赤誠 -前編-

 不楽是加何 02









 血相を変えた若衆たちが城へとなだれ込む。
 その騒がしさは邸の奥にいたこの城の主、伊達政宗の元まで届いた。
 誰がやってきたか察した彼は、仕事から解放されるといわんばかり、にんまり笑顔を作って筆を置く。程なくしてどたどたと、慌しく響く廊下の足音に耳を傾けながら、大きく背伸び。
 中庭から差し込む日の光はずいぶんと高くなっている。どうせならもう少し早く来れば、つまらない仕事から逃げ出せたのにと勝手な注文が頭に浮かんだ。
「政宗! 政宗!」
「あぁ〜ん?」
 用立ての者から若衆から、大層な人数を引き連れて従弟である伊達成実が、血相変えて部屋に踏み込み入る。
「政宗! 仕事やってる場合じゃねぇぞ。大変だ。」
「んー? 仕事なら今やめた」
「あぁ、そりゃいい。今、城下に──」
「真田幸村が来たって言うんだろ?」
 書机に顎肘をつき、政宗はニタリと笑う。
 信じられないと言いたげに、成実は呆然と政宗を見た。
「お前、本当に万海上人の生まれ変わりだったのか?」
「馬〜鹿、違う。俺が呼でおいた。」
「真田幸村を!?」
「正確に言うと違うけどな。ま、アイツが来るのは判ってた」
「判ってたっておまぇ‥‥」
 呆れ顔になった後、少し顔を顰める。成実は少し嫌な予感がした。
「小十郎は知ってるのかよ」
「シラネ。」
「うっはぁ〜‥‥」
「あんな所通したら、進む話もすすまねぇ。」
 想像しただけで気が重くなる成実とは対照的に、「いーのいーの」と手をひらひらと揺らす政宗。
 成実は大きなため息をついた。
 ここまで来てしまったら、じたばたしても始まらない。
「ま、こじゅ兄に怒られるのはお前だけだからいいけどよ。俺知らねぇし」
 思わず、成実は子供の頃の呼び方で、ここには居ない自分達の兄代わりでもある重臣・片倉小十郎の名を出す。
 成実は政宗と従弟で幼馴染であり、竹馬の友である。昔からの癖はなかなか抜けず、城主である政宗に対しての敬語頭から抜けているし、下手すると幼名の頭をとって“梵”と呼んでしまいそうな時もある。
 小十郎の事を“こじゅ兄”と口走ったのは、子供の頃、政宗と並んで、小十郎の容赦ない小言と鉄拳制裁で育ったおかげか、怒るというと、あの頃の記憶が染み付いてしまっており、ついつい“兄”が表現として付いてしまう。
「怒りたい奴は怒らせときゃいいんだ。それより、幸村に何もちょっかいかけてねぇだろうな?」
 成実の後ろに控えていた若衆をギロリと一睨み。歳も近い幸村がお気に入りであり、とやかくされたくないのはわかるが、それでは部下が少しかわいそうというもの。
「あのなぁ。三下のこいつらが束でどうのできる相手じゃねぇだろう。酷な事言ってやるな。」
「ふむ」と相槌なのか、ただ息が漏れただけなのか、そう言って政宗は、「鄭重にお迎えしろ」と若衆にふれる。その若衆と一緒にこの怖い現場から退散しようとした傍小姓には、「あれもってこい」とだけ伝えた。
「アレ?」
 成実は一層嫌ぁ〜な顔をする。
「別に。誠意を見せるだけだ」
 そのお前の誠意が信用ならんって。──なんて、口に出して言える筈もなく。
──こじゅ兄、呼んどいた方がいいかなぁ‥‥
 満面の、言い表しにくい不吉な政宗の笑顔を見ながら、成実は次の行動に移った。



 程なくして、鄭重に城に迎えられた真田幸村は、物怖じする様子もなくまっすぐ前を見据え、案内される部屋へと入って行く。
 それを観た伊達の若衆達は、「流石筆頭と張り合う武将なだけ、威風堂々としていなさる」等と言葉を交わすが、何の事はない、辺りは目新しい物で溢れている。興味をそそられ、ふらふらと自分が行ってしまう危険性を幸村はよく知っており、できる限りまっすぐ前を向いて廊下を歩く事を念頭に入れていただけの話。
 とにかく今日は、“真田幸村”を抑えなければならないお役目を戴いたのだ。失敗は許されない。
 案内された部屋に坐し、幸村は握り拳を作り、その拳を胡坐の両脇に、床を突くようにして構える。少し前屈みの姿勢。視線は自分の腹が見える程度の床。顔は上げない。この城は誘惑が多すぎる。
 足音が部屋に近付く。素足ではない、足袋の擦れる音。部屋の敷居を跨いだ気配。
「よう参られた。西の虎の若子」
 久方ぶりに聴く声のはずが、ついさっき聞いたかと思える程耳に馴染んでいた事に幸村は驚く。
 顔を上げたい衝動を抑え、床に拳を突かせたまま、肘を折り、ゆっくりと頭を下げる。
 カタンと、気配で相手が上座に坐したことを察すると、幸村は頭を下げたまま口上を述べ始じめた。
「某、真田幸村、お館様の命により伊達政宗公に宛てらた書簡を届けよと仰せ付かった所存。また、以前、公との話の議にあったという品も届けに参りました。」
「遠路遥々、信玄公の名代として、わざわざ懐刀である真田殿を使者として立てていただき、お気遣いいたみいる。また、座興話を覚えて下さった事、重ねて政宗が礼を申しておったと信玄公に伝えられよ」
「ハッ。しかと請け賜りました。」
「真田幸村。」
「はい」
「大儀であった。」
 調子が、狂う。
 よく覚えている声が、まったく知らない言葉を話して、坐した者が本当に自分の知っている伊達政宗かと思い始める。
「面を上げられよ。真田殿」
 ずっと頭を下げていたおかしさに気付き、幸村はもう一度頭を下げてから顔を上げる。
 目の前に坐していたのは紛れもなく伊達政宗であったが、ポカンと幸村は見入ってしまった。
 正装の黒装束。手慰みに持たれている扇が、思いの外馴染んでいる。
