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[将譲]逢夢辻〜20〜

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【逢夢辻】〜20〜


「景時か。‥‥入れ」
 もっとグルッと人がいる部屋に通されるのかと思いきや、そこにいたのは頼朝さん一人だけだった。
 景時さんが報告するより早く茶吉尼天の消滅を知っていたらしく、特に何のリアクションもないまま‥‥そんな頼朝さんの表情が一転したのは、九郎さんの名前が出た瞬間。
「あれを、逃がすというか」
「御意。ことが済めば、九郎義経は神子殿の世界へと向かいます故。‥‥それをしかと見届けたのち、ここへと戻って参ります」
 よくは判らなかった。だけど頼朝さんは、景時さんが『戻る』と言った瞬間、僅かに眉を動かしたように見えた。茶吉尼天の恐怖で支配していたはずの景時さんが、その力を振るわない頼朝さんに付き従う姿勢を崩さない‥‥まるでそのことに驚いているかのように。
 景時さんは、そんな頼朝さんの様子に気付かず、早口で言葉を並べ立てる。
「清盛公は『黒龍の逆鱗』なるものを使い、死した兵を怨霊として蘇らせているとの調べがつきました。その根元を破壊し五行の均衡を整えることで、神子殿と九郎は時空を越えることが‥‥そして平家からは、戦力となる怨霊が全て消え去ることとなります」
「皆まで言うな。‥‥平家、並びに九郎義経の追討をやめよとの申し出であろう」
「っ‥‥、御意」

「かまわぬ。好きにするがよい」

 一瞬、空耳かと思った。
 そう感じたのは俺だけじゃないらしく、景時さんも不安そうに視線を投げてくる。
 狐に摘まれたような気分で顔を見合わせた俺達に、くるりと背を向けた頼朝さんは‥‥低い微かな声で、次の命を出した。
「速やかに片付けて、此処へ帰れ」
「‥‥‥ハッ」
 話は済んだとばかりに部屋を出た頼朝さんの後ろ姿をポーッと見つめた景時さんは、さっきまでの凛々しい姿も何処へやら、腰が抜けたように座り込み、力無く笑いながら涙を零した。
「やだな‥‥‥泣けてきちゃうよ‥‥」
 意味がわからないとばかりに首を振る景時さんを見つめながら、なんとなく納得した。
 確信は持てないけど、頼朝さんの中では平家や九郎さんに対するソレより少し、梶原景時って家臣への執着の方が強かったんじゃないか。そう思う。‥‥自分を守る大きな力を失った頼朝さんには、景時さんの存在は小さくないはずだ。しかも、茶吉尼天を倒した理由が離反の為じゃないのだとしたら‥‥そこまで気付いてるのかどうかは、やっぱりよくは解らないけど。
 そんなことを考えたのは、たぶん『完璧』に見えていた兄さんの弱点を知ってしまったからなんだろう。
 兄さんの弱点は、俺。
 それを認めてしまうのは少し恥ずかしい気もするけれど、物騒な夜の町を、生死のかかった戦場を垣間見てしまった今となっては、否定する気分にもならない。
 掛け値無しに強い人にも、意外な弱さはある。
 それが人を惹きつける根元なのかもしれないと、‥‥そんな気がした。


 一度、京に帰った俺達は、そこで『厳島神社に黒龍の逆鱗が納められた』と聞いて、休む間もなく西へと向かうことになった。
 黒龍の逆鱗、か‥‥。
 この話をすれば、誰よりも朔が一番悲しむと考えていたのに、意外にも一番様子がおかしかったのは弁慶さんだった。朔は凍り付いたように冷静な瞳のまま「ならばそれを取り返しましょう」と呟くだけ。
 逆鱗を失ったということは、その龍はもう二度と戻らない。それを壊した時に新しい黒龍が生じるのだと説明されても、無言で一つ頷いただけだった。
 朔は今でも、黒龍を愛しているのに‥‥。

 朔はあまり口数の多い方ではなかったけど、俺や先輩には色々と話を聞かせてくれた。
 それは俺達がこの世界と直接関係がない存在だからなのか、それとも何か他の理由があるのか解らなかったけど。

「譲殿と将臣殿の関係は、私には解りかねるわ。‥‥でもそれで二人が幸せだというなら、それでも良いのではないかしらと、最近少し思えるようになってきたの」
 兄さんと熊野で別れて、少しした辺りかな。月夜の晩、縁側でボーッと月を見ていた俺に、朔が話しかけてきた。
「思えば恋は、立場や常識を念頭に置いてするものではないものね‥‥」
 それは俺に対しての言葉なのか、それとも朔が何か話したがっているのかと考えながら視線で促すと、隣にそっと腰掛けながら独り言のように語り始めた。

「ヒノエ殿が‥‥‥私に好意を持っているのですって。私は黒龍のものだと言っても『物じゃない。だから朔は自由だよ』なんて返されて、正直‥‥少し戸惑っているのだけれど‥‥」
 ヒノエらしい。
 どこまでも自分のやり方で押していくところとか。
 自然に、人の心を楽にしていくところとか。
「黒龍への愛が尽きることはないわ。そう伝えても『そのままでいい』って笑うのよ」
 困惑したように語る朔は、それでもどこか幸せそうで。
『恋人だろうが辛い過去だろうが、それを消したら今の自分はいなくなっちゃうだろ。朔が何かを手放す必要はないから、全部抱えておいで。‥‥抱えきれないなら、オレが一緒に抱えてやるよ』
 ヒノエの台詞は、なんかの歌の歌詞みたいだとか思う。アイツ、あっちの世界にいってもモテるんだろうな。

 朔はヒノエに惹かれていくことで『自分が黒龍のことを忘れてしまうんじゃないか』と怖れているようだった。
 忘れてしまえるなら忘れてしまえばいい。それでも心が痛むなら、やっぱり誰かが一緒に居た方がいいに決まっているし‥‥。
 先輩は、この戦が終われば元の世界へ帰る。
 それはもう先輩だけの問題じゃなかった。九郎さんの安全を考えれば他に選択肢はない。

 ヒノエになら‥‥朔を託していけるのにな。
 それが俺達の自分勝手な理想だと、気付いてないわけじゃない。
 それでも、優しい朔を独りにして帰るのは、やっぱり心苦しいわけで‥‥。


 これが最後の勝負。
 ゴールが見える焦燥感は、思ったよりもずっと心に重いものだった。
 
 
 
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