書き下ろし同人誌[甘い贅沢]に完全リンクしています。ネタバレ以前に読んでいないと解らないネタも含まれていますので、ご了承下さい。

 甘い誘惑 04


 -嵐雨-








 その日は、朝から雨だった。
 ザアザアという雨らしい雨ではなく、さわさわと草木を撫で宥めるような、霧雨のような雨。
 雨は厚い雲からではなく、少し空の薄日を通しながらサワサワと降り続ける。それはどこか慰めにも似て。
「……」
 外廊下から少し空を見上げた後、後頭部を掻きながらそれしかできないように成実は溜息を吐いた。
 最近の本城周辺の天気は、どういった訳か誰かさんの心と繋がっている。その誰かさんというのは、手間のかかる主であり従弟であり悪童仲間である政宗の未来だかなんだとにかく深く考えても解りっこない存在で、理屈は色々棚に上げたまま“もう一人の政宗”として理解している人物。
 で、その人物と自分は、昨日政宗に夜這いをけしかけた。
 理由はまぁ“現状が鬱陶しかったから”の一言で済むのだが、要は重臣・片倉小十郎と両思いになったというのにその証明が得られず、イライラを政宗が募らせていたので「とっととヤッちゃえば?」というのが結論で。
 普通なら、両思いになるといちゃこらとも出来るのだが、政宗は奥州筆頭であり小十郎はその重臣。“くそ”とか“ばか”がつきそうな、政宗命の忠臣であるからこそ、ときめき絶頂期な政宗が求めるような甘やかしが全くない。……傍から見ているこちらとしては、目に余る甘さがあるのだが、それは本人達が気付いていないし、政宗の求めるものではないのでカウントしないでおくとして。
 そんな訳で不満を募らせる政宗に、手っ取り早い証拠として「ヤッてこい」ともう一人の政宗と一緒になって追い出したのだが……結果はどうやら失敗だったらしい。
 朝から浮かない顔のまま、政宗は普通に仕事に取り掛かった。いや、浮かない顔というよりは、どこか感情の沈下したような。
 政宗は激情型で感情豊かに見られやすいが、それが常でもないことを成実はよく知っている。
 子供の頃に受けた精神的な傷は、彼に感情を出す術を一時期奪い去り、感情を自分の中で昇華させるクセを付けた。だから今でも、実のところは中々腹を見せなかったり、一人で悶々と考える節がある。不健康この上ないのだが。
 それを止めさせ“らしく”居させるのも側近である自分達の役目であると成実は理解しており、その役の大半を担う小十郎が今回の原因ともなれば、感情が抜け落ちたようにもなっていても仕方がないというか。
“さてヤルぞ”と、多少気合いの入れ所が間違っているのは目を瞑るとしても、決意して行ったというのに失敗したのだからそりゃ落ち込みもする。が、それよりも気になっていたのはこのもう一人の政宗が降らせる雨と小十郎だった。
 成実は腕組みをして首を少し伸ばし、軒下からもう一度空を見上げる。
 雨が、やさしいのだ。やさしく、空気を湿らす雨。
 春に降る雨は、ともすれば寒さが逆戻る。だがそういった雨でもない。
 小十郎と未だデキていないことにお冠だったのは、この雨を降らせている張本人。ならば本来ヤッてないと解れば春の大嵐でも不思議ではない気がするのだが、この天候。
 それに……
「どうして成功しなかったのかねぇ」
 と、天に独り言を呟いてから首を引っ込め、成実は歩き始めた。
 実は、今回の夜這いには裏があった。
 というのも成実は事前に、小十郎へ一言釘を刺していたのだ。「政宗、夜這いに来るからよろしく」と。
 一見、余計なお世話に見えるが、成実は政宗の感情も小十郎の感情も信用していない。正しくは、普通の理解で計るのは無理な感情で間柄だと思っている。
 なーんせ人前でお熱い口付けもして、通常でも「あてられてる?」と聞きたくなるような態度を取っているというのに、ヤッてないは自覚はないわ、そりゃねぇなと端から突っ込むのもあほらしい二人。
 まずは互いに意識させる事が大事だと思った。しかし焚き付けたのは自分とはいえ、一足飛びにあの小十郎を夜這いとくれば、普通に考えて失敗すると思った。
 元々小十郎は気配に敏感な所があるので、まず、部屋に入る前に気取られて追い返されるか、もしくは部屋に入った後に説教か。