 あの手は、刀しか握らないと思っていた。それぐらい彼の中では武士である政宗の印象が強く‥‥
「? なんだ? その締りのない顔は。こっちの顔まで締りなくするつもりか?」
「あ、いや、某、政宗殿‥‥いや、政宗公のそのような姿を見るとは思いもよらず、なんと申し上げてよいか‥‥」
「馬子にも衣装か?」
「そう! 馬子にも衣」
 褒め言葉ではない事を、殆ど言ってしまってから気付き、幸村は慌てて口を噤む。
 ジトリと睨んでいた政宗だったが、次の瞬間豪快に笑い始めた。
「信玄公の名代として参じた使者に、下手な格好は出来んだろう?」
 政宗は一国一城の主。幸村は一介の武士。
 直接刀を交え、また政宗自身が“公”という立場ではなく武将として、一介の者として接する事が多すぎ失念しがちだったが、二人の格の差は歴然だった。
 それが、目の前に広がる現実。自分が、尊愛するお館様と等である現実。
 どこか、寂しい現実。
「失礼‥‥仕りました」
 ゆっくり、頭を下げる幸村を、つまらなげに政宗は眺め、扇を手の内でパチリと鳴らす。
「さて、おおやけは終わった。堅苦しい話は抜きだ、幸村」
「は?」と顔を上げたそこには、見慣れた、感情のよく現れた笑み。
「あんまり口上ガタガタ言うのも億劫だしな。ちょっと虎のオヤジの使者ていうのは、あっちの方に置いとかねぇか?」
 ツイッと扇で指された明後日の方向に幸村も釣られ、そちらに視線を一度もって行ってから、コクコクと頷く。
 そんな幸村を手招きしながら、政宗が左手を横に出すと、傍小姓が一つの真新しい太刀をその手に差し出した。
「ついこの間打ち上がったばかりのモノだ」
 するりと鞘から抜かれたその刃は、しなやかで反りがあまりない。馬上用のものではない。それよりも何より、幸村を驚かせたのは、
「黒刃‥‥!」
「見てみるか?」
 差し出された刀を恭しく受け取り、幸村は見入る。
 刃の鎬の見事な黒光りに、感嘆の声もでない。
 黒刃物は作るのが難しく、闇に解けるための仕様なので、忍が使う短刀などには多く用いられるが、普通の太刀ではなかなかない。特に長剣となれば耐久の問題も出てくる。それをあえて一品として完成させるという、その興。
 感動が表情に出ている幸村を見て、政宗は満足気に笑うと又、小姓に合図を送る。すると、刀に見入る幸村の耳に、カチャリカチャリと小さいながら武具の擦れる独特の音が届き、視線を音の擦る方向へ移す。
 小姓と若衆が持って来た、5つの刀。
 ぽかんと口が開いたままになる。
「まさか、六本作ったのでござるか!?」
「あったり前だろ? だれが使うと思ってんだ」
「だ、伊達ものでござる‥‥」
 自慢も、自慢しがいのある人間にしてこそで、政宗はこの上なく幸せそうに笑い、「で、だ」と続けた。
「まだ試してねぇんだ」
「ほほー」
 相槌を打ったまま、じっと見つめてくるばかりの幸村の態度に、間が空けば空くほど、政宗の表情がすごみだし、幸村はやっと“まさか!”と思い立った。
「手合わせでござるか!」
「そうだ。」
 鈍感だ‥‥と政宗のみならず、辺りの小姓や若衆まで頭を痛める。
「しかし、某は使者で」
「使者はあっちの方に置いといただろ?」
 また扇で明後日を指され、律儀に一旦そっちを見てから、幸村は「むむむ」と唸る。
 その反応に、なびいていることも察知でき、政宗は良くない笑みを浮かべた。
「煩い小十郎も居ねえんだ。抜け出すなら今しかねえ。」
「むむむむ‥‥」
 幸村は唸る。手には一品の黒刃太刀。これを使うは目の前にいる“武士”の伊達政宗。
「別に果し合いじゃないぜ? 名のある武将、真田幸村の前で、この品が一品かどうか試すまでの話」
 悪魔の理屈と悪魔の笑み。
 しかもいつもならあるはずの悪魔の杭が抜けている。
 そして今日は、自らの杭も‥‥
 キョロリキョロリと幸村は辺りを見回し、何度も大きく頷く。
 悪巧みをする子供が二人。
 誘惑は舌なめずりをし、満足気ににんまりと笑った。






 感情が反映し、廊下を渡る足音がどうしても荒くなる。
 肝心な時に限って小十郎は城外に出かけたままとのこと。場外にある畑にいるのかと綱元を行かせようとしたが、ついさっき、政宗が幸村と並んで城を抜け出したと若衆が言い出したからさぁ大変。
 綱元に政宗を追わせ、用聞きの者を畑にやったが、もう、なんと言ってよいやら。
 今の伊達軍は空っぽに近い。
 これで畑に小十郎がいなかったら‥‥
「あ゛ー!」
 政宗も小十郎も綱元も居ないとなると、自分は特に自由に動けない。成実は、その辺りの事をよく理解していた。
 不機嫌にがりがりと頭を掻く成実に、廊下の物陰から恐々と、侍女らが手招きをした。
「? どうした? こっちは今忙し…」
「はい、あの、それは重々承知なのですが、成実様にはお耳に入れておいた方がと‥‥」
「?」
 腕を組んだまま、侍女に耳を傾けると、おずおずとその耳に手を沿え、女は語りだした。
「なん!?」
 開いた口の閉め方を、成実は数十秒忘れた。



 “土間”というものは、東洋──日本家屋特有の作りであり、廊下であり作業場であり厨房であることが多い。
 そして遮るもののない空間だが、役割の限定された場所だからこそ、用がなければそこに人は立ち入らない。
 厨房など特に。
 ‥‥‥盲点だった。
 開きっぱなしになった口を閉め、辿り着いた厨房の入り口で、成実は脱力した。正直、おいしそうな匂いの広がるこの場で、嘘でも幸せな気持ちに包まれて突っ伏したかった。
「なんで真田の忍がこんなところに居るんだよ!」
