恋路十六夜 −後編−

 不楽是加何 05








 男という生き物は、単純かつ素直なもの。しかもそれが顔にも態度にも出る大変わかりやすい生き物だ。
 市が来て、城は上へ下への大騒ぎ。浅井長政の嫁が来たからだとか、織田信長の妹が来たからだとか、そういったことではなく、この男所帯といっていい伊達軍に、儚げでかわいく可憐な女性が来たからである。いや、正確にいえば違うかもしれない。女はいる。侍女やら女房方。家族単位で伊達家に尽くすのだから、普通に女性はいるのだが、どうも伊達軍はその全体の気質からか、女性の気性が激しく、強い者が多い。よそから入ってきた侍女すら、勤め始めはそうでなくとも、徐々に徐々に強くなってゆく。だからこそ市は、お目にかかることの出来ぬ、貴重な“お姫様”なのだ。
 そんな城の男どもを尻目に、小十郎は気持ちを落ち着かせるためにもと、侍女達を使わず、自ら政宗に指定された茶菓子を取りに、厨房へと戻った。ここぞとばかりに何人かの若衆が鼻息荒く、手伝いをすると挙手したが、喝を入れて追い払った。
──あいつらが付いてくれば、魅入られて終わりだ。
 例にもれず、自分も男という生き物である。だからこそ、魅入られてしまう・プツリと切れてしまう男の危うさもよくわかっている。彼女はそういった、男の何かを刺激しやすい塊と言ってもいい。市の持っているアレは、男の保父心を駆り立てるもの。‥‥基本的な、表向きなものは。
──雄の支配欲刺激しねぇだけ、まだマシか‥‥。
 大瓶に入れてある飲料用の水を柄杓で汲み、そのままダイレクトに飲み干す。これからを考えると、気が重くてしかたがない。
 見入りながら、その瞳には何も映らないと思い続ける・言い続ける赤子の相手をするだけならまだしも、見据え、その瞳に総てを焼き付けながら、まったく違う事を唱え、人の底を暴こうとする天邪鬼が横に控えている。長年相手をしているからこそ、この状況を楽しもうとする‥‥もとい、利用しようとする魂胆がみえみえだ。
──ほどほどにして頂きたいんだがな。
 水がめに蓋をし、淵に少し凭れかかるようにして小十郎は溜息を吐いた。眉間の皺はこれ以上なく寄りきっている。
「こじゅ兄ぃよぉお」
 びくりと肩が震える。慌てて振り返ると、恨めしげな目を向ける成実が立っていた。
「なんだ成実」
「なんだじゃねぇよ、こじゅ兄よぅ」
“あ〜‥‥”と眉間に皺を寄せ、小十郎は頭を掻く。この成実が幼少の頃の呼び方をする時というのは、動揺している時や怒っている時など、最低限の上辺が装えず、“素”である時だ。
「俺の言いたい事はわかってるだろ?」
 笑みを引きつらせながら迫り来る成実は不気味だ。
「まさか成実まで茶汲み志望か?」
「冗談。鄭重にお断りするよ」
“ほぅ”と内心感心する。すると、成実はむっとした顔をこちらに向けた。
「なんだ、その“意外だ”って顔は」
「すまん、顔に出たか」
「ケ。俺にも選ぶ権利がある」
「それは大きく出たな」
「大きく? 大きくじゃない。小さく出たんだ。俺は人と結婚したいからな。」
 成実の見解に、小十郎は少し満足気な笑みを浮かべる。が、それをまた馬鹿にしたと取った成実は、ずずずいっと小十郎に顔を近づけ詰め寄った。
「大体だ! この間真田と、あの忍が来て泊ったってだけでもおかしいってのに、今度はあんな姫さんが来るって、末期か!?」
「かもしれんな」
「かもしれんじゃねぇよ! しかも今回は元凶招いたの、政じゃなくってこじゅ兄だっていうじゃねぇか」
 興奮のあまり、襟を掴んで捲し立てる成実に、返す言葉もない。
「他意はなかった」
「事実かよ」
「否定は出来ない」
「せめて止めろよ」
「もっと早くに知っていたらそうもする。言い訳はしたくねぇが、止めに行った矢先に、政宗様が‥‥な」
「また政かよぅ」
 襟を掴んでいた手を緩め、成実は、そのままコツンと力なく、額を小十郎の胸に当て項垂れた。
「俺、色々限界。ほんとにもう限界! あーもー限界!」
 成実は、羽目を外すが常識人であり普通の人だ。確かにこの、次から次の展開は辛いものがあるだろう。
 ぽんぽんと優しく、小十郎は両肩を叩いた。
「政宗様にも政宗様の考えがあってだろう」
