「対、というのは」(いれなくてもいいかなとおもったはなし)
「対、というのはどういうものなのでしょうね」
僕は真剣に聞いた。
「対。望美さんと朔殿を見ていると、そういう言葉が当てはまるな、とは確かに思います。彼女たちはよき関係だ。そう似偏った性格というわけでもないでしょうにまるで前からの友人だったかのように仲が良く息もあってます。敦盛くんと先生も、よき師弟のようですし、寡黙な敦盛くんと、背中で語るリズ先生は丁度よく見えます。譲くんと景時も、毎日なんだか細々としたことを語らって楽しそうですよね。譲くんと話している時の彼は活き活きしてますからね。ああいうのを対、と言うのでしょうか」
僕は流れる汗もぬぐわずに真剣に聞いた。
「九郎もそう。将臣くんとは随分気が合うみたいです。僕が将臣くんに会ったのは熊野に来てからですが、みなさんが春に将臣くんにあって以来、九郎はちょくちょく彼の名前を出してました。僕は彼を知らないなりに、よほど彼の事が気に入ったのかなと思っていましたが、本当にそのようで。だったら」
「知らねえよ」
なのにそんな事を乱暴に言い払ったヒノエの口を僕はすかさず手で塞いだ。
「なにす」
「しっ、足音が近づいてきています」
「それならそれで、オレはもういいよ。姫君たちには悪いけど、これ以上あんたの心底どうでもいい話聞かされるよりマシ」
「つれないな。君はそれでも僕の対ですか。他の人を見習ってください」
「あんたがそれ言う? よりにもよってあんたが言う? はっきり言ってオレがなんであんたと対なんかやらなきゃいけねえのか理解できてないんだけど」
「それはこちらの台詞です。そもそもなんでこんな……はあ」
「溜息つきたいのはこっちだっての!……なんで野郎と一緒に狭いところに押し込められなきゃならねえわけ? 姫君なら歓迎だけどさ」
「だから少し黙りなさいヒノエ」
そうこうしているうちにひたひたと足音が近づいてきて。
「……いないな」
「あいつらすっげえところに隠れそうだしな。誰だよ、このくそ暑い中かくれんぼをしようとか言ったのは」
「望美だろ。だったらお前が止めておけばよかったじゃないか。昔馴染みのお前の頼みだったら聞いたんじゃないのか?」
「聞くわけねえよむしろ逆効果だな。むしろ九郎お前こそなんで止めねえんだよ」
「先生も鍛錬にいいと仰ってたからな」
「あっそ」
「いいから次行くぞ」
「お前……なんでそんなに楽しそうなんだよ」
「やるからには楽しんだ方がいいだろう」
「なるほど…それは、そうだな!」
そんな会話をひとしきりした後、またひたひたと去って行った。
しばらくじっと僕とヒノエは去っていく気配を確認して、
「だーーっ、もうあっちい! 暑くてやってらんね!」
そして塗込めの戸をほんの半開すると、それだけで熊野の海風がくるりと間を満たし僕の頬を撫でた。
「涼しい」
「倒れるぞ、これ」
「でも負けられないでしょう、君も」
「そりゃそうだけど」
勝者には望美さんから嬉しい贈り物があるという話で。その中身は皆知っていた。けれどその実像をヒノエは……知らない。彼女が心をこめて作ったものだ。不価値だなんて思わないけれど、この暑さを耐え抜いてまで食しようとする勇気は僕には無かった。
「で、今誰が残ってるんだ? もしかしてオレたちだけなんじゃねえの?」
「そうかもしれませんね。けれどそうではないかもしれないです」
「はー、九郎たちみたいにもっと喋りながらオレらを探してくれればいいんだけどね。はー空気がおいしい。熊野サイコー」
身を乗り出して、隙間からヒノエは外を伺っていた。
「ていうか、あんたはほんとに意地っ張りだね」
「君もね」
ヒノエが望美さんの手料理以上に熊野の案内役としての意地でやけになっているのは知っていた。
そして僕も……きっと似たようなものだったのだろう。
「で、何? そんなにオレと二人きりですごしたいわけ?」
「僕が君と過ごしたいなんて言うと思っているなら……少し君を尊敬するな」
「へえ嬉しいね、なんて言うわけねえだろ姫君なら別だけど」
「よくわかってる」
昔から兄の傍で正しく僕の悪い面ばかり見聞きしてきたヒノエはこういう時に都合がよくて助かるのだった。
「……あながち、君が対というのも理にかなっているのかもしれないですね」
「やめろよくそオヤジ」
「叔父上と呼んで欲しいですね」
「あーはいはい。はいっはい」
まったく適当にあしらうように言ってヒノエは足までぶらぶらと外に出した。
彼は実に兄に似ている。
ヒノエは望美さんに好意を持っていた。だからといって、ここで僕と二人きりになってまで称号を貰いたいわけじゃないはずだった。
だからヒノエが今こうしてここにいるのは、望美さんと全力で遊んであげたいという心意気と、