 恋人が夜な夜な忍んでやって来てくれて“何て嬉しい”とときめく心があの男に生まれるなど、冷静に考えなくてもないだろうと言い切れる。いや、もしあったとしても、次の瞬間意識は“重臣として”に切り替わるだろう。だからお節介をしたのだ。
『政宗は決めたぞ。こじゅ兄も腹を括れ』と。
 なのに結果は……これ。
 降る雨は、雷雨でないやさしい霧雨で。
「……おかしいだろうが」
 推測するに、原因は絶対に小十郎だ。
 ぽてぽてと廊下を歩いて小十郎の部屋へと向かう。
 行けば行ったで「仕事はいかがいたしましたか」なんて小言が飛んできそうだが、こんな不健全な中で仕事もへったくれもない。まず、正常な状態に戻すのが先決で。
 とはいえ何といって切り出そうかと、あーでもないこーでもないと気の利いた言葉を探してみるが、結局飾らず単刀直入に言うのが一番だよなと結論ついたところで、丁度小十郎の部屋の前へと辿り着いた。
「なぁ小十郎、あのさぁ」と、いつもの調子で断りもなくガラガラッと障子戸を開ける。そして、開けた瞬間、いい加減この癖治さねぇとなと成実は痛感した。
 目の前には、凄い形相で対峙する二人の小十郎。
 これは、
 確実に、
 関わらな──
「おや成実。この男に用があって来たのでは?」
 固まりながらも、静かに障子戸を閉めようとした成実だったが、閉まる間際に障子は押さえられ、抵抗できずに成実はもう一度、二人の前に姿を晒すこととなった。
「成実っ、お前……」
“どうして”と繋がりかけた言葉をこちらの世界の小十郎らしき人物が、部屋の中心で立ち上がりかけの片膝を立てた状態で濁す。
「それは用があって来たのだろう。なぁ?」
 逃がしてくれなかった小十郎は、語尾を疑問口調に上げポンと肩を叩いてくるが、その疑問口調が何故か断定に聞こえ、友好的な態度が強迫に取れてしまうのは何故だろうか?
「用っつーか何て言うか……」
「まあ、ゆっくり部屋の中で話せばいい」
 口端を上げ浮かべる穏やかな笑みに、何故か殺気にも似た鬼気迫るものを感じる。まるで首元に冷たい刃物を宛がわれた緊張感に成実は支配され、硬直したような状態で部屋の中へと静かに入り、後ろ手で障子を閉めた。
 それにしても俺、こんなに間が悪くて運が悪かったか? と思いながら。
「まぁ、こちらに来て座れ。」
 どかっと、また同じ顔した小十郎の前へと移動して胡座をかくと、ちょいちょいとその男は成実に手招きをする。片膝を立てていた小十郎は、観念したかの様に溜息を吐いて、その場に座り直した。成実に向かい“何故ここに来た”と眉間の皺の歪み具合で語りながら。
 どうしてこう、昨日のデジャビュの様な状態に見舞われるのかと成実は泣きたくなってきた。しかも立て続け。お祓いでも行った方がいいかなぁと考えるが、あの政宗すら神格化される世界があるならあまり神様はあてにならないモンだと、現実主義であるからこそ切り替えの早く、仕方がないかとこの状況下で足掻くことを簡単に諦めて、怖ろしい対峙の真ん中にちょこんと正座した。
「成実、用は何かこの男に言ってやってくれないか?」
 ニコリと微笑むもう一人の小十郎。見た目は政宗達よりも見分けがつかないが、雰囲気が完全に違う。……品は……良い。無駄がないというのか……だがどこか、今の小十郎以上にクソ意地の悪さが滲み出ていた。
 本当に粋も甘いも踏み越えて、差し詰め大事なものはまさしく政宗以外なくなった男の姿というか、今でも政宗命だというのに更に桁を変えたというか。
 ジトリと男を観察していると「あぁ」と少しわざとらしく、思い出したような声を上げた。
「失敬。コレは男でもないな」
 侮蔑を含んだ視線を投げられた小十郎は、奥歯をギリリと噛みしめ、今にも食ってかからん勢いだ。いや、もし真剣が傍にあれば抜いていたかも知れない。
 政宗達も表向き相性が悪そうに見えたが、どこかまだ相容れるところが見え隠れした。が、こっちはもう……。
 そしてこちらの小十郎が防戦一方と言うことは、弱味を握られたというか、分が悪いのだろう。まぁ、余裕のある男の言い回しで大方成実は理解した。自分が何をしにこの部屋へ来たのかこの男は知っていると。