「考えがあってって、アレは‥‥他国嫁とかそんなかわいいものじゃねぇだろ? アレは魔王の──妹だ。」
 顔を上げ、成実は訴える。
 そうなのだ。アレはまさしく魔王の血を継ぐ者なのだ。
 そして、それを招いたのは──



■恋路十六夜-後編-■




 客用の離れに向かい、高杯に指定された甘味を乗せ、運ぶ。
 ふと、空高くにある雲を見る。日はまだ陰っていないが、そろそろ灯台用の油と蝋燭を用意した方がいいか。
 すれ違う侍女に明かりの用意を伝えてから先を急ぐ。あまり主人を待たせるものではない。しかし、待たせるものでもないが、行きたくないというのも本心だ。
 今、敵襲でもこねぇかなぁ‥‥などと、一瞬、とてつもなく不謹慎な考えがよぎり、慌てて消す。自分自身が末期かもしれない。
 色々と考えている合間に離れの客間に着き、足を止める。襖越しに、聞き取れるか聞き取れないか程度だが、和やかな話し声が届き、少しホッとする。
“さて”と小十郎は一呼吸。その場に高杯を置き、片膝をついた。
「小十郎です」
「入れ」
 もう一度気合を入れなおし、ゆっくりと襖を開ける。途端、市の視線と政宗の視線が、小十郎を刺す。
“あぁ”と、心の中でなんとも言えない溜息が漏れた。
「遅いぞ小十郎。茶は終わった。」
 脇に置いた小さな更好棚に、粗々の茶道具を直しながら、政宗は呆れたように呟いた。
「それは失礼を」
 開けた時と同じぐらいゆっくりと襖を閉め、政宗の元へと運ぶ。市は、飲み干したと思われる黒塗りの茶碗を置き、小十郎の動きをぼんやりと眼で追う。その視線に気付き、高杯を政宗の前に置いてから、小十郎は市に頭を改めて下げた。
「席を外し、重ねて失礼を」
「いぃえ‥‥。慣れない‥‥見苦しい作法を見せるだけだったから‥‥」
「ハハ。市殿、それはこっちの台詞だ。茶室ではないからといって大雑把にした俺に比べ、女性でありながら茶道の嗜みをよく知り、キッチリとした作法で返してきた。流石としか言えないな。小十郎も、見て勉強した方が良かったんじゃねぇか?」
「まったくです」
「‥‥そんなこと」
 この時代、茶道は男のものであり、男の嗜み‥‥社交場であった。だからこそ、女性がそれを一通り嗜めるというのは異例であり、地位が限られる。流石はというべきだろう。
 困ったように微笑んだ市に、政宗は箸で甘味を数個掴み、和紙に乗せ、茶碗と入れ替えに差し出す。
「これは‥‥落雁?」
「和三盆だ。落雁によく似ているが、百聞は一見にしかず。まぁ口に入れてみればいい。」
 そっと、花形の絵模様で形どられた小さな和三盆を指先でつまみ上げ、市は不思議そうに眺めてから、口へと運んだ。
「──!」
 あまり表情の出ない瞳に、驚きの色がさし、政宗は“してやったり”といった風に笑みを作った。
「雪のように‥‥とけてしまいました」
「上質の砂糖の塊だ。落雁とよく似ているが、もっさりと舌に残る事はない。」
「政宗様は‥‥本当に色々と、よく知って‥‥。これは‥‥どこの?」
「俺の所に来る和三盆は、四国直送の特級品だ」
「四国の‥‥またそのように遠い所から」
「そうしなければいいものは手に入らないからな。」
 他愛もない会話に、小十郎は心の中で舌打ちする。
 理由は、市の後ろに控える侍女だ。
 この何気ない会話の中には、情報が入っている。あの四国と、奥州をつなぐ線があること。それも品からして、太く、直接的な線が。その情報は、市は元より、今、市の後ろで気配を殺し、優秀な侍女を務めている彼女の耳にも入った。
 市と偶然に会った時から引っかかっていた。落ち着きすぎているのだ。浅井家から市へと仕えるようにとされた侍女であるなら、色々な面からしてこの落ち着きはまずない。市の行動に慣れている、元々仕えている侍女だろう。だが、市に仕えているという言葉も適切ではない気がする。彼女に…どこか無関心すぎる。
──魔王に仕えている‥‥か。
 元々嫁入りなど、友好の意味よりも前に人質に近い趣旨がある。そして、人質はただ人質で終わらない。本人が望む望まないを別に、警戒されない“スパイ”として利用される。たとえば輿入れを済ませた娘が、他愛ない日常を手紙に綴り、実家に送る。その日常を綴った手紙は、嫁入りをした国の的確な現状。嫁は情報漏えいの元といっていい。
