ。
「“ここ”だ」
「?」
「複雑な説明は省くが、一カ所に力の強い魂が二つというのは難しくてな。ここに現れている時、俺が“小十郎”でもある」
「……」
 胸に置かれている手を眺めてから、成実は微笑んだままの彼の横顔を眺めた。
「……本当に余計な事聞いちまったみたいだな」
「安心しろ。お前の危惧するような事はない。戻れば仲良くくんずほぐれつだ」
「はいさよか、俺がわるぅございましたっ」
“はははは”と透きとおる空気のような笑い声の後、彼は胸に置いていた手をぼすんと後ろから、成実の頭を掴むように上に乗せた。
「個が別々というのは不便だ。本当の事は伝わらない。その上、余計なものが多すぎて振り回されて──。簡単なのにな。ただ想っているだけなのにな。人間は個々になるからこそ想うしかできないのにな。誰も、傷つけたくて相手を傷つける人間なんていねぇし、疑う気持ちと思い込みが全ての邪魔をする」
「……」
 愚痴るような事を呟きながら、隻眼は辺りを憧れ、愛おしむように見渡す。
 それは良く知った瞳だと成実は思った。
「だからこそ惹かれる厄介な仕組み……。結局は、好きでいられるか・信じていられるかってsimpleな話──all right? お前は?」
「どうしてこんな目にあってまでここに居ると思う?」
「いい答えだ」
 頭を引き寄せ、コツンと彼は成実のこめかみと自分のこめかみをぶつけて満足気に笑う。
 これは、成実が良く知っている人物だ。
「ま、早くいい娘見つけろよ?」
「その前にここから出て行かない事を祈ってくれ」
 吐いた溜息分、成実は思いっきり息を吸い込む。優しい雨後の空気は、呼吸をする度に胸の内を程よく潤してくれる。
 花曇りの空は決して暗くなく、その先を期待させるような柔らかい光で辺りをつつんでいた。





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