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【酔恋譚】 ~Suirentan-16~

 傍に在れば、辿り着けるかと思っていた。
 君の住む場所に。
 まばゆいばかりの桃源郷に。

 いつかは辿り着けるかと思っていた。
 君を想う気持ちが浄化して、この薄汚れた皮を捨て、その魂が住む場所へと。

 死んでも構わない。
 ただ、君に触れたかった。



 やるべきことは全て終わり、鬼に穢された白虎と向かい合う日が来た。
 行かねばならぬのは、地の白虎である私と、龍神の神子殿。しかし二人で立ち向かうには少々手強い相手である。
「鷹通さん、一緒に来ていただけますか」
 静かに告げた神子殿の瞳に、迷いはない。
「もちろんですよ。神子殿」
 穏やかに笑った鷹通は、その視線をこちらに投げて温かく微笑んだ。
 君が来てくれるなら心強い。
 そんな言葉を返しながら、誰にも…鷹通にも気付かれぬように、生唾を飲み込む。
 鷹通の力を信じているのは真実だ。他人に期待するということに不慣れな私ですら、その頑強な精神力を頼る時がある。
 しかし。
 できれば、連れていきたくなど、ない。

 神子殿を守ることは最優先だ。
 彼女の力がなければ、八葉といえども怨霊に対抗する力などあろうはずもなく、すぐに京ごと穢れにおちてしまう。
 しかし怨念の矛先が私に向いた時。
「友雅殿、ここは私が」
 飛び出してくる君を、どうしたらよいものか。

 突き飛ばして叱りつけたい衝動に駆られる。
 この身を呈して守り抜きたい存在を、あっさりと傷つける、その気高い心を…へし折って跪かせたい。君は私の後ろにいればよいのだと、泣いて縋りたい。私の心は君が想うよりも遙かに脆弱で、愛する人の苦しみを許せる余裕など露ほども持ち合わせていない。
 君と共に敵へ向かえば、この心は悲しいほど焦りと憎しみに支配されてしまう。
 判断を誤るわけにはいかない戦いだというのに。
 暴走を許すわけにはいかない戦いだというのに。

 しかし。だからといって……。

 人知れず涙を拭いながら、軽口を叩いて、気楽な風情で傍に在り続ける。
 苦しむ姿を見せることで君を傷つけたくはない。

 心の悲鳴を押し殺しながら、また、一日が始まる。

 

 白虎を嗾ける鬼は、シリンという美しい牝狐だった。
 純粋に人を想うことの『醜さ』ばかりを晒すこの女は、自分の心を映すようで気分が悪い。
 お館様のために殺す。お館様のためなら死ねる。お館様の…。
 うるさい。黙れ。
 この牝狐が語る愛は、黴臭い汚物のようだ。
 ただ『愛』というだけでは、美しく有り得ないのだと思い知るようで。自分の想いはそうではないのかと問い質すようで。とても……気分が悪い。

 神子殿が封印した怨霊達の助力は力強く、神子殿の五行にも不安要素はなく。当然だが、勝敗は占うまでもない。
 白虎が解放されたあと、大方の予想通り…いや、予想以上に手酷く。
 シリンは捨てられた。
 美しい姿。しかし醜悪な愛情。それを塵のように捨てる男の気持ちは、当然のものだろうと思うのに。
 神子殿は……鷹通は、何故そんなにも辛そうな顔をする?
 本当に、この二人は似ている。
 自分とは違う人間だと、思い知る。
 そう……私の情は、あの女のように、醜いものだと……そんな気がするのだ。
 この想いは、君を穢れさせてしまうと。

 

 酷く落ちこんだ様子の神子殿を想い、屋敷を訪ねる。
「君がそんなに気にしているというなら、あの鬼を探させよう」
 それで少しでも気が晴れるなら。
 ただの気休めかと思う。見つけ出した所で、あの鬼の心が救われるはずもないのだから。
「ありがとう、友雅さん。そうしてもらえると……嬉しい」
 苦しそうに笑う顔。
 きっと私が帰った後に、この人は泣くのだろう。
 自分を苦しめるだけの存在を想い、見返りを求めずに泣くのだろう。
 たまらない。
 自分がしていることの不誠実さに反吐が出る。
 何とも思わぬどころか、私はあの鬼を排除したいとすら思っているのに。

 まとわりつくような夏の風に、それでも芯から震えあがって人肌を求めた。
 たどりついた竹林の庭。
 気配すら感じさせぬほどに小さく震えて涙を落としていたその人を、この穢れた胸に抱くことはできなかった。
 それは聖域と呼ぶに相応しい。
 どんなに面の皮の張った者であれ、肌で感じる神域。
 この穢れた手で触れてよい存在ではないと、いつも何処かで感じていたというのに。
 割れた半身などではない。
 そんなに綺麗なものではない。
 きっとこの御霊は、あの人が捨てた穢れの塊なのだ。

 ギリッと歯を食いしばった時、穢れた声が誘いかけた。
「おや、八葉の唐変木じゃないか。ずいぶんと暗い顔をしているね……お前もとうとう、あの小娘に捨てられたのかい?」
「ああ。……ここにいたのかい」
 今、一番聞きたくない声だった。
 しかし今の自分に、なにより相応しい出会いだとも。

 そう。私にはこの薄汚れた場所こそが似合っている。
 鬼の女を抱きながら、意識を捨てた。
 もう二度と綺麗なものに触れずに済むように。

 もう二度と、あれを穢さずに済むように。
 
 
 
 
 
 
 
小説TOP15 || 目次 || 17
 
 

友雅と鷹通は「兎と亀」のようだと、思っています。友雅は誰より速い足を持ちながら、飛び回って遠回りばかりしている兎。鷹通はスピードとは無縁の歩みながら、確実にゴールを目指す亀。
勇み足も無駄足も、必要ならば止めません。さあ亀、走れ。勝手に突っ走って穴に落ちた兎を救い出してくれ。