 もし、市がこの情報の重要性を気付かないとしても、そこの侍女が気付き、伝えるのだろう。
 信長は、浅井に妹という罪のないスパイを差し入れた。そしてその市は、浅井領を始め、旅行と称し、前田領・上杉領、そして伊達領に来た。
 出来すぎた偶然。しかし、その最後の伊達領内に来る理屈となった元が、自分である事が痛恨である。
「市は‥‥知らないのですが‥‥四国とは、海に囲まれながら、すぐに山があり、大変統治の難しい国とか。そのため、四国を統治するのは‥‥小鬼と聞きました」
 市の言葉に、一瞬間を置いて、政宗は豪快に笑い出す。
 確かに、四国を統治する長曾我部元親は、自らを鬼とよく言う。それを“小鬼”と表現し入れ知恵出来る者など、一人しかおるまい。
「市、なにか‥‥おかしな事をいいました?」
「いや、ハハッ、すまない、確かにそうだと納得しただけだ。その通り、四国は鬼子が統治する。そしてこの奥州を統治する俺も、鬼姫と呼ばれた者の腹から生まれた鬼子だ。乱世など、鬼の血がなければ統治など出来まい」
「そういう‥‥事なのですか。だから、兄さまも‥‥第六天魔王と名乗られるのですね」
「名乗るだけか、本物かはわからないがな」
「ふふふ。兄さまは人ですわ」
「それはそれは、一度謁見願いたいものだ」
「うふふ‥‥市も、小鬼さまにお会いしてみたい」
 今、自分の主がとてもいやな布石を置いた気がし、小十郎は胃をおさえたくなった。
「っと。面白い話に本題を忘れるところだった。小十郎に用があるんだろ? 姫は」
 まだ会話に参加していないというのに、すでに体力が半分を切っていそうな小十郎をチラリと見、政宗はニヤリと笑う。
──楽しんでやがる‥‥
 やり場のない主への感情を、とりあえず押し殺して棚に上げ、市に対して軽く頭を下げる。それを確認して、市はその唇を動かした。
「片倉殿」
「は。」
「お会いした時にも申しあげた通り‥‥市に、見せていただきたいのです」
“きたか”と心の中で呟く。残りの体力でどの程度対応できるだろうか? しかも横には‥‥
「面白そうだな。その話、俺にも詳しく聞かせてもらえるか?」
「もちろん‥‥」
──ほらきた。
 二人の笑みに反比例して、小十郎の気持ちは低下する。敵は二人だ。
「以前、まつの‥‥加賀の…利家公の城でお会いした時、少しお話をして‥‥その時…に・・・・」
 瞳を、どことなく市は下げる。
 その時を思い出しているのか、はたまた、なき感情を思い出しているのか。
「笛の音に誘われ‥‥外に出てみると‥‥それはそれは、月が、たいそう美しい夜でございました。それを眺めて、ふと、思ったのです。その‥‥星の光に‥‥月の光に‥‥闇が焦がれることは、ないのだろうかと」
「ほう‥‥」
「でも…それは同時に、罪だとも、思ったのです‥‥」
「罪、と?」
「えぇ、罪と‥‥」
「‥‥」
 面を上げた、彼女のその瞳に、政宗たちは映っていなかった。多分あの時、あの夜の光景が映っているのだろう。
「光に焦がれ‥‥手を伸ばそうにも、己は闇。もし…その光を手にしたとしても、己は闇。とたん、光は失われましょう。」
 唇は、詠うように唱える。
「光を焦がれる。焦がれれば失う。想いは‥‥罪。想うは‥‥罪」
 片言の言葉。感情の一片。
「闇は‥‥闇なのです」
 痛々しい、感情。
 彼女を、縛るもの。
 政宗も、一度視線を下げてから、唇をきつく結ぶ。
「なるほど‥‥なるほとそう聞くと罪なのかもしれんな。──それで?」
「それを、片倉殿に申しましたところ‥‥正しく憶えていなく申し訳ないのですが‥‥光は、その闇の中でもなお輝くからこそ、惹かれるのではないかと‥‥。欲するのも、仕方がないことではと」
「仕方がない?」
「はい。だからこそ、『その光こそが、己を留める唯一』‥‥と、申されました。闇をとどめる唯一が、光と」
 彼女の瞳が、やっと現実と交錯し始め、政宗の横に控える小十郎を捕らえる。
「後になり…市は思ったのです。市は‥‥闇にとける光しか見たことがございません‥‥が、‥‥片倉殿ならば‥‥片倉殿ならば、闇にとけぬ光をご存知であるだろうと。」
「‥‥」