僕の話を聞いてくれるというあたりだ。
「で、何が言いたいんだよ。オレは親父と違うからあんたの想いを組んでお優しい言葉をかけてやるとか、そういう趣味ないんだけど?」
「いえ、それはもういいです」
こうして話してるだけで分かってきた。対と言うのは成程、やはりなるべくしてなるものなのかもしれない、と。ヒノエには不幸だったのかもしれないけれど。
「ていうかとっとと言う事言えよめんどくせえ。まさか今更嫉妬? 見苦しいね、いっそ無様だね」
うるさい、と思ったのが顔に出たのか、ヒノエの顔がますます歪んだ。
「なるほどね、だから焦ってるってわけ? だせえ、ますますだっせえ」
ここまでくるとこのような、彼の良識的な面が面白い、とか言ったらきっと蹴り飛ばされるだろうし、それはそれで不服だから全ての本心を隠して僕はただ微笑んだ。
「何」
「いえ、別に」
「気持ち悪っ」
吐き捨てるようにいいながらも、ヒノエはいっそう声のトーンを下げて、ひとりごとぶって言った。
「なんでもいいけどさ、置いてかれるってのは堪えるもんだよ。あんたには分かんないだろうけどね」
僕は聞かないふりをした。
彼の言うとおり、置いて行かれる辛さは僕にはわからないものだったし、
分かろうとすることもおこがましいことだっただろう。
「……あんたのそういう傲慢さが心底嫌いだね」
「僕は君のそういうはっきりしたところ、好ましく思いますよ」
「本気でそろそろやめてほしいんだけど」
そう、いつだってヒノエは僕にとって熊野に吹く海風だった。本人がそう意識していようといなかろうと、僕の中の靄を流し、帆の向きを勝手に変えてくれるような。
……別に、妬いていたわけではなかった、と思う。九郎が将臣くんと意気投合しているのは別に悪い事ではなかった。……彼の素性が気になっていたことを除いては。
そういう話がしたかったのだろうか。自分でもよく分からなかったけれど、なんだか胸のつかえがとれたような心地になっていたのは間違いなかった。
そうすれば、余計なことまで口にする。
「昨年の今頃、ですか。僕がここにいたのは」
「……」
黙ったほうがいいんじゃないの?と、ヒノエの目は語っていた。それは本当に、その通りだっただろうけれど、僕もいろいろ気が緩んでいたらしかった。
「君の視線で、痛覚を取り戻せていたなあ」
「今も睨んでるんだけど?」
「こんなものじゃなかったでしょう、あの頃の君は」
一年前。熊野を巻き込んでの負け戦。
罪の重さにふさぎこみ曖昧に過ごしていた僕の記憶に一番残っているのは、負の感情の詰まったヒノエの視線だった。
と言いながらもこの時だって、ヒノエの視線はかなり鋭かった。なんで話すわけ?とでも言いたげな。
それは、そうだった。僕と彼の間に、何もかも明け透けにしてしまうような絆はなかったのだから。
だから言えなかった。君を別当に押し上げてしまって、という言葉は続けられなかった。
それでもヒノエだって続けた。
「……恨んでるとか、思われてそうで癪だね」
仕草だけは美しく彼方の空を眺めているのに、ゆるゆると、一年前に見た重さを瞳にうつしながら。
「…………悔しかっただけ。親父と、あんた。信じてたものが負けて悔しくないわけないじゃん。だから八葉って言われて、平家を探れるっての、ほんの少しだけ望美に感謝してる。ま、あんたたち源氏に肩入れする気はないけどね」
「ヒノエ」
彼の言った通りに恨まれていたのかと思っていた。けれど、悔しかったのだと言ったその言葉は、僕の心を軽くした。
それはきっと赦されていたからじゃなくて、同じだったからだ。僕も悔しかった。兄が負けたのが、悔しかった。
ひとしきり目を瞠った僕だったけれど、ふいに笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ」
「なんだよ」
「いえ、なんでもないです」
「……あっそ」
ただ、なるほどやはり彼と僕は対なのだな、などと口にするわけにはさすがにいかなかった。
けれどやはり彼には僕の気持ちはやはり筒抜けだったのだろうか。ヒノエは今度こそ深く追求しないと決め込んで会話を遮った。
それが、正しかった。
「はー。あっちい。姫君たちはどこに言ったんだ?」
そして、正しいヒノエのひとことで、僕たちは正しい関係に戻った。
「忘れられているかもしれませんよ」
「望美に限ってそんなことするかよ」
「まあ、僕たちですからね……敦盛くんと隠れてれば最後まで探してくれたでしょうけど」
「敦盛昔っから隠れるの上手かったな……」
そして元通り、暑さが戻ってきて滅入ったけれど、それでも僕とヒノエはどちらも譲らず、譲れず、このあとまるっと一刻、白龍が探してくれるのを待ちわびたのだった。
(02.16.2018)(04.25.2022改)