「意外と遅かったねぇ。お疲れ」
「お疲れじゃねぇ!」
 成実に軽く手を振りながら、真田幸村の直である忍・猿飛佐助は、厨房の大きな机に並べられている結構な量の料理を、これまた大きな重箱へと、選別しながら丁寧に詰めてゆく。
 さも当たり前の様に。
「‥‥お前、人ン家の厨房で何やってんの?」
「ん? 見て判んない? お弁当つめてんだよ」
「いや、それは見ればわかるが…」
 根本的な問題はそこじゃねぇだろ? と突っ込む前に、「右目の旦那に頼まれたんだよ」と佐助は呟いた。
「小十郎の?」
「そ。」
 もう、眉が寄ったまま当分戻りそうにない。
「そろそろ戻ってくるんじゃない?」
「そろそろって‥‥」
 さも当たり前の様にいう佐助に、どこから突っ込んで良いのやら解らない。
 どこから突っ込もうか。とりあえずは‥‥
「その大きな弁当、誰が食べるんだ?」
 無難な所から。
「この料理、誰が作ったと思ってる?」
「お前じゃないのか?」
「ブブー。ここの侍女さん達と多分右目の旦那。──さて問題です」
 くるりとこちらを向き、佐助は長い菜箸をピタリと成実の鼻先に指す。
「いつもそういった料理を食べるのは誰でしょう?」
 瞳をキョロリと右側に寄せてから、「俺たち?」と成実は呟く。
「ぴんぽんぴんぽーん。そゆ事」
「でも、なんで弁当。無駄にでけぇし。‥‥しかも小十郎が飯作って用意してたって──」
 口に出して気付いた展開に、まさかと顔を強張らせると、成実の心を見抜いたように、佐助は「ぴんぽんぴんぽ〜ん」と笑い、又重箱に料理を詰め始めた。
「なに!? まてよ、つー事は、あの二人が飛び出すって…」
「あんな元気な二人がじっとしてる訳ないでしょうが。」
「知ってんのか?」
「知ってるって言うより、よくよく考えてもみなさいって」と言われ、「確かに」と応えるが、「じゃなくてぇ!」と突っ込み直す。
「わかってたのかよ!?」
 文句を言いながら思う。わかってた云々のレベルではない。この用意周到さは、
「こじゅ兄は何処行っちまったんだよ!」
「何か?」
「うわぁっ」
 混乱と佐助に気を取られ、待っていたはずの小十郎に背中を取られていた成実は、おののき振り返った。
「なんだ、なんだ小十郎いつから…」
「ついさっきです。」
 冷静に物を言う小十郎に、成実は口をパクパクする。
 何処から突っ込んでいいやら、何処から質問してよいやら、混乱もあいまって上手く話し出せない成実を観察してから、小十郎は手持ちの包みを解くと、出てきた一口サイズのずんだ餅を成実の口に押し込めた。
「ムガッ」
「まぁ落ち着いてください、成実殿。大体言いたい事は解ってますから」
 もごもごと口を動かしながら、成実は不信げに男を見る。横ではきんぴらを少しつまみ食いした佐助が、成実と並んでもごもごと、「詰め終ったよー」と報告を入れた。
「旦那、この人に話してなかったの? 大慌てだったよ?」
 重箱に蓋をし、侍女から渡された風呂敷で弁当を包みながら、佐助は少々同情ぎみに話す。
「話? ここに佐助がいることか?」
「全部!」
 口に押し込められていたずんだ餅を飲み込み、成実は警戒した犬のように、“ウ〜”っと歯を見せる。
「あー‥‥何処から話しましょう」
「最初から」
「最初‥‥」
 さて、何処が最初だと言いたげな顔に、成実と佐助は頭を痛める。
「小十郎は頭がいいが、昔っから自己完結してっからなぁ」
「あ、やっぱり昔っからなんだ、この人」
「そーそー」
 妙な結束感を出す二人に、一つ咳払い。
「あぁ」と成実は聞く順番を思い出した。
「真田幸村が城下に現れた時、大騒ぎだったんだが‥‥その時からお前いなかったよな? まさか来るって」
「知ってました。」
 ケロリと言われ、溜息を吐く。
「今日来るって」
「知ってました。」
「どんな用事で来るって」
「知ってました。」
「政宗が何企んでるかって」
「知ってました。」
 ここまで来ると溜息も出てこない。
 横に立っていた佐助は、ぽんぽんと成実の肩を無言で叩いた。
 冷静に考えればそうだ。十年以上、あの悪ガキの面倒を見ているのだ。知らないはずも、勘付かないはずもない。
 成実は「あ゛ー」っと小さく唸る。政宗の、“出し抜いた”と言わんげな、意気揚々とした表情を思い出すと‥‥
──それも小十郎の手の内か‥‥
 自分も可哀想だが、政宗はもっと可哀想に思えてきた。
「…内緒だって聞いたぞ」
「えぇ。聞いてませんよ。政宗様の口からは何も。」
 なるほど、政宗の言ってた事、間違ってはないらしい。
 成実は腕を組みながら、ちらりと横目で佐助を見た。
「あんまり感心しねぇな。真田の忍と手を組むなんざ」
「組んでない組んでない。むしろ組めたら、こっちとしても楽なんだけどねぇ」
 そう言って、今度は佐助がちらりと小十郎に視線を送る。
“はぁ”と小十郎は大きく溜息を吐いた。
「内緒とはいえ、政宗様は慎重な人だ。逆手に言えば、秘密に出来るような内容は、大概ばれていてもいい話でしょう。だから知り得た情報を確認して、その用意と準備をしたまでです。」
「えーっと‥‥」
 何処から突っ込もう。とりあえず小十郎を敵に回すといけない事は確認した。
「つまり、政宗が秘密裏に武田信玄に書を送ってたのを知っていた‥‥と」
「秘密裏って程でもなく、内容としては普通の手紙だったけどね」
「たぶん何かをするための布石でしょうが…」
「その何かってのは、幸村呼び出すため?」
「ちょーっとそれは違う気がするなぁ」
「そうだな。もう少し派手な事をするための布石だろうな。」