「見せて‥‥市に。闇にとけぬ光を。闇にとけぬ光があることを──」
 大いなる“なぞなぞ”。含まれるは、心と現実。
 抽象的に例えながら、問いかけるものは確信。子供だましの回答では、納得しないその瞳。いや、濁すようなものでは、そもそも答えにならない。
 政宗も、どう答えるかと興味深げに視線を小十郎に向ける。
“さて…”と小十郎は面を上げ、にっこりと笑みを作って見せた。
「姫様、十六夜の月をご覧になったことは?」
「えぇ‥‥あります」
「十五夜ばかりに目を奪われますが、十六夜の月もまた、暗く静かな夜に、とても美し姿い姿を現します。」
「えぇ」
「では、その十六夜の月が出るまでをご覧になったことは?」
「月が‥‥出るまで?」
「はい」
 瞳をまるく、きょとりとさせてから、市はふるふると頭を振る。小十郎は、一層柔らかく微笑んで見せた。
「十六夜の月というものは、あれほど輝かしい光を見せるものの、これがなかなか…姿を現しません」
「まぁ‥‥そうなのですか?」
「はい。今日は美しい月を楽しめるだろうと、夜を待ち、闇が広がろうと、月は出ず‥‥さて、今日はその姿を拝む事が出来ないかと諦めたころ、闇夜の中、眩しいまでのその姿を見せてくれます。‥‥──さて、姫様」
「はい」
「姫様が闇にとけたと思われた光‥‥はたして、闇にとけたのでしょうか?」
「え?」
「待ち焦がれる月の光。夜が広がり、もう望めないと思った後に望めた姿。‥‥姫様は、もう姿を現さないと、背を向けたままなのではないでしょうか?」
「そんな‥‥そんなことは、」
 既に、小十郎の面から笑みはとられ、その目は現実へと追い詰める目。政宗は、“やっぱり容赦ない”と言いたげに、こめかみを掻いた。
 市は、柳眉を寄せ、悲しげに、何度も、何度も、頭を振る。
「背をむけていませんか? 光が、また煌くと信じておられますか?」
「‥‥市は…」
 振りながら、ふと、気付いたように顔を上げた。
 市の、黒い瞳が輝く。小十郎の顔が、自然と厳しくなる。
「それは‥‥夜でございましょう?」
「‥‥」
 彼女の唇が、笑みを作る。
「明ける、夜でございましょう?」
 まるで救われたように、笑みを作る。瞳に希望が満ちる。
 とても、不快な色に。
「‥‥闇は、明けません。‥‥貴方は、闇を知らないから──」
「闇なら──知っています」
 ピシャリと、小十郎は言い切る。
 彼女の救いを断ち切るかのように、静かに、その瞳を見据える。
「闇なら‥‥よく、知っていますよ?」
 諭すように、小十郎はもう一度唱える。
 市は、見開いた瞳を、瞬きせずに下げる。まるで、絶望を突きつけられたように。
 そんな彼女を眺めながら、小十郎は更に追い討ちをかけるよう唱えた。
「確かに、私は知っております。ぬばたまの、闇にもとけぬ光を。そこで輝く光を。‥‥ただ、それをお見せしても、姫様にはそれが光とわからないのであれば、意味はあるますまい? 私が知る‥‥私が光とするものをご覧になるよりも前に、やはりご自身で、その背後の光に気づき、闇にとけるものか否か、ご覧になった方がいい」
「とけるのを!‥‥とけるのを‥‥また眺めていろと‥‥?」
 怯えを装おうと、男の眼光が緩む事がない。
 久しぶりに見た、重臣の、ここまで峻険な面持ちに、政宗は気付かれない程度に唇を上げ、カタカタと、膝の上で合わせられた手が微かに震える市に微笑んだ。
「とけるからこそ、光なんじゃないか?」
「え?」
「とけたとして、そこから瞬くからこその“光”だろう。」
「ですが‥‥ですが闇は、貴方が思うようなものじゃない。深く、底など──」
「闇がなければ、光でもないさ。それとも、そんな浅いところでしか輝けない光が欲しいのか? あんたは?」
 驚いたように、市は政宗を仰ぎ見る。
「私は──」
 小さな口が、息苦しそうに、吐き出せない何かを吐こうとする。それにあわせるようにして、やっと小十郎は眼光を弱めてゆく。弱めて、再び口を開いた。
「闇が深くとも、輝いてこその光。‥‥光が輝くことを信じてみるのもいいかと。──十六夜の月を待つように」
「私は‥‥」
 弱々しく、呟く声。今にも、泣き崩れそうな瞳。だがそれが、同じ時を共有した中で、一番人らしく見える。と、その時、その市の微かな声を掻き消すような騒がしさが、徐々に部屋の方へと近づいてきた。
