伊達成実の困惑 −前編−
伊達成実シリーズ 05
春過而 夏來良之 白妙能‥‥ども。久方ぶりにこんちわっす。え? 取り敢えずのお約束を踏まえろ? なんだなんだ、やっぱり形が必要なのかよ。‥‥ま、いっか。ホント久しぶりだもんな。
俺の名前は伊達成実。奥州伊達家に在を置いている、伊達政宗を主とする直下の重臣。伊達の双璧又は伊達三傑として名を‥‥ん? 伊達の双璧ってなんだって? あのなぁ、伊達の双璧っつたら、俺とこじゅ兄‥‥‥まぁ説明はいらないだろうけど政宗の傅役を務め、重臣となった片倉小十郎と“智の片倉小十郎・武の伊達成実”って名を馳せて‥‥っていっても、まぁここんところこじゅ兄の‥‥あ、まぁいい。こじゅ兄で統一だ。うん。ここの所、こじゅ兄の働きが激しすぎて、ハッキリ言って俺は置いてけぼりだ。つーか、あれダメだろ? 働きは並じゃない上、誰が智だ? どっかに置いてきただろうソレ。戦い方なんて人外! ふつー無理!!
──ところが、政宗も人外だから、これがバランスとれちゃって、なんだか巷では筆頭の政宗と二人をまとめて“双竜”なんて呼ばれてたりする。
あ、でもこれな、巷だけだぞ? 巷だけ。この呼び方、政宗は気にしねぇんだが、こじゅ兄はな、すんげぇ気にしてる。聞いた瞬間、眉間に血管が浮かび上がってるの見たもん。多分アレだ。俗称としてでも政宗と並び立つのが耐えられないっぽいらしい。うん、後で又詳しく説明するけど、こじゅ兄の政宗への忠誠心というかフリークというか“ゆーあーまいんおんりーしゃいにんぐすたー”状態は凄いから。うん。時々、ここまでくると犬と私の‥‥いや、なんでもない。なんでもないぞ。何も言ってないぞ!
‥‥こほん。で“伊達三傑”の方は、俺とこじゅ兄と鬼庭綱元の三人を指す。この綱元もこれまた家族ぐるみで先代から伊達家に仕えている、大切な縁の下の力持ちだ。
で、えっと‥‥どこまで話したっけ? あ、そうそう、で、俺の身分は今筆頭である伊達政宗の従弟であることが有名だが、実際政宗の親父様・輝宗公の従弟でもある複雑な身分だ。血筋もしっかりしてるんで、意外に使われる。ま、内緒ってほどでもねぇが上杉とも少し縁がある。‥‥とはいえ、北の地の血縁の入り乱れは凄いものだから語り出したらこれまた切りがねぇ。
まぁなんだ、これだけ身分とか語っちまったが身分だなんだというよりも、俺は俺らしく気楽にやっていける伊達軍が大好きだ。
兄弟みたく付き合ってくれる政宗や小十郎がいて、ミスったら綱元がフォローしてくれてさ、時々羽目外してバカやったり、真面目に人のために働いたりさ。そういう伊達軍が俺は──
バタンバタン、ドタドタドタドタ‥‥
‥‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥前言撤回。最近はちょっとウザイ。
説明としては的確じゃないかもしれないが、俺の立場は色々ウザイ。
それが証拠に今部屋に近づいてくる足音が、とてもいやぁな予感を運んでくる。
文机から顔を上げ、外廊下側の開けっ放しの障子戸の方を見ると“ご立腹”を絵に描いたような顔をして伊達家‥‥いや、奥州筆頭伊達政宗がやって来た。
右目にトレードマークの小鍔の眼帯。ただ伸ばされただけの不揃いの前髪から、ギラリと活きた瞳が光を放つ。
あぁ。予感的中のようだ。
俺はまったく進んでいなかった筆を置き、部屋の前の廊下で仁王立ちになっている政宗に取り敢えず「よぅ」なんて、なんにも気に留めて無かった風に声をかけ、部屋の中から軽く手を挙げる。
