伊達成実の困惑 −後編−

 伊達成実シリーズ 06








 …………さて。えっと。どこから手をつけようか?
 廊下で突っ立ったままあぐねる俺を、女中やら若いヤツやらが、少し笑ったり不思議そうな顔をしながら通り過ぎる。
 なんだよ。俺が考え事したらおかしいってか? あのなー、大体みんな誤解しすぎだ。俺は伊達軍において人間関係のバランスを保つ、気を使わなきゃぁならねぇ立場なんだぞ? 考えも巡らせるし、人に言えない気苦労だってある。このポジションはそんなに気楽なものじゃねぇ。つか、今の俺の立場、誰か変わりたければ変わってもいいぜ?って感じ?
 ……ふ…ふはははははははは………っていかんいかん、こんなところで不気味な笑顔作ってどうする俺。とにかくだ、とにかく政宗が小十郎が浮気したって言うなら、やる事一つだよな?



「小十郎ーっ、いるかー?」
 結論ついた部屋へ辿り着くと、仕事に追われているらしい小十郎は、書類の束が積まれている書机から少し顔を上げ、横目で俺を確認した後、また視線を書面へと戻し筆を走らせ始めた。
「どうした? 成実。手伝ってくれるのか?」
 緊張感のない用事と判断されたらしく呼び捨てで、しかも俺がやらないだろう解りきった事を聞いてくる。たく、あんまり機嫌良くないなぁ。ただ、呼び捨てって言うのは、小十郎が俺に対して素で相手してやるといっているような、プライベート合図だ。その点はよかったと言うべきか。
「手伝わねぇ。俺は自分に割り振られた以上のことはしない主義だ」
「まぁ、そういわず。割り振ってやるぞ」
 書面から顔も上げずよくいってられっぜ、本当。
 そんな小十郎の嫌味は無視し、背後の空いたスペースに腰を落ち着けてから、俺はもう一度、うーんと首を捻る。
 一応さ、色々考えたんだぜ? 聞き方。でもよ、誤解のないように聞くならやっぱり、
「なぁ小十郎」
「?」
「花街で遊んだってホント?」
 ピタリと筆を走らせていた手を止め、ゆっくり、まるで怪談話に出てくる幽霊のように首だけを動かして振り向く。
「……どこからそんな話を」
 と呆れたような口調で言ってるものの、どうやら俺の脳には副音声がついているらしく、今「みぃ〜たぁ〜なぁ〜」ともう一つの声が聞こえた。
 へぇ。俺としては少し意外だ。なにせ行ってないに5000はいかないにしろ1000点ぐらいは賭けてもいいと思ってたからな。それでも、浮気はあり得ないと思ってる。天地が…ってありきたりな例えだな。そうだな、小十郎に関してはその言葉の存在自体なくなるって感じ?
「ま、人の口に戸は立てられないってヤツかな。花街で遊んだところで、花の君や店のヤツならともかくとしても……なぁ?」
 首の位置を又ゆっくりと戻すとカタリと筆を置く音がし、小十郎は両手で床に握り拳を着いて、身体の向きを一気にこちらの方へと向けた。
 断定した言い回しに観念したらしい。
「──で、聞きたいことは?」
「聞きたいことは、それが事実かどうか…ってまぁ、事実そうだな」
「事実だったら、何か問題が?」
 うお。開き直りやがった。しかもちょっと目が据わってる。恐いぞ。
「別に。問題はねぇけど、政宗は?」
 核心をついてやるとピクリ、眉とこめかみ辺りが引きつって、ひっつめた髪が揺れる。と同時に表情が強張った。
「……政宗様が、何か?」
 さて、ここで問題を正直に言ってもいいが、それも少し違う。大体こいつら、お互い想い合っているのに、どうしてそこまで心の過程が違うかなぁとつっこみたくなる、何ともかなりうざったらしい奴らだ。だから、この問題だけを正しても仕方ないんだ。根本から改善しないと。
 けほんとわざとらしく俺は咳を吐く。
 こいつらから学んだうちの一つに、想い合っていればいいという訳でもないって事がある。何事も程々か、身の丈だ。…まてよ? こいつらの身の丈としてはあってるのか。
「なんにも。ただあんまり政宗の耳に届いていい話題でもねぇだろう」
 すると、唇の端を上げた、少々皮肉の混じった笑みを浮かべやがった。
 なんだ?
「別に、いいも何も。俺とて聖人ではなくどちらかといえば俗物だ。遊びたくなれば遊びもする」
 …うそ。マジで開き直りやがった。
 っていうか本当に浮気? んん? 本当に解らなくなってきたぞ? いや、いやいやいやいやなんだこの違和感。違うぞ違う。こんな、真面目が着物きて“政宗命”と顔面に書いているようなヤツがそんなのあるはずねぇ。つまりは、えっと浮気にしたい…? 浮気でいい??
 訝しく眉を寄せる俺に「話はそれだけか?」と確認して、小十郎は机に戻ろうとする。
