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物は壊れる人は死ぬ三つ数えて両目を閉じろ







 夏であってよかったと思う。冬ならばぴったりと障子や襖が閉じられ、換気も何もあったものではない。
 煙管の先から細く長く、白い煙が宙を漂う線が見える事にありがたさを感じている自分が、少し滑稽にも不憫にも思える。
 ありがたい煙を漂わせる煙管からは、いつもとは違う葉の香り。少々特殊な匂いがする。南蛮物だろうか? わが主君はこうして新しいものにいち早く手を出し、試す。
慣れた手つきで煙管に口を付けながら、ふてぶてしく上座に座するその主君・伊達政宗は、ちらりとこちらの表情を窺ってきた。
 彼を飽き症だと思う者が多い。上辺だけを見れば確かにそうだろう。だがそうではない。
 新し物好きではあるが、結局元に戻る、長年愛用しているもの、使い慣れたものに戻る。
一度決めれば梃子でも折れぬ信念を持ち、執着すると限がない。食事などは自ら献立に手を加えたり、素材を厳選したりもする。そして昔の事を良く覚えている上に執念深い厄介な性格‥‥そんな事をぼんやりと考えた矢先、カツンッと、視線の置き先にしていた煙をわざわざ無くすように、政宗は近くにあった香炉兼灰皿に、煙管中の灰と残っていた煙草を捨て、睨みつける様に自らの重臣を見つめた。
「──‥‥で?」
 声に不満が色濃い。機嫌が悪いのがあからさまに解る。解ると言うより、解らせる為に隠していないというべきか。
 いらぬ事を考えていた様相は一分も見せず、彼の重臣・片倉小十郎は顎を引き、表情を整えた。
 何に対して機嫌が悪いのかも十二分に承知しているが、ここで自分がする仕事は、すっとぼけ続ける事で。
「以上にてございます」
「an? 以上じゃねぇだろう。以上じゃ」
「なにか?」
「なにかじゃねぇ。これ以上俺に、退屈で不健全な夜を過ごせって言うのか?」
 これは又直球できたなと頭の隅の方で思うが、一々眉を顰めていては埒があかない。
 手遅れではあるが、これ以上眉間の彫りを深くさせたくもない。
「そのことでございますれば、打ち止めにてございます」
「はぁぁあん?」
 独特のイントネーションで不満を口にする政宗は、もう一度、不満を香炉へ煙管を叩きつける音で表現した。
「なぁにが打ち止めだ。用意するのもお前の仕事だろうが」
「僭越(せんえつ)ながら申し上げるに、用意しようにも片っ端から壊されれば打つ手がございません。」
 直球できたからには直球で返すのが礼儀。
 打ち返し、表情一つ変えない涼しげな小十郎に、政宗は少々唇の端が引きつった。
「お前がやわいものばかりを見繕うからだろうが」
「なにを申されますやら。物事には『限度』と言うものがあり、使い方というものがございます。それを弁えない限り、どのような一品であれ、壊れます。たとえば、お気に入りの刀でただただモノを切り刻みましょうか? ただただ振り回しましょうか? もしそうであるなら、あの六本刀は一本も残っておりますまい。」
 反論されぬよう、バッサリと切り捨てる。そうしなければ後々が面倒だ。
 先よりも政宗は顔を引きつらせたかと思えば、引きつった表情を解き、一つため息をついて肘掛にゆっくりと片肘を着くと、煙管の先で軽く眼帯の位置を整えた。
 その眼帯の奥に瞳はない。
「何も壊したくて壊しているわけじゃぁねぇよ。こっちが楽しむ前に向こうが楽しんでいるだけだ」
 少し拗ねたように、物思いに耽る様に呟き、瞳を閉じる。
 まぁ、それは事実かもしれないが、稚児も石女(うまずめ)も端から使い物にならない使い方はよして欲しい。一国一城の武将に見合う相手など、実際は早々いないのだから。
 人材にだって限りはある。
「楽しませてくれればいい。好いてくれるのならそれでいい。それは贅沢な理屈か?」
 ゆっくりと目蓋を開け、視線をこちらへと向ける。
 両眼でないからこそ政宗の瞳は物を語り、鋭い。
 初めて、小十郎は眼を少し伏せた。
「いえ‥‥。」
「好いてくれればいい。欲してくれればいい。」
「‥‥‥‥。」
 沈黙で返す。
 ここに自分は言葉をもって返せない。
 そんな小十郎に対し、政宗は静かに言葉を待つ。煙管に煙草を詰め、香炉から火を取る。
 口を軽く開け、唇に煙管をあてがう。
「俺を好いてくれればいい。欲してくれればいい。‥‥──なぁ小十郎?」
「‥‥‥‥」
 返事はしない。視線は合わせない。