 訝しく、小十郎と政宗は何事かと眉を寄せ、入り口の襖の方へと顔を向ける。最初、その騒がしさが聞こえないような素振りの市であったが、足音と話し声が聞こえるまで近づいた途端、弾かれたように顔を上げた。
“パーンッ”と、ハリのたて付けがおかしくなる勢いで、襖が開けられる。
 そこには、見たことのない青年が立っていた。いや、政宗よりも年上だろう。整った鼻筋が、成熟した男性だということを伝えてくる。だが、漂う雰囲気が若々しい‥‥といえば聞こえがいいが、なんとも未熟な匂いがする。その後ろには、伊達の侍女や若衆が数名。疲れた顔の成実。止めようとはしたらしい。また、見知らぬ顔が、申し訳なさげにこちらを見、軽く会釈してきた。
 小十郎の頭には、クエスチョンマークが大きく浮かぶが、政宗には思い当たる節があるのか、髪の長い何処の者と知れぬ彼を、興味深げに眺め見る。
「市! こんなところに居たのか!」
「ながまさ‥‥さま?」
“ながまさ?”と、思わず顔を歪めた小十郎と、黙って観察を続ける政宗に気付かないのか、“ながまさ”と呼ばれた彼は、ずかずかと部屋に入り込み、市の傍まで歩むと、数秒間、厳しい顔で見下ろした後、膝を折り、自分の目を彼女の視線の高さに自分を合わせた。
「長政さま‥‥あのね‥‥」
「市! お前は──」
 肩をすくめ、市がビクリと震えた瞬間に、政宗は間髪入れず「ゴホン」と大きく咳払いをする。
「お話の最中悪いんだが‥‥」
「ぅお!」
 大げさにも思えるその動きで、“本当に気付いていなかったのか”と二人は内心呆れつつ、冷静に、彼を値踏みし始めた。
 市を妻として受け入れた男は、ただおめでたいだけの男か、それとも‥‥
「ちょーっと話が見えねぇから、説明してもらっていいかな? “どこかのだれか”さん?」
 意地悪に、楽しんで厭味を言う政宗を、睨むように見つめたかと思うと、次の瞬間、向きを正し、背筋を伸ばして座りなおしてから、彼は何のためらいもなく政宗に対し、深々と頭を下げた。
「!」
「‥‥」
「長政さまっ!」
「名乗りお遅れ、又、部屋に礼を欠いて入ってしまった事、平にお許し願いたい。我が名は浅井長政。こちに控えるは我妻・市。──市が、こちらに保護されていると聞き、迎えに来た所存。されど、余りの心の乱れにより、この無礼、重ね重ねお詫びしたく」
「ながまささま‥‥」
 部屋の外で中を心配そうに窺っていた従者も、慌てて中に入り、主同様深く頭を下げる。そして長政は、声がかかるまで、決して頭を上げようとはしなかった。市は、瞳を潤ませ、おろおろとするばかり。
“なるほど”と政宗と小十郎は納得する。部下の信頼もある、いさぎよい男のようだ。‥‥かなりの天然が入っているようだが。
「面を上げられよ長政公。我は伊達政宗。奥州とこの城の主だ」
 政宗の許しの台詞の後、やっと長政は顔を上げた。その表情は、頭を下げようと、卑屈さは微塵も無い、自信に満ちたもの。なるほど、頭の下げ方と下げる意味をよく知っている。
「さて長政公、俺は堅苦しいのが苦手でな。こっちも簡単に説明させてもらうが、そんなに頭の下げられる事じゃない」
「‥‥とは?」
「俺の横に居る、この片倉小十郎を以前、前田領へと使いに出した時、小十郎はお市殿に会い、その時、なぞなぞをかけるだけかけ、答えを言わぬまま帰った…」
「なぞなぞ?‥‥して?」
「名乗りも中途半端。市殿は頭の中になぞなぞが残り、気が気でない日々を送ったそうだ」
「なるほど。しかし、」
「市殿をこの強行に及ばせたのは、臣下の配慮がなかったせいもある。この独眼竜に免じて、市殿も、そしてこの小十郎も許してやってはくれないか?」
 市の顔にも長政の顔にも、最低限のところで泥を塗らない配慮に、小十郎は納得し、“そういった事情があった”ということにして、静かに長政に頭を下げる。
 長政は、小十郎を見、政宗を見つめてから、もう一度深々と頭を下げた。
「市が、世話になった」
 市は、何も言わずただ長政を眺める。長政を思う表情が、今までで一番人間らしい。
「別に世話してねぇよ。安心しろ」
