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【逢夢辻】〜09〜
不思議な夢を見た。
怨霊のいない、物静かな京の夜。それは目指した未来なのかと思うほど、平和で穏やかな‥‥そんな夜の町に不似合いな、痩せこけた男が一人。
兄さん‥‥?
見慣れた短い髪。今よりも幾らか幼い顔。
そうだこれは、あの時別れたままの・・・兄さんの、過去‥‥?
何が起こったのか解らなかった。
見覚えのある姿、見たことのない町並み。それがはぐれた頃の兄さんの出で立ちにそっくりで、何度も歩いた京の町にそっくりで‥‥思い出以外の過去を夢に見ることなんて、今まで一度もなかったのに。
あの傷を見たせいか?
兄さんの肩に胸に腹に背中に腕に足に、要所という要所を全て覆い尽くすようなおびただしい傷跡と火傷の痕。引きつるように縫い合わされた皮膚は、少しイビツな形でくっついていたり、うっすらと赤黒く変色したまま残っていたり。
正直、もうパニックだった。
見えない過去が苦しくて、知ったからといって何が変わる訳じゃないけど、何も知らずに傍にいることが苦しくて‥‥‥そうだ、俺は願ったんだ。
兄さんの、過去‥‥。
「譲‥‥っ?」
こっちに向かってきた兄さんが、夢の住人である俺を見つけたのかと思った。
必死で手を伸ばしたけど、その身体は通り抜けて、無防備に倒れ込んで‥‥地面に突っ伏したまま、祈るように何度も俺の名前を呼んでいる‥‥。
『兄さんっ、兄さんっ』
差し伸べた手は擦り抜けて、呼びかける声は届かなくて。
その時、通りの向こうで複数の足音。同時に起きあがりフラフラと走り出した兄さんは、それがどれほど危険なものだか解っているらしい。
姿を見るなり、いたぶるように追いかけてくる物騒な連中は、兄さんが物陰に隠れてやりすごした直後に、目に付いた町の人を身ぐるみ剥いで満足げに立ち去っていった。
背筋が凍る‥‥。
怖ろしいのは怨霊も人も同じ‥‥いや、自らの意志で動いている分、怨霊よりタチが悪いかもしれない。
朝までそこで隠れていればいいのに。そう願う視界の端で、兄さんが動いた。
「‥‥譲‥っ」
誰だ、これは。
食べるものもなく休む場所もなく、身体は見る影もなく窶れきって、目ばかりをギラギラと光らせたまま鬼気迫る顔で俺を捜して‥‥‥っ。
平和な顔をしている地獄の町。
こんな場所に落とされたら、先輩も俺もひとたまりもない‥‥‥いや、先輩を守るためなら死ぬ気で頑張るだろうけど。
あ。
『お前に逢うために、生き残ってきたんだぜ?』
もしかすると、そうかもしれない。
これはたぶん地獄の入口みたいなもの。死んだ方が楽だなんて考えた時点で、死は現実のものになってしまうから‥‥。
トクン
聞こえる。‥‥命の音。
「ん。起きたのか?」
おでこの辺りでモゾモゾと微睡む幸せな声。ああアレが夢で良かったなんて、絶対に言えない。
目の前にあった一際酷い傷跡を、クチュッと音を立てて舐め上げる。
「ちょ‥と、ゆず‥‥?」
痛々しい傷跡の一つ一つが、全て愛しい。
「や、め‥っ」
「黙って」
俺を待っていてくれた。希望を捨てずに生きていてくれた。兄さんの存在の全てが、死ぬほど愛おしい。
「譲?」
戸惑うように上がった頭を沈めるように口づけて、言葉にならない想いをぶつける。
兄さんはまだ、自分だけが求めているように考えてるのかもしれないけど‥‥。耳の奥に誰かの言葉が残ってる。『男はみんな野生の獣なの』‥‥そうだな。後でお前の相談にも乗ってやらなきゃ。きっと。この夜を越えたら‥‥。