「幸村は?」
 間が空いて、佐助と小十郎は「おまけ?」と同時に呟いた。
「いいのかよ‥‥」
「“私わたくし”の手紙とはいえ、内容が内容であるなら、信玄公が誰を使いに出すか想像がつく。政宗様がそれに気付かない訳がない。」
「そうそう。こっちも小康状態でウチの旦那も暇してたし、大将も発散には丁度いいって。」
「発散ってお前」
 言いたい放題に眉を顰め、小十郎を見るが、小十郎はいつもと変わらぬすました顔でこちらを見る。
「元気な子供が面つき合わせて何にもないと思いますか?」
「‥‥‥‥思わねぇ」
 つまり、飛び出すことも、ここには居ない武田信玄を含めた三人の想定内。
 よくよく考えればここのところ、小十郎はかなりの量の仕事を押し付けていた事を思い出す。
 幸村とのじゃれあいは、ご褒美といったところか。
 自分に小十郎などという傅役が付かなかった事、感謝する。
「じゃ、弁当は?」
「暴れれば腹も減るでしょう。」
「うちの旦那も、昼は食べたけど、ずっと馬に乗りっぱなしだったからねぇ」
 そこまで想定していたのなら、もう自分は何も言うまい。‥‥と言うか関わりたくない。
「‥‥とりあえず、綱元は追わせといたから、二人は止められなくても、最低限は何とかなってると思う。外野とか。」
「助かる〜」
 料理を詰め込んだ重箱を携え、佐助は笑顔で手を振る。
「では、これを届けに参りますので、成実殿は留守番の方、よろしくお願いします。」
 小十郎ももう一つ用意されていた重箱の包みを抱え、頭を下げる。
 他人様の前だと小十郎は改まった態度を取るので、少し気持ちが悪い。
「へいへい。」
 一人、気をもんでいた自分はなんだったのかと、肩で息を吐いた成実に、小十郎はにこりと笑う。
「料理の残りは好きに食べて下さい。」
「おぅ」
 よくよく見ればおにぎりもおかずも、余分過ぎるほど作られている。成実にというよりも、“成実達に”つまみ食いを用意していてくれたようだ。
 そして机の端には、先程口に押し込まれたずんだ餅の包み。
「それでは、いってきます」
「…ほどほどになー」
 俺には安いご褒美だこと──出てゆく二人を見送りながら、ずんだ餅を頬張り、成実は笑った。





   ■□■







 炎の赤。
 紅葉の紅。
 そしてここに相対する者の意識も赤くある気がする。
 これを同じ場に活けようと考えたのは己であるが、さて、揃えてみればなんと贅沢で見事なものかと、真剣の勝負中であるにもかかわらず、顔が緩む。
 真直ぐにこちらを見据える双眸に、背中の辺りにゾクゾクと鳥肌が立つ。
 舞い上がる埃の中、かまわず大きく息を吸い込んだ
「go!」
「うぉぉぉぉおおお!!」
 この場に着いて、何度目の掛け声になるか。やっと刃の癖が解ってきた。
 細身のため、振り切るのが早い。忍び刀のように、気がつくと逆刃で持って切りつけてしまう。変な癖がつきそうだ。
「ぬぉっ!」
「sit!」
 懐に飛び込みさえすれば一撃だが、相手は“槍の幸村”。そうそう近付かせてもくれない上に、幸村の槍は鳥のように軽い。
 あの重い長槍が舞うのだ。恐ろしく華麗に。
──不良忍め。身体に叩き込んでやがるな。
 普通の槍の軌道を予測していると簡単に首が落ちる。幸村の相手をしている佐助のせいだろう。知らず知らずの内に叩き込まれて、また幸村自身もそれを上手く吸収している。そのせいで、相手をする自分も、気がつけばアクロバティックに動かざるを得ない。
 三叉の間に自らの刀を絡めるようにして、嶺で受け落とす。少しでもこの早い動きを封じる事が得策のため、キッチリと受け止める事を最善と考えた。
 軽く振るわれる重い槍を、受け流さず、なるべく叩き落す。
 この細身の刀で。
 それは思いの外負担がかかった。
 キンッという金属音と共に、手首に響く振動。長槍の切先を地面へと向かわせ、かわし、懐を狙う。
 何度かその刃を、足を使い払い落としたり、軌道を変えたが、毎度上手くゆく訳でもなく、又、動揺の幅も思った程ない。
 差し当たり、佐助ばかりを相手にしていれば、どんな技が飛んできても、ほとんどが通常攻撃というところか。つられてこちらも激しく立ち回ることになる。
──義経か? 俺は。
 まったく、刀を握ってこうも飛び跳ねねばならないものかと苦笑い。
 心地よく息が上がる。
 乾いた風の中の、微かな水分にすら肌が反応する。
 手合わせとはいえ真剣である。気を抜けば間違いなく死ぬ。
 だが楽しい。思い切り意識を、力をぶつける相手が存在する事は。たとえ死に近い行動であっても、いや、全力を持ってその死の際から生へと動いている事こそ、生きている実感が持てるというもの。
 鼻先で行う鍔迫り合いはこれで何度目であろうか。ギリギリと刃が鳴るたび、軋むたび、手首にビリビリと振動が伝わる。
──攻め方を変えるべきか‥‥
 隙を見て蹴りを入れる。うまく蹴りが入り、距離が取れた。
 思わず吹いた口笛が、いい音をたて風に運ばれる。
 間合いは取れたが、さてどうする? 手首の負担はかなり予想外だ。
 ジリジリと絡む視線の中で隙を伺っていると、真っ直ぐに見据えてくるはずの視線が不意に解かれ、操られていた弐本槍が大地に刺された。
「!?」
「少し休みませぬか? 政宗殿」
 にっこりと笑って放たれた言葉に、政宗は目を見開いた。
「はぁあ? 待てよ、おい、まだこれから」
「かなりしましたぞ、政宗殿」
 ぽかんと口が開く。
 天変地異が起こったか。それともさっき柄の底で殴った時、間違えて後頭部をどついてしまったか?