「‥‥あぁ、こちらもこれ以上世話になる気はない。帰るぞ、市。」
 突然、すくりと立ち上がる長政に、彼に仕える者以外、あっけに取られる。
 この男、どうも行動が極端すぎる。
「おいおい、待てよ、もう日隠れて夜になる、女の足を今から引き連れまわすつもりか? もっと冷静に考えろ」
「なにをっ」と声を張り上げようとしながらも長政は、小十郎の合図で灯火の用意をし始める伊達の侍女達と、足元に座る市を見て、グッと言葉を呑みこむ。現実は現実だ。
「ここは客用の離れだ。一晩ぐらい好きに使ってくれていい」
「される義理がない。」
「あぁ、こっちもする義理はねぇが、市殿の兄、信長公と俺の親父は交流があってな。無碍にはできねぇ」
「なに? 兄者と?」
“むむむ”と唸る長政を、促す従者と市の瞳。‥‥といっても、その瞳がなくとも、この場合の選択は、本来一つなのだが。
“どすん”と、少し不貞腐れた面持ちで、長政はその場に座った。
「その義理、此度は甘受させていただく。が、この浅井の名にかけて、倍にしてお返しいたす」
「いいって。前世代の義理なんて使い捨てだ。」
 そう言って、長政とは逆に立ち上がる政宗に続き、“勝手に使い捨てないで頂きたい”という呟きを、眉に出しながら、小十郎も立ち上がる。
「まったく‥‥、市、他所に仕事を増やして、一体何が」
「ごめんなさい、長政さま。‥‥ごめんなさい」
 脅えの、声。しかしどこかそうでもない気がした。その脅えは、長政に対してではなく、感情に対してではないかと。彼女は、他人の感情も、自分の感情も、持て余している。だからこそ、脅えという台詞で、相手との距離を測る。
 暗闇に手を伸ばし、手探りで、一人、道を歩いてきたのだろう。ずっと。
「──‥‥月の恋はいつ始まるかと話しました」
「月の‥‥恋?」
 小十郎の落とした言葉に、ぽかんとしてから、長政は腕を組む。市も、驚いた表情で小十郎を見上げてから、横で考え込みだした彼の顔を、心配そうに覗き込む。
 数秒、長政は口をへの字に曲げてたかと思えば、鬼の首を取ったかのように笑い出した。
「市、このような謎かけに引っかかってどうする。」
「はい?」
「簡単だ。“十六夜”だ」
 市は目を見開く。
「なんだ、私に聞いておけば話は簡単に済んだというのに。市、月というのはまず夜に出る。でだ、十六夜というのはなぁ、“いざよう”で、おい、市、」
 説明を始める長政に、市は、抱きついた。精一杯、たどたどしいながら、精一杯、出来る限り、抱きしめた。
 それを見て、政宗と小十郎は笑みを作る。
 祝福の笑みを。
「おい、市、こら、人前で!」
 いざよう月はかけた月。その姿をためらいながら、少しずつ夜に姿を現す。
「おーい。おあついところ確認で申し訳ないが、夕餉の後の布団は一組でいいよな?」
「なっ!!!」
 いつもながら、余計な一言が付き、小十郎は片手で顔を覆う。
 顔を真っ赤にして、言葉にならない声を上げる長政を尻目に、ニタニタ笑いながら政宗は部屋を出てゆき、後に続く小十郎は、長政に精一杯、自らの感情を表す市の姿を確認して部屋を出る。

 満月でない事を躊躇いながら、いでる月は、なれない恋のようなもの。
 慣れぬ恋の夜道は、ためらうことばかりである。








 


「お前…謎解き、わざと簡単にしやがったな」
 本邸へと続く廊下を歩きながら、政宗は面白くなさげに呟いた。
「あの場合は解けてこそ意味があるもの。そういう政宗様こそ、色々と手配していましたね」
“面白がることではないのに”と、横には並ばず、半歩下がったあたりでついてゆく小十郎は、「はぁ」と声に出して溜息をつく。
 政宗は、少しばかり鬱陶しげにその横顔を斜め見た。
「当たり前だ。長々とあんなお姫様は囲ってられねぇ」
“それだけじゃないでしょう”と突っ込みたくなるが、何とか抑える。
「政宗にしちゃぁいい仕事だったぜ。小十郎の追尾と、引き取り先へのご連絡。‥‥大体、元はといえば小十郎の失態だろ?」
 政宗越しにひょいと成実は顔を覗かせ、痛いところを突く。それを言われてしまうと、何も言えない。
「まぁ、何が起こるか解からないのが人生だ。それに、少なからず、こちらもこちらで色々な情報はいただけた。結果all right。」