 その事実は無かったものとしなければいけないのだから。




 政宗は物心つくかつかないかというころに、風邪で右目の機能を失うと同時に、母親の愛情も失った。
 片目の欠けた子供など、天下どころか一国一城の主にもあやしいと見限ったか、はたまたお家騒動渦中のわが子を強く育てるための母親の策略だったかはわからないが、重要なモノを彼は同時に失っていた。
 そのような地位のある子供を手の中に収めようとする者は、掃いて捨てるほどいる。家臣だけではなく、女は特に地位を欲する。
 愛情の餓えた子供といえる男子を、手中に収めるなどそれこそたやすい事。そうならないよう、守役の小十郎は四六時中眼を光らせ、武芸に遊び相手と政宗に仕えていた。
 そして小姓として十も年上の自分は、当時、主君である政宗をどこか弟のように愛情をもって接していたし、主従や利害だけでないその心を汲み、政宗も絶大な信頼を預けていた。
 よき兄のような。ただそれだけ。


 あれは、今日と同じような暑い夏の日だったように思う。
 政宗がまだ幼名・梵天丸と名乗っていた頃。いや、まだトンボの身体に糸を結び、空を泳がせる遊びに夢中だった頃、とある“事件”が起きた。
 沢山のトンボを取ってきた梵天丸が、そのトンボ一匹ずつにまた糸を結ぼうと、女房に糸を要求した時だった。

「まだ梵天丸様はそのような遊びに夢中なのですね‥‥」

 自尊心の芽生えた年頃を挑発するのは容易い事だった。
 小十郎が偶然にもその女房の行動に気付いたのが幸いだったが、彼は女房に料理されてしまう寸前であった。
 なすがままに、事を成就されかかった政宗を救うことができたが、あまりの不覚に項垂れる小十郎に対し、彼はあられもない姿とぼんやりとした眼で呟いた。
「なぜ止めた?」
 躊躇した。どう切り替えそうかと少し悩んだ後、何事もなかったように梵天丸の‥‥政宗の着物を整えながら、小十郎は唱えた。
「まだ、用なき事でございます」
 みるみると、全てを語る左目に怒りの生気が宿る。
 バシンとまだ小さな手を、政宗は小十郎の頬に向かって振りぬいた。
「俺はもう子供ではない! お前まで馬鹿にするか」
「‥‥めっそうもございません。」
「ならなぜ止めた!」
「先ほども申し上げましたよう‥‥」
「好かれておれば抱きしめられる! 好かれて何が悪い!」
「悪くはございませんが、あの女房の行いは‥‥」
「母上は竺丸をよく抱きしめる」
 思いがけない言葉に、小十郎の息が詰まる。
 竺丸は政宗の母親の愛情を一身に受けている、実の弟だ。
 弟は憎くはない。憎くはない。だが政宗自身、愛されていない事は身に沁みて判っていた。
 それは彼の傍にいる小十郎も痛いほどに。
「好かれて何が悪い」
「‥‥」
 片目が欠けているからか? それとも武将の子にしては大人しかったからか? だがそれは、愛されない理由となるのか?
「好かれて何が悪いと聞いている!」
 政宗が、自らの感情をぶつける事の出来る数少ない相手は、口を噤んでいた。
 なんと、返せば良いのか。言葉が詰まる。
 言葉をまっている事は判る。嘘でも、上辺でも何かを発すればいい。そんなことは判っている。だが自分は、彼に対して誠を語る言葉しかなく。その誠をうまく伝える術を当時の小十郎は持っていなく、返すものは、最悪の沈黙。
「‥‥」
「もういい!」
 柱に、障子を勢いよく開けて当たった音が響く。
 大きな足音が去って行くのを、小十郎はただ聞き届けるしか出来なかった。
 なんと返せばよかったのか。
 なんと‥‥