男に発情するかって言われたら、それはまだ判らない。
ただ、兄さん以外の誰かにこんな風に触れられたら、たぶん舌を噛みきって死んでる。そう思うくらい悪寒が走るような、生々しい肌の触れ合いが、まさか‥‥心地良いだなんて。
俺も大概恥ずかしい。
すっかり大人しくなった兄さんの瞳を覗き込んで、その目をペロリと舐め上げると、ゾクリと肩先が震える。‥‥ヤバイかな。頬から僅かにのぞいたザラリとした感覚にまで、そんな男臭い生理現象まで愛しいとか‥‥どうかしてる。
脇に長く続いた傷を追って身体を引き寄せると、好きにしろとばかりに寝返りを打って背を見せた。
「‥‥‥全部、見せて」
「いいぜ?」
そう言うと、長く伸ばした髪を無造作にかきあげる。
こんな所にも傷が‥‥。
「頸動脈のすぐ傍じゃないか」
「だよな。俺もさすがにヤバイとは思ったけど」
なんとかなったから。
笑い声の中に恐怖が微塵も混じらないのが不思議だった。
結果オゥライ。
兄さんに言わせたら、そんなとこだろう。
「ホント‥‥心臓がいくつあっても足りない」
「お前にそんだけ心配してもらえんなら、もっと作っとくんだったぜ」
「ばか」
「‥‥‥‥‥なあ」
突然熱くなった声に鼓動が飛び跳ねる。
「そろそろ、限界なんだけど」
甘えるような響きがどんな意味を持ってるのか、ハッキリとわかった。腹這いになったその身体の下で、どんなことになってるのか。
ダメだもう、嫌悪感すら感じない。
ラクにしてあげたいけど、どうすればいいのか判らない。無茶なこと言われてるのかもしれない。だけど、もう。
「好きにしろよ」
痛くていいから。
苦しくても辛くても構わない。いっそ‥‥酷くされたい。
形勢逆転とばかりに組み敷かれた身体が、ムリヤリこじ開けられていく。
片手で軽々と折り曲げられた足と腰。
座り込んだ兄さんの口が信じられない所に触れて、舌が、ねじこまれる。
苦しくて悲鳴も出ない。
「そんな‥‥汚いとこ‥‥っ」
「黙ってろ」
グチュグチュと音を立てて唾液が送り込まれて。
「‥ア‥‥‥」
侵蝕される。
突き立てられた指が内臓を抉るごとに、世界が、塗り替えられていく。
「ヤ‥‥‥‥‥変‥‥」
胸で繰り返す呼吸は、吸えば吸うほど目眩を酷くしていくようで。
初めてなのに。
こんな変なこと‥‥絶対、初めてなのに‥‥。
感じるとか。
そんな。アリエナイだろ‥‥。なんかやだ。まるで俺が‥‥っ。
「ほら、もう一本」
「ンハ‥‥ッ」
ずるずると犯されていく感覚は、違和感しか生まない。
どうしよう。
もっと、欲しい。
「いいから‥‥ハヤク。にいさん‥‥っ」
「‥‥壊れるぞ?」
「壊せよっ」
グチャグチャに壊して。ドロドロに溶かして。いっそ、もう。
あなたの一部にして。
「っあぁあああ‥‥っ」
メリメリと沈みこむ固いものに、命を打ち付けられたような気分になった。
痛みも息苦しさも、それがなけりゃ生きてる気がしないほど、当然のことにように。
「譲、譲‥‥ゆずる‥‥っ」
ああ、もう、死んでもいい。
なんでだろう。
本当に、そう思った。
考えてみれば本末転倒な話で、ここまで必死で生き残ってきた兄さんに対して言うことじゃないんだけど‥‥でも、たぶんそのくらい満たされた気分だったんだろう。
張りつめた俺の熱が、触れてもいないのに蕩々と流れ落ちてる。
胸に落ちたそれが、やんわりと締め付けるように首を伝っていく。
まずい‥‥意識が‥‥‥。
白くぼやけていく世界の中で、兄さんが泣いてた、ような気が‥‥‥した‥‥。
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