6
かくして5人は揃って居間の前へと戻ってきた。
『立ち入り禁止』と書いてある紙はそのままで、閉ざされた鍵もそのままだ。
「望美、譲、こいつらが謝りたいそうだ」
最後に来た九郎が、いくらか緊張しつつノックすると、拒絶されることなく、薄く扉が開けられた。
「九郎殿、皆は」
「ああ、もう平気だ」
扉を開けたのは敦盛だ。彼は九郎と、後ろの4人を見て、ほっとした表情を浮かべ、更に彼らを迎え入れる。
「敦盛、お前もつれない奴だな」
そんな彼をみて、ヒノエはそう軽口を言ったけれど……中に入るなり、ぎょっとした。居間の奥のソファに腕組み足組み陣取る神子姫の姿はまさに鬼か阿修羅か。その隣で足を揃えて腰かけている朔は朔で、その行儀のよさが逆に恐怖へと変わる。後ろには無言の圧力リズ先生と、これまた……怒りよりも悲しみ深いというような、悲愴な顔で譲がこちらを、特に将臣とヒノエをぎろり、と睨んでいた。
九郎は先生の隣へ、罪人とされる4人は仲良く望美たちの前に横一列に並んで正座する、と迫力は更に増して…それにはさすがに…平家の還内府に熊野別当、源氏の軍師と戦奉行、である彼らでさえ、若干の戦慄を覚えた。
だからといってここですごすごと怖れをなしす面子でもない。既に覚悟はできている。
ので、躊躇い……は、ほんの少しばかりしたものの、潔く、将臣がちらり、と、同士、というか同じ穴のむじなにアイコンタクトを送り、4人は一斉に頭を下げた。
「悪かった、お前がまさか昔話であんなに怒るとは思わなかった」
そして、まるで練習したかのように揃った仕草で頭をあげる、けど、神子姫様は今だにご立腹の様子だ。
「……なんで怒ったか、本当に分かってるの将臣くん」
「昔の話を暴露されて恥ずかしいから怒ったんだろ?」
そんな彼女に、至って本気で将臣は言う、が、瞬間、望美の眉が更にきりっと上がった、そして彼女の後ろの譲がきょろりと部屋の中を見回して低く言う。
「敦盛どいてくれ俺は弓をとりにいく」
「いや、その、それは……譲、どうか落ち着いて欲しい」
「そうだよ待ってよ譲くん! え、違うの? そういう話じゃないの?」
「景時さんは黙っててください!」
「兄上は黙ってて!」
常識ある大人としての対応をした筈の景時は更に譲と朔に睨まれて縮こまる。
「ですが、そうじゃなかったら一体」
それを見た弁慶が朔に問う。と、朔は呆れたように、とても冷たい目で……景時やヒノエにとっては日常茶飯事でも、少なくとも弁慶はあまり向けられたことのないタイプの視線で4人を一瞥した。
「兄上はともかく、ヒノエ殿や弁慶殿までいて、本当に分からないの?」
「残念だけどね。姫君の心はとても複雑で掴みがたいものだからね」
「…………」
また余計なこと言ったヒノエがギリ、と朔に睨まれる、も、狭小じゃない彼女は、溜息をついた後に、望美のすぐ横にあった写真を手にし、4人に見せながら言った。
「……将臣殿が話していた話、それは望美にとって大事な思い出だったのよ」
それは……5、6年程前なのか。まだ小さい望美と有川兄弟が三人で映った写真だった。
「その写真が?」
「この写真、じゃなくて……将臣殿、あなたなら覚えているでしょう? このお祭りで、二人きりで、なにか素敵な話をしたのではなくて?」
「…………」
朔の言葉に、望美は顔を真っ赤にしてクッションにうずめてしまった。彼女の代わりに譲が将臣を睨む、というよりは、彼の態度を見届けるとでも言うように、ひどく感情のない目で見ている。
将臣は黙った。
けれどそれは肯定に見えた。それで彼の横に並ぶ三人も納得した。弁慶とヒノエの中には先程の、外に買い物に出て帰ってきた、あの時の望みの表情が蘇る。そうだ、彼女はあの時もこんな風に。
やはり望美はただ昔の事を引っ張り出されたくらいで怒ったんじゃなかったんだ。
写真に宿る、将臣と望美、二人きりの大切な、少なくとも望美にとっては誰にも言いたくない、秘密にしておきたい思い出を、将臣が知ってか知らずか酔っ払いだからか、自慢したかったからなのかは知らないがべらべらと喋ってしまったことに対して怒っていたのだ。
しかも、よりにもよってヒノエが……どうせ、聞いたよ姫君、随分素敵な思い出があの海にあるんだって?オレとも明日早速新しい思い出を作りに行こうよ、とかそんなような事を言って、
望美が怒ったのを見て、譲も……望美を怒らせたのと、なによりそんなに兄との思い出を大事にしていたのかということへの八つ当たりで、景時まで巻き込んで追い出した、
というわけか。
弁慶とヒノエはじっと将臣を見る。もちろん二人とも笑顔だ。ああ親戚だ、と、彼らを知らない人でも納得するに十分にそっくりな笑みだ。そしてもちろん、その笑顔が持つ意味も同じ。