それを合図に政宗は俺をジトリと睨み付けながらズカズカと部屋の中に入ってくると、板の間の板が抜けそうな音を立ててどっかと胡座をかいて座り込んだ。
怒りを隠そうとしない政宗に、俺は溜息一つ吐いてやる。怖くはない。だってこの怒りは俺に向けてじゃないって事ぐらい一見して解るからだ。長い付き合い、それくらい解らないとやってられない。解らなければ胃炎か円形脱毛症の坂道を転がり落ちるだけで。
「──で、なんだ? 茶も茶菓子もねぇぞ」
腕を組み、政宗はそっぽを向いたままこっちを見ようとしない。この態度だけで、話の内容の十中八九が解った。あれだ。愚痴だ。ただ、愚痴を言うっていうのはやっぱり格好の良いモノではないのできっかけに困っているのだ。で、これだけ出だしに困っているという事は、更に話題が絞り込まれる。
そう、立ち位置的に舞い込んできちまうウザイ話題‥‥。
俺は一度天井を仰ぐ。ほっといたら....ダメだよな。やっぱり俺が話を振らないと先に進まないよな。うん、多分進まない。
“はぁ”と大きく溜息をもう一度吐いて、俺は腹を括った。
仕方ない。人間、役割ってのがあるからな。うん、仕方ない。
そう自分へと諦めさせる呪文を心の中で呟き、改めて視線を政宗に向けた。
「で、こじゅ兄がどうした?」
そういうと、目を大きく瞬かせて、不思議そうにこちらを向いた。
「なんで解った」
わ か ら い で か 。
まったく本気で言ってるなら心底呆れるぞ。‥‥いや、本気で言ってるだろうからウザイんだが。
「あー‥‥大体予想はつくさ」
なんて言ってみて“俺は意外に聡い人物なんです”みたいな事を演出する。
愚痴というのは大概プライベートな話である。そんで、プライベートというモノが限られている政宗なんか、もちろん話題も限られてくる。で、俺へ真っ先に愚痴る内容となれば、こじゅ兄の事だ。もちろん、重臣でも傅役でもない“片倉小十郎”のお話し。
えっと、説明しなくても知ってると思うけれど、小十郎は従者の鏡のように政宗に仕えている人物。政宗が幼少の砌(みぎり)から身の回りの世話をし、苦労かけられっぱなしで十数年、やっと政宗が奥州筆頭として立派になったつい最近、まぁ、早い話が二人は一線を越えちまった。しかも、二人が出来ちゃうよりも有り得ないことが、こじゅ兄が政宗に敷かれる側じゃなくって、敷く側っていうありえなさ。
‥‥正直こじゅ兄が政宗を襲うなんて事は、天地がひっくり返っても有り得ない。その有り得ない事を起こしたのは目の前にいるこの政宗本人だ。
政宗はそりゃまぁ、色事を好む方だと思う。男ならそりゃ普通だし、衆道を嗜むのも今時普通。だが、勿論と言うべきか、政宗は敷く側であって敷かれる側じゃない。それがまぁ‥‥なんつーの? 色々前後は省くが、二人が出来ちまうのは簡単な話だった。むしろ簡単すぎて今更有り得ないような。だって政宗は主だ。命令一つでなんとでもなる。が、それをこいつは由としなかった。そんな曖昧な感情の始点を求めなかったと言うべきか。いや、完全に逃げ場を作らせないためと言うべきか。
恐ろしい感情だ。だってそうだろ? 好いた奴のほぼ全ては手の内なんだぜ? それでも足らないって云ってるんだ。心ごと魂ごと自分のモノだと。全て、自分に向いてなきゃ困ると。
だから政宗は抱かれる立場を取った。心底全てとして扱う相手に対して、己の手で奪わせた。
こじゅ兄も、恐ろしい相手に惚れられたもんだ‥‥
気が遠くなりそうな想いに溜息を吐いて、話が始まらない事に俺は眉を寄せる。
見ると政宗は少し神妙な面持ちのまま、ここまできて言い淀んでいた。
なんだ? 小十郎を襲う計画から閨の話まで平気でする奴が、言い淀む内容ってなんだ?