 本当にお前、浮気でいいのかよ。俺とか政宗が、浮気で納得していいのかよ?
 …………いや、いやまだだ。
 俺のターンはまだ終了しちゃいないぜ!
「あー、なんだ。梵に飽きたのか」
「!?」
 話題に飽きた風に声を上げると、床に手をついて戻ろうとしていた小十郎が固まった。
 うし。ヒット。
「だよなー。十九にもなった我が侭坊やのお守りはそりゃ疲れ…」
 挑発に連ねていた言葉が本能的に止まる。こちらを確認するように睨み上げた小十郎の目が、一瞬赤く光った気がした。殺気だとか幽霊だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしい極殺の片鱗を味わったぜ……
「……何が、言いたい?」
 いつもよりもワントーンもツートーンも低い声で小十郎は話す。冷静を装って喋っているつもりらしいが、完全に、色んなものがダダ漏れだ…。
 逃げたい気持ちを必死に抑え、俺は精一杯小十郎を見る。釣ったからには釣り上げるまでが勝負!
「だってそうだろ? あれだけ梵にご執心だったクセに、花街で遊ぶ体力も神経もあるならそりゃ」
「──」
 小十郎は目に燃えたぎるような憤怒を見せて、何かを言おうと口を開けたかかと思えば、次の瞬間には息を呑み込んで不自然にその火を鎮火させ、顔を背けた。その顔に、表情はない。
 なんだ? 今、殺したな。
 感情殺しやがったな。
「…何だよ。言いたいことあるなら言えよ」
「──いや」
「いや? いやじゃねぇだろう。今あからさまに言いかけたじゃねぇか」
「……」
「ちょ、なんだよ。だんまりかよ。ふざけんな! 片倉小十郎個人の感情も解りそうにないヤツか、俺は!? 言いだして止めんな!!」
 小十郎の火はどうやら俺に引火したようで、一気に捲し立てた。
 俺は大っ嫌いだからな。思ったことを口にも出来ない、受け止められることも出来ないなんて絶対いやだかんな!!
 チラリと、意図的に整えられた顔が俺の様子を窺う。そしてやっと、固まった唇をほぐすように少し動かした。
 動かすだけじゃ意味ねぇだろうがっ。
「こじゅ兄!!」
 途端びっくりしたように口が開かれた。そして開いてしまったことを後悔するように又唇を閉じようとするが、耐えきれず、鼻先まで詰め寄って睨んだ俺に、渋々話をし始めた。
「──戻っただけだ」
「? は?」
「戻っただけだ。以前と」
「以前って」
「何もなかった頃に戻った。それだけだ」
 そう言い結び、自虐的に唇を上げる。
 今にも消えそうな、存在の危うい笑み。
 え? なに? これってどういう事?
 え? え?
 話をまとめよう。えっと。えっとだ。話の前後からして、小十郎はやっぱ政宗のこと好きっつーか一番だよな? うん、これはガチだ。でも俺は政宗から、小十郎が浮気したって持ちかけられたんだぞ? 浮気かどうかは置いておいたとしても花街で遊んだことは事実っぽいし。ただその遊びは本命か? 違う。遊びの域だ。もっと言うと憂さ晴らし的な。で、今ここにいる小十郎は、どーみても、ご主人様に叱られて、近寄りたくても近寄れない犬に見えるが……
 あれ?
 なんか大分とピースが欠けてやしないか?
「……なぁこじゅ兄よ」
「なんだ?」
「…喧嘩でもした?」
「いや。」
 即答。──まぁ、確かに喧嘩した素振りは一切なかった。仕事だって滞りなく済ませてるし、普通に日常会話だってしてる。そうだ、政宗だって喧嘩したなんて言ってない。ただ「浮気された」って言ってきただけだ。
 なんだこのパズル? 気にはなるがちょっと解きたくないのは気のせいか?
「いいだろう、この話題は」
「よくないだろう」
 逃げるように又戻ろうとする小十郎の襟元を、咄嗟にひっ掴まえてこちらに向かせる。……思わずやっちまったが、よくよく考えると奇跡的だよな。小十郎の襟元掴まえれたなんて。多分、それだけこの話題に気を取られてたんだ。つまりそういう事で。
「よくないぞ。絶対よくない。ぜってーよくないぞ。こじゅ兄、こじゅ兄は梵…政宗の事好きなんじゃないのか」
「なんだ藪から」
「棒じゃねぇぞ。ずっとそんな話をしてるんだ。なーんで政宗好きなクセに花街行く必要性があるんだ。テメェら出来てるだろう」
 詰め寄ると、少しムッとするように睨みを利かせて、小十郎は思い出したように俺の手を襟から剥がし、払い退けた。
 ちょっと恐いが、さっきの無表情より断然いい。
「そこまで言わなきゃならんのか? 少しは察するとかしたらどうだ」
 お。素が出てきた。
「察してわかんねぇから詰め寄ってンだろ。ほんと、隠す間柄じゃないって。殆どの事は政宗から筒抜けなんだからな」