 離れたところに在する浅井が、どういった家であるか、どういった軍であるかが正確に掴めない中、大将に直接会えた事はプラスである。
 クソ真面目‥‥というよりも、自分自身が思い描く正しさに極端という言葉がいいか。あの性格では小回りが利かない。乱世には向かないだろう。
 ただ、市に関して言うならば、あの男は、頭を下げたまま面を上げる事はなかった。初めて相対する者の前で、頭を下げたまま面を上げないというのは、命を張った行動である。そして、政宗の手配が早かったとはいえ、長政の到着は早かった。慣れぬ土地で、リスクを顧みず彼女を探していた証だ。
 乱世では、生き残れないかもしれない。だが、志しは受け継がれるべきと感じた。
 生き残る者と、受け継がれるべき志を持つ者は違う。受け継がれる志しを持つものは、生き残りにくいというのもこの世の常だ。
 そして、市だが、
「小十郎」
「はい。」
「どう思う?」
「‥‥よい意味で、封印されているように思います」
「──同感だ」
「おい、何の話だよ、二人。」
 市が武術も嗜む事を、小十郎は、前田利家の妻・まつから聴いたことがあり、また、あの残忍であり知略家の明智光秀からも、軍の率いり方を教わっていると聞き及んでいた。そして仮にも魔王の妹。つまり彼女は、一国の将に値する武力を持っているという事だ。いや、もっと正しく言えば、魔王直伝であるがため、その力は未知数。
「姫さんの戦力の話だ。浅井に嫁いでやっと戦力が測れるってところか」
「そうなりますね」
 ただ、本来ならば未知数の戦力である。潜在能力を知る者が、さて放っておくか否か。
──嫌な予感がするな。
 少し考え、ふと政宗を見る。と、一瞬視線が合ったと同時に、彼は目を伏せた。おおよそ、同じ事を考えたのだろう。
 あの微笑ましい光景を見た後にでも、こんな予見してしまう。悲しい気質といえようか。
「かー。お前等の頭冷静すぎるぜ。もうちょっと戦から離れられねぇのか?」
 両腕を頭の後ろに回し、成実はつまんなさそうに、本邸へと続く渡殿を歩きながら、空を見上げる。
 日が落ち、そろそろ夜だ。
「今日はそのつもりでしたが‥‥」
 とにかく、精神的に散々という他ない。
 何度目かわからない溜息を付く小十郎の横で、“ぽん”と政宗は手を打つ。そして、“にたぁ〜”と笑った。
 ‥‥どうやら“散々”は続くらしい。
「そういえば小十郎、お前の云う“光”ってなんだったんだ?」
 立ち止まり、ニヤニヤと笑いながら自分の顔を覗き込む政宗を、“ほらきた”と小十郎は睨み付ける。まったく悪ふざけが過ぎる主人である。
「なになに? 何の話だ?」
 先を歩いていた成実も、パタパタと踵を返して戻ってき、迷惑そうに目を閉じる小十郎を眺める。
「市の方の望んだ代物だ。“闇にとけぬ光”というもの、小十郎が知っているらしい。俺もどういった代物か、見てみたいと」
「“闇にとけぬ光”?」
 立ち止まって顔を覗き込む二人を、“歩いて歩いて”と促すように、小十郎は軽く二人の背中に手を当てる。
 押されながら、成実は「うーん」と唸った。
「“闇にとけぬ光”ねぇ」
「どうかしたか?」
「“闇にとけぬ光”っていうか、闇の中で光るからこそ“光”なんじゃね?」
 あさってに視線をやりながら、呟いた成実の言葉に、政宗と小十郎は顔見合し、同時に笑い出す。
「なんだよお前等」
「ha! 流石は成実」
「真理をついたな」
「なんだー、お前等、バカにしやがって。あぁ、いいよ。勝手に二人で目で会話してろ! その間に喜多の飯独り占めしてやる」
 わざと足音を鳴らし、先を歩いていく成実を、二人は見送る。
 心理は、何事も簡単なものだ。
「闇の中で光るからこそ、光‥‥まぁ、俺もそうは言ったが、なるほどなぁ。やっぱりそうだな」
「‥‥」
 だが、その光が届かぬ闇を知っているからこそ、彼女はその手を伸ばし、知っているからこそ、小十郎はその手に掴まれた。
 闇の中、光を待つ怖さ。そして、闇を恐怖する者が一人でない事を知りたいとする思い。救われたい思いと同時に、辛い思いを相手にさせるのではないかという恐怖。
 彼女は、掴めるだろうか。
 そして自分は、掴み続けられるだろうか?