政宗の場合、悩み所の的がずれている事が多いから、正直イヤな予感するんだが‥‥
「なんだ一体。もやもやしてる事を吐き出したくてここまできたんだろ? 吐くだけ吐いちまえ」
そう言うと、やっと口をパクパクさせつつ、政宗は声を出し始めた。
「小十郎が‥‥」
「ん? 小十郎がどうしたよ?」
「小十郎が‥‥‥‥浮気した」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は?」
俺は大きく口を開けて、その一言を発するのが精一杯だった。
えーっと、なんだ? 何言いだした? こじゅ兄が浮気? いや、それ以前にさぁ‥‥
俺は耐えきれず床に突っ伏した。
イヤだこの主従‥‥
「おい、どうした成実?」
「いや‥‥なんでもない」
そう言うしかない俺は伏せっておきたい気持ちをしぶしぶ抑え、ゆっくりと身を起こして、政宗が部屋へ入ってきて三度目の大きな溜息を吐いた。
なんでお前からある意味そんなかわいらしい台詞が出てくるのかとか、相手と話と言葉がおかしくないかとか、ツッコミどころ満載過ぎてどこから突っ込もう‥‥。
でも多分、どのツッコミは通じない。政宗はマジでいっている。
とにかく常識とか、俺の疲労とか、突っ込みたい事とか色々まとめて梱包し、遠くの棚の上に追いやった。
で、なに? こじゅ兄が浮気?
あ〜‥‥
取り敢えず、
「まずないから」
「あ?」
「こじゅ兄が浮気したって言うんだろ?」
「え‥‥あぁ‥‥‥‥うん」
「ねぇから。その発想は定形外。」
「なんだよその言い切り」
「言い切りも何も、もうな、許されるなら奥州の中心で叫びたい」
「なんだよそれ」
「そのまんまだ」
政宗は“ぶぅ”と唇を尖らせてこちらを見るが、もう、付き合う気が完全に失せた。
何をみてコイツはこじゅ兄に浮気があると思えるのか。どこからどう見てもこじゅ兄には政宗しかいないのに。背中どころか顔にまで“伊達政宗は片倉小十郎の全て”って太文字ゴシック体白枠影付きで入れ墨のように入っている相手に浮気を疑うって、それはねぇよ。
俺は思わずこじゅ兄に同情した。本当に恐ろしい相手に惚れられてるもんだ。
呆れて今日四度目の溜息を吐いた俺を、政宗は拗ねまじりにただジッと睨み付けてくる。
‥‥‥‥なんだ?
「まさか、証拠でもあるのか」
「‥‥証拠っつうか、女中の一人がその、立ち話でだ、」
「立ち話ぃ!?」
声が変な高さで裏返った。だって女中の立ち話の話題なんざぁ、八割噂で九割嘘じゃねぇか。そんなもんを奥州筆頭ともあろぅ奴が信じてどうする!?
どうやらその気持ちが顔に出ていたらしく「わかってるよ」と政宗は呟いた。政宗とて解っていて落ち着いていられないのだ。
なんだぁ、もう、政宗の奴新世界の扉開いちゃったのかよ。
五度目の溜息が口の端から漏れた。相手しなくっちゃいけないよな。うん。相手しなくっちゃいけないよな? こんな馬鹿らしい話題付き合えるの俺だけだもんな。
「で、内容は?」
そういうと、取り合ってくれるんだと言わんばかりにパァっと政宗の顔が明るくなった。一応少しは馬鹿らしい話として自覚していたようなので良しとするか。俺もこじゅ兄に「政宗に甘い!」なんて文句いってられない気がした。
「花柳に出入りしてるらしい」
「花柳? へぇ」
相槌を打って次の言葉を待つ。‥‥が、待てど暮らせど次の言葉が返ってこない。部屋にはただ雀の鳴き声がちゅんちゅんとこだまするのみ。
まて。
まてまてまてまてまて。
恐る恐る、俯いたままの政宗の顔を俺は伺う。
「まさか、それだけとか」
“こくり”と床を見つめたまま政宗は頷いた。
「‥‥‥‥? 成実? おい、人が真面目にっ」
内容が余りにも過ぎ、身体の力が抜けてまたも床に突っ伏してしまった俺に、顔を上げた政宗は、頭上からぎゃーのぎゃーのと言葉を浴びせてくるが、もう、こっちのやり場のない気持ちを察しろゴラァ!!