 オ前ヲ襲ウ計画マデナー

 すると、一呼吸おいて長い溜息を吐いたかと思うと、観念したのかやっと重い口を開き始めた。
「筒抜け…といってもそこまで筒抜けじゃないようだな」
「? なにが」
「言った通り、元に戻ったんだ。あるべき、本来の主従にな」
「本来の主従って、元々お前ら普通に主…」
 小十郎がチロリと「まだ説明させるのか」と片眉を器用に上げてこちらを見る。
 あ? 察せねぇよ。なんでこう、説明がどう考えても失恋モードなんだ? 大体政宗はお前が浮…
 あれ?
 あれれ?
 なんか俺、新しい扉開きそうだよ。おい。
 しかも、いやーな予感フラグが立ってる。
「こじゅ兄、つかぬ事を伺いますが……──最後にいつヤッた?」
 パキッと、どこかの間接が鳴ったような音がしたが気にしない。
 ここが重要だ。
「お前は──」
「だーいぶん前ってやつだよな。たしか?」
「……」
 答えないが否定はしない。まぁ政宗から聞いて薄々気付いてたし。ってことは、それが期間的に大分前かどうかはともかくとして、とんとご無沙汰だった訳だ。……ぶっちゃけ、俺はバカップルぶりを知っているから、少しでも間が空くのは理由がない限り不自然だ。で、で、小十郎はもちろん政宗が好きで一番で、手ぇつけちゃったけどやっぱり臣だから……
「なんだその、奥さん妊娠中にちょっと羽目外しましたみたいな典型は」
「…そのおかしな例えは何だ」
「うまいこと言ったつもりだがなぁ」
「──何か誤解があるようだな」
「あぁ、たんまりあると思う」
 まだ食い下がるのかと言いたげに、また小十郎は溜息を吐く。そりゃそうさ。俺は欲張りでな。奥州も伊達家の事も考えるが、個の政宗や小十郎の方がもっと大事なんだ。公のお前らの助けになるヤツは多いが、俺は、個のお前らを救える数少ない一人だって事を誇りに思ってンだ。
 偉そうな肩書きよりもずっとずっと。
「とにかく成実、これ以上つっこむな。おかしな事は寧ろ起きていないんだ。ごっこは終わったんだ」
「ごっこ…ね。そのごっこに命はってたヤツが何いってんだ。自分の中で何も収拾着いてないクセに──言っとくがなぁ、政宗だってまだまだご執心だ」
 あの調子だと寧ろ一生な。
「え?」
 困惑した眉が訝しげに上がる。
 話が読めたぞ。
「つまり小十郎、夜の相手する事が全くなくなったんだろ?」
「…もう少し言い方を考えられんか?」
「事実なら言い方変えても同じでだろ? で、飽きて捨てられたと思ったんだ」
「……」
 なんていうか、ぐうの音も出ないってこういう事なんだろうな。
 それにしても、政宗の事に関して何でも解るヤツが、どーして事自分が絡むと迷走するかな。しかもこの上なく情けなくなるは形無しになるわ“鬼”ってのはまるでない。
 ……多分自分を殺せないんだろうな。上手く。小十郎は。…そして政宗も。
 でも、その方が健全だ。
 ポンっと俺は膝を拍ってから立ち上がった。種が解ればここに長くいる必要はない。
「成実?」
「謎は全て解けた。俺は真犯人を追う。」
「? よくわからんが、これ以上首つっこむな」
「あのなー、ここにいる限り事件が歩いて俺の部屋にやって来て巻き込んでくれるんだよ。とにかく、俺が見る限り小十郎に非はねぇ」
 あるのは、政宗だ。