……それに促されたから、ってわけじゃないけど、将臣はもう一度頭をさげた。
「すまなかった、望美」
神子姫様の方は、というと、クッションの端からちらっと彼を見て、まだふくれていたようだけど、
「……仕方ないから、許す」
「いいの? 望美」
「うん。このままじゃ今年終わっちゃうね」
そこはさすが白龍に選ばれた神子。にっこりと笑顔になって朔に頷いた。
だけど、
「助かっ…」
「だけど! そのかわり、4人には私の言う事聞いてもらいます」
ただでは許さないちゃっかりしているところもまた、望美だった。
「……姫君の頼みなら、仕方ないね」
それでも彼女が笑ってくれたならそれでいい、というのが4人の本心だ。偽りはなかった。もちろんだ。彼女の笑顔を厭う者はここには誰一人いなかった。なにより望美自身が、皆の笑顔を望む少女なのだから。
でも次に彼女が発した言葉で、すっかりリラックスして胡坐までかいていたヒノエは凍りつく事になる。
「うん、じゃあ日付けが変わるまで、ヒノエくんは浮ついた事とか口説き文句言うの禁止」
「えっ!?」
もちろん、ヒノエだけでは留まらない。
「将臣くんは譲くんの作ったもの食べるの禁止ね」
「ちょ、ちょっと待てよ姫君!」
それはあまりに予想外の罰だった。一同は途端に慌てふためく。
「えっと、望美ちゃん、本気? というか、もしかして4人ってことは、オレも?」
「当然です。と言いたいとこだけど、確かに、景時さんは悪くなかったですね…」
「駄目よ。兄上だって同罪だわ。だってまったく分かってないんだもの。兄上は調子のいい事言うの禁止ですからね」
「そんな〜」
手厳しい妹の沙汰に、景時は力なくその場にうずくまる。
「そうすると、残りは」
「弁慶もなのか?」
「もちろんです」
即答の望美に、弁慶は襟端を軽くつまみながら彼女を見つめ問いかけた。
「……望美さん、僕は君の下す罰ならばなんでも受けましょう。それに異論はない。ですが、聞かせてもらえますか。僕はどうして君を傷つけたのか、何をしたのか。そうでなければ僕は自分を咎めることができないんです」
「弁慶さん」
けれど、そんな彼に言葉を返したのは望美ではなく、何故か譲が、ふるふると肩を震わせながら……そう今までとははっきりと違って怒りをあらわに言い放った。
「弁慶さんは「九郎」さん禁止です!」
「俺!?」
「九郎殿の話をすることが禁止、なのか?」
「九郎さんの名前を呼ぶのも禁止です」
「ですが」
「異論は認めません!」
理由を聞くことすらも許されず、まるで彼の振るう包丁のような鋭さで一刀両断されて、さすがの弁慶も気押された。なんで九郎? 思わず九郎を見つめると、九郎は苦い顔をして目を反らした。……心あたりがあるのか?
なんにせよ。
「以上。あと2時間、頑張ってくださいね!」
と、望美がそう宣言したところで、4人の刑は確定してしまった。
「まるで拷問です」
「……それはこっちの台詞です」
譲はやはり嫌そうな顔をしていた。ついでに隣の敦盛を見ると、やはり困惑した顔をしていた。
一体何が。そんな彼の隣で、景時が妙に納得した風な口調で呟いた。
「ああ……そうか。ずっと不思議だったんだ。どうして君まで追い出されたのか」
「と、言いますと?」
「うん、将臣くんが望美ちゃんの話をはじめたきっかけが、君が延々と九郎との昔話をしていたから、だったからね〜」
オレからすればいつものことだから気付かなかったけど、慣れない人からしたらあの話は……ね。などという言葉を残しながら、景時は立ち上がってしまった。
ああ、そういうことなのか。察した弁慶は沈黙せざるを得なかった。けれど、隣で腹を抱えて笑っているヒノエの足の指先はきっちりとひねっておく。
「足がしびれてたのなんて、お見通しですよ」
ヒノエはたまらず悲鳴をあげたが、それでも勝利の笑みを崩しはしなかった。
7
望美の沙汰が終わり、これでまた八葉が揃ったね、と白龍が無邪気に言ったのを機に、八葉と神子と龍神はまた元通りに楽しく飲み食いを再開した。
そんな彼らを九郎は一人離れた所でのんびりと、酔いを醒ますように茶を飲みながら眺めていた。晦だというのに、全くいつもと変わらぬ騒がしさだ。呆れはするが、楽しいな、とも素直に思う。いくらか過ごしたあたりで、弁慶と目があった。すると彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「九郎」
「……禁止、なんだろ?」
「少しだけ。今のうちに聞いておきたいことがあるんです」
悪びれずに笑う彼はそのままに近づいてきて、九郎の隣に腰を降ろした。
多少の都合の悪さを感じてしまい、つい、ぎこちなく目を向けた九郎に、弁慶はいつもの口調で問いかける。