 視線の先に、ぼんやりと映るのは己の角ばった、ゴツゴツとした手。気がつくと、凝視していた。
「小十郎?」
「──失礼しました。」
 微笑んでみせる小十郎の心が、先刻までここになかったことに気付かない政宗でもない。
 市と対峙した時の小十郎は、いつも以上に影を覆う。それも小十郎だと理解もしているし、それを負い目にしている事も、政宗は知っていた。
 笑みがこぼれる。政宗にとっては、それは問題でないからだ。全てをひっくるめて、竜の右目・片倉小十郎なのだから。
 ゆっくりと邸内の廊下を歩きながら、政宗は口を開いた。
「なぁ、」
「はい?」
「十六夜の月待ちの長さは人それぞれだとして、あの姫さんは大丈夫だと思うぜ」
「‥‥はい。」
「さしあたり、雲がかかりそうなのが気になるが‥‥かかったとして、それくらい、龍のひと暴れで晴れる」
 口の端だけで笑ってみせる政宗に釣られ、小十郎も困ったように笑みを作る。
「勘弁していただきたい。龍のひと暴れは、雲のみでは済まされますまい」
「ハハ。小十郎」
「はい」

「十六夜の月を、十年近く待った奴もいるんだぜ?」

 その瞳に、チラリと、光がさす。
 隻眼というのは、二つに分かれている瞳の力を、一つにしてしまったものだと、小十郎はいつも思う。
 そんな感想を持つ小十郎の胸を、トンと、手の甲で叩いてから、微笑んで政宗は、背を向け歩き出した。
 それは、小十郎の、護るべき背中。守るべき──
「──!」
 政宗の足がぴたりと止まる。そして、眉間に深く皺を寄せ、長い長い溜息をついた。
「小十郎」
「はい?」
 政宗の、綺麗な形をした眉が、ひそみ、歪む。
「邸内での、おいたは厳禁だと、お前、俺に言ったな」
「えぇ。止めていただきたい」
 努めて、政宗は何も起きていないような態度でその場に立つ。だが、小十郎が言葉を放つたび、びくりと、彼の肩が竦む。
 うなじにあてられたその感触は、男の唇。
 ただそこにあてられているだけ。だが、息が、声が、政宗の感覚を変化させてゆく。
「これは‥‥おいたじゃない、と?」
 呼吸が上がってくるのを抑えるかのように、政宗は腕を組む。
 難しい顔をして、競り上がってくる何かを必死に噛み砕く。
「おいたをしたのは、あんたでしょ?」
 男は、うなじにあてていた唇を、そのまま這わせ、左耳の後ろに宛がう。
「──っ 俺はなにもしてい」
「わざわざ、俺の困る顔見るために、お市の方を引き込んでいませんか?」
 漏れそうな声を噛み砕く度、政宗の顔が歪む。触れられているのは、ただそこだけのはずなのに、背筋を這う、過去の記憶と感覚に、こめかみが痺れる。
「被害、妄想、だ」
「‥‥なら、いいのですが」
「──」
 そっと、小十郎は名残惜しく思いながら唇を離す。これ以上は、離せなくなる。
 政宗の強張っていた肩が、吐く息と同時にゆっくりと下ろされ、長い長い吐息が漏れる。
 光があることを確認したくて、闇で覆いたくなる衝動に駆られる。そこに在るだけでは納得しきれない、自分の中の、奥底の暗い部分。
 預けられる背中は、この上ない信頼の証。そこに、手を伸ばしてしまう、卑怯な感情。
 信頼を利用する、汚い情。
 くるりと、政宗は振り返り、鋭い目でねめつける。
 想いは、罪。想うは、罪。欲するも‥‥罪。
 だが、その諸々の罪を掴んでしまった場合は?
“パシーン”と頬を打つ音が、廊下に響く。右手の甲で、政宗が小十郎の頬を振りぬいたから。
 小十郎は微動だにせず、何事もなかったように政宗と向き合う。音の割に、痛みはさほど伴わなかった。
 静かに見つめ、政宗の次の行動を待つ。罵倒でも何でもいい。自分が動けない代わりの、次の行動が欲しかった。
 隻眼の、鋭い眼光。
 その存在こそが、自らを形成する全て。
 彼の瞳が伏せられると共に、不満げに曲げられていた唇が、するりと小十郎の唇へとあてがわれる。
 触れた瞬間、互いの息が詰まる。
“掴んだのなら、離さないで下さいませ。どれほど、暗き闇が潜んでいても──御自らの中に”
 柔らかい唇を味わいながら、そう、自分に対して忠告した女の言葉を思い出した。

 いずこも、慣れぬ夜道は、戸惑うことが多すぎる──。















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