「まさむねぇっ!!」
「うおっ!?」
勢いよく起きあがった俺におののいて、少し体勢を崩した政宗に、今度という今度は俺も耐えきれずに切れた。
毎回、毎回毎回毎回毎回毎回この主従は!!
「女中の噂話なんて真に受けず、本人に聞け本人に!! 最近外邸から通ってるとはいえ、ツラ会わせるんだし、お前の腹心だろうが!!」
「だからっ!」
「それにいいか? よく考えろ!? 仮に花柳へ遊びに行ってたとして、小十郎は男だ。お前だって男だ。普通で行くなら都合上女が良いに決まってンだろ!? しかも花柳なんて遊び場だ。男のストレス発散口だ。そこに遊びに行った云々だけで浮気だなんだって言われたら、小十郎だってたまったもんじゃねぇぞ? 大体政宗だって遊ぶだろう? そんな小十郎だけを聖人みたく‥‥」
勢いよく捲し立てていて、俺は政宗の表情の変化に気がつかなかった。
真一文字に結ばれた唇の端と、困ったように寄せられた眉間は微かに震えている。
‥‥まさか‥‥
「お前‥‥‥‥この所の相手、こじゅ兄だけだったとか?」
その言葉と同時に、俺は季節はずれの見事な紅葉を見る事となった。
‥‥嘘だろ、おい? いや、知ってたよ? そりゃ知ってたよ? 政宗がこじゅ兄好きだって。十年越しの恋だったって。それが実ったって。すんげー執着してるって。でも、知ってるのと、実感するのはまったく違って‥‥
これは‥‥想定外だ。コイツの想いは、俺の18年間の経験の情報量なんて軽く超えている。
呆然と政宗を見る俺に、紅葉は少しずつおさまり、かわりに、ぽつりぽつりと言葉の雨が静かに降り始めた。
「この所、少し避けられててな。最近に至っては毎日外邸に帰ってるしな。‥‥いや、別に喧嘩したとかそんなんじゃねぇし、仕事とか、会話とかそれは普通にこなしてる。それに──成実の言ってる事が理解できないとか、そういったモンもねぇ。俺だって女と関係持つなとか、そういったことはない。ただ‥‥」
言葉の雨が、止む。止んだが、空はどんよりして。
降らないのが、おかしくて。
「‥‥話したら、落ち着いた」
震えてた唇の端が上がる。
そして作られたのは物分かりの良い表情。
「付き合わせてすまねぇな。忘れてくれ」
「政‥‥」
引き留める事を許さないような笑みを残し、入ってきた時とはまったく違う足音で政宗は部屋を後に立ち去った。
‥‥しまった‥‥。俺、もしかしてすんげぇ地雷踏んじまった。
こじゅ兄にとって政宗が全てなのはよく知ってたさ。でも政宗にとって小十郎は全てではない。その酷く当たり前の事柄が、俺にオウンゴールをさせる結果となった。
そう。“奥州筆頭・伊達政宗”という人物の全てでないだけであって、それって言うのは‥‥‥‥
「あ゛ーっ!!」
がりがりがりがりと俺は頭を掻く。
相手が自分の全てである故の不幸せと、相手を、自分の全てに出来ない故の不幸せ。‥‥クソまどろっこしい関係だ。
俺は、何処をと言う訳でなく睨んだ。
とにかく、あんな政宗はみたくねぇ。物分かりのいい梵天丸なんて、俺の知ってる奴じゃねぇ。それにオウンゴールしたんなら、取り返さなければ特攻(フォワード)の名が廃るってもんよ。
「いっちょ一番槍かけますか」
俺は両袖をまくし上げ、両頬を叩いて気合いを入れた。
→つづく