 見張りや用聞きの小姓を静かに下がらせ、名乗らず、部屋前の廊下で“ドン”と床板を蹴飛ばし足を鳴らすと、脇息に凭れ、退屈しのぎに読んでいたらしい本から顔を上げた政宗は、部屋の中から俺のご立腹な顔を見て、不思議そうに眉を寄せた。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもねぇだろ。お前が言いだした件、小十郎に謝って来い。ありゃ真綿で首を絞めるとか、濡れた麻布を一枚一枚顔に被せるとか、蛇の生殺しとか、そんなもんじゃないぜ」
 困惑する政宗をよそに、俺は部屋に上がりこんで胡坐をかく。
 さぁ説教開始だ。
「? 一体何言い出」
「お前も男だろ。好きなやついたら触りてーとか、抱きてーとか思うだろうが」
「それがどうした。小十郎と何の関係が」
「どうしたもこうしたも、お前、あんだけ襲ってたくせに、小十郎と寝るのやめたか禁止したんだろ? そりゃ小十郎」
「──てねぇ」
「は?」
「やめてねぇ。別にやめてもねぇし禁止もしてねぇ」
 そういって、ぷいっとそっぽを向く。
 やめてない? あれ?
「でもここんとこ、一緒じゃねぇんだよな?」
 すると、そっぽを向いたまま、ただコクリと小さく頷く。
 横顔が、さっきの小十郎そっくりだ。
 くそ。まだピースが足らないのか? だが小十郎はともかくとしても、政宗に対してまどろっこしい手は抜きだ。
「兎に角、話はいろいろ欠けてるみたいだが、結論から言う。小十郎は何にも変わらず、政宗の事好きだぞ?」
「!」
 こっちを見る。目が輝くように、それこそ“ぱぁぁあ”という明るい効果音が付きそうになったかと思えば、途中で目を伏せ、又そっぽを向いた。
 ん? ん? これもなんか小十郎に似てるぞ。勝手に悲観ぶるっていうか。が、俺は同じ轍は二度と踏まねぇぞ。こいつら根本好いている者同士なんだから、本当は何の問題もねぇ。
「だったら」
「あ?」
「だったら何で何もねぇんだよ。ずっと俺は無視されっぱなしだぞ。それに、やっぱり小十郎は花柳へ行ってたんだろ? そっちの方こそどうなんだよ」
「まてよ。お前らどう見ても悪い結論出そうとがんばってるとしか見えないって。俺からすれば、今までと変わりなくバカップル状態なのによ、なんでそうなるんだよ? 大体政宗は小十郎の事好きなんだろうが。小十郎は政宗の事が好きで、これ以上なんか必要なものあるか? そんなに同衾してない事が問題だったらお前がまた襲──」
 途中まで言いかけて、俺は基本的なことに気付いた。
 そうだよ。そうだ。何て俺は基本的なことに引っかかってたんだ。
 小十郎は変わりなく政宗の事を思っているが、今までのバカップルぶりからいきなり触れさせてもらえることがなくなって落ち込んでる。政宗は、別にやめても禁止してもない上で、小十郎が花街いって浮気したって言う。どちらも嘘は言ってない。が、肝心な事が抜け落ちている。
「政宗、お前……妙なやせ我慢してねぇか?」
「あ?」
「一緒に居たくなっても自分から一緒にいないとか、もっと言えば寝たくなっても寝ないとか、襲わないとか」
「‥‥‥‥」

 やっぱり!

