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「最近視線を感じる」


 あの、まるで現のような、九郎を失う夢を見た少し後から、やたらと視線を感じるようになった。
 気付き、振り返ればいつもそこには九郎がいた。
「どうしましたか?」
 問うても、九郎はいつも、
「いや、何でもない」
と、立ち去るばかり。
 けれどそれを幾度も繰り返して、鎌倉の秋が深まって行って、怪異の真相も少しずつ見えてきた頃でも、やはりその習慣は続いていたので、ついに僕はいつもより強めに九郎に聞いた。
「言いたいことははっきり言ったらどうですか?」
「別に、そういうつもりでは」
 九郎は尚も一旦否定したけれど、
「へえ、君は考え事をしながら敬愛する兄上殿からの任務を忠実にこなせるようになったんですか、すごいな」
「お前…!」
「おや、どうして怒ることがあるんです? それとも、そんなこともできないのに、胸にたまったもやもやを、他人からも分かるように抱えたままにしようとしているのですか?」
「他人て、そんなこと言うのお前だけだろ」
「そうでもないですよ。最近では望美さんや譲くんも君の姿が気にかかっているようですしね」
 なんて挑発めいた言い方をすれば、ぐい、と眉を吊り上げた。
「それでも、だ。愚痴を零すのは武士ではない」
「君がそういうなら、僕はそれで引き下がってもいいですけどね。心優しい望美さんたちを心配させたままにするつもりですか。そうですか」
「っ……」
 続ければ、どんどんと顔がゆがんでいった。はじめは怒りに。次第に、それは元の通りに陰りを帯び始めて。けれど、おそらく僕の口車がどうとかいうより、彼自身も話したかったのだろう。見つめていれば、観念したかのように大きくため息をついて、ゆるゆると僕に近づいてきて、ついに零しはじめた。

「お前は、俺の……親友だろう?」
 おずおずと九郎は言った。少し意外な言葉で、一瞬間を開けてしまった。
「そう、ですね」
「だったら、親友としての話だ」
 と、前置きして九郎は続けた。
 その内容は更に僕にとって驚くべきものだった。
「夢を見た。屋島で平家と戦う夢だ。そこでお前が、俺や皆を裏切って平家に逃れた。それで……、」
「……れ、は」
「夢にしては妙に現実味があったから、まさかと思ったんだが……」
 普段の九郎からは出てこないであろう発言に、いくらなんでも動揺した。せざるを得なかった。

 事実、それを僕は画策していたからだ。
 九郎を守りたい、けれど償いを止めたくもない、思った僕が思いついた策と一致していた。もちろん源氏の中の誰にも言ってなかった、のに。

「図星なのか」
 僕を見、九郎は彼らしからぬ渋い顔で吐き捨てた。どうして、と口をつきそうになった。けれどいくらなんでも肯定するわけにはいかない僕は考えた。この、僕が辿ろうとしていた手段を、九郎が一人で思いついたとは考えにくかった。まさか平家側から……将臣くんからか?とも思ったけれど…………九郎が情報源である彼を庇って吐いた嘘にしては、『夢』というのは突拍子なく思えた。
「……友人、というのは駄目な事を駄目と諫める事も大事だと将臣が言ってた」
 疑っていたところでまた将臣くんの名が出て心臓を掴まれた心地だった。けれど、この言い方でやはり将臣くんは関係ないのだなと確信できたしいくらか我に返った。
 だから言い繕うとした矢先、いきなり九郎の手がぬいと伸びてきて。
 反射的に飛びのいた。どうやら胸倉を掴まれそうになったようだ。
「何するんですか」
「許さない!」
 いつのまにか九郎は怒りの形相だった。
「お前は源氏にいることを望んだんだろう! 源氏に置いてくれって言ったくせに、平家が憎いと言っていたのに、なのに今更そんな事をするのか!?」
「それがどうしたと言うんですか」
 僕は彼の怒りでようやく調子を取り戻した。
「別に、君の許しなんて要らないでしょう。僕の勝手です」
「そんなわけあるかこの馬鹿! 悲しむのが俺だけじゃないのは分かってるだろ。望美や皆はどうする。お前を慕う兵たちだって、危険に晒す気だろう!!」
「それすら、関係ないでしょう」
 裏切ろうとする人間にそんな事を言ったところで……何になるというのだ。そんな感情だけの説得で何ができるというのか。源氏の大将がこのざまか。僕は外套を引き寄せながら九郎を見た。だから……君がそんなだから、ますます裏切ってしまって僕一人で片づけなければ、と思いを強くした。
「逆の立場でもそれを言えるのか?」
「君こそ、利用されてるんですよ。分かっているんですか?」
 ので強く言い返した。
「何?」
「僕だけじゃない。望美さんにも、ヒノエにも……、」
 将臣に、あるいは、あるいは鎌倉にも、とは言えなかったけれど、効果は十分だ。
「お前……! 確かに、望美の一番の目的は白龍の力を取り戻すことだ。ヒノエも別の目的もあるのかもしれない。それでも、あいつらが兄上の為に俺と共に戦ってくれているのは事実だ。それを利用と呼ぶなら……俺は本当にお前を許さない」
 九郎は声を押し殺し言った。
 彼をそんなに怒らせるほどに僕は信頼されていたのだろう、などとこの時に思えるわけはなかった。
 眼前にあったのは僕の抱く九郎の美しさそのものだった。それに目を細めることもできずに、
むしろ、その愛すべき魂に、真っ向からそこまで言われて、傷つかないほど強くはなかった。
 彼を守るためなら、と決めていたはずだったのに。
「……それでいいです。僕も未練なく離れられる」
「話は終わってないぞ弁慶!」
と、なお声を張り上げた九郎は無視して、僕は部屋の外へ出た。

