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 致死量Lovers


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 多分、喉の奥底で掻き消えた声は悲鳴だった。
 すがるように、敷物の裾を握る。が、うなじに口づけをされただけで力が抜け、するりと指から布が外れる。
「や……ぁ──」
 一度火照らされた肢体は、ただそれだけの事で指先から感覚が変わってゆく。
“逃げなければ”──幼い彼は本能的にそう思うが、同時に逃げられないことも解っていた。
 それは体格差云々ではない。自分が、今また口付けようとする男を欲しているから。心も、身体も。
 望んだのは自分。証明を欲したのも自分。
 だが全てが幼い彼の想像した以上で、気持ちの収拾がつかなくなり、逃げたくなったのだ。
 自分に今、何が起きているのか判らない。
 いうことのきかない意識、いいように扱われる肢体、そして終わらないような、初めて体験する快楽という名の拷問──
 かといってこのまま放り出されても拷問である事は確か。
 欲する意識、逃げようとする意識、不安と、安心感と。
「こじゅう……ろぅ……」
 口付ける男の名前を呟く。
 肌に染み入ろうとする男の名を。






 致死量Lovers 





 自分は、不幸だと思う。
 いや、かなり不幸だ。
 何が不幸だと上げればきりがないが、最近の不幸は……

「政宗様? いかがなさいましたか?」

 この男である。
 額を出し、ひっつめた前髪。左頬の大きな傷。鋭い眼光を誤魔化すよう、すました顔をしているこの男が目下の不幸の原因だ。
 眉間に皺を寄せ、真面目くさった顔の重臣・片倉小十郎景綱は、理由も解らず不満気な表情を向けてくる若き筆頭・伊達政宗に、一層眉間の彫りを深くさせた。
「いかがいたしました?」
「別に」
 この「別に」の言い方がそのまま放置していい返答ではない事を、出来た重臣である小十郎は知っている。かといって、このへそ曲がりの当主が素直に口を開いてくれないことも重々承知で。
「明日の議題にっちた上がるだろう書簡、目を通しておいてください。定例の会合とはいえ、政宗様の一言で指揮も変わるのですから」
 いつもの事とばかり、小十郎は溜まっている書状や仕事の話を進める。そして“変わらぬ”その態度が余計に政宗の感情を逆撫でする。
 ──ムカツク。
 政宗にしてみれば説明なんぞ二の次。
 今、自分に不幸をもたらしているのは間違いなくこの男なのだから。
「して、最上の……」
「いい。」
「?」
「いいから出てけ。」
“又この人は”と迷惑そうに顔をしかめる小十郎をひと睨み。
 ──畜生。こっちは欲求不満なんだ!
 素直な感情。だが行動と思惑が合っていない。
 いや、実は合っている。
 政宗は小十郎の事が好きだ。もっと言えば、好きだという言葉で表現してしまうと今もっている気持ちが軽くなりそうなので、早々表現したくないのだが、とにかく言葉としての表現はそれだ。
 時々、渇いた喉が水を欲するかの如く、どうしようもない時がある。特にその水の味を知っていれば尚の事。
 その水の味は、遠い昔、幼少期に味わった。死に水に近かったそれで、自分は息を吹き返したと言ってもおかしくない。
 だがそれは一時期の水だった。そして瀕死時に味わったものだからこその特別なものだと思っていた。幻想であったとすら思えた。しかし、自分には救いの水があるということを知った。それをどこか、心の支えに生きていた。
 が──。
 救いの水が存在している事を知った上で枯渇に耐えるのは、思いの他辛いものだった。
 歳月が過ぎ、再び乾き、振れはじめた意識の中で自分を救ったのは、やはり小十郎という甘く冷たい水。
 迷いも何もなくなった。身体に染み入った水を素直に求める気になった。が、小十郎という水は政宗にとって良薬にも関わらず、少々厄介だった。
 まず、政宗の幼少期に自らが犯した過ちのため、全てを封印しようとしている。何もかも。“間違い”で片をつかせ、自分を間違いのないものに仕立て上げようとしている。だからこそ重臣を全うしようとする。ただ“重臣”という像は、小十郎が無意識に描いている目標でもあるから、少なからずはまっとうさせてやりたい。
 だが、度を越してしまうと“ソレはソレ”。
 そして“傅役”という立場上、現実的に主である政宗に手を出すという事は“あってはならない”ことである。しかも、組み敷かれるならまだしも、組み敷く方だ。