 部屋に引き篭もり、食事を取らずのストライキを決行している政宗に、食事を取らせるのが小十郎の次の仕事となった。
 部屋の前の廊下に正座し、名乗りを上げるが返事はない。
 ここで承諾を待てばストライキが決行されてしまうので、「失礼しますと」断りを入れ、膳を持ち、中へと入る。
「何も食さないのは身体に‥‥」
 眉を顰める。
 全てを言い終わる前に、プンとこげた匂いが鼻についた。
 眼をこらし、御簾(みす)の向こうに眼をやる。
 ジジジと何かが焼ける音。
 片膝立てて座っているは正宗。そして傍にあった行灯の火で何かを燃やしているのが解った。
「御免」
 そう言って、御簾を上げて広がった視界に、小十郎は息を呑んだ。
 寝床に、無数のトンボ。いやトンボと言っていいのだろうか。
 羽を一枚一枚もがれたトンボが、バラバラにされた自らの羽と同様に散乱していた。
 羽をもがれてもなお、ヒクヒクと動くトンボ。
 政宗は夢遊病者のように、ゆっくりと毟り取った薄い羽をつまむと、それを焼き始める。
 羽をもがれ、羽を焼かれたトンボは、どこへ飛び立つ事も出来ない。
 無様に飛ぶ事を欲し、もがくだけ。
「おやめください!」
 身体を抱えるように背中から静止する小十郎を少しだけ振り返り、一瞥しただけで、政宗はまた羽を焼こうとする。
 抱きしめながら、小十郎は痛感した。
 判っていたのだ。
 彼はどこか判っていながら女房に誘惑されたのだ。
 もう、幼子ともいえない彼の心の中はただ枯渇していた。
 枯渇して‥‥それを誤魔化す様に、彼は梵天丸として‥‥まだ幼い者として振舞っていたのだ。
 しかし、枯渇はあまりに度が過ぎ、自らを騙すにも限界がきていた。
「若。」
「なんだ?」
「若」
「だからなんだ?」
 抱きしめ、それ以上が言えなかった。
 幼いながらもこの主君には、全てを投げ打つ価値があることは確かで。その彼に、自分が伝えられる事は真実のみ。
 ──ならば?
 幼い時から彼を見、その境遇を見ているからこそ、誠しか口に出来ない。
 ──ならば?
 自らを制止する力のない腕だということを確認し、政宗は身を反転させる。
 身を反転させ、小十郎の両頬に手を添え、捕らえると、口付けた。
 小十郎にとって驚く現実は、政宗にとってごく自然な事だった。
「俺の事は嫌いか?」
「いいえ」
 いいえ。いいえ。いいえ。
「なら、その身をもって応えろ」
「それは‥‥」
 それは?
 もうこの身を捧げる事、心に決めている。とうの昔に。
「私は‥‥」
「『私は』?」
 間近に迫るその瞳は、幼子のものでもなく。そして真実以外を受け入れない瞳。
 真実しか語れない自分。
 真実しか受け入れない彼。
 どこに問題がある?
 問題があるとすれば──
 カタカタと自らの指先が震えている事に小十郎は気付く。彼の奇行を止めるための抱えていた腕を解こうとして、その腕が、固まったままどうすることも出来なくなっていた。
 何が起こっている? 解けない腕が、まるで他人のもののように感じる。
 自らを抱え続ける腕に少し触れ、政宗はもう一度口付ける。いや、口付けるというのは少し違うかもしれない。
 小十郎の下唇を軽く食む。
 何度も、啄ばむようにそれを繰り返す。
 それを受け入れる事も、払いのける事も小十郎には出来なかった。
「‥‥小十郎」
「‥‥はい」
「好いていないならいらん。欲されていないのならいらん」
 その言葉は、答えだった。
 自分がこの主君を慕っていないのなら、欲していないのなら、彼は自分を求めていないと言っているのだ。
 見透かされている。
 クッっと、喉の奥で小十郎は笑う。と同時に、たどたどしく口付ける政宗の唇を奪った。
 情事をまねた口付けと、情事の口付けは似て異なるもので。
 純粋に求める唇は、不純な唇に奪い取られ。
 女房の時とは違う、首の芯の痺れる感覚に政宗は戸惑うが、それが彼の欲した事であり。
 震えは、がくがくと政宗を襲う。
 必要とされる愛しさは、これ以上なく甘美だ。
 モノを知らない政宗にも、モノを知りすぎる小十郎にしても。
「‥‥若」
「──ん?」
「右の眼球を私に下さい」
「な、に?」
 政宗に表情が戻るのを確認しながら、小十郎は眼帯を外す。
「嫌だ!」
 人に‥‥母に嫌われた元凶。彼が全てを押し殺す理由。
眼帯を取り戻そうとする意識を、無理やり口付けで逸らそうとするが、彼にとって眼帯は全てでもあり。
「だめだ、小十郎。ダメッ」
「その、押し殺しているだけの眼を私に下さい。」
「小十郎?」
「代わりに、この不肖小十郎が貴方の右目になります故。」
 彼を殺し続ける、機能しない瞳。
 その様なものは、彼にも、自分にも必要ない。
「小──」
「必要なもの、欲されるもの、全て私が用意します。代わりに、貴方を殺すだけの眼を下さい。」
 外の空気に触れた、歪(いびつ)な彼の瞳に口付けながら、小十郎の手は、彼の身体をなぞりとる。
 一瞬、少し不安げに重臣を見上げたかと思えば、政宗は表情を整えた。
「お前が私の右目だな?」
「はい。」
 それは承諾の言葉。
 ゾクゾクする。
 この人の右目になれること。
 素直に必要とされる心地よさ。
 そして──
 甘い呼吸と素直な反応を返してきた、まだ未熟な肢体。
 情事に慣れていないせいで、気が抜けるのが早いが、その気にさせる事も簡単で。
 経験のない政宗の仕草が、処理しようのない支配欲を駆り立てたのは仕方ない話。
「若」
「な‥‥ん?」
 口付ける。今度は手をぬかない。
 すると思ったとおり、簡単に彼の身体に火を灯せた。
 ただ、
「先に、謝っておきます。」
「?──ゃっ!」
 経験のない彼に、“させる事”は難しい。
 腕の中で成すがままに悶える彼は、どこか、彼自身が施した無数のトンボとよく似ていた。




