書き下ろし同人誌[甘い贅沢]に完全リンクしています。ネタバレ以前に読んでいないと解らないネタも含まれていますので、ご了承下さい。

 甘い誘惑 07


 -花催- 












 嵐の後というのは微かな音にまで肌が反応してしまうほど静かになるモノ。その中で政宗は俯いたまま、小十郎は入り口で座したままその静寂を守っていた。
「……」
「……」
 両者何かを切り出そうと頭では色々と考えるが、形として切り出せずにもじもじとしてしまう。
 あるのだ。沢山。言うべきことも言いたいことも。しかし小十郎にしてみれば寸前まで政宗にあることないことが吹き込まれているのは想像に易く、政宗にしてみれば寸前に吹き込まれた情報にあっぷあっぷして。
「……」
「……」
 この静けさが良いわけでは無いのは解っていても、脆く崩れそうな静けさをお互い大切に守ってしまう。しかし、このままではいけないと先に腹を括り直したのは小十郎の方だった。
 静かであるというのは己が冷静であるという錯覚に陥りやすいが、緊張という興奮に囚われているからこその話でもある。気持ちを入れ換え、小十郎は改めて辺りを確認してみれば、嵐どもが去った障子の隙間からスースーと、春とはいえ身体を冷やす風が吹き込んでいる事に気付いた。
 座ったまま、姿勢を少し障子の方へと身体を向け、丁寧に隙間を閉じる。縁と縁がピタリと合う瞬間の“パタリ”という小さな音に、政宗の身体は大げさなくらいビクリと震え、反動で、膳を軽く膝で小突いてしまった。がちゃんという思わぬ椀の音に驚いたのは小十郎だ。
「いかがされましたか?」
「足が当たっただけだ。そんな大げさなもんじゃねぇよ」
 そう言いつつ咄嗟音を止めるために膳の両端を軽く抑えている自分の体勢に政宗は我に返り、誤魔化すようにその膳を横へと移動させた。
「? 政宗様、食事は」
「話があるんだろ? 食事は後でも出来る」
「はい」と素直に返事して小十郎は軽く頭を下げてから、ゆっくりと政宗の前へと移動する。緊張を隠すよう心を落ち着かせるように小十郎を目で追っていた政宗だったが、膳を退けたおかげで床に落ちていた真白い小袋に、ばくんと心臓を叩かれる。
 あれだ。あの置き土産だ。
 余計なものを! と去った嵐に毒吐いて、小袋を慌てて引っ掴み取り敢えず袖の中に突っ込む。使うわけじゃねぇ、後で捨てればいい後で捨てればいいと心の中で復唱しながら。
「……何かございましたか?」
「何でもねぇなんでも。──で、話はなんだ?」
 政宗の不審な動きに眉を顰めながらもそれ以上は何も言わず、小十郎は互いの間合いを探るようにコホンと咳を吐いた。
「政宗様」
「な、なんだ」
 白い小袋のせいで跳ね上がった心臓が、名前を呼ばれただけで過剰反応を引き起こす。もう、心臓の動きも今の状態も訳が解らない。
 ばくばくばくとまるで全身が心臓になってしまったような感覚に陥りながら、政宗は小十郎の次の一言を待つ。が、中々出てこない。神妙になればなるほど恐くなる顔を更に恐くし床を睨むばかりで。
 脈打つ心音より、少しずつ疑問が勝り始める。
「……小十郎?」
「あ、いぇ……その……」
「?」
 歯切れ悪くモゴモゴと口籠もる男の珍しい姿が、政宗の動悸を調え、その姿に思わず身を乗り出して様子を窺おうとするが、突然「政宗様」と顔を上げられたものだから、心音はまた逆戻る。
「な、なんだ」
「政宗様は、その……本当に、小十郎などでよろしいのでしょうか?」
「…………………………what?」
 大きく何度か目を瞬いていると「いえ、ですから……」と又モゴモゴとし始める。
「何が小十郎でいいって?」
「その……」
 さて。
 小十郎にしてみれば狸寝入りをして事を逃れた分、主に夜這いをされかけたことは知らない設定である。が、事実としては知っているのだから、政宗の気持ちは解っている。
 あの訳の解らない大騒動のどさくさに紛れて溢れ出た、感情の暴走で成り立った口付けとは違い、もっと確実に自分を求められているその事実は嬉しかった。しかしその嬉しさのあまりに己の感情が更に暴走することも怖く、なにより人の感情や言葉など互い等価値ではない。同じ好意という枠のものであろうと、その重さは違う。
