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「なんだこれ?」
驚く将臣の声と共に、ガチャガチャと扉をいじる音。どうやら居間に鍵がかかっているらしい。
「おい、譲、望美、どうなってるんだよ」
「兄さんは外で反省してろよ」
言葉を返してきたのは譲だった。
「だから、一体なんなんだよ!」
「自分の胸に手をあててみればいいだろ」
いつになく冷たい口調で、譲は兄を突き放した。
「……あいつら本気だ」
彼にしては珍しく、いくらかの危機感を顔に出して戻ってきた将臣に、ヒノエも弁慶も何も言わなかった。言えなかった。
「そのようですね」
察するに、どうやら譲をとんでもなく怒らせてしまったらしい。原因は不明。自分たちに非があるのかも不明。……たぶん、あるのだろけれど。
「ったく、なんなんだあいつ? 立ち入り禁止、なんて張り紙までしてあるんだぜ」
呆れた風に将臣は言うが、余程の剣幕だったのだろう、困惑の色の方が強く声に混ざっていた。
とはいえ、記憶のない彼らからすれば理不尽この上ない仕打ちだったし、なによりこのままここで年を越すのはものすごくわびしい。
「……」
しかも、なんでよりにもよってこいつらと。さっきのヒノエの台詞よろしく、景時を除く三人の顔にはくっきりとそう書いてあったが……やむを得ない。
4人は仕方なく作戦会議をすることにした。
「……で、ヒノエと将臣くんは、一体どこまで覚えてるんですか?」
将臣が引っ張り出して来てくれたストーブに4人でひっついて、点火するのを待ちわびながら弁慶が問うと、二人は顔をしかめながら(おそらくそれは酒のせいもあるだろう)、断片的に記憶を辿る。
「俺は、あんたと飲み比べしてて、何かの話題で盛り上がってたんだよな、で、あれだ、外に行ってた望美たちが帰ってきて、そしたら……ああそうだ、分かんねえけどすごく怒ったんだよ、譲じゃなくてあいつが。で、気付いたらここにいた」
「オレも似たようなものだね。あんたら二人で飲みあってて、たしかうっぜえ話してたんだよ、そこに姫君が帰ってきて……んで、なんだっけ?」
「また望美さんのことを口説くような真似をして、火に油でも注いだんじゃないですか?」
「オレが姫君の怒りを買うわけがないだろ? あんたと違って日頃の行いがいいからね」
「おいおい今は言いあってる場合じゃねえだろ。で、景時、実際はどうだったんだ?」
「うーん、オレも実はよく分かってないんだよね」
互いの記憶を確認しあったところで、ぽすっとストーブにも火がついた。
そして景時が説明しはじめた。
忘年会。
最初、八葉たちは最初は平和的に楽しく飲んでいた。将臣と弁慶は飲み比べをはじめて、九郎はそれを見ていた。景時は飲むペースが早いことを少し不安に覚えていた。彼らとは少し離れたところで譲と朔は料理を運びつつ、だけど望美や敦盛、先生と食事も楽しんでいた。白龍も望美の隣にいた。ヒノエはあちこちにふらふらと顔を出していた。
そのうち、望美がアイス食べたい! と言いだして、朔、先生、白龍と4人で近くのコンビニに出かけて行った。
もちろんその間も八葉たちは飲んでいた。その頃になると九郎は食卓の方へ行ってしまって、将臣たちの方には代わりにヒノエがやってきて、はやしたてたり自分も飲んだりしていた。景時はコーヒーが飲みたいという人のリクエストに応えるべく、はりきって豆をひいていたから、ヒノエたちの話の詳細までは知らないけれど、盛り上がっていたようにみえた。
「僕たちが三人で和気あいあいと会話していたんですか?」
「信じらんねえ、一体なんの話してたんだ」
「なにか本みたいなものを見ていた気がしたけど」
「本? それこそ、にわかには納得しがたい話だね。この面子で何の本見るんだよ」
やっぱり思い出せなくて、それと酔いで頭が痛いのもあって、三人は眉を寄せながら思いあぐねいてしまう。
そんな彼らに、景時は説明を続けた。
「そのうちに、望美ちゃんたちが帰ってきたんだよね。で、居間に入って、最初は普通にしてたんだけど、突然、何かにすごく怒ったみたいでね。物が飛ぶ音がして、居間のドアが開いたと思ったら、君たち三人が外に放り投げられてて、今に至る、かな」
「『物が飛ぶ音がして』、ですか? 景時、君は見ていなかったんですか? それに、だったらどうして君はここに」
「オレ? オレは、そのときたまたまトイレに行ってて、巻き込まれた感じかな〜 兄上も同罪です!って言われちゃって……ははは」
つまり、完全に巻き添えということか。それは不幸だ。と、この場に心優しい敦盛がいたらそんな事を言ったのかもしれない。けれどここにいる三人は彼に同情するような人間ではなく、
