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とはいえ、肝心な情報を得ることはできぬまま、頼みの綱のリズヴァーンも逃してしまった。
「困りました」
「あんたのせいだろ」
「そんなに痛いのが好きなんですかヒノエ?」
楽しそうに火花を散らし合う笑う朱雀。彼らは放置して景時が将臣に視線を向けると、彼は何やら真剣な顔をしていた。
「ん? どうしたの、将臣くん」
「いや、なんか思い出しそうな気がしてきた」
けれど、事態にしびれを切らしたヒノエは、
「いいよもう敦盛呼ぼうぜ敦盛。あつもりーー!!」
と、行儀悪く叫ぶ。居間がなんとなくざわついた気配。聞こえてはいるようだ。
しばらく待っていると扉が開き、誰かの足音が近づいてきた。
立ちあがり、襖をあけてヒノエは彼を歓迎する。
「待ってたぜ敦盛」
けれど、そこにいたのは彼ではなく。
「九郎?」
「全く、お前たちは何をしているんだ!」
その上、来るなり九郎に怒られた。間髪いれずにヒノエが反論する。
「それはこっちの台詞だね。オレが呼んだのはあんたじゃなくて敦盛だけど?」
「敦盛が困っていたから代わりにきたんだ」
「僕を迎えに来てくれたんですか?」
「ああそうだ」
そのまま彼はヒノエを押しのけ中に入って三人に向かって続けた。
「どうしてさっさと謝らないんだ」
それには弁慶もむっとした。
「どうしてって、理由が分からないから謝れないんですよ」
「お前たちが自分でやったことだろ? 思い出せばいいじゃないか」
「覚えてないから困ってるんです」
「四人もいるのにか?」
「じゃなきゃ、俺たちだって好き好んでこんなとこにいねえって」
口々に反論すると、九郎は今度は驚きと共に一同を見まわした後、小さく呟いた。
「先生はどうしてここに俺を送り込んだんだ……」
やっぱり自主的に来たわけじゃなかったのか。その呟きは敢えて誰も聞こえなかった事にすることにした、さすがのヒノエも今回は学んだ。そして慌てて景時が問う。
「って九郎、君もどうしてオレたちが怒られてるのか、知らないのかい?」
「知らないわけじゃないが……」
「話してみろよ」
将臣が更に促す。だけど九郎の顔は曇ってゆくばかり。
「でも、その場にはいたし記憶もあるが、あいつらが何を怒ってるのか分からないんだ」
「人のこと言えないじゃないですか」
が、弁慶の余計な一言に、九郎は再び眉を釣り上げた。それでも『分からない』ことを気にしているのか、珍しくそれに言い返すことはなく、襖の側から戻ってきたヒノエにつられるように腰を降ろしながら、たどたどしくも話しはじめた。
「……俺も望美が帰ってきた時は、お前たちじゃなく敦盛や譲の近くにいたから細かいことは分からないんだが、多分、写真を見てたはずだ」
「写真?」
「ああ。お前たち、最初は競うように飲んでいたが、途中から話が横にそれて、将臣が、あるばむ、を取り出してきて」
「見てたのか?」
「途中からはヒノエも一緒にな」
「で、姫君が帰ってきた?」
「帰ってきた望美に、将臣があるばむを見てるぞ、と言ったんだ。そしたらどうしてか知らんが望美が顔を真っ赤にして、そこにヒノエがなにか言った。そうしたら今度は望美がすごい勢いで怒りだして」
「……」
「それを見た譲が激昂して、目の前にあったくっしょんを手当たりしだい投げつけていたな」
「……」
「あれはさすがだと言わざるを得なかったな。狙いも定めずに投げるのに、吸い込まれるようにお前らに命中していくんだから、全く、譲は凄い」
今度手ほどきしてもらわなきゃならん、なんて少し興奮気味に語る九郎の話を最後は聞き流しながら、四人は更に鬱屈とした想いを重ねてしまっていた。
たぶん、九郎は比較的冷静なんだと思う。言葉はよどみなく紡がれていたし、矛盾も破たんも何もない、そう思えた。
だからこれは事実なんだと思う。譲は弓を持ってなくても的を仕留めることができるということも含めて。
だけど問題なのは。
この話を聞いただけでは、彼女たちが何故あんなにも怒っているのか、全く把握できなかった、ということだ。
「……つまり、俺とかあいつの昔の写真見て、望美が怒ったってことか?」
「単純に考えればそうなるけど、うーんそれくらいであんなに二人が怒るとは……思えないよね」
埒が明かない、と思ったのかそうではないのか、定かではないけどそんな最中、弁慶は別の話題を振る。
「九郎、君はどうして今までこちらにきてくれなかったんですか? ヒノエが覗きにいったり先生を呼び出したりしているんです。僕たちが起きてることくらい、分かっていたでしょう?」
するとそれにも九郎はきっぱりと返した。
「先生が行くなと申されたからだ」
本気かよ、とヒノエが呆れ混じりに呟いた。それに構わず弁慶は更に問う。
「ですが、もし僕らが悪くない、と思っているなら、君だったらきっと様子くらいは覗きにきてくれるでしょう? だから、思ったんです。君から見て、明らかに僕たちに非があったんじゃないですか?」
それはあんたの願望だろ、とつっこみたい気持ちを抑えつつヒノエも九郎の方を見ると、さっきまでの明朗な様はどこへやら、九郎はぐむむ、と口ごもっている様子だった。