 それから少しもしないうちに、小十郎は彼の右目を切り取り、房中用の小姓や石女をあてがう事となる。
 何の事はない。君主を手篭めにする家臣がいてよい訳がない。
 あまりにも彼もそして自身も、夢中になりすぎていることに気がついた対処である。
 そして、その後、小十郎が彼に触れる事はなかった──




 今となっては、若気の至りの唯一であり最大の失態だと思っている。
 あの政宗負い目となっていた眼を取り去る事が出来たのは正解だったが、その後が悪かった。
 自分も若かったと、その頃の事実と記憶は封印したい限りで。
「とにかく、少しの間我慢してください。健全な日々を送られるのも健康的かと」
「これのどこが健全な生活かと聞きたいが?」
「政宗さ──」
「物は壊れる、人は死ぬ」
「?」
 突拍子もない言葉に顔を上げる。と、政宗は、ニヤリと笑い、小十郎の前にドスンと胡坐をかいた。
「こんな不確かな世の中で、自分に素直に生きない方が不健全だと思わねぇか?」
 鼻先で睨みを利かし、呟く。
 何を意図して言っているか判らないわけではない。が。
「それとこれとは」
「明日俺が死んだら、どーすんだ、お前」
「そのような事、口になさいますな。この小十郎が命に代えても‥‥」
「じゃぁその命に代えて、お前さんが死んだ時、俺はどうすんだ?」
「ですから、そのような例えは」
「ありえねぇと言えるのかよ」
 息が詰まる。
「ですから、」
「聞き飽きた」
 両頬をとられる。
「俺の事は嫌いか?」
「いいえ」
 いいえ。いいえ。いいえ。
「好いてくれればいい。欲してくれればいい。ただそれだけの事を望んでなにが悪い。」
 ただそれだけの事がどれほど困難で、どれほど欲深き事か。
「つーかなぁ。一番最初にあんな重みを教え込まれた身体が、そうそうの欲で満ちるか。」
 吐き捨てるように、さも当たり前のように吐かれた言葉が耳に痛い。
 ‥‥忘れ去ってくれればいいのに。
「小十郎。俺は多くを望んでねぇぞ? なぁ?」
 自然と目蓋が閉じる。
 時が経っても忘れた事のない、少し湿った唇と舌が絡んでくる。

 羽をもがれたトンボは、あの時も、今も、自分だったのかもしれないと小十郎はふと思った。