「てめぇからそんなマトモな台詞を聞くとは思わなかったぜ‥‥」
 まさかの台詞に、水を差された怒りよりも、驚きがたった政宗に、「いや、某も続けたいのは山々であるが‥‥」とごにょごにょと言葉を続けた。
「だったら、」
「お付の方が、“手合わせを越えている”と言いた気に、こちらを見ておりますぞ」
 ちらりと、木陰で馬番をしている綱元を睨み見る。
 いつの間に着いて来たかと思えば、邪魔するでもなく外野を払い、むしろ手合わせの場を作ってはくれたのだが、“政宗様に何かあれば自分がお止めしなければ!”という緊張感が顔というよりも、全身から滲み出ている。
 まるで初陣だ。
「‥‥アレはまぁ‥‥気になるだろうがほっといてくれていい。」
 政宗と幸村に見つめられ、綱元は何事かと慌てて視線を逸らし、わざとらしく馬を撫で始める。
「それに‥‥後二つほど…」
「二つ?」
「一つは、」
 トントンと、幸村は自らの手首を指差す。
「痛くなってはござらんか?」
 ぐっと息を呑んだ。ばれている。
 確かに、黒刃の軋みは酷かった。そのため気付かれていたか。
「某、持ち合わせの槍が重装である故、その黒刃とは相性が」
「お前、果し合いや戦場で相性どうのと言うつもりか?」
「そこを申すつもりはござらんが‥‥本日は“手合わせ”ではござらぬか?」
 先刻から、幸村にしては至極マトモな台詞のオンパレードに、政宗の口は自然とへの字に曲げられてゆく。
「いつからそんないい子になった」
「人聞き悪いですぞ」
 政宗の七面相に合わせ、幸村も口を尖らせ七面相になる。
「まぁいい‥‥で? もう一つってのは?」
 どう思ってみても、彼は自分と同じ想いをもって相対していた。待ちきれない、押し留められない興奮をもっていたと。
 その興奮を留めてまでも、手を止める理由が気になった。
 幸村はゆっくり、柔らかく笑みを作る。
「佐助がおりませぬ。」
「はぁ!?」
 さっきよりも素っ頓狂な声を上げる政宗に、幸村はさらに微笑む。
 全てを悟った様な、穏やかな笑み。
「そして、片倉殿もおりませぬ」
 変わらぬ笑みから紡がれた言葉に、政宗は、彼が何を言わんとしているか悟ってしまう。解ってしまえば、抑えられないと思っていた興奮が、波の様に引いて往くのを感じながら、大きく溜息を吐き、政宗は渋々握っていた刀を鞘に納めた。
 自分も、そして幸村も気付いていたのだ。
 この場は、互いの半身とも言える佐助が、小十郎が、二人を信用して用意してくれた“手合わせ”の舞台なのだと。だからこそ、無理は出来ないと。
「‥‥いつから気付いていた?」
「それとなく‥‥。しかるに、話がうま過ぎる」
「‥‥たしかにな。」
 両者の、いつも居るべき者がいないというのは、明らかに出来すぎている。
 腰に両手を当て、肩で息を吐く。
 結局、あの二人がいてこその何か。認めたくないがそういう事だ。
「クソッ」
 足元の小石を蹴り上げると、幸村は笑った。
「我らはいつ巣立ちできるのであろうなぁ」
「フンッ」
 反発的な相槌を打ちながらも、政宗は笑む。
 幸村の言葉は揶揄でもなく、卑屈に言っているわけでもなく。そこから飛び出すことを望みながら、そのままでありたいと願う、矛盾した願いとわがままが二人の中にあるのだ。
 脱却したい想いと、心地よい安心感。
 心地よすぎ、まどろみそうになる。その状態がまるで当たり前かのように。
 だからこそ足掻きたくなる。それでいて、蝉脱しきれない。
「お! 噂をすればなんとやらでござるよ」
 にぱっと、さっきまでの落ち着いた穏やかな笑みとは違い、満面の、はちきれん笑みで、政宗の背後に幸村は手を振る。
「佐助―!」
 言ったが早いか、地に突き刺していた槍を素早く引っこ抜くと、綱元と何か軽く会話している佐助の元へと駆け走る。耳と尻尾が見える気がするのは気のせいだろうか?‥‥真面目に戦っていたのが馬鹿らしく思える瞬間だ。
 一方の佐助は、すわり心地のいい場所を見つけると、大きめのゴザを引き、もって来た重箱等を置いて、「よっこいせ」などと掛け声をかけて座った。
「お、旦那。顔が砂まみれだよ。」
 走ってやってきた幸村の顔は、戦いのため頬がまだ赤く上気している。それだけで彼の充実感が確認でき、佐助は満足気に微笑みながら、濡れた手ぬぐいと、竹の水筒を投げ渡した。
「どうよ? 久しぶりの政宗さんのお味は?」
「それはもう、語りつくせぬ!」
「‥‥なんだその言い回しは。」
 遅れてやってきた政宗は頭を痛める。それこそ“人聞きの悪い”。
「よくここがわかったな」
「手短に暴れられる場所なんて、この辺りにここしかないって、」
「“右目の旦那が”‥‥か」
 後半の、佐助の台詞を奪い、政宗は溜息を吐く。
 解っていた事とはいえ、“予測していた事”と“現実”は衝撃の重みが違う。