「九郎?」
けれどそれもあっけなく、弁慶が問うだけで、九郎は観念したと言わんばかりに口を開く。
「……正直、それが俺にも分からん」
「だったら」
「だが、望美と譲があんなにも騒ぎたてているんだ、きっと、なにか俺には分からん理由があるのだろうと思った。俺や敦盛がやりすぎだと言っても全く聞く耳を持たなかった」
それにこっちの風習はまだ分からないことが多いからな、と、九郎は付けくわえて、終わらせた。
「こちらの風習、ねえ」
そんなこと言われたら。あとは無言で、その場の全員で将臣を見る。
「……分かんねえな。何喋ってたんだ? 俺たちは」
「ヒノエが最後に言った一言が余計だったんじゃないですか?」
「おっと、あんただって犯人候補なんだぜ?」
「とはいえ、九郎の証言からすれば、ヒノエがとどめをさした、というのは明白だと思いますけど? ね、九郎」
「……」
だけど九郎は弁慶の微笑みにも難しい顔をして沈黙したままだった。
「九郎?」
「……ああ、いや、たしかにヒノエがとどめなのは間違いないんだが、その、その時の行動が」
「行動が、どうしたの?」
「写真の一枚を指差して、いつもの浮ついたことを言っただけだったと思ったんだが」
「可愛いね姫君、とか、その程度の?」
「その程度に聞こえた」
……だから、その浮ついたことが原因なんじゃ。と、一同はヒノエと九郎を交互に見やる。とはいえ、だ。
「ですが、叔父としてはお恥ずかしい限りですが、ヒノエがそういうふしだらで誠意のない事を言うのは日常茶飯事ですからね」
「あんたにだけは言われ」
「望美さんは強い心を持っている、素敵な神子です。譲くんはともかく、彼女が今更それくらいであんなに怒るとは思えない」
「ってことは、原因は、その見てた写真ってやつかな〜?」
すると今度は視線が一斉に将臣に向く。
「なんだよ」
「写真の内容を知ってるのはあんただけだろ?」
「というか、お前たち揃って本当に全く覚えてないのか?」
「全然」
「ああ、でも子供の頃の話だったような気はしますね」
「望美がよほど酷い顔で映っていた写真とか、そういうのじゃないのか?」
「姫君の傷を抉るなんて、オレがそんなヘマするわけないだろ」
「そうなんですよね。それに関してはヒノエは信頼できますからね」
「やっぱり敦盛くんを呼ぶしかないのかな〜」
九郎一人増えて多少進展したものの、もはや手詰まり。そう思ってた矢先、ずっと黙っていた将臣が、
「あ」
と小さく声を漏らした。
「どうした将臣、なにか思い出したか?」
「……ああ、そうだ、昔の写真を見てた」
憑きものが落ちたような、目が覚めたというような顔で将臣は目を丸くして虚空を見る。けれど、その顔に笑みはない。
「そう、何年前だったか? ガキの頃の写真だ。毎年その辺でやってる夏祭りにいつだったか行った時の写真だ。俺んちと、望美んちの家族で」
「……言われてみれば」
その言葉に、一緒に見ていた弁慶とヒノエも記憶を手繰る。
そうだった。何の流れか、将臣が昔のアルバムを引っ張り出して来て、こんなことがあったと、散々に語られた。彼らがもっと幼いころのものや、最近のものまで折々で、でも、だからって、
「でも、やっぱしなんであいつがあそこまで怒るのか分かんねえ」
頭を抱えた将臣に、今度は景時がぽん、と手を打って話しだす。
「うん、そうだね、将臣くんは延々と、望美ちゃんとの思い出を喋ってた」
「俺が?」
「なるほどね、それで譲があんなに怒ってるってことは、大方、惚気話でもしてたってとこか? で、それを恥ずかしがった姫君が激怒した。どうだい九郎」
「……」
つじつまは合った。けれどどうしてかそれに九郎は気まずそうに沈黙する。
「九郎、どうしました?」
「ああ、いや、なんでもない! なんでもないんだが、多分、だいたい、そんな所だ」
「九郎?」
そして、皆から目をそらしてそう答えた九郎を、弁慶はいささか訝しんでいたけど、ぱしっ、と両手を合わせてヒノエが立ち上がった。
「よし、これで解決だね。だったらとっとと姫君たちに所に行って謝ろうぜ」
華のあるヒノエの声で、場の空気はそれで一変、弁慶と景時もそれぞれに立ち上がった。
「うん、そうだね、それがいいよ」
「さあ、行きましょうか将臣くん」
「ったく、他人事だと思って、お前らいきなり調子よくなりすぎ」
「ええ、事実他人事ですからね」
長いような、短いような。空しさを共にした4人は、改めて顔を見合わせた。このメンバーで協力、なんてやっぱり今でも御免だ。けれどそれでも、原因がわかったことは、少なくとも将臣以外の三人にとっては晴れ晴れしかった。
そのまま速やかに彼らは座敷を後にした。ただ、
「九郎、どうかしましたか?」
一人未だ動こうとしない九郎。振り返り弁慶が呼ぶと、九郎は小さく呟いた。
「…………あれは惚気話だったのか」
「何か言いましたか?」
「いやなんでもない!!」
赤いような青いような顔で叫んだ九郎を、弁慶はしみじみと不思議に思ったけど……彼のそういう反応は今にはじまったことではない。
「では行きましょう。あ、ストーブ消してきてくださいね」
「ああ……」
弁慶に促され、何故か将臣と同じくらい重そうな足取りで、九郎もその場を後にした。