 ぽりぽりと後ろ襟首を掻いて、意地悪く三文芝居を続ける男からよく知る小十郎を救いたく、成実は口を開いた。
「なぁ、こじゅ兄。なんで政宗とヤッてねぇの?」
「──!!」
 じわじわと嬲り殺されるよりは、さっぱりきっかり身内の手で仕留めるというものが情けというもの。
 ぐっと息を詰まらせる小十郎を、男はつまらなげに眺めた後溜息を吐いた。
「まぁ、成実の見解は普通だろうな。それともこちらの俺は何か? 主に対して放置趣味があるのか? 不感症か? それともやはり男ではないか」
「──下衆がっ」
「下衆? ほう、下衆ときたか。なら主に涙させるようなテメェは何様だっ!?」
 パリパリッと空気の裂けるような音がしたかと思えば、ギロリと小十郎を睨む瞳が異質な光を放ち、男の瞳孔がスッと細く形を変える。
 異形だ。小十郎であって小十郎でなき者。“政宗”の為に異形となってまで存在する者──
 勢いに押され呆然としていた成実だったが、このままでは本当になぶり殺しだとハタと我に返り、腕を大きく振ってパンッと頭上で柏手を打った。
「ちょぉっと待った!! 色々待った! もう一人の小十郎さんよ、俺も話に混ぜたからには話の全容がわかるようにしてから煮るなり焼くなり好きにしてくれないか?」
 すると、ギロリと視線が成実に移動したと同時に、スッと男の全身から鬼気が去り、何事もなかったかのように瞳も小十郎と変わらないモノになる。だが成実は、ただそう言っただけで息が切れていた。無意識の緊張。得体の知れないモノ・太刀打ちが出来ないモノへの恐怖に似たものを、身体は感じていたのだ。だからこそ、そこで空気を読んでしまえば呑まれてしまう事を知っていて。
 ここでやる最善の方法は“ここの空気を・この男共の空気を読まないこと”だ。
 わざと正座を胡座に変えて、成実はムッツリと口をへの字に曲げた。
「そんでもって、えーっとだ、」
 胡座に立て肘をつき、少しこめかみに人差し指を当ててから会話の内容を考える。
 二人の会話と態度ともろもろ。そして──
「泣かせたってどういう事?」
「──。」
 知っている小十郎に向かい質問を投げかける。
 ヤッてないのは想像ついていたが、泣かせたというのは想像つかなかった。しかも朝、政宗は確かに落ち込んでいたが、小十郎は普段通りにも見える対応だった。
 どうあれ、この異形と成り果てた男と小十郎の持つモノは同じなのだ。同じモノを持っているのだ。主を泣かせて平気な訳がない。何か理由があるのだろうし、多分、小十郎の中にも男と同じ想いの葛藤があるはずで。
「なぁこじゅ兄……」
「狸寝入りだ」
「は?」
 小十郎に向けていた視線を、成実は男の方へと向ける。少し落ち着いたらしい男は、溜息を吐きながら少し前髪を調え、言葉を続けた。
「政宗様が忍ばれると知って、狸寝入りを決め込んだんだ。コイツは」
「狸寝入り……ねぇ……。……? え? なに? 色々やられても寝たフリしてたとか」
「違う。政宗様が──」
 そのまま、男も口を噤んだ。そして二人は怖ろしい程大きな重しを腰に付けて海に飛び込んだかのように、深く沈んでいく。その光景を見て、あぁやっぱり同一人物だと成実は変なところで安堵し、二人とは逆に気持ちが軽くなった。
 この主従との付き合いは十年越しになる。貝のように口の開きそうにない小十郎達から聞き出さなくても、大体何が起こったのか想像がついた。
「つまり、政宗がやってきても小十郎は狸寝入りを決め込んでいて、そのまま政宗は──遠慮して帰ったと」
“はぁぁ〜”と、成実は溜息を吐く。
 想定の範囲内ではあったが、まさかここまできてそれが出るとは思いもしなかった。通常は手に余る“俺様”にもかかわらず、どこか好きな気持ちが振り切れると乙女なスイッチが入る我らが殿様。更に悪い事に、絶対的に慕っていた母親に突然拒絶されたというトラウマが、彼の心情を複雑にする。
 好きだ俺のモンだと口に出して言っているような好意があからさまに外に漏れると共に、受け入れてもらえるだろうか、拒絶されないだろうかと怯える心が比例して出る。そんな二つの心で自分自身が雁字搦めになって、進むことも下がることも出来ず、その場に強い鎖で繋ぎ止められ、ずっと切なく苦しい思いに苛まれているのだろう。