“自分を理解してくれている”などと言えば聞こえはいいが、単に、思考と行動が読まれているという、こう、何ともいえない行き場のない苛立ちが、ふつふつとこみ上げた。
「ところで佐助」
「ん?」
「これは何でござるか?」
 ゴザの上に両膝を付き、半正座状態で、風呂敷に包まれた重箱の前に幸村は鎮座する。
“これは何でござるか?”と言いながらも、期待に胸膨らませるその表情と態度に、やはり耳と尻尾が見える。
「旦那の期待する通りのもんだよー」
 そう言って、佐助は風呂敷包みを解き、大きな重箱を出現させた。
 蓋を開けたと同時に上げられた、幸村の「おぉー!」という感嘆の声は、その弁当の出来栄えを物語っているようだ。
 あけた蓋に、何種類かの一口サイズのお掬びとおかずを乗せ、箸と一緒に幸村に差し出した。
「ゆっくり味わって食べるんだよー」
「ありがたい。」
「ちょ、お前、弁当まで用意してたのかよ」
 自分達の暴走がうすうすばれるだろう・ばれているだろう事は予測していたが、弁当の用意は酷すぎる。
「何言ってんの。俺じゃないよ?」
「え?」
「うむ。これは佐助の弁当ではないな。」
 質素ながらも彩りにとんだ中身を眺め、嫌な予感がしながらも、重箱の中のきんぴらごぼうを一つまみして、政宗は口の中に放り込む。
 途端、政宗の顔が歪んだ。
「政宗殿? どうしたでござるか?」
「‥‥何でもねーよ」
 口の中に広がる慣れ親しんだ味が、悔しくて仕方がない。
「いつまで苦虫を噛んでるの? 竜の旦那」
 佐助はその表情の意味が解り、ニヤニヤとこちらを見て笑う。
 完敗。だ。
「それにしてもこのお掬びはお萩のようでござるなー」
 一口サイズの俵掬びは、白米のままと海苔を巻いたもの、ゴマをまぶしたもの、擦った緑茶をまぶしたものにきな粉をまぶしたものと、それだけで目に鮮やかだ。
「きな粉もいいよね。ちょっと甘く味付けされてて」
 同意する佐助に期待の眼差しを送り続けた幸村は、「はいはい、今度作ってあげるから」とその場で確約をいただく事に成功した。
「どこか京風で‥‥どこで覚えてくるんだろね」
「前田家直伝だろ」
「は?」
 ついこの間、私用で小十郎を越中・前田家へ使いに出した。前田まつは料理の達人と聞いている。何を習ってくるのやら‥‥
「そうだ、佐助。」
 慌てて口の中のものを飲み込んだ幸村が、向きを正す。
「なに?」
「政宗殿が少し手首を傷めておられるかもしれん。見てくれぬか?」
「あん?」
 大きな瞳の嘆願に、佐助は政宗へと視線を移す。と、無言で“座ったら?”という仕草をしてから、右手を差し出した。
「?」
「手。出して。両方?」
「お前な」
「安心して。旦那が使者でやってきてるのに、俺が何かすると思う?」
「──いい首輪だ」
 どっちがはめている方かは知れないが。
 後方で心配気に見守る綱元に、軽く手を挙げ、問題のないことを伝えると、やっとゴザの上に座り、政宗は左手を差し出す。
 ゆっくり政宗の手を取ると、佐助は丁寧に篭手を外し始めた。
 いきなりの静寂。カチャリカチャリと静かに篭手が鳴り、合間を見計らうように鳥が鳴く。
 風が、木々の香りを運んできた。先刻までは砂埃しか運ばなかったというのに。
「ん〜‥‥」
 手首が見えるよう、佐助は保護用の布を捲り上げた後、間接を動かしたり触ったりして、「痛い?」と確認されるが、さして痛くなかった。
「軽い疲労だね。でもこのまましとくのも悪いから、大事はとっとこうよ。‥‥右手もでしょ? 篭手、外しといてくれる?」
 篭手を外すのは面倒であっても、流石に右手を差し出す気にはなれない。佐助はその辺りを理解して、なにやらあやしげな容器を取り出しながら、辺りを見回し始めた。
 少し、苦闘しながらも篭手を外し終えた政宗は、幸村の、意味の解らない熱い視線に気付き、眉が寄る。
「‥‥何だぁ?」
「なんでもござらん、なんでもござらん!」
 頭を、手を、思いっ切り振って否定するが、その行動が余計に怪しい。ついさっきまで弁当を夢中で食べていたと思っていたら、面白くもない自分と佐助とのやり取りを、ずっと凝視していたのだ。
「言いたい事があるなら」
「はーいはーい、そこまで。 旦那、あそこに大葉があるから、二・三枚、大きくて綺麗なの取ってきてくれます?」
「あいわかった」
 元気よく走って行った背中を見送るしかなく、問い詰めようとした瞬間、わざと逃がした佐助をチロリと睨む。
 すると佐助はにこりと笑った。
「あんまりいじめてやんないでくれる? お気に入りのあんたに会えて、しかも怪我させたかもしんないって、気が気でないのよ。あれ」
「そうは見えんがな」
「あはは。そう言ってやんないで」
 笑いながら、あやしいものを調合している佐助にも眉が寄る。鼻にツンと、酸っぱい匂いが刺した。
「なんだ、それは?」