「そりゃ話の辻褄あわねぇよな!! 当たり前だろうが! なに勝手に自作の池泥沼にはまってんだよ」
「何処が辻褄あわねぇんだ!」
「あわねぇだろ。お前が小十郎にアプローチしない限り、小十郎がお前を抱くわけねぇだろう!」
「なんでだよ!」
 何でときやがった。こいつは……一気に疲れてきぞ。
「お前は主だろうが! 小十郎は従だ、今ですら」
「んなこと──んなことわかってんだよ」
「は?」
「そんな事重々承知だ。アイツはよくできた忠犬だよ。俺がそう仕込んだんだからな」
「なっ…」
「でもその程度かよ。仕込まれた以上の想いはねぇのかよ。俺との関係は、花柳で憂さが晴れる程度かよ」
 微かに視線を逸らせたままそう告げる政宗に、俺は、言葉を失った。
 怖ろしくて。
 解ってたつもりだった政宗の感情は、俺が想像していたものを遥かに超えていた。
 自分が、竜の片腕とも成るあの恐ろしい男を従えている自覚があるクセに、従わせたその上で奪えっていってんだ。忠烈の臣に主を奪えと。忠烈が崩れるほどの想いじゃなきゃいらないと。そうでなければ信じられないと。その上で忠であれという。自分はお前の主だと。全てだと。
 解ってた事だが、この上なく、
「根性悪いぞぉ政宗ぇ…」
「何とでも言え」
 小十郎が政宗に手を出しただけでも相当なのに、まだ足りないのかコイツは。
 本当に、小十郎に同情する。
 コイツに惚れられた事に。コイツに惚れた事に。
「で、まだ続けるの? こんな不毛な我慢比べ」
「……」
 視線を逸らせていただけの政宗だったが、ゆっくりと唇を尖らせ、子供が愚図り始めるような表情を見せる。
 ついさっきの狂気的な想いを呟いた横顔はなくなって、あぁ…こりゃもうただの梵天丸だ。
「まぁ今回は、俺としては仕事に支障も出てないから好きなようにすればいいと思うし。どーぞごかってに」
 本音を言うと、口を尖らせたままじと目で俺を睨んでくる。
 何で俺が睨まれなきゃなんない。元凶作ったのお前だろ? こんな、何処が不毛かつっこんでたらきりがない我慢比べ…
「とにかくまぁ」と言葉を続けかけて止めた。微かだがこの部屋に向かってくる足音が聞こえたからだ。政宗なんか、犬か猫がその音のが誰のものか確認するように耳が立ってる。
 これは…十中八九“カモネギ”……
「──失礼します。こちらに成実殿が…」
 廊下で膝を着き、そのカモネギが口上を言い終わる前に政宗は立ち上がったかと思うと、つかつかと大股で歩き始め、カモ…いや、小十郎の前で足を止めた。
「……」
 黙って政宗を見上げる小十郎と、見下ろす政宗。すると、政宗は少し中腰になったかと思えば、手の甲を、小十郎の頬へと振り切った。
 うわぁ……今、いい音が鳴ったぞ。つーかここ、ドメスティックバイオレンスの現場? とにかく俺は退散…
「伽女は──俺の代わりになったか!」
「政む」
「代わりで事足りるなら、俺は…どうすればいい」
 勢いよく抱きついたかと思えば、無理からのように口付けて、今度は縋り付くように政宗は小十郎の胸の中でじっとする。じっとして、笑み…といっても解りやすい感情を表現したものではなく、穏やかな、心が安らいだことを静かに訴える表情。とにかく、奥州の竜ではない。

 そして政宗さん、俺の存在何処ですか?

