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『鐘の音』

「雪、見たかったんだけどな〜」
 二つの月が蒼白く輝く夜空を見上げ、アデューは残念そうに呟いた。溜息が外気に触れて白く揺らめき、闇に溶けていく。
「ここは山から遠いので、真冬でもあまり雪は降らないんですよ」
 二人分のお膳をテキパキと並べていた若い仲居が、律儀に説明してくれる。
「さぁさぁ、お蕎麦の用意が出来ましたよ。冷めないように窓を閉めてくださいな」
 アデューはそれでも諦めきれず、窓の外に身を乗り出した。先刻よりも少しだけ近づいた空は、先刻と変わらない表情をしている。
「雪……」
「しつけぇんだよ!」
 背後から怒声と共に首根っこをつかまれ、強い力で中に引っ張り込まれた。そのまま、乱暴に床に放り出される。
「イッテ〜! なにすんだよサルトビ〜!」
 したたかに打ち付けた腰を擦りながら、旅の連れ――サルトビを睨みつけると、今度は座布団が顔面に飛んできた。
「いいから大人しく座ってろ!」
 アデューを睨み返して一喝したサルトビは、入れ替わるように窓辺に立つと、夜空には目もくれずに勢いよく障子窓を、
「……」
 寸前で仲居の視線を感じ、静かに閉じた。
 本当は、彼女はサルトビが座布団を掴んだ時点で止めようとしていたのだが。戦闘訓練を積んでいない人間に、流れるような動きの忍者に声を掛ける機会を見極めろというのは無理な注文だった。
「お二人とも、静かに味わってくださいね?」
 他のお客様の迷惑になりますから、と淡々と告げる仲居の笑顔はわずかに引き攣っていた。
「は、は〜い!」
 アデューは慌てて目の前に転がった座布団を拾い上げた。いつの間にか席に戻っているサルトビの対面にそれを敷き直し、見よう見まねで正座する。
「では、ごゆっくり」
 くれぐれもお静かに、と眼で訴えかけながら仲居は退室した。
 アデューはすぐさま足を崩す。
「あの人、めちゃくちゃ怒ってたなー」
「これ以上心象を悪くしたくねぇなら、大人しくしてろよ。宿代に迷惑料が上乗せされたら堪んねぇからな」
(俺は窓の外を見てただけで、サルトビが一人で暴れてたんじゃないか?)
 声に出すと確実に拳が飛んでくるので、心の中で突っ込む。
「なんだ? 何か言いたそうだな」
「なんでもないっ! いっただきま〜す!」
 サルトビの勘の良さに冷や汗を浮かべながら、アデューは仲居が気を利かせて用意してくれていたフォークを手に取った。

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