「つまり、あんたも決定的な瞬間は見てないってわけ?」
「……うん」
結局何も判明しなかったということに、ヒノエと将臣が盛大に溜息をついた。恨み事も出てきそうなテンションで、景時は若干傷ついたけど、そんな彼らの空気を弁慶が遮った。
「そういえば、九郎はどうしましたか?」
「えっ? 九郎?」
どうしているんだろう、と、ちらりと居間の方をみやりながらの呟き。そんな彼に、こんな時でも甥は容赦ない。
「先生に行くなって言われたから向こうにいる、とかじゃん?」
「それで僕を放っておくなんて、九郎はそこまで性格悪くないですよ、君と違ってね」
「へえ、それはどうかな? あんたがよっぽど礼を欠いたことを姫君だか譲だかにしてたんなら、九郎だってあんたの肩を持たな……いへっ」
こんな時でも叔父だって容赦ない。問答無用の笑みでヒノエの唇をぐい、と引っ張って言葉を封じた。
「いって! 本当の事言われたからって!」
「いやだな、僕は君の長い台詞を聞くのも飽きたので一刻も早く話し合いを進めようと思った、それだけですよ」
なるほど、この調子だとヒノエが言うように、弁慶がよほどの事をして望美やら譲を怒らせたというのも想像に容易い、と、口にはしないけど将臣も思ってしまった。ただし、その場合、きっと自分も同じレベルのことをしでかしているのだろうけど。そう思うと頭が重い、のは、酔いのせいだけだったらいい。
「ってことは、とりあえず俺たちがやるべきは、更に現状を把握、ってとこか?」
「でしたら協力者が必要ですね。残りの皆は、居間に?」
「うん」
ここにいるのが将臣、ヒノエ、弁慶、景時
中にいるのが望美、朔、九郎、譲、敦盛、リズ先生、白龍
ということになる。
「だったら、話を聞くなら敦盛じゃねーか?」
どうみても彼しか適任がいない。思って、
「呼んでくるか」
将臣が立ちあがろうとする、けどその肩に手を起き、先にひょいっとヒノエが立ちあがった。
「いや、そんなまどろっこしいことする必要はないね」
「ヒノエくん?」
「こういうのは直接、怒ってる本人に話を聞いた方が早いって事。余計な小細工されたらその方が頭にきた、とか言われかねないからね」
「っていうと」
「まあ見てなって」
そのまま軽快にヒノエは部屋を出て行って。
「譲」
と、ヒノエはまるで何事もなかったかのように(実際彼には自覚がないから何事もしてないことになるのだけど)居間のドアの鍵を施錠しながら呼ぶ。が、
開けた途端、ヒノエを襲ったのはサッカーボールだった。まさかの展開に思い切り正面から食らってヒノエは壁に激突する。
その間に譲が近づいて来、怒りに震える目でヒノエを見降ろし、ばたん、と扉を閉めてしまった。
「……」
あっけにとられて声も出せないまま、ヒノエはとりあえず元の部屋へ戻る。将臣も景時も無言で迎えていたが、弁慶はそうではなかった。
「随分簡単だったみたいですね、ヒノエ」
「うっせえ」
厭味な笑顔を一瞥して、どかっと元いた場所に腰を下ろすヒノエ。その様子を笑顔で見守ってから、弁慶が眉を寄せながら、ふう、と息を吐いた。
「けれど、まさかこんなに事態は深刻だなんて。困ったな」
「みんなで謝っちゃうのが一番早いかもしれないよ?」
「いや、理由も覚えてないのに謝って納得する奴らじゃない」
「それは……ははは、否定できないかも」
がっくりと肩を落とす景時。
「だったら、とりあえず譲くんや望美ちゃんたちの機嫌が直るのを待つのか、そうじゃなきゃ誰かにお願いして怒りを鎮めてもらうとか」
「無理だな、あれは無理だ。あのメンバーじゃ無理だ」
「つか、あいつらにその役割任せたくねえし」
「食い物で釣るには、今日は散々いいもの食いすぎてるしな」
「トイレとか玄関とか、そういうのをこっちで押さえちゃう…って作戦は」
「せこすぎ」
「うん、だよね……」
どうにも決定的な作戦が思いつかなくて、4人は再び腕を組んで思案してしまう。けれど、そこで今まで顎に指をあてた一人沈黙していた弁慶が口を開いた。
「だったら……そうですね、逆転させてしまえばいいのかな?」
「逆転?」
仮にも源氏の軍師な弁慶の言葉に、一同は目をみはる。
「ええ。今僕たちは4対7という形で、追い出されています。けれど実質僕たちを許し難く思っているのは望美さんと、譲くんと、朔殿もなのかな? 3人です。だったら残りの4人はこちらについてくれるかもしれない、ということですよね。そうしたら状況も変わりますよ」
にこり、と、弁慶は笑って携帯電話を取り出した。
