終わらない恋について

  3.








 ジリジリと照りつける日差し。蝉の大合唱。肺の中まで干上がりそうな熱風……。不変なものは何もないとはいえ、生きている限りこればっかりは不変である気がする。
「ま、さ、む、ね、さまっっ!!」
 怒号と間違えるような声にビクリと肩を奮わせた後“やべぇ”と顔に書きながら、彼は恐る恐る後ろを振り返る。と、想像通りの顔がそこに待っていたのか、見なかったこととして前へと向きを直してしまう。
「一体全体このような所で何をなされておいでか!」
「何をなされておいでって……」
 あれから幾度となく夏は巡り、小さな主は名前も変り大きく成長した──が、中身はあまり変っていないのか井戸に板を掛け、そこに座っている。
 あの頃と違い城主の嫡男から城主となり、奥州を統べる者となり、お家騒動等は薄れたものの、それと事故の危険性は別問題だ。しかも体重などはあの頃と違って更に立派になっている。
「板が割れて落ちでもしたらどうされるつもりで!?」
「どうされるって……ちょっとやそっとで割れねぇ頑丈な板を見繕ってる。小十郎は心配しすぎだ──って、うわぁ!?」
 元から言い訳を聞くつもりのない小十郎は、近づくや否や軽々と政宗を米俵のように左肩に担ぎ上げると、井戸に掛かっていた板も撤収して邸へと歩き始めた。
「ちょ! お前っ、降ろせ! 恥ずかしい!!」
「城主が膝上まで裾をまくり上げて井戸の中へと脚を突っ込んでいる方が恥ずかしくあります。大体休憩も大概になさいませ」
 子供らしい悪戯もするがどちらかと言えば品行方正だった彼は、年を負う事に何故か悪童に磨きがかかり、小十郎は傅役という任から重臣へと格が上がったにもかかわらず、昔より気苦労は多くなった。
 じたばたと無駄な抵抗を試みていた政宗だったが、この歳になっても軽々と持ち上げてしまう自分を扱い慣れている保護者に、途中から勝てないと諦めたのか大人しくなった。しかし大人しくなったはいいが、今度はだらりと力を抜いて担がれるものだから、小十郎としては何とも重たい。
「なぁ」
 まるで背中に話しかけるように政宗は言葉を紡ぐ。
「何でございますか?」
「溜まっているヤツ片付けたら、氷室、一緒に開けに行くか?」
「氷室でございますか?」
「気晴らしだ。遠駆けにも丁度いい距離だろう?」
 少しの間を取った後、小十郎は「机の上のものが片付きましたら」と、どこか諦めの溜息混じりに承諾した。
「Yes!! 今日は気がきくじゃねぇか」
 ばしんと背中を叩かれ、小十郎はげほりと咳き込んだ。
「ただし全て片付けてからですよ? いいですね」
「o-key.o-key.……にしても、何年ぶりに叶うのか」
 背中に肘を付いて顎を支えくつろぎ始める政宗に、最初の抵抗の姿は微塵も感じられない。小十郎も降ろそうとするわけでなく、政宗を担ぎ上げたまま縁側へと向かった。
「? 何がでございますか?」
「dateだ。お前とので・え・と。」
「は?」と間の抜けた声を返した後、その馴染みがあると言えない横文字の意味を小十郎は頭の中で日本語に変換し「あぁ」と相槌を打った。
「逢瀬にございますか。しかしながら政宗様と小十郎は毎日こうお会いしておりますし、遠駆けでしたら先日……」
「No!! 氷室dateの事を言ってる。ガキん時、せっかくお前と二人っきりで遠出だって楽しんでみれば、成実やら何やら引き連れてきやがって」
 昔々の事を思い出し腹が立ってきたのか、ぱしんと今度は苛立ち紛れに小十郎の背中を叩いてきた。
「? 初めて氷室へ行った時の話でございますか。しかしあれは、当初政宗様が成実殿へ降りかかる危険を危惧されて、」
「そりゃそれもあるが、俺は──」
 続きを詰まらせた政宗は「もういい」と、またばしんと小十郎の背中を叩いた。
 何やら機嫌を損ねたらしいのは判るが、何が原因となったまでは小十郎には判らなかった。
「あまり叩いて下さいますな。あの頃と違い、小十郎も歳を取りました」
 そう言って肩に担いでいた政宗をそっと下ろし縁側に座らせた。……まるで小娘を扱うように労なく。
「……全然そうは思えねぇが……」
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもねぇ」
 政宗にしてみればこの扱い自体、男のプライド的な所であるとか年齢の差であるとか、色々な所に引っかかるのだが、これも小十郎は判らない。傅役時代のただの延長線上の行動だ。