「あぁ、これ? 粉とお酢。食べられるよ? あまりお勧めしないけど。」
「佐助。これでよいか?」
 あまりに早いご帰還に、二人して幸村を見上げる。そして、その手に握られている大葉。
「二・三枚には見えないんだけど、旦那‥‥」
「お、多いに越した事はないでござろう!」
 突っ込みながら幸村を軽くあしらい、佐助は政宗の方へと向きを正す。
「んとね、大葉は疲労回復してくれるの。で、この混ぜ物は熱を取ってくれる。怪しいものじゃないから塗っていい?」
 ここまできて突っぱねる気はない。そして横では、「佐助の薬は良く効くでござる!」と、口を開いてもないのに、幸村は雄弁に全身で語る。
 到底逆らう気にもなれない。
「‥‥すきにしろ」
 瞬間、幸村の表情から緊張が解け、解けた拍子にできる笑みを見る。
“お気に入り”──ね。どうやらそれは間違いないようだが‥‥
 大葉を巻いた上に、練り物で作った湿布を、佐助は小さなヘラ勺で丁寧に塗ってゆく。それを静かに幸村は眺めていたかと思えば、いきなりすっくと立ち上がり、雄叫びを上げた。
「なぁ!?」
「某、もう少し身体を動かしてくるでござる。」
「ちょ、旦那、いきなり運動したらおなか痛くなるよ‥‥って」
 引きとめようと出た手がむなしい。
 佐助が止める間もなく、目の前の、二人が戦っていた広場に立ち、軽い演舞をし始めた。
 演舞となればなおのこと、彼は鳥のように軽い。
 紅葉色づく山際を自由に羽ばたく鳥‥‥そういったところか。
「あれは──死ぬぞ」
 ぽつりと、政宗は突然の言葉を吐く。
「あれは、死ぬ。」
 佐助の手は止まらなかった。だが一瞬だけ強張ったような気もする。
 そして、何も語らない。そこに政宗は言葉を続けた。
「この時代において、真っ直ぐ過ぎる。もう少し教育方針を変えたらどうだ?」
 奥州における骨肉の争いは、中央が考えるそれよりも酷い。東北の血縁結びは日常化しているからこそ、恐ろしく希薄でもある。
 その中で育った政宗だからこそ、幸村のそれは狂気に近い。
 幸村は“もののふ”だから? そんな言葉では片付けられない。
 多分彼は、それが時代として正しいことでなかったとしても、乗り遅れた事柄と解っていても、“何か”のために突き進むだろう。
 強靭でいて危うい。
 まるで炎のような。
「なーに言ってんの。こっちはわざわざそういう教育方針でいってんの。そっちこそ、そのへそ曲がりな教育方針、問題じゃない? 片倉さん、そろそろ胃に大穴開くよ?」
 言っていて、“あれ? どっちが教育しているんだっけ?”と佐助は小首をかしげ、まぁいいかと左手の手当てを終える。
「それに、この教育方針、気に入ってるのはアンタじゃない? 政宗公?」
 差し出された右手を受け取り、唇の端を上げて笑む佐助に、無表情で応える。
 その通りだ。強いと思うからこそ惹かれ、儚いと思うからこそ愛でてみたい。一時であるからこそ、感じたいと思う。
 今、山々を焦がす、赤い赤い紅葉のような──

「──林葉翩翩として秋日燻る、行人独り向かう辺山の雲。
唯余す天際孤懸の月、万里流光遠く君を送る──」

 風に乗り、詩が届く。まるで彼の奏でる笛のようだと政宗は振り返らず微笑んだ。
「識人か」
「はい。」
 遅れてやってきた半身は、まるで全ての会話を聞き知ったように詩を宛がい、政宗に、栓を抜いた水筒を手渡す。
 主人が手当てを受けているための配慮だ。
「うっはー、無理。意味わかんない」
 ペロリと舌を出しながら、佐助は治療を続ける。
「難しいもんでもねぇさ。詩は音を楽しめればそれでいい。」
「遅かったじゃねぇか小十郎。干からびるかと思ったぜ」
 空になった竹筒を、手渡しながらその手にコツリと叩いて不満を言う。
「あいにく、道なりに進めばこれくらいかかります。」
 馬でなくとも、常人は佐助のように道をショートカット出来はしない。
 佐助の引いたゴザの上に、もって来た重箱を置き、小十郎も弁当を広げ始める。
「ま、余計な心配はご無用だよ。ウチの旦那の安全を守るのが、俺さまの仕事なんだから。で、アンタを守るのがそこにいる片倉さんの勤め‥‥はい、出来た。」
 両手首に巻かれた手ぬぐいは、湿布として挟まれた大葉や得体の知れないものの嵩で、手枷のようにぷっくりと盛り上がっている。
 情けなくなった手首を眺める政宗に、小十郎は笑いながら、重箱の蓋の裏に盛った弁当を手渡した。
 中身は幸村と同じ、色とりどりでありながら素朴なもの。
「安全ね。放っておいてよくそんなことが言えるな」
「でもこうやって弁当広げられるくらい平和じゃない」
「今がたとえ平和であったとしても。俺は殺すぞ?」
 静かに、告げる。
「必要ならば。何の躊躇いもなく」
 口に出して宣言したのは何故か、政宗自身もよくわからなかった。ただ、口に出さずにはいられなかった。
