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木通
縁側に足を放り出し、大きく伸びをしてひとあくび。
目の前に広がる秋の夕暮れ。
秋の空は高い。だからこそ夕焼けの赤が栄える。
炎のような赤。情熱のような赤。
──‥‥あ゛〜‥‥
うるさい好敵手の顔を思い出し、若きここの城主である伊達政宗は溜息を吐いた。
思いのほか退屈している自分。
この先待っているのは奥州の寒い冬。じゃれつくなら今の時期がいいか。それとも今年の冬は奥州に引き篭もらず、暴れまわるのもまたいいか‥‥。夕焼けを眺めながら都合のいいことを色々企んでみるが、そんな企みバレれば何を言われるか決まっている。だが、我慢は身体に悪いこともよく知っていて。
画策しながら口寂しさに、“気分転換”といって城を抜け出し取ってきた、あけびの皮を噛み切る。独特の色をした紫紺の分厚い皮を綺麗に剥くと、白い実が顔を覗かせた。
あけびは、紫の色が濃けば濃いほど甘く熟しており、その鮮やかな色に反して中は白い。まるで秘密を抱え込むような実は、隠語にされる事もある。
夕餉の時間前に食べたことを知られれば怒られるだろうが、これもバレなきゃいいわけで。
第一、
「俺は育ち盛りだっつーの」
誰がいるわけでもないというのに、言い訳をポツリ。
育ち盛りというには過ぎているが、大人というにはまだ手前。自分の事を良い様に、子供と大人を使い分けられる時期。そうやって理屈をこねる度、重臣である片倉小十郎は“まったく‥‥”と眉間に皺を寄せる。
小言は多いが、なんだかんだといってあの男は自分に甘い。そんな事はよく知っていて。知っているが、それは自分の望むものでもない。その甘さは、守役・傅役・重臣の意識からきている事が多いような、そんな気がする。
自分が望むのは、それ以外の片倉小十郎──
「‥‥‥‥」
相対する時、義務感であるとか罪悪感であるとか、真面目すぎるからこそ強く、そういった感情で自分と向き合っているのではないかと不安になる。神職の筋から武士の筋へと格を変えられた事による、伊達家への恩を自分に返しているだけではないか‥‥とか。
そしてもう一つ、あの小十郎が一度、自分に対して間違いを犯している。
丁度、小十郎が今の政宗と同じ年頃の時、幼名・梵天丸を名乗っていた自分に施した過ち。
それに対しての贖罪の念が、拭えていないことも確かで。
一個をぺロリと平らげ、さてもう一個と政宗は手に取る。
確かに“過ち”かもしれないが、“間違い”ではない。当事者だからこそそう言い切れる。だからといって、そう説き伏せたところであの堅物は、贖罪の念を抱き続けるのだろう。その意識が政宗にとっては邪魔だというのに。
守役だろうが傅役だろうが重臣だろうがなんだろうが、そういったものもあの男は義務感でやってのける。だが、義務感など一定の関係が過ぎればいらない。
対個人になれば特に。
もう子供ではなく、いっぱしの大人なのだから。
更にもう一個と手に取った時、廊下を渡る足音が響いた。慌てて庭に皮等を投げて証拠隠滅。食べていないあけびは死角に追いやる。
「失礼します」と告げる声は噂をすればといおうか、片倉小十郎その人であった。
障子は開いており、政宗が縁側にかけていることも廊下から見えるのだが、もちろん承諾が下りるまで部屋の敷居はまたがない。
「入れ」という言葉に合わせ小十郎が入り、膳や茶をもって来た侍女が上座に食事の用意をし、灯明に火を灯す。
「小十郎、お前までどうした?」
「いえ、政宗様にお話が少‥‥」
振り返った政宗の顔を見た小十郎は、みなまで言う前に、言葉を止め、難しい顔をした。
「? どうした?」
ぽかんとする政宗の表情に、侍女はくすくすと笑う。
目配せで、小十郎は侍女たちに退席を促した。