 ライブの展開に呆れつつ、ぼんやりと眺めている俺の存在を忘れているのは政宗だけではなかったらしく、不思議と胸の中にすっぽりと収まっている最愛の主の背に手を回しかけた小十郎は、そのくそ真面目な顔を破顔しかけた寸前でお邪魔虫の俺に気付いた。
 いや、固まらなくていいから。取り繕わなくてもいいから。知ってるし、退散するから。俺だって、最後まで出歯亀するほど根性ねぇよ。
 静かに立ち上がって、俺は大円満で片づいた二人の横を通りすぎる。
 政宗は時が止まってしまったように、小十郎の腕の中でピクリとも動かない。多分、傍でそうやって引っ付いて甘えているだけで幸せなんだと思う。で、残るは……うん、解ってる。人払いの延長だよな。わかってるよ、わかーってる! もうこれ俺のお仕事ですよー!!
 ……はぁ。全く疲れる一件だぜ。でもまぁ、これで平和になればいいし。それにしてもほんと俺って良い奴だよな。人の恋路の協力なんてさ。
 あいつらみてると…ちょっと恋がしたくなってみる。好きな奴を作って早く娶りたいななんて思う。

 もちろん、身の丈にあった普通の恋だがな。





 ──で。

 俺は大事になる前の事件を解決したはず……だった。
 うん。“だった”。
 絶対そのはず。

「どうしてこういう事になるかな、こじゅ兄よ!!」
 俺が大声で怒鳴る前には、ただ黙って項垂れるばかりの小十郎の姿がある。
 確かに、確かに今回は政宗が悪い。事の発端だって、拗れさせたのだって政宗だ。だが、
「政宗は一応、あれでも奥州筆頭なんだ。使い物にならなくするのは止めてくれ…」
「別にそこまで」
「じゃ、昨日の夕餉も出ず、今日の朝議も出ずに昼になっても部屋に閉じこもりっきりのあれは何だ!?」
 大体俺がこいつらの前から俺が退散したのが昨日の昼過ぎた頃で、まぁその後いたしたとしてもだな、

 どう考えてもやりすぎだろうが……

「成実、これは…」
「確かに! 確かにこじゅ兄が政宗の事を公私共々に思っているのはよく解る。だからこんな結果を望んでいた訳でもない事も解る。が! 結果としてこうなってたら意味ねぇよな?」
「いや、」
「政宗にひっ掴まれて、せがまれるわ放されないわ睦事なのか勝負事なのか解らない状態に持ち込まれて身動き取れないのも、想像しなくてもよーく解る。解るが、そこを止めるのは重臣の役目だろうが。こじゅ兄がタガはずれてどうするっ!」
 俺は小十郎が反論できない真っ当な意見を一頻り言い終わり溜息を吐いた。これが冬ならともかく、夏になるんだぜ? 夏。厄介事が舞い込むこの季節にいくら何でもないだろう? しかも政宗が組み敷く側ならともかく、組み敷かれる側なんだからさ。
「と、言う訳でこじゅ兄は少し自重──」
「しなくていいぞ」
「梵!?」
「政宗様!」
 真面目に説教していたせいで気付くのが遅れた。
 政宗はふてぶてしい顔つきで部屋の中へと入って来ると、座らず俺を見下ろした。
「政宗様、具合は」
「んーなもん大丈夫だ。成実。小十郎に勝手に命令するな。おい小十郎。自重なんかするなよ」
「しかし、成実の言う通り…」
「お前の主は──俺か? 成実か?」
「──」
 その台詞が出てきたら、そりゃ何も言えまい。
「責めるな政宗。実際問題、恋路を邪魔するつもりはないがお前が倒れて」
「倒れてねーよ。今回はちょっと久しぶりだったから慣れればもう少しって……大体な、ああいうのは定期的にやらねーと、身体の勘が鈍って色々と後」
「政宗様っ」
 さっきから、真っ赤な顔をして小十郎は小声で止めにかかっていたのだが気付かれず、やっと気付かれた時には、話の大半が終わってしまった上に、政宗は不思議そうな顔をしている。
 大丈夫。色気も素っ気も感じないから。寧ろスポーツのような気がするから。
「なんだよ小十郎」
「なんだよじゃありません。もう少し…」
「大体テメーが悪いんだろ」
「は?」
「もう少し早くしてくれれば、身体ももっと楽だっただろうし、あーんな焦らされる事もなかったろうし、気持ちいいんだか辛いんだか……」
「政宗様っっ!!」

 俺は──こいつらの恋路に協力したのか、奥州終了のお知らせを引いちまったのか、どちらか解らなくなってきた。

 暑苦しい夏を告げる蝉が今年初めて鳴いたのはこの日だった…──






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