「……君も、秘密にしておきたい話、とかあるんですか?」
「秘密?」
「ええ。ほら、先程、望美さんが怒っていたでしょう? 将臣くんと二人きりの思い出にしておきたかったのに、喋ったって」
「ああ」
「君にも、そういうのあるのかなと思って。知らないうちに口にして、君に嫌われたらかなわない。というか、既に色々、望美さんを怒らせてしまう前に僕は昔の話をしていたのでしょう?」
目線の高さはほとんど変わらないはずなのに、なんだか覗きこまれているような気がした。確認、というよりは、どちらかといえば好奇心が躍っているような。なんだかいくらか頬が赤いのは、酒が残っているのだろうか、大人っぽさを感じてしまう。実際弁慶は九郎より年上なのだけど。だからというわけではないけど、九郎はさっくりと即答した。
「……していたな、散々に」
「それで君は遠くにいってしまったのでしょうか」
だから、気になって確認しにきたというのだろうか。九郎は口ごもった。
別に、話されて都合の悪い話があるわけではないのだ、九郎には。ただ弁慶が……酒の勢いというものなのだろう、あんまりにも九郎との昔話を上機嫌で語るものだから、それらはすべて他愛もない話だったというのに無性に気恥かしくなって逃げてしまったのだ。実際、どうやら景時たちに言わせれば、あれは惚気話、という分類になるものらしいし。譲にも睨まれるし。だけど弁慶は止めても聞かないし。景時が酒を飲ませるなと言った意味が分かった気がした。
思い出すだけでまた九郎は埋まってしまいたい思いに駆られる。けれど弁慶は今なおじっと九郎を見つめているし……そんな彼に、突きつけられる。
「あれは、お前が話しすぎるから悪いんだ」
九郎の話をしていた弁慶は実に楽しそうで……不快ではなかったのも事実だった、と。
観念して、息を吐いた。
「節度をわきまえるなら好きなだけ話せばいい。そもそも思い出なんてありすぎて、何が特別なのか俺にはもう分からん」
「……ということは、僕以外の人との思い出も、そうなのかな?」
「そうだな」
それを聞いた途端、弁慶の目がさっきまでとは一転、彼にしては珍しく、子供のように輝いた。赤い頬も相俟ってますます無邪気に見えた。
「それは、いいことを聞けました」
そしてすぐさま立ちあがる。
「弁慶? どこへ」
唐突な豹変に、九郎は問う。すると、
「決まってるじゃないですか。今年のうちにやり残したことをやらないと」
とだけ言い残して、彼は一目散にある人物のところへ向かっていく。
「弁慶おい待て!」
何をする気だあいつは! と、慌てて九郎も立ちあがり後を追うと、時すでに遅し、目の前で、九郎にとっては恐ろしい光景が繰り広げられていた。
「リズ先生、今度こそ聞かせてもらいますよ」
「…………」
「九郎の昔の話です。ええと、さっきはどこまで聞きましたっけ、鞍馬で出会った時の話ですよね。猪のくだりまで聞いたかな、ええと、その後は」
「弁慶お前先生に何を!!」
先生を困らせるわけにはいかない! と、九郎は勢いよく飛びかかった……なんてやってしまったのは、当然酒の勢いだけど、本人は気付かないまま、弁慶に思いっきりのしかかる。
ばたん!と派手な音をさせて二人は床へ転がった。
「痛っ……酷いな九郎、突然何をするんですか」
「突然も何もあるか! そもそもお前が」
けれど、咎めようと思って紡いだはずの言葉を九郎は途切れさせてしまう。
まずは、まるで押し倒しているような形になっていることにぎょっとしたからだ、そしてなにより、
「弁慶さん」
視線を感じたからだ。
おそるおそる顔をあげると、彼らの周りを、当然のように皆が取り囲んでいて。
「約束、覚えてますよね?」
それは、先ほど謝った時の数倍、憎悪を帯びている気がする、と思ったのは、きっと二人の錯覚ではないだろう。故に彼らは、きちんと座して、指をちょこんと床に着いた後、心の底からの気持ちを込めて頭を下げた。
「……すみませんでした」
またこの運命に来てしまったのか。苦悩にまみれたそんな言葉が聞こえたような、そうでもないような。なんにせよ、二人まとめて外に放り出されなかったのは助かったと、九郎だけでなく今度こそ弁慶も心の底から思った。
将臣くんが昔話を楽しそうにしちゃうなんてそれきっと酒のせい
ヒノエがいくらなんでも弁慶に絡みすぎなのは酒のせい
弁慶がいくらなんでもヒノエを構いすぎなのもきっと酒のせい
望美が喋って欲しくなかった昔話ってのは十六夜の将臣ルートのあれって設定なんですが、
おぼろげな記憶で利用しちゃったのでもし大きく間違ってたらごめんなさい
親戚朱雀(弁ヒノとは別)とか有川兄弟とか書けて楽しかったです
(29/12/2010)