書き下ろし同人誌[甘い贅沢]に完全リンクしています。ネタバレ以前に読んでいないと解らないネタも含まれていますので、ご了承下さい。

 甘い誘惑 03


 -曇天-










 そりやぁ男として生まれた訳なのだから、するしないはともかくとして夜這いを知らないわけではない。ただ、彼の立場では夜這いをする必要はなく。
 殿様なのだ。顎の動きのさじ加減で良い伽相手が用意される。なんの苦労もない。苦労する必要もない。だが、今回は苦労が伴った。
 想いが叶いたどり着くところは一つだというのに、この上ない苦労が。
 惚れた相手が男で──いや、これもこの際問題にならない。重臣で元傅役で堅物の、政宗を趣味とするなどという例えが生易しい、片倉小十郎という男。
 一見、相思相愛でハッピーエンドの構図なのだが、想いの強さでそうともゆかず、互いの好きのベクトルも違いすぎ、ただ今両片思いのなれの果て状態で、政宗は欲しい愛情のお預け状態。
 告白してちゅーもして、行き着く先が見えているのにそこへ辿り着かない。他人事だというのに「早く何とかしろ」と成実と、どっからどう見ても出歯亀である存在の説明付かない人物に焚き付けられて夜這い決行となったのだが……
「……」
 日が当たらなければ冬と変わりない寒さになる夜、政宗は真っ暗闇の中、心細い灯火が足下に置かれる廊下で立ち往生していた。
 この先は小十郎の部屋。
 そして自分は何をしに行くのかと言えば“夜這い”。
 内廊下の為、風は入ってこないとはいえ寒い廊下で、政宗は触覚の片方をもがれた虫のように、その場でぐるぐると奇妙な円を描いて歩く。
 解っている。他人から言われなくてももうこれぐらいしか方法がないと。解っていても理解と実行は違う。大体だ、女を襲うなら兎も角男だ。男相手に何すればいい? っていやまぁナニだろう。女よりもその辺りは同じ身体である分楽なのだから、ある意味考えずになし崩してしまえば話は早く……いや、相手は小十郎だぞ? 俺の小さな頃のあーんな事やこーんな事まで知っている小十郎だ。俺に男の兆しがはしった事から、それはそれは何でも知っているあいつだぞ? そんな相手に夜這──
 と、考え始めたらとうとう歩き回ることも出来ずその場にしゃがみ込んだ。夜事への羞恥心だけならまだしも、己の恥ずかしいところを隅から隅まで知っている相手。今思い出さなくても良いありとあらゆる羞恥心が敵として立ちはだかってくる。
 冷えた板の間の廊下が、どんどん政宗の足の裏から体温を奪ってゆくというのに、当の本人はまったく気付かず、この先へ進むべきか否かと、しゃがみ込んだままブツブツと考えを呟き出す。
 と、どこからともなく“ゴロゴロゴロ……”と何やら怪しい音が聞こえ始めた。この所の、季節外れの花嵐のような天候は、自然現象ではなく……
「Hush!! 他人の覗きをいつまでやってるつもりだ! 心配されなくても今日こそヤル! 俺ならもう少し慎みやがれ!!」
“存在の説明付かない人物”は、本当に説明がつかず、仕組みはまったく解らないが大体で把握しているところ、神格化したどこぞの世界の自分らしい。で、この世界でなく“どこぞの世界”の人物であるにもかかわらず首を突っ込んできてるのだ。しかも、実務的な事にならまだしも、戦局やら何やらにまったく関わらず、関わって欲しくないプライベートな事にどっぷりと首を突っ込んできて。
「delicacyのねぇ奴め」と悪態を吐いたところで、どこか虚しいということを政宗は気付かないままスクリと立ち上がると、空手の構えのように力を入れて短く息を吐き「よしっ!」と気合いを入れ直した。
 目指すところも行き着くところも一つなのだから、うだうだとやっていても仕方ない。今度こそと静かに、だが力強く一歩を踏み出した。