「それに、最も怒りを抱いているのが譲くんか望美さんか分からないにしろ、望美さんを説得できれば、残りの二人も納得してくれるかもしれないですしね」
「でも姫君が説得に応じるとは思えない」
「それは、いわば付加価値ですよ、ヒノエ。そこまでの事を僕も望んでいるわけではありません。とはいえ……それを叶えてくれそうな人が、一人だけいると思いませんか?」
「……」
確かに。と沈黙する一同を前に、弁慶は電話をかけた。
4
現れた長身に、おおー、と4人は素直に感嘆した。
「来てくださってありがとうございます」
「さっすが、持つべきものは大人の先生だね」
呼んでおきながら、一向に話しはじめようとしない4人。しびれを切らした、というか、無駄な時間だと判じたのだろう、呼ばれた側であるリズヴァーンが、叱るように口を開いた。
「……話とはなんだ」
「ああ、悪い悪い。話ってのはなんてことはない、今の俺オレたちの現状について、だ」
それでようやく将臣が腰に手を当てつつ……いきなり切り込んだ。
「結局あいつら……首謀者は望美だか譲だか、どっちだか分かんねえけど、何であんなに腹を立ててるんだ? 俺たちは何をやったんだ?」
それにリズヴァーンも即答した。
「答えられない」
「それって、あんたも知らないから? それとも神子姫様に不利益だから言えないってのかい?」
「……神子は今、お前たちに会うべきではない」
「どうして、そう思われるんですか?」
「この先の運命に進んではいけない」
「運命? あんたはいつもそれだけど、もうちょっと具体的に言ってくれなきゃ分かんねえよ」
「それでも、答えられない」
「……」
単一に単調に繰り返される返答に、四人、特に景時以外の三人はやや苛立った。とはいえこの台詞のガードは固い。崩しにくい。それは今のリズヴァーンのこちらを圧倒する雰囲気のせいもあるが、やはり、今までの経験があった。こうなっては何を言っても無駄なのだ、と、さすがに悟っていた。
とはいえ引き下がるわけにもいかない。
「話を変えましょう。九郎のことです」
ここで、やや朗らかに弁慶が切り出す。するとリズヴァーンも微かに、話を聞いてくれそうな目で弁慶を見返した。残りの三人は食いついたか?と期待する。
「九郎は今、何をしているんですか?」
「居間に。神子の側にいる」
「それは先生の指示で?」
「そうだ」
相変わらずのシンプルな問答、だが弁慶の眉が上がった。隣のヒノエは口角をあげてしまう。さすがに今は話の骨を折るわけにはいかないから『ほらみたことか』という言葉は呑み込んだけど。
「どうして、先生はそんなことを九郎に言いつけたんでしょうか?」
「……答えられない」
なのにヒノエの配慮空しく、リズ先生が話を打ち切ってしまった。将臣が小さく舌打ちする。けれどそれらを制して弁慶は続けた。
「……先生と九郎は、随分長くお付き合いをされているんですよね?」
「うむ」
話題はまた変わった。しかも結構大きく。それに景時たちだけでなくリズヴァーンも虚をつかれたようだった、けれど弁慶はお構いなしだ。
「羨ましいな。僕の知らない九郎を知っている。九郎は昔、どんな子供だったんですか?」
「今と変わらぬ。まっすぐで、努力を惜しまぬ子供だった」
「リズ先生との出会いは鞍馬山、とのことで」
「間違いない」
「しかも、九郎が猪に襲われているところを助けてもらった、と聞いたことがあるんですが、本当に?」
「ああ」
「で、先生が庵に連れて帰って手当てをした、と聞きました。その時九郎、喜んでいたんでしょうか、それとも」
「ちょっ、ちょっと弁慶!」
よどみなく続く会話。けれど今度は景時に遮られた。
「なんですか景時、今いいところなのに」
「……それ、今聞く必要ある話?」
「ええ、こうでもしないと聞き出す機会もないですからね、九郎の昔話。あっリズ先生!」
「……神子が呼んでいる」
そして、そこまでだった。弁慶が景時と話しているうちに、なんて思う先生ではないだろうけれど、その間に、まるで消えたようにさっと、リズヴァーンはその場から離れてしまった。
「……折角僕の知らない九郎の話を聞く好機だったのに」
彼のいなくなった床を、拗ねた風というか、恨めしそうに弁慶はなおも見つめていた。その姿。ああ、と景時は気付いた。
「弁慶、もしかしてまだ酒抜けてない?」
「僕は正気です」
「へえ、だけどこの場合、酒のせいにするのとしないのと、どっちがより名誉を守れるんだろうね、全く不詳の叔父をもっっ痛え!!」
「……懲りねえなお前も」
「ヒノエくんも酔ってるんだろうね」
すっかり笑顔全快の叔父と、華麗に拳で反撃された甥。彼らを交互に見やりながらの景時の結論に、将臣も是非もなく同意した。