そこで。
「……」
「……よっ」
 全然気付いていなかった。立ち聞きされていた。
「いつから」
 問う僕には答えずに、その相手……将臣くんは、くい、と僕についてくるよう、無言のまま合図をして、また気配を殺して歩きだした。
 互いに九郎に聞かれたくない話があった。
 僕も無言のまま彼についていって、屋敷を出て、浜辺へと着いた。



 鎌倉と熊野の海はまったく装いが違ったけれど、ああ、よく海沿いで兄に説教されたものだな、などとぼんやりしていたら、実に単刀直入に将臣くんが斬りこんできた。
「裏切るのはやめろ」
 いきなり本題。こういうところが九郎と気が合う由縁なのだろうな、と、口元だけで笑みを浮かべつつ、回りくどいことをしたい気分ではなかったので、そのまま返した。
「へえ、君が言いますか」
「言うさ。こっちも、下手にお前なんか引き入れてかきまわされたくねえからな」
 将臣くんはさらにあっけなくも、平家の者だと手の内をさらした。実に都合がいい。今度は自然に口角があがった。
「酷いですね。僕は有能ですよ」
「知ってるよ、でもついでにお前が九郎が大事で大事でたまらないのも知ってるからな」
「君だって、九郎と随分気が合っているようですけど」
「…………」
 ざぶんと波が鳴った。将臣くんは、随分と長く沈黙したように、僕には感じた。だから僕から切り出した。
「還内府」
 将臣くんは微動だにしなかった。かわりに笑いながら言った。
「やっぱり、あんたにはお見通しか」
「偶然、君が平家の早馬からそう呼ばれたのを見てしまいましたからね」
「なんだよ、そっちも立ち聞きじゃねえか」
「だから僕は君が立ち聞きした事には文句を言っていないでしょう? それより……いいんですか、還内府殿。このままでは、九郎は…源氏は君たちを滅ぼすまで追いかけることになるでしょう。そうなったら、君が、望美さんや譲くんと直接戦場で相見える可能性だって出てくる。しかも、低くはない。だったら僕と共謀しませんか? 源氏を、鎌倉を納得させてさしあげましょう」
 望美さんたちの名を出せば少しは怯むかと思った。けれど、やはり還内府か。覚悟はできていたようで。
「悪いけど、そう言われても、こっちは一度和議を反故にされてんだ。あれが九郎の策だとは思わねえけど、景時や頼朝は信用できない」
 やはりあれは響いてるか。僕は思った。
「それに、そもそもお前の目的は平家を打ち滅ぼす事だろ? なのに手を組んで、俺に何のメリットがあるんだよ? 『滅ぼすまで追いかける』か? そんなの源氏を片付けてしまえば問題ないだろ」
(メリット、は、きっと得する事、とかそういう事かな)
 僕はいささか迷った。……僕は九郎ほど将臣くんを信頼しきれていない。いい人であることは違いない、けれど彼と僕との善の基準は違う。
 それでも、無傷ではいられない僕は斬り込んだ。
「九郎は……そうですね、平家の全てを滅ぼしたいと、もしかしたら思っているかもしれない。けれど、僕の目的は別です」
 僕は焦っていた。
 あの生々しい、九郎を失う夢を見て、彼を守りながら清盛を討つ最善の手は『源氏を裏切った振りをして平家に潜入し、清盛を直接討つこと』だと確信していた。
 けれど思い立ったのが遅すぎたせいで手段が足りなかったのだ。
 なにより伝手が不足していた。裏切ったところで、清盛に近づくことができなければ意味がないのに、その決定打が無かった。ゆえに僕は告げた。
「君も知っているでしょう? 清盛殿は怨霊だと」
 それゆえに、僕一人が刃を突き立てればいいという話ではない。それを滅する手段は二つ。
 ひとつは、望美さんを連れて行って封じてもらうこと。けれど敵陣に二人で向かうなど……あの健気で可愛らしい人を、僕が源氏の姫将軍に仕立てあげてしまった彼女にこれ以上の負担を、悲しみを背負わせることは、いくら僕でもできなかった。