□■□




「…………」

 ──────で。
 目の前には少しの乱れもなく寝ている小十郎と、何故かその姿を正座して神妙な面持ちで見つめる自分という、少々奇妙な構図が仕上がることとなった。
 さて。さてさてさて。無事に小十郎の部屋に辿り着き、気付かれる事もなく部屋の中に入り込んで、寝所の屏風の向こうを覗くと、静かに寝息を立てている小十郎を見つけた瞬間、何故だか安心してその場にぺたりと座り込んだ。
 眠っていてもどこか寄っている眉間であるとか、あまり乱れていない前髪だとか、男が息をする度に当たり前だが静かに上下する上掛けを見ているだけで心が穏やかになる。それを実感して、政宗は苦笑いを浮かべた。
 この男が己の平穏なのだ。そして己の感情の元なのだ。
 己の“常”を作り出す者であり、己に様々な感情を生ませる男。眺めているだけでそんな気持ちを痛感し、同時に有り難い気持ちと愛しさで満ちる。
 公人でなく、個人の己の形成に怖ろしく関わっているのは間違いなくこの男で。
 有明行灯の薄明かりの中、そっと手を伸ばし、額に一筋だけ反抗するように飛び出ていた前髪を、掬うように軽く撫でた。
 たったそれだけで自分の中の感情が溢れ出す。髪が触れた指先は、ピリピリと愛しさの痺れが襲い、触れたい触れたいと訴える。訴えは今までの戸惑いなど一掃し、単純な衝動で政宗の身体を簡単に動かして。
 身体を少しねじり、両手を、小十郎の頭の両端に着け体勢を保ち、上から男の顔を覆い見た。
 自分の中にある男への感情は単純なモノではないと思っていた。もっと貴重で崇高なものだと。なのにこうやって男の顔を眺めていると、単純な想いが波のようにやってくるだけで。
 好きだ好きだ好きだと、壊れた、それしか知らない機械のように、ただ好きだ好きだ好きだと。
「……」
 その衝動に押され、肘を曲げて軽く唇に己の唇を宛がう。これで小十郎が起きてもそれでもよかった。己の感情の行き着く先がそこなのだからと。なのに、
「──っ」
 途端ぽとぽとと、男の頬に水滴が落ちる。
 己の一つしかない瞳から漏れ出した涙。
 好きで、どうしようもなくて、なのに、違うのだ。己が好きだと訴えるだけではまったく満足できない。好きだと言ってもらわねば、愛していると訴えられなければ自分は絶対に満足できない。いや、この想いは昇華などしない。
 心と想いの自己満足と平穏のために、確かにこのまま雪崩れ込めば本来はそれなりに安堵するのだろう。だが違う。己がこの男を好いているように、好かれたいのだ。愛されたいのだ、求められたいのだ。
 今になって少し“抱く側か抱かれる側かどちらが良い?”と聞かれた質問に戸惑った理由が解った。あの時は想いが叶うのならどちらでもと思った。そう思ったから自分自身悩んだと思った。しかし違う。
 好きだから愛してやりたい。トロトロに溶かして自分のものにしたい。だが同時に、自分を想っているというなら愛して欲しい。トロトロに溶かされてこの男のものになりたい。
“どちらでも良い”ではなく“どちらでもなければ厭”なのだ。
 なら……それなら……この状況は、なんだ? 一方的な、この状態は?
 またぽとりと、頬を伝わずに涙が男の頬に落ちた。
 これでは、己の想いは叶うかも知れないが、下手をすれば己の想い“だけ”が叶う結果になるかも知れない。
 確かに自分達は好き合っていると思う。それでも──それでも沢山疑える。
 自分ではない他者の気持ちなのだ。ずっとずっと、自分に仕える事を全てとしてきた人間の。そうなれば山のように疑える。
 好きだからこそ疑える。
 自分が、馬鹿みたいに惚れているからこそ不安で疑えて。
「ばか……やろうだ……」
 その言葉は政宗自身、どちらに呟いたのか解らなかった。だが、ただただどうしようもなくこの男が好きであることは実感できて。
 もう一度口付ける。口付けた後、男の頬に落ちた涙をゆっくりと舐め拭う。
 愛しくて、その想いを伝えるだけでは満足できない己の業の深さを実感しながら、ゆっくりと身を起こす。
 好きだ好きだ好きだと訴える想いと同時に、愛して愛して愛してと連呼している心に苛まれ、胸の芯がじりじりとして苦しくなる。ただ、この苦しさを解消する方法は決してこの方法でないことは解っていて。これは、一時凌ぎに紛れるかも知れないが、本当に自分が求めているものから逸れるかもしれない。
 そう思ってしまえばこの先の行為などムリだ。
 もう少し、愚かならよかったのかもな……などと、頭の隅で思いながら、もう一度、今度は男の頬傷に口付けて政宗は静かに立ち上がった。
「good night.」
 寝ている男に微笑みを残し、部屋を後にする。
 ここへと来るまでにはなかった夜陰に潜んでいた肌寒さが、心の隙を突くように一気に襲いかかってき、政宗はぶるりと身を震わせる。
 そして、追い打ちをかけるように空が鳴るかと思えばそれは鳴らず、別人である己の同情が少し身に沁みながら、自室へと足を進めた。

 静かな夜。
 何事もなかったはずの夜。

 そんな夜闇の中、離れてゆく足音に合わせてゆっくりと目を開く男。
 視界に広がるは闇。ただ闇。
 だが微かな行灯の灯が、その闇の中で見える何かを映す。
 闇の中で映るもの──

 男は再び瞼を閉じ、深く深く溜息を吐いた……。






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