 つまり、政宗にどんなに気持ちがあったとしても、小十郎にも気持ちがあったとしても、“自重”であり“禁断”でいて“秘密”の三重苦。
──ありえねぇ……
 考えただけで頭が重い。
『そんなの関係ぇねぇ!』とちゃぶ台……もとい膳を返しをしたい政宗だが、今は返せるかどうかのラインを見極めている最中。短気を起こして返した時にどうなるかという不安をまだ抱えており、早々に出来ない。
 裏返せば、それほど逃したくない水であり薬。
 とはいえ小十郎から政宗に何かをするということはまずない。そうなればもちろん政宗から何かをするしかないのだが、ちょっとやそっとの仕掛けで小十郎が引っかかってくれるはずもなく、又そこが複雑だった。
 下手に色気づいた事を言えば、雷が落ち、ことのほか不機嫌になる。
 命令すれば、それはそれで従うかも知れないが、何かが違う気がしてならない。襲うのも同じだ。従う可能性が高いだろう。だがそれは……
 それでいて一番腹立たしいのは、自分がこうも焦がれているというのに、向こうが平気な顔というのが勘弁ならない。
 いや、むしろ腹立たしく不幸な原因はそこだ。
 自分に触れた時は、あれ程熱く、なりふり構わぬ意識をもってこちらを高揚させるというのに、終わって日常に戻ってしまえば、あの情事は夢だったのかと思うほど小十郎の素振りは何もない。
 自分は肉体的にも精神的にも欲求不満の上に、毎日その面を突き合わせるのだ。
 かわいさあまって憎さ百倍。存在すら疎ましい。
 座って話を聞くことも面倒になり、肘掛に半身の体重をかけながら、ゆっくりと足を伸ばし投げ出す。
 すると小十郎の顔が不快に歪んだ。
「なんとだらしない。」
「いいじゃねーか。お前と俺しかいねぇのに」
 そう言って身体を崩し、面倒臭気に煙管に手を伸ばす。と、小十郎は更に顔を歪める。
 小気味いい。
 自分の中にある不満を、相手を不快にする事によって解消するなんて健全ではないが、この際自分の精神状態の方が優先だ。
 少し口を開き、煙管を唇に宛がう。金具の、ヒヤリとした感覚が心地よかった。
「政宗様。」
「あん?」
「今は政の話をしている最中ですよ? 何が不満かは存じませんが、不満をそういった態度で解消されるのはいかがなものかと思いますが?」
 完全に読まれている。
 むっすりと口をへの字に曲げ、煙管を吹かす。
「言いたい事があるなら、口で申されよ。」
 それで? 言って聞き及ぶと?
『抱け』といえば抱くと? 絶対にしないだろう。つーか命令して抱いてもらったところで、それに何の意味がある。
 第一腐っても男の自分には抵抗がある。抱いてもらいたいわけではない。そこにある感情が、魂が欲しい。
 だからこそ──
 ちろりと盗み見ると、小十郎はぴくりと片眉を動かした。
 悪巧みが見透かされているようだが、まぁいい。
「口に出せば叶えてくれるっていうのか?」
「──事と次第によりますが。ただ、そちらの言う事を聞くのですから、こちらも聞いて頂きます」
「ほー。give&takeか。いいぜ」
 目を閉じ、警戒心満々で小十郎は構える。
 政宗はにっこりと笑った。
「触れろ。」
「は?」
「触れられんなら用はない」
 それ以上は何も言わず、政宗はまたにっこりと笑った。
 余計なことは言わない。言葉の意味の受け取り方は小十郎に任せる。といっても、政宗の真意が解らない小十郎でもない。とても簡単な言葉遊びだ。
 視線を絡ませる。すると、呆れるような長い溜息を吐き、小十郎は「失礼。」といって立ち上がり、政宗の傍まで歩み寄った。
 意外だった。もう少し難色を示すかと思った小十郎の素早い行動に、緊張して顎を引く。と、鼻先にあった小十郎は笑顔を作り、左手を上げた瞬間、着物の裾から放り出されていた脹脛に平手を打った。
“パシーン”と、小気味よい音が部屋に響く。
「いてぇーっ!」
「行儀悪く足など出されるからです。」
 そう言って下座に戻ると、「触れましたよ?」と念を押す。
「それではこれにて。……明日の会合は楽しみですね。」
 深々と頭を下げた後、勝者の笑みを残し、小十郎はそそくさと部屋を後にする。
 小十郎が廊下を出、襖を閉めたと同時に正気に戻ったのか、部屋の中で物に八つ当たりする酷い音が響く。
“部屋の掃除が大変そうだ……”そう思いながら、小十郎はその場を後にした。








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