笑みを我慢しながら、侍女たちは部屋を出た後、小十郎は大きく脱力するような溜息を吐く。
「?」
「政宗様、夕餉の前に他の物を口にするのは良くないとあれほど」
「え?」
何故バレたのか解らない政宗の傍へと歩み寄り、膝を着くと、「失礼」と小十郎は親指を政宗の唇の端に押し当てて、下唇を丹念になぞる。
「!?」
いきなりの事に驚き、仰け反る政宗に、小十郎は今拭った親指の平を見せる。
紫紺に染まった‥‥
「あ。」
「何を食べました?」
慌てて口を拭うことを忘れていたその唇は、多分、紅をひいたように紫に染まっていたのだろう。今、慌てて甲で拭っても、うっすらと紫色がつく。
侍女が笑って退席したのはこれか。
「口の中まで染まってますね‥‥あけびですか?」
当たり過ぎてぐうの音も出ない。
バツ悪く、見えるはずのない自らの舌を見ようとした後、上目遣いにそぉっと小十郎の機嫌を伺う。
と、小十郎の視線が、自分を見ているようで見ていないことに気付いた。
「小十郎?」
政宗の声にハッと我に返ったような表情をしたかと思えば、慌てて小十郎はそっぽを向く。
「おい、どうした小十郎?」
「何もございません」と慌てて立ち上がろうとする小十郎の腰にしがみつく。
ゴンッと板間に、痛そうな尻餅の音が響いた。
「何をなさいます政宗様!」
「テメーが逃げようとすっからだろ!」
結果的に押し倒す形となり、そのまま小十郎の足を尻の下に組み敷く。
「どこに乗られてますか!」
「これなら逃げられねぇだろうが。どうして逃げた!」
上半身を起こし、足を抜こうとする小十郎の顔を覗くと、顔が赤く染まっている。
夕焼けのせいではない。
「お退きください」
狼狽を、うまく隠せていない小十郎の表情を政宗はマジマジと見、ニタリと笑った。
「お前‥‥俺に欲情したんだろ?」
「なっ!」
満足げに笑う主人へ、否定しようと開けられた口に、政宗は自らの唇を素早くあてがい、舌を差し込む。
「政──お戯れは‥‥」
顎を引き、逃れようとする小十郎の唇を政宗は追う。
もう、理屈も言い訳もいらない。
そこにある感情という真実だけでいい。
逃げ腰の小十郎を追い、唇を舌でこじ開け入り込む。
さらりとした小十郎の舌を、唾液で絡め取る。息をつくごとにうっすら目を開き、小十郎の表情を伺うのだが、相変わらず面白くない、難しい表情のままだ。
腹が立つ。
初めて口付けたわけでもない。まして肌も重ねた事がある。
第一、最初に人の重みを教えたのは誰だ?
「こじゅうろぅ…」
呼吸を吐息に変え、意地悪く、囁いてやる。
すると、怒りにも似た目で政宗を睨んだ瞬間、組み敷かれていた片膝を勢いよく立て、政宗の脚の間にこすり当てた。
「──!?」
いきなりのことに直接的な行動に無防備だった政宗は、息を呑む。
「あんたって人は、本当に‥‥」
体勢の悪かった上半身をしっかりと起こしながら、膝は政宗自身を捉え、突き上げる。今度、腰が引け始めたのは、仕掛けた政宗本人だった。
「俺があんたに手を出すって事がどれほどまずい事か、もう少し理解してくれませんかね?」
「理解も、へったくれ──もっ」
逃げるように浮き始める政宗の腰を持ち、立てた膝の上に座らせる。言ってる事と行動があっていない。
むさぼられるような口付けで立場は逆転し、小十郎は政宗の中に火種を灯す。
「こじゅ‥‥ちょっと、少し待っ」
「待つ?」
小十郎から与えられる快楽は、ゆっくりと堪能し楽しむそれとは違い、快感すら訴えられない苦しさと良さで、政宗は時折拷問に近い思いをする。
今、まだ自分の意識がこの世界に止まっている間に‥‥
「──ばっ‥‥ぁあ」
膝で自身を丁寧に突き上げられ、擦られ、力の抜けた政宗は、肩口に崩れこむ。
「どうなさいました? 政宗様?」
性質の悪い意地悪が耳元で囁かれる。先刻の仕返しか。