 そう、殺すだろう。躊躇いなく。殺せるだろう。迷いもなく。
 それは紛れもない事実。
 確認したかったのか、宣言したかったのか、言い聞かせたかったのか、明白にしたかっただけなのか。
 誰かに対して。自分に対して。
 黙し、聴いていた佐助だったが、うっすら笑みを作る。
「何当たり前なこと言ってるの? ウチの旦那だって躊躇いなくアンタ殺すよ? だから安心して」
“ねぇ?”と相槌を求める相手は、竜の右目。相槌が返ってくるわけもなく、佐助は苦笑いを作る。
 肌寒い風が通り過ぎた。寒暖の差が大きければ大きいほど紅葉は美しく燃え盛る。
 丁度いい。
「片倉どの〜!!」
 こちらの空気を知らない幸村は、槍を持ち、合流した小十郎を見つけ、全力で駆け寄ってくる。やはりどこかに耳と尻尾が付いていないかと、政宗は眉を寄せた。
「お久しぶりでござる、片倉殿」
 礼儀正しく挨拶をする幸村に、小十郎は会釈。
 すると、幸村は何か言いにくそうにモゴモゴとしながら、小十郎と政宗を、交互にちらりちらりと見はじめた。
「? なに?旦那。なんかあるなら口に出して言わなきゃわかんないって。」
「あ、あ、政宗殿!」
「あん?」
「片倉殿をお貸しいただけないであろうか?」
「はぁ!?」
「一度色々と、こう、試してみたく、お相手を!」
「‥‥まずそのあやしい日本語何とかならねぇか?」
 興奮のあまりに、思いつく言葉を先走る幸村にストップをかけ、見据えると、真っ赤になって口ごもった。
 まぁ、手合わせがしたいということだろう。小十郎は政宗と共に行動する。そうなれば、真っ先に刃を交えるのは政宗の方だ。小十郎ではない。しかも小十郎は大概手を抜いている節がある。
 試しではなく、もう一歩踏み込んだ手合わせがしたい。──そういったところか。
 確かに小十郎の剣は達人の域。手合わせを望む気持ちもわからなくはないが、さてどうしたものかと、ダシのきいた伊達巻を口に放り込み、意地悪く考えていると、政宗が応える前に、「私は構いませんが」と小十郎が応えた。
 無意識に、眉が寄る。
「政宗様の手の状態を考えてくれた上で、家臣の自分でいいと言って下さってるとなれば、受けないわけにはゆきますまい。」
 一層、政宗は難しい顔をする。
「──勝手にしろ」
“シッシッ”と手を払った政宗に小十郎は一礼して、「行きますか?」と幸村に優しく声をかける。
「かたじけない」
 政宗に一礼し、小十郎にも一礼をしてから、幸村は広場の中央へ、尻尾を振って走る。
 構える二人を眺めながら、お掬びを一口。
 赤一色に染まった山際に、変わらぬ蒼があるというのも悪くない。
「なに〜? 旦那やきもち?」
「違う。」
「またまたぁ〜。素直じゃないんだから」
「違うって言ってんだろ」
 ニタニタといやらしい笑みを浮かべ、茶化してくる佐助を、鬱陶しげに払いながら、政宗は腕を組んだ。
「アイツをだれだと思ってんだ。」
「ん? 竜の右目?」
「そうだ。代わりのない俺の右目で、傅役だ」
「うん、知ってるよ?」
「誰が──俺を教育したと思ってる」
「へ?」
「小十郎が今の俺と同じ歳頃、俺は七つ‥‥いや八つだったか。」
「う、うん。それが…」
「そんな相手に相撲では投げ飛ばす、木刀は打ち込む、挙句、“手加減? 何です? 美味しいんですか?”で向かってきやがる」
 ピタリと、佐助の動きが止まる。あわせるかのように、二人の手合わせが始まった。
「いつもは“俺が楽しむから我慢しろ”と釘さしてるが‥‥根に持ってるのは、俺と同じもんだ」
“手合わせで試合なら俺シラネ”と言わんばかりの表情で、近くにあった水筒を政宗は手に取る。
 じんわりと、ちょっと嫌な汗が、佐助の手に滲んできた。
「あのね、ウチの旦那が強いのはわかってるでしょ?」
「弱いとは思わねぇ。強いとは思う。だがな」
 顎で二人の手合わせを指し示す。
 舞う幸村。その舞に呼応するように小十郎は、正面を向かず、踏み込まないで左肩で空気を読み、ひらりひらりと避けて舞う。風に舞う葉といったところか。
 小十郎の動きを見て、片手で顔を覆う佐助と、反省点を体現されたようで頭の痛い正宗。
 そう、動きに惑わされたが、幸村は“剛”である。ついつい正面で受けすぎたのも、手首を傷めた原因。
「なに、あの相性の悪さ」
 耐え切れず、佐助はぼやいた。
「小十郎は実際師範代だ。俺の喧嘩殺法とは訳が違う。後、お前ばかり最近手合わせしてないか? アイツ変な癖付いてるぜ?」
 立場逆転で政宗は歯を見せ、ニヤリと笑う。
「変則に慣れた身体だと、正統は辛いだろうなぁ」
「だんなー、にげてー!」
 豪快に笑った後、政宗は小分けに盛られていたきんぴらごぼうを味わいながら、これ以上ない舞を楽しむ事にした。





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