 座らせた政宗の傍には水の張った桶と手拭い。どうやら政宗を捕まえる前から用意していたらしく、手拭いを水に浸して絞ると「失礼」と断りを入れてから、手慣れた様子で小十郎は政宗の脚を丁寧に拭っていった。
「なぁ」
「はい?」
「芋づる式にあの頃のつまんねぇ事を思い出したんだが、俺は……お前のことを信用してたぞ?」
「……はい」
 穏やかに小十郎は返事する。
 諦めが全てを押し流していたあの頃、自分の感情もそれに押し流されていた。どれが、なんという感情だったかも判らなかったことを政宗は振り返る。ただ、そんな中で今も自分の傍に居続けるこの男への感情は押し流されなかった。それは、特別な存在として認める信頼と信用の証だったに他ならなく。
「好きだった」
「はい」
「大好きだった」
 過去の自分の感情へ微笑むように、政宗は笑みを浮かべる。
 片足を拭い終わった小十郎は顔を上げた。
「過去にございますか?」
 少し意地悪な、揚げ足取りの質問に政宗は一瞬唇を尖らせるが、次の瞬間笑みを浮かべた。
「そうだなぁ。あの頃はまだお前も甘やかしてくれるし、かわいげがあったのによ、今じゃ小言は多いしうるせぇし、どうかなぁ〜? 嫌いになるかもな」
 ニッと歯を見せて笑うと「それはそれは」と大して焦った風でもなく相槌を打つ。
「嫌われてしまいますのは少し寂しい気も致しますが、それはそれで構いませんよ」
「構わないってなんだよ……。拗ねたのか?」
 話題を振った政宗自身が少し心配げな表情を浮かべながら、まるで子供を宥めるように小十郎の頭をくしゃりと撫でる。
 乱れた髪に対して困った風に小十郎は軽く手櫛で整えた後、何事もなかったように政宗のもう片方の脚を拭い始める。
「拗ねてなどおりません。何も変わりはしませんので“構わない”と言ったまでですよ」
「……変わらない? 嫌われるのにか」
「ですから、私は当時から貴方に一生憧れて、恋し続けるだけの存在ですから」
 政宗の脚を拭っていた小十郎も当時の事を思い出したのか、懐かしげに微笑む。
 小さな主は成長してこんなに立派になったとしても、さて彼に対する気持ちは何ら変わりなく、いや、以前にも増して強く愛しい。その想いは結局のところ、政宗が自分の事を嫌いになろうと変わりがないのだろう。
 真っ直ぐ、揺らぐことなく立つ彼という存在にあの頃から憧れ、恋しているのだから、彼が彼であり続ける以上はずっと──
「さ、拭い終わりま──ッ!」
 脚を拭い終わり、顔を上げた瞬間に指先でおでこを弾かれ、小十郎は一瞬言葉を無くす。
「何をなさいますか」
「何をなさいますかじゃねぇよ。お前、そんな恥ずかしいこと真顔でぬかすな」
 もう一度、今度は平手でべちりと叩いたかと思えば、政宗はすくっと立ち上がった。
「なんつー恥ずかしい奴だ。大体、だいたいだ、その、恋とか何とか言うんだったらだ、お前、」
「?」
「あの時も聞いたがその、報われないとか、いいのかよ? その、成就させたいとか、両想いになりたいとか、そういうのは……」
「はい?」
 縁側からこちらを見下ろす政宗を見上げているせいで、小十郎からは顔色の変化が……
「政宗様、少しお顔の色が赤く」
 心配して立ち上がり、政宗の額に手を伸ばそうとした小十郎だったが「いいって!」と全力で阻止された。
「兎に角、今日全部済ませてやるからな!! 明日絶対氷室行ってやるから覚悟しろ!」
 バタバタと大きな足音を立てて去る政宗に、小十郎はやれやれと溜息をついた。

 生きている限り延々と恋い焦がれるだろう背中を眺めながら──。











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小梵合同誌に書いていて「あ、これは親切な話じゃない」と思い没にしたもの。
今になれば没にして本当によかった.......orz これはいかんよ(笑)
この後、もう一本合同誌用にいつもな(笑)二人を書きました。
もっとこうざっくりとした激しい傷口のような思いを書ききってみたかったの
ですが、そんな理想の傷口を描かれている方がいらっしゃるので、私はこう、
ちょっと思い出したらしみるような傷口になりました。

人にとってとても幸せな事って想いが伝わる事じゃないでしょうか?
そういう意味ではこの二人は間違いなく幸せですね(笑)
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