 そしてもうひとつ。理論上、八咫鏡があれば可能だ。
 ここで将臣くんの存在は有効だった。鏡の場所を知っているかもしれないし、知らずとも彼なら知ることができる立場で、
それが敵わなくとも、彼と結託できるなら望美さんを安全に連れていくことだって可能かもしれない。彼は僕にとって最善の内通相手だった。
 ……彼が、怨霊である清盛を封じる手助けをしてくれるかは、この段階では確信はなかったけれど。
 清盛の名を聞いた将臣くんの声が波音にまぎれても分かる程度にはっきり揺れた。
「あいつが生き返っているのを知っていたのか」
「ええ。なぜなら、僕の願いはただ一つ。平家の滅亡でもなんでもなく、かの人を滅することですから。知っていますか? 望美さんが今、懸命に白龍の力を取り戻そうとしている。その元凶は清盛殿なんですよ」
「さあ、知らねえな。知らねえし……そんなこと程度で平家を投げだせるなら、今ここで裏切ってやるさ」
 将臣くんはあっさりと返した……ただし声はくぐもっていた。僕はゆさぶりをかけた。
「…………君も、随分と余裕ですね。たしかに僕らは今、秘密を共有した。けれど、優位に立ってるのは僕じゃないかな。僕はまだ裏切っていない。それに対して、君は還内府。既に僕たちを謀っている」
「言ってないだけだ、嘘は言ってねえし、別に望美に害を及ぼしてはないだろ? で、もしかして俺は今脅されてんのか? 俺の正体をあいつらにばらしてやるってあんたは言ってんのか?」
「そうですね」
「ははっ、できるわけねえだろ、お前に」
 そう言い切る将臣くんこそ優位であるように、感じた。させられた。
「源氏の軍師の悪名、君ならよくよくご存じでしょう?」
「それでも、だ。お前は、望美や譲に悪さはできない。見てりゃそれくらいわかるさ。お前も結局、あの九郎と同じなんだよ。あいつらを無下に傷つけることはできない。そもそも、優秀な源氏の軍師様からすれば、そんな、無策に俺の正体をばらしてイレギュラーが起きる方がよほど恐ろしいはずだ。譲はともかく、あんたにとっての望美ってのはそういう奴なはずだろ?」
 そして、吐き出された言葉は恐ろしい程に図星だった。
(還内府の洞察力……噂に聞いたことはあったけれど、これまでとは)
「むしろ、それすらも利用しますけどね、僕なら。そして君も、そうじゃないですか?」
 やむなくはったりを噛ましてみても、将臣くんは僕との取引に応じるつもりはなさそうだった。その上。
「どうだろうね。俺は案外現実的だぜ? それに、お前、そんな事にかまけてていいのか?」
 そんな牽制のような言葉をふと、今までとはかすかに調子の違う声音で、
 とはいえ十分に、普段の堂々とした将臣くんの様子、そのままだったけれど、どうしてか、そうきっと瞳が語っていたのだ。
(……心配されている?)
 そんな風に感じた。
「何がですか」
「敵は平家だけ、って、本当にそう言い切れるのか?」
 続いた言葉。『あの夢』を見てしまった今、一蹴できずに囚われ言葉を飲み込んでしまった。だから、というだけではなかっただろう。けれど、
「…………それが、何か」
「お前の事だから、勘付いてるんじゃねえの? 『そっち』を先にどうにかすべきじゃねえの?」
と。その言葉はえらくすとんと僕の胸に転がりこんだ。
 ……異世界出身であり敵側であり、油断ならぬ相手でもある彼の言葉にどれだけの真があったというのだろう。
「はぐらかすための詭弁ですか?」
 そう判じてしかるべき場面だったし、その可能性の方がはるかに高かったはずだ。
「ま、そう思うよな。……あんたがそういうなら、それでいいさ」