 小十郎が一番恐れていることは、政宗が求める好意以上の感情で自分が向かわないかと言うこと。
 自分にとって彼という存在は、敬愛も親愛も、ありとあらゆる己の情の根源であり塊の様な存在なのだ。決して自分と同等の感情に成りえるはずがない。だからこそ政宗の好意がどのようなものか細かく確認して、それに合わせてゆかなくてはならないのだ。自分の感情が、彼を襲わないように。
 クッと息を呑み込み、改めて姿勢を正し、小十郎は政宗と向き合った。
「小十郎は、これ以上なく政宗様をお慕い申し上げております」
 まるで幼少時代の梵天丸を思わせるほど目を丸くして、政宗は少々ぽかんと聞いているかと思えば、見る見るうちに顔が赤く染まっていった。
「お前、ちょっ、いきなりなに言い出すンだ、えぇっっ!?」
「いきなりではございません。ずっと思い、考えておりました。あの──あの口付けの後から、何をどう切り出してよいものかと」
「あれは、あれはその、」
「一時の気の迷いであるなら小十郎は役として、諌めることが正しいと解っていたのですが……」
「違う! 一時じゃねぇ! 俺は、」
「いえ、その……問題は、そこではなかったのです」
「問題? 問題ってなんだ? 何が問題なんだ? 俺がお前のことを好きで何が問題だ!」
「ですからそこではなく」
 堂々巡りになりかけた話題を、小十郎は宥めるように軽く手を上下させ、政宗に落ち着いてもらうよう少し身を乗り出し、膝を詰めた。
「? ……じゃぁ何が問題だと」
 そう聞き返すと今度は小十郎が顔を赤くさせ、身を小さくさせる。まるで二人、言い合わせるように交互に赤面し合う現状は、噛み合っているのか噛み合っていないのか。
「小十郎?」
 促す声に反するように、グッと唇を噛みしめてから、閉じようとする口と戦うように小十郎は言葉を発した。
「つまり、単純に申し上げますと、この小十郎が嬉しさのあまり何をしでかすか解らないことが問題で」
「へ?」
 言い切って俯くと、床に穴が開きそうな眼差しで小十郎は膝の上に置いていた手をギュッと握りしめる。全身から発せられる、見たことのない男の緊張に、政宗の身体も強張り始める。
「情けないことに、唇に触れたあの瞬間から小十郎は貴方を……いえ、己を諌めることが出来なくなっております」
 政宗にしてしまえば初耳すぎる。いや、初耳というよりも、今自分がぐるぐるしている発端は、小十郎からあまりにもその気がないように見えていたからの話。何が何だかさっぱり解らない。
 口付けをしたその後、全くなにもなかったのだ。その先どころか口付けすらなかったような素振りで。だから自分は焦っていたというのに、この男は何を言い出しているのかと混乱する。
「出来なくっ……て、お前は別にいつも通りで」
「いつも通りなど。己の感情が怖く、なかった事として先送り先送りしていただけでございます」
 ぐるぐるする感情を抑え、なるべく自分の都合のいい思考を消してゆく作業だけでなんだか気分が悪くなる。良い風に取るのも悪い風に取るのもどちらも実は“都合のいい”選択。それは感情に流されるだけの楽な作業だからだ。
 それはしたくない。それでは小十郎の考えを自分の感情が勝手に食ってしまうことになる。
 それでは、意味がない。好きだからこそ、意味がない。
 まず何故突然小十郎がこんなことを言い出したのかと政宗は考える。思い当たる事はただ一つ。
「! 小十郎! お前、アイツに何か焚き付けられただろ!?」
「? アイツ?」
「あれだ! あの胸くそ悪い俺だ!」
 自分の胸を叩きつつ政宗は力説する。すると「それは」と小十郎は曖昧に声を発した。
 ジリッと胸が痛くなる。
「それじゃぁお前、意味ねぇじゃねぇか。単にアイツの思い通りに動いているだけで」
“自分”の思い通りに小十郎が動くことなど望んでいない。別だからこそ惹かれ、知りたいのだ。思い通りでないからこそ解り合いたいと思うのに。
「そんなの、お前……」
 ぽとんと、胸に置いていた手が力なく落ちる。都合のいいものなど、そんなもの、欲しくはない。
「政宗様、確かにあの方に諭されたこと、否定しません。ですがそれは貴方にこうやって告白する機会が、ただ早まっただけでございます」
「……」