 それは──
「最悪じゃねぇか」
 悪気なく零してしまったその一言が決定的なとどめとなり、小十郎は床に額が着きそうなぐらいに頭を下げて項垂れる。
 言ってしまった成実は「あ、すまん」というものの、感想だし本当のことだしと、反省の無さが更に言葉にのっかって、再起不能に落とし込む。男はといえば追い落とされた小十郎を、冷徹にただ眺めた。
「コレをこの場で自害させるのも一興か?」
「やめてくれ。俺の世界のなくてはならない片倉小十郎なの。大体今ここで小十郎死んだら、政宗が多分二人がかりですっ飛んでくるぞ」
 そう言い終わったと同時に耳元に届いた本気の舌打ちに、成実は少し頬を引きつらせる。
 とにもかくにも話は見えた。
 そして見えればやはり他愛ないことで。しかも今回全面的に小十郎が悪い。
 惚れたはれたは自然の流れとはいえ、そこには責任があるのだ。愛される責任と愛する責任。これでは、小十郎はどちらも放棄したことだ。
 さてどうしようかと姿勢を正して腕を組み、成実は項垂れたままの小十郎をまじまじと見つめた。──と・は・い・え、結論としては最初から変わらず“取り敢えずヤッとけ”というごくシンプルな答えにしか辿り着かない。
 なんせ二人はどう見ても両思いなのだ。大体ここで“切ないラブストーリー”の展開になっているのがどういったイリュージョン?状態で。このすれ違いも自分からしてみれば「あほらしい」の一言で片付いてしまうのだが、命は惜しいのでその一言を何か良い説明の言葉に出来ないかと考えていると、細く長い溜息が男の口から吐かれた。
「許されるなら、この身この魂で慰めて差し上げたいが、」
「!?」
 もしかすると一生浮上しないと思えた小十郎が、その一言で弾かれるように顔を上げ、同じ顔へギロリ睨め付けるが、男はといえば意に介さないといった涼しい顔で、その竦み上がりそうな視線を受け取った。
「生憎、この俺の顔はテメェと同じだ。それは同時に政宗様を苦しめる。テメェのようなモンを好いているからこそ、俺の言葉では、俺の存在では苦しませるのみだ。」
「──ッ」
 同じ顔で同じ“片倉小十郎”が、傷心の政宗の欲しい言葉を連ねようと、結局、政宗が好きなのは己の“片倉小十郎”。そっくりな男が希望通りの言葉を連ねれば、今の政宗にしてみればそれは己の単なる願望でしかなくなる。微笑みを向けるだけで彼にしてみれば、胸を詰まらせるものになるかも知れないのだ。
 自分の好きな小十郎はこうではないと思い知るだけとなって。
「こんな状況下に主を置いて、何が重臣だっ、誰が右目だっっ! テメェの身がかわいいだけのふぬけ野郎じゃねぇか!!」
「なんだと!?」
「口答えが出来るとくるか? なら何故涙させた? なら何故手を取らなかった!? 己の身を己のものと思ってるからだろうがっ!!」
「違う!! 違うからこそ」
「何が違う」
「己が欲に塗れた手を伸ばせと言うか!」
「では何か? テメェは今も清廉潔白なまま政宗様の前にいるとでも言い出すか?」
「!?」
「同じ顔した者が、自分に出来ぬ行動をしただけで心中穏やかでなくなる程度の人間が隠している欲など、ただ“触れてないだけ”で」
「黙れっ!!」
 激しい応酬に、成実は呆気にとられやりとりを見る。空気を読んでしまっては修羅場になると解っていても、空気どころか大嵐で、読まねばこちらの息が続かない。
 しかし、それにしても……と、小十郎達の言い争いを眺め見る。“同じ人物なんだ”と感じながら。
 小十郎が私事で感情を剥き出すことなどまずない。出すとすれば殆ど全て政宗に関わっていること。時折成実の前で見せる素は信頼の現れといえ、本当に時折で、しかも腹の底などは極力見せようとはしない。だからこそ、ガラが悪い・根性悪いと思ったとしても、それを抜き身で感じたことはなかった。
 だがどうだ、目の前で広がる光景は。
 この上なくガラが悪くなる小十郎と、あの男は……
 ──ワザとだなぁ。ありゃ。
