埋み火 







 双眸そろって睨めばただの者ならすくみ上がり、動けなくなるだろう。それほど人を射り、だからこそ人を惹きつけてやまない瞳を持つ彼は、基本、その瞳と同様、気性の荒さが目立つ。
 今日も今日とて部下に何かを激しくまくし立てたかと思えば、自室へと歩きはじめた。
 重臣である男が自室に引き篭もろうとする彼を追い、何かを諭すように説教し始めるが、今日の彼の機嫌の悪さは、男の頬に振りぬかれた拳によって語られた。
「ふざけんな!!」
 ──うわちゃー。
 振りぬかれた拍子に、男は廊下に手を着く。それを目撃し“あれは痛いぞぅ”と思わず呟いてしまう。倒れこまないだけでも賞賛したくなった。案の定、男の口は切れ、赤い血が滴っている。
 どこの逆鱗に触れられたのか、立ち上がった男にまだ怒鳴り声を浴びせ、彼は部屋の中へと入っていく。
 ここまでご立腹であると、何が原因なのか理由が聞きたくなってしまう。そこは好奇心が勝った行動かも知れないが“お仕事お仕事”と内心呟きながら、追って部屋の中に入る男を確認し、気取られないようそっと近づいて、部屋の中の様子を窺う。が、様子を窺える場所を確保したとたん「‥‥もういい。下がれ」という声が耳に届いた。
 ──なーんだ。せっかくここまで来たのに。
 そう思いながら部屋を覗くと、ここの若き筆頭である彼は重臣に背を向け、辛く、少し悲しい顔を浮かべていた。
 怒鳴った後に冷静さを取り戻した時、人は山のような失言に気付くものだ。若ければなおのこと。今、多分彼は沢山後悔している。
 それもそうだ。罵声を浴びせ続けていた相手は彼の右腕……いや、失くした右目とも謳われる重臣。何よりも彼を思い、家を思い、人を思い、選択を間違えることなどない。
 ──敵だからこそね、よく解るんだよ。
 彼とて、そんな事は言われなくとも解っていて。それでも間違った事を口に出してしまったのは、甘えという信頼が、間違った形で出てきたのだろう。
 水をうったような静けさの中で、彼の沈み行く心が痛々しかった。
 ──なんとか言ってやんなよ、右目の旦那‥‥
 男とて彼の心情に気付いていない訳ではないだろう。主人の心を理解するからこそ踏み込むも従であり、言葉に従い心に叛くのも従。男の場合、いつも叛く従だ。だからこそ両者が痛々しい。
 黙って、ただ若き主人の背を見つめ続ける男。
「政宗様‥‥」
「いいから下がってろ。お前も、その頬冷やせ」
 振り向かず、頭の横でひらひらと手を振り、退室を促す。
──‥‥旦那にしてはよくやったよ。
 男の性分も考え、声もかけないと思っていた。だから名を呼んだだけでも彼の救いだと思える。
“仕えるって辛いよねぇ‥‥”そんなことを思いながら視線を少し下げようとしたその時、男の左腕がまるで怪談話のようにするりと伸びると、主君の襟首を掴み、素早く引いた。
「!?」
 突然の事に、引き寄せられるがまま背中から……いや、首から倒れこんだ彼を男は抱きとめる。
「あなたは本当に──私にどうしろとおっしゃる」
 そのまま男は表情を隠すように彼の肩口に顔を埋める。
 少しだけ驚いた顔をした後、彼は肩に顔を埋めたまま軽く抱きとめる男の手を“ぽんぽん”と子供や動物をなだめる様に叩いた。そんな彼の表情からは緊張感が取れ、困りながらもどこか落ち着いた表情を浮かべるようになった。
「‥‥すまねぇな」
 思わず見ていたこちら側がほっと一息。つきながら、意外な男の行動に少しだけ動揺していた。
 というのも彼はよく言う守役とは少し違い、支え、導く事が基本。だからこそ、あんな本音を主人に対して現す姿が少し‥‥いや、かなり信じられなかった。
 ──相当酷い事でも言われたのか?
 自分の主の口が悪くない事に思わず感謝した。無邪気な天然というのは、それだけで価値があるというもの。‥‥それもそれで手はかかるが。
「政宗様の動揺は全体にも波紋します。またこの度は若衆が貴方を思ってした事。」
「わかってる」
 長い沈黙。先刻とは違う緊張感が漂う。男はやっとの思いで顔を起こすように、ゆっくりと面を上げた。
「政宗様に背くものなど居りません。仕えながら背くはこの小十郎のみです。ですからどうぞご安──」
“とん”と彼は顔を上げ、頭部を男に凭れ掛ける。
「背く?」
「はい。背く事も」
「ふーん‥‥確かにお前は背き続けるな」
 呟いて頭を大きく、俯くように彼は傾かせる。さっきまで男が顔を埋めていた首筋が、
その真っ黒い髪の間から姿を見せる。
 そしてもう一度彼は呟いた。
「背く?」
 そのやり取りはどう見ても駆け引きだった。いや、会話など全て駆け引きだ。だが彼らがしている駆け引きは自分の思う駆け引きとは違う。
 そう確信を持った時、男は「ふぅ」と長い長い溜息を吐いた。
「貴方は‥‥私から背く事まで奪うおつもりですか?」
 瞬間、俯いて、表情が見えないはずの彼が笑った気がした。
 ──‥‥え?
 するりと、男の片手は合わせていた襟の奥へと消え、もう片方の手は帯すぐ下の裾をたくし上げようとする。たくし上げ、下腹部に触れようとする手に添えられる彼の手は、静止を意味するというよりも、手加減を望んでいるように見えた。
 耳たぶの裏に唇を寄せ、男は何かを囁く。程なく、ズルズルと彼は腰から崩れていった。
 ゆっくりと崩れ落ちた彼を抱きとめながら、男は触れる事をやめない。
 はだけてゆく着物。あらわに晒され始める肌。
 呼吸のような、吐息の様な声に合わせ、ゆらりと着物の裾から投げ出された竜の足がうごめき、その足の動きだけで見えない彼の表情が窺える気がした。
 ──うわーうわーうわー
 情事の場面に居合わすことなどこの職種のおかげで何度でもある。だが今目の前に広がる彼らの行為は、あまりにも衝撃的で抒情的過ぎて。
 息遣い、手の動き、足の遊、時折大きく震える肢体──直接的な何かが見える訳ではないが気持ちが乱れる。淫靡というのはこういったことを言うのだろうか?
 見ていられなくなり、背を向けてその場にしゃがみこむのが精一杯の自分。
 ──ちょっ‥‥うわぁ‥‥
 意識が呑まれそうな行為に、動揺して動けない。いや、それよりも何よりもありえない光景だった。
 ──あの竜の旦那が抱かれる? 右目の旦那が‥‥ぇえ!?
 知る限り、ない。逆ならまだ飲み込めた気がした。だが違う。
 プライドの高い彼が、誰かに理性を委ねる事も信じられないが、彼の前で男が理性を手放すことも信じられない。
 とにかく部屋から出よう。それだけを心の中で念仏のように唱えた‥‥。




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