 実際、どっちだったのか、僕にはわからない。けれども、続いた言葉には確実に彼の『芯』が、彼の本音が込められていた。
「それに、そもそも俺は気に食わねえ。仮にあんたが裏切って俺と手を組んで、俺たちで戦を終わらせてめでたしめでたし、になったとする。でもそうしたら、あいつはどうするんだ? あいつの命は守られるかもしれない。命は大事だ。何事にも変えられない。だからって、そんな終わり方であいつの気持ちは、これまで刃を向けてきた想いはどこへ行けるんだ? お前がそうやってこだわってるのと同じで、九郎だってこだわってきたんだろ? それが気に入らねえ。あいつの決意を横からへし折るような真似の手助けなんてしたくねえよ、オレは」
「君だって似たようなやり方で譲くんのことを守っているでしょう。それで譲くんは……傷ついてきたんですよ、ずっとずっと」
 彼にだけは言われたくなくて、僕は反論したら、将臣くんは自虐的な笑みを秋の薄い光に浮かべながら遠い目でぼやいた。
「譲……ね、ああ。そうやって何回も俺は譲を傷つけてきたさ。だから言いたくなるんだろうな」
 きっと……遠き時空のこの町で。彼らの故郷だというこの海で。そういう目をしていて。
「でも、譲は弟だ。九郎はお前の事、親友って言ってたぞ、いつもいつも、な。それを一緒にするのも違うだろ、多分」
 最後の言葉はやけに親しげな笑みと共に告げられた。
(そこまで分かっている癖に僕には忠告、か)
 些か身勝手な言い分だった。僕はひややかに受け流そうと試みた。
「話は終わりですか」
「ああ、終わりだ。俺はこのまま海でも眺めてく。あんたはとっとと戻って九郎に謝ってやれよ」
「そうですね。言い過ぎたのは間違いないですから」
「ったく、口の減らない奴だな」
「よく言われます」
 僕は景時の邸へと踵を返した。最後の言葉は振り返らずに告げた。
 遠ざかる波音だけが響く帰路だった。
 けれど僕の心は将臣くんの言葉が渦巻いていた。
『敵は平家だけ、って、本当にそう言い切れるのか?』
 はぐらかすにしても、その一言だけは随分と浮いていたように思った。
 根拠がなかったからだ。鎌倉と九郎の間には問題はなかったはずだった。冷たさを感じる場面は多々あったけれど、誰にでもそうであったので「そういう人柄」と言えただろう。
 しいて言うならば悪夢を見て、戦以外で命を落とす九郎を『識ってしまった』だけだ。
 それを根拠とするのはあまりにも弱かった。
 けれど『夢で見た死』と、将臣くんの『指摘』、重なれば、可能性は生じてしまう。
 少なくとも僕の心を揺らすに足るものとなって。
 かといって、所詮可能性の域を出ないもの。
(どうすればいい)
 九郎を守らなければならないが、龍脈だって戻さなければならない。それにはやはり平家への「裏切り」が最善だっただろうとなおも思っている。まだ策を練り切れていないながらも一応、手は打ち始めていた。
 けれど平家の要である将臣くんにきっぱりと断られた。……彼に関しては、状況さえ変わればまた再考してくれる気がする、から一概には言えないけれど、かなり厳しそうだった。
(どうすればいい)
 いつしか雨が疎らに落ち始めていた中、遠ざかる海を背に僕は迷った。困窮した。
 それでも将臣くんに告げたとおりに九郎に謝ることだけは決めていた。
 その程度には将臣くんの言葉と秋の海風が僕を冷静にした。








「ただいま」
 僕が景時の家にいた九郎のところに戻ると、九郎は心底驚いた顔を見せた。
「弁慶」
「何をそんなに驚いているんですか。ああこれ、御土産です。君に」
「これは、焼き栗か?」
「ええ。機嫌なおして貰おうと思って」
「雨が降ってきたのに、そんな寄り道をしていたのか? ほら濡れてるじゃないか」
「ほんの少