月の声。風の道。竹の衣擦れ。
貴方に焦がれる私のように、飾る色も香りもなく、ただ立ち尽くしている。
注がれる愛を疑うわけではないけれど。
貴方の愛を信じるには、自分を信じる強さが必要なのだと、ようやく気付いて。
途方に暮れたまま、遠くの空を見上げていた。
素っ気ない庭を見つめる。
友雅殿の庭は、あれほどまでに美しく整えられていたというのに。
昨日までは、この竹林の静けさが好きだった。
世の喧騒を掻き消すような竹のざわめきが、独りで在る時間を作り、とても心落ち着く場所としていたはずだった。
………友雅殿は、ガッカリするかもしれない。
花も実もつけぬ無愛想な庭を見て、つまらない男だと思われるのではないだろうか。
心の核は信じていても、こんなにも些細なことに躓いてしまう。
貴方に相応しい者になりたいと……それは、出逢ったあの日からの変わらぬ願い。
こんなにも近く親しくなったというのに。
不安はなくなるどころか、貴方を想う心と同じ速さで大きく深くなっていく。
貴方を失いたくない。いっそ貴方を忘れてしまいたい。貴方を。貴方を。貴方を………。
そればかりだ。
友雅殿の顔ばかりが浮かんで、昼も夜もなく。
「鷹通。……今夜は月が美しいよ」
待ち侘びた声が、意外なほど傍に在る。
「友雅殿…っ。何時から、いらしたのですか」
「さあて、いつからだろうね。……鷹通。恋しい人を待つにしては、ずいぶんと苦しんでいたようだけれど?」
そう。苦しいのだ。
貴方を想うことが苦しくて、なのに逃げてしまえなくて。
「気のせいではないですか。友雅殿こそ、ずいぶんとお早いお越しでしたね。嬉しいですが、無理をなさったのではないかと心配です。食事は済まされましたか。何か簡単な物を用意させましょうか」
人払いをしてから、いくらも月が動いていない。
普通なら食事をしているほどの時間だろう。
「鷹通は……普通に食べることができるのかい。私には無理だ。君のことを想うと胸が苦しくて、舌がどうかしてしまう。味覚がおかしい。食事もままならないほどだよ」
自嘲気味に歪む顔が、その言葉の真偽を示す。
「……私も…………同じです」
かといって食事を取らぬなどと言えば、屋敷の者に余計な心配を掛けてしまう。運ばれてきたものを無駄にすれば、作った者が嘆くであろう。その義務感から口に運ぶが、やはり何も感じない。
「ふふ、嬉しいことを云うね。…恋煩いも二人でやるなら楽しいものだ」
恋煩い?
そういえば、そんな言葉も聞いたことがある。
「恋の病ですか…」
まさか、貴方までが。
「そうだよ。食事も取れぬほどの熱病なんて、楽しいじゃないか」
「楽しんでいる場合ではありませんよ」
急に不安になって手を取ると、意地の悪い笑みを浮かべて手を握り返す。
「いいんだよ。……私は君を召し上がりに来たのだから」
うっとりと言い放ち、手の甲に唇を落として……指を、舐め取っていく。
「………あ…」
ただ、指を舐めているだけなのに。根本まで舌が這うと、背筋が…脳髄が……私の全てが、犯されていくようだ。
着物も乱さずに、向かい合って座っているというのに。
「…ん……ぁ」
あまりの快感に涙が零れそうになる。
貴方に流されるまま身を預けたいのに……自分で、求めてしまいそうになる。
「と…も、まさ…どの…?」
気持ちを悟って焦らしているのか。それとも、今宵はそれが気分なのか。
貴方は私の指先にしか興味を示さぬように。
ただ、そこだけを。
「お願い………もう…っ」
堪え性のない自分に、あっさりと見切りをつける。
貴方任せにして『貴方が求めるから』と言い訳をして身を開くのは、逃げ、だ。
貴方ばかりでなく私も欲しがっていると、素直に認めることが出来ないのなら、貴方の傍にいる資格などない。
私は私の意志で、貴方に抱かれるのです。
空いている方の手で紐を解き、身を捩って着物を脱ぎ捨てる。
月光の庭。
隠すものなど無い心を、ただ、貴方に差し出そう。
はしたない者と思われるかもしれない。暴き甲斐のない奴と呆れられるかもしれない。
それでもいいと思う。
己を偽って、綺麗な衣を纏って、貴方を騙して。……そして受ける愛ならば、それが如何ほどの物であろうか。
命をかけた情熱ならば、それに見合うだけの気高さを持ちたい。
貴方に相応しい者で在れるように。
ほんの少しでも、貴方という魂に近づけるように。
友雅殿は、ようやく手を離して着物を落とすと、大きく腕を開いた。
「月を愛でながら、君を抱きたい」
とろけるほどに優しい笑み。
求めずとも降り注ぐ、この月明かりのような愛情。
「ええ。私も、月に愛でられながら貴方と溶け合いたいと…」
囁く愛の言葉も突き上げる嬌声も、全て風が掻き消してくれる。
貴方にだけ届く、私の声。
是も非もなく向かう、私の心。
あなただけに。
「美しい庭だね…。凪ならば、月の音色が届くような。しけならば、俗世の喧騒を掻き消すような。…きっと雨でも降れば最高なのだろう」
うっとりと呟く声は心からのものだと判る。花はなくとも、実をつけずとも、それはそれとして愛してくださる方なのだ。
焦ることは、もうやめよう。
鬼が隠した雨雲を取り戻す日も近い。それが叶った時は、きっとまた此処で。
「ここに降る雨音は、なかなかに情緒があるのですよ。早く貴方にも聴かせたいものです」
雨音に抱かれながら……。
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月夜の逢瀬・・・って、いきなり野外プレイですか!?(笑) |