 成実は顎をさする。自分を殺すことをこれ以上なく器用にこなす小十郎をああも簡単に引きずり出して。しかも何か特殊なことをしている訳でもない。結局“自分自身”。痛いところは自分がよく知っているという訳だ。つまりこの光景は、表に晒された自問自答。そしてそんなこと、男は先刻承知で。
 ──根性悪ぅ。
 そうと解ればこの修羅場も、男にしてみれば手を抜いた余裕のある模擬戦のようなものなのだろう。成実は緊張が解れ、軽く己の肩を揉んだ。
 なら、自分のすべき事は、
「はーい、お二人さんそこまで」
“ぽむ”といい音で二人の間で成実は手鼓を打つ。あまりの場違いな拍子はよく響き、ピタリと二人の言い争いは止まった。
 そんな二人を成実は確認するように交互に見る。
「あのさー俺、頭悪いから考えるの嫌いなんだわ。しかも、原因が解って、どうしたいかとか、結果解ってたら、真ん中なんて後回しで良いと思ってるし。寧ろごっそりイラネ」
「?」
「……」
 何を言い出すかと眉を顰める小十郎と、静かに耳を立てる男。どちらも片倉小十郎。言い出される言葉に懸念の色を見せるのも、言い出される言葉がなにか薄々気付いているのも、多分どちらも胸の内にあるのだ。
「まずもう一人の小十郎……でいいのか?」
「好きなように」
「取り敢えずアンタは具体的に政宗を慰められる分けでもないし、出来る事ってのはこっちの小十郎に雷落とすことだよな?」
 少し間を置いて「そうだな」と男は頷く。
「でもって俺は世の中が不穏だってのに、伊達軍内のしかも上の方が不穏なのが厭なだけ。で、今回の件はどー聞いてもこじゅ兄が悪い。」
 ぐっと、息を詰まらせて視線を逸らせた小十郎に「かといって……」と成実は言葉を続けた。
「色恋話の解決策なんてないも一緒。理屈で通る話じゃねぇし、大体当事者同士が動かねぇとまったく意味がないし……──そんなわけで、この話はお終いだ」
「は?」
 まさかの言葉にポカンとした表情を向ける小十郎に「うん、終い。」と頷いて、成実は立ち上がりながら、男にも立ち上がって部屋を出て行く事を手で煽って促した。
「成……」
 何かを小十郎が言いかけるが、上手く言葉が続かないでいる。
 そんな小十郎をもう一度成実はチラリと見た。
「……俺さぁ、さっきも言ったように頭悪いから、考えるのも面倒臭いのもイヤなんだ。で、話聞くところ、俺に出来る事は全くないから仕事に戻る。もう一人の小十郎も、腹立たしいのは解るけどさ、こっちの政宗と小十郎の話なんだ。この辺りで勘弁してやれねぇかな?」
 淡々と物語る成実の視線を受け取り“仕方がない”と言いたげな溜息を吐いた後、男は静かに立ち上がり、チラリと座ったままの小十郎を見下ろして、先に障子戸の前へと歩みを進めた。
 そして、
「なぁこじゅ兄」
「……なんだ?」
「政宗に好かれててさ、こじゅ兄も政宗好きでさ、後ここに、何が必要な訳?」
「何?」
「俺は、必要無いと思うけどなぁ。なんか必要なら、後から足せばいいじゃん」
「……」
 小十郎は、何も言わない。いや、言えぬまま口を閉ざし、静かに俯く。そしてその行動を見計らって、もう一人の小十郎は部屋の障子を開けた。
「取り敢えず、ま、お前ら二人の問題なんだし好きにするといいさ。そんでもって、こじゅ兄の問題だしな」
“そんじゃーな”と軽く手を振り成実は開けられた戸から部屋を出て行く。男も出て行こうと敷居を跨ぎ、障子戸を閉める前に、もう一度自分と同じ姿の、項垂れた小十郎を見た。
 向けられるその瞳は、先ほどまでの憤怒を思い出せぬような、ただただ穏やかな夜闇のような瞳。だがその双眸を隠すよう瞼を閉じ、気付かせぬまま男は障子戸を閉めた。
「行きましょうか」
 瞳と同じく穏やかな口ぶりは、成実もよく知ったもの。
 あれも小十郎。これも小十郎。
「おぅ」
 そう言って両手を首の後ろへ回し成実は歩き出す。それに倣い男も数歩離れて歩き出し、こそりと聞こえる様に呟いた。
「ありがとう、ございます。」
「…………なんのことだか」
 成実は少しだけ視線を泳がせ、鼻頭を掻く。
 雨は静かに柔らかく、辺りをつつんでいた。





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