もう、立ち上がれない。身体の芯が、次を、次をと騒ぎ始める。
「戸‥‥が」
「戸?」
開けられたままの障子を指差そうとするが、意識がもう、それどころではない。
「閉めろと?」
「ばれるぞ」
「こんな貴方を置いて?」
そういって又施されるキスの乱暴さに、唇の端からトロリと唾液が滴り落ちる。拭うなどという思考はとうにない。
もう、いま、ここにある真実だけで──
「──!?」
ふっと、二人は少しだけ、正気を取り戻す。開けっ放しだったおかげで、廊下を渡る足音が聞き取れた。こちらに向かって来そうだ。
大きく息を吐いて意識を振り切ろうとするが、名残惜しい灯火に、どちらからともなく口付けをした後、組み敷き、そして自分をいじめていた膝を少し愛おしそうに撫でながら、政宗は小十郎から降り、戸口に背を向け縁側に座る。
着物はそれほど乱れていなかったとはいえ、意識はすぐに追いついてゆかない。呼吸を整える時間と、下火になる時間が欲しかった。
「政宗〜、食事中すまーん。こっちに小十郎来てねぇか?」
ずかずかと部屋に入ってきたのは、幼馴染であり、いとこの成実であった。
「小十郎なればここに」
そう、背を向けたままの政宗の傍で頭を下げる小十郎を見つけ「あぁ、いたいた」というが、成実は、奥の上座に用意されたままの膳と、縁側に座る政宗の背中を見て、不思議そうな顔をした。
「お前、飯くわねぇのかよ」
「食うさ」
「ふーん‥‥ま、どうせお前、つまみ食いでもして、小十郎に怒られてたんだろ」
変なところで敏い成実に眉が寄る。
「して、私に御用とは?」
「あー、次の会合の議題なんだがよ」
と、話しかけて、成実は顔をしかめ、間をとった。
「?」
「政宗よ、お前つまみ食いしたの、あけびだな?」
びっくりして振り返った政宗に、自分の口の端を指差しながら成実は顎で小十郎を指す。
見ると、うっすらと紫色に小十郎の唇と口の端が染まっており‥‥
「!?」
「あ〜‥‥まぁ、明日でいいや。うん。政宗も小十郎に用があるだろうし、うん。‥‥ま、聞かれてまずい内容かも知れねぇし、人払いしとくさ」
“うんうん”と、何にうなずいているのかさっぱりではあるが、成実は部屋を出ると、丁寧に障子を閉めて退散した。
二人とも、同時に「はぁ〜」と大きな溜息をつく。
成実は、二人の微妙な関係を知る唯一の人物であるからいいのだが‥‥
「小十郎」
「はい」
「これからつまみ食いはしねぇ」
そう云う他ない。
「そうですね。特にあけびはよしていただきたい」
言いながら、小十郎は荒っぽく自らの唇を拭う。そんな仕草を政宗は目で追った。
もう唇の色は綺麗に拭い去れたが、時折見えるあやしい色に染まった口内と舌が、政宗を引き付けて離さない。
──あぁ。小十郎もさっきはこんな感じだったのか。
ただ相手が知りたいという、相手を欲する純粋な欲。
そこに義務感や罪悪感があるはずもない。それなのにわざわざ義務や罪悪を持ってきて押し留めようと小十郎はしていたのだ。
──そうはさせるか。
視線をゆっくりと上げ、その双眸を捉える。と、眉間に皺をよせた、苦行僧のような難しい表情に戻っていた。
自分の前で澄ました顔でいるなど許さない。その内にあるものを引きずり出してやる。
「小十郎、‥‥“つまみ”にしなきゃいいんじゃねーか?」
名を呼んで、支配欲にニタリと笑う政宗を、片眉だけを器用に上げて小十郎はチロリと睨みつける。
「それは理屈でしょう」
言い訳を聞いてやった後、ゆっくりと手を付いて近付く。
小十郎はピクリとも動かず、政宗のその獣のような動きを眺め続ける。
捕食者と捕食されるもモノ。‥‥果してどっちが?
「理屈いってんのはどっちだ?」
唇に、唇が触れるか触れないかの瞬間、欲したのは──
退屈などしない。まだ、この知恵の輪のような小十郎の箍外しがあるのだから。
了