「政宗様、私達はその……何やら色々なものを一足飛びに飛び越してしまったと思いませんか?」
 真っ直ぐに見つめられ、今度は政宗が俯く。
 そうなのだ。つい数日前までは、もやもやっとした、自覚のない、明らかにされていない恋心だった。それが一足飛びに暴かれて、十数年分合わせて湧き出てきた。だから己も、大切にしようと思い返したはずだ。この想いが、嘘にならないようにと。
 落としていた視界に、すっと男の手が入ってきたかと思えば、先ほど力なく膝に落とされた己の手の上へと、そっと覆うように触れられる。
「!」
 バンッと跳ね上がった鼓動は、まるで耳元で鳴ったような気がする。
 顔を上げれば、真剣に、そしてどこか許しを請うような男の顔があった。
「政宗様、この小十郎でよろしいですか?」
 手が、これほど感情を伝えるものだとは思わなかった。触れている男の手の少し湿った、そして温かい体温が、生々しく自分の中へと流れ込み、意図せず己の手がカタカタと震え始める。
 じっと見つめられる瞳に気圧され、恐怖に近いモノまで身体に感じる。多分、首に刀を押し当てられてもこんな恐怖は感じない。
 政宗は怯えるように頭を振る。何度も、何度も。
「政宗様?」
「小十郎でなければダメだ。小十郎だからいいんだ──」
 いてもたってもいられず、胸にしがみつくようにして政宗は小十郎を抱きしめた。
 嬉しくて。ガタガタと震えるほど嬉しすぎて怖くて。この震えを止めたくて、縋り付くように背中へ手を回す。そして自分は、こんな想いまで跳ばしてきたのかとおかしくなって。
「政宗様」
 移り来る体温や匂いがこれ程まで心を落ち着かせるのかと思いながら「ん?」と返事すると「小十郎も抱きしめてよろしいですか?」と、らしい言葉が告げられる。
 抱きつきながら胸の中で“ときめきを返せ”と毒吐いてみたり。
「……お前なぁ、同じ気持ちなんだから、そういう事は聞かなくてもしたいようにすればいい」
「同じでは──ないですよ」
「え?」
「あの時、あの光景を目撃した際にわき上がった感情など特に」
「あの光景?」
 顔を上げると小十郎はニコリと微笑み、やわらかく抱き留めて政宗の旋毛に唇を押し当てる。
 感覚が政宗の中でデジャビュする。これは、
「政宗様が誰を想い好かれようとも、小十郎に依存はございません。ただ……。貴方にとってアレも“小十郎”でしょう。しかしながら決して私ではない」
「? 別のヤツなら文句がなくて、確かにお前じゃねぇけど、あれは、お前で、」
「だからこそ。赤の他人であるなら納得もします。諦めもつきます。しかし、アレが自分である故の独占欲や嫉妬を貴方は解っていない」
“何故抱きしめているのはこの腕ではない?”──己が押し留めていた行動を己の姿で見せつけられてしまえば、ぶわりと溢れ出るのは妬みと行き場のない願望という名の欲。そんなモノを自覚してしまえば、遅かれ早かれ小十郎は観念せざるえなかった。
 その感情がどういった激しさを持つものか政宗には解らない。そして政宗自身もうっすらと、完全に解ることはないだろうと感じていた。ただ解らないことと、そんな感情の存在すら知らないことは違う。
「小十郎」
「はい」
「ゆっくり、知ろう。お互い。この想いも、自分のことも。先へ行きたいのは山々だが」
「それはそれは異存ございませんが、何やら酷い我慢比べのようにも思えますな」
 そう言って政宗の額に口付けした小十郎は、口端を上げる。その笑みに促されるように政宗も笑った。
「なんか、お前が言うとやーらしぃ」
 顔を上げ、唇を寄せるとふわりと男の唇が覆い被さる。だが決して深いものではなく、呼吸を確認しながら、押し当てるに近い口付けを繰り返す。まずここから始めようと確認するように。
 いつか、お互いこの甘い甘い誘惑の塊に降参してしまう事は解っているのだから、せめて今はゆっくりと……。














甘い誘惑 ─後日談─




「はー。やっぱり小腹が空いたら餅だよなっ」と、誰が聞いてるわけでもないのに呟いて、手に持つ皿の上の餅をまた一つ摘み食いしながら、成実は外廊下を歩いていた。
 一気に春の気温となり天候も安定。そして何だかんだと問題もなくなれば、本来のお仕事に戻る。それでなくても春は領民の問題・戦の問題、ありとあらゆる問題で大忙しなのだ。そういった意味であの二人の胸の支えは紆余曲折ありはしたものの取れて、これで仕事に専念出来るというもの。
 あれから一週間以上経つが、もう一人の政宗は完全に姿を現さなくなった。天候も春らしい陽気。あの自然現象か超常現象か解らない雨のおかげで、冷たかった風も心地よく頬を撫でてくれる。この温かさが、まるで二人を表しているように。
「まぁ、露骨なんだけど」
 もう二人の仲は、それはそれは目も当てられない。無意識のイチャイチャでもなく、大人の忍びあったものでもなく、初恋を楽しんでいるかのような二人の様子は、目撃した者はただ当てられるだけ当てられる被害者となる。
 まぁ恋の病の重症化という事で片付けていい。すれ違いがない分成実はいいと思っていた。……迷惑は迷惑だが。
「鬱陶しければ無視すればいいし」
 そしてその熱々っぷりは、まだ二人は“そういった事”を致してないのだと解る。互いの気持ちをやり取りするだけで充実しているなど、なんと幸せで不健全なのかと思うが、それはそれで二人が満足しているなら突っ込む立場でもなく。それに政宗も小十郎も色々と決心がついていたようだった。
 特に政宗は。
 以前、もう一人の政宗が残していった小袋の中身を政宗が教えてくれた。媚薬の正体は、守り刀用の小さな笄だったらしい。守り刀の刀身と柄を簡単に外してしまう道具──何とも、皮肉と洒落がきいている。
 その“媚薬”を政宗は捨てずに持っていて、そして中身を確認しているという事はそろそろ……痺れている頃なのか。まぁ、健全な一男子であるなら、それはおかしくもない。
「とばっちりなければいいさー」などと、さっきから成実は大きな独り言を呟きながら足を運ぶ。
 仕事量がこの所増えたのは城の誰もが知っていて、休憩にと喜多からの差し入れであるこの餅を渡された。先に小十郎が茶をもっていっていると聞いたので“お邪魔虫?”と思いはしたが、いくら何でも真っ昼間から“初めて”に及んではないだろうと信じて政宗の部屋に向かう。
 そんな心配をしながら視線の先にある政宗の部屋を見ると、障子の片方が開いている。少しホッとして脚を進めれば、ガタンバタンと物が倒れるような、けたたましい音が成実の元まで響いてきた。
「なっ!?」
 普通の音ではない。
 じゃれるだとか、そういったものではないのは音で解る。体術を習っていれば特に。あれは人の倒れ込む音。そして何やら聞き取れはしないが大きな声がする。甘い場面とは言い難い。
 慌てて政宗の部屋へと走り、開いていた障子に手を掛けて脚を止めると、成実は部屋の中へと身を乗り出した。
「おい! 何だ今の音!?」
 血相変えて覗き込んだ部屋で成実が見たのは、倒れるはずのない安定感のある枕屏風がばったりと倒れており、小十郎も後ろへ仰け反る様に倒れていた。背後から肩を羽交い締めされて──政宗に。
「え?」
 いや“政宗に”ではない、羽交い締めされ、仰向け倒れている小十郎の脚の上へ馬乗りになっているのも政宗で。
 つまり、
 これは、
 関わらない方がいい。
「成実! 助けろ!」
 小十郎は相当身の危険を感じて余裕がないらしく、現れた成実に思わず叫ぶが、この状態で誰が関わりたいと思うのか。
 取り敢えず……
「障子、閉めとくな。あと人払いもしておく」
「yes.成実、気が利くな」
 小十郎を羽交い締めながら余裕の笑顔でそう答える政宗が“もう一人の政宗”で、小十郎の脚の上に乗り、こちらの事など気にも留めず、まるでいつ首元にかじり付いて息の根を止めてやろうかと狙っているのが成実の知っている政宗で。
 ……まぁともあれこの状況は、
「どうぞごゆっくり」
「待て成実!! ま──」
 非情と思われようとも、ピッチリと障子を閉める。締める瞬間、政宗が叫ぶ小十郎の頭を持って、無理矢理唇を塞いだように見えたのは、まぁ気のせいとして。
「…………」
 二人分の餅は取り敢えず喜多に返すかと思いながら、また一つパクリと成実は口の中へと放り込む。
「春だねぇ」などとまた大きな独り言を呟きながら、何事も無かったように春の嵐のような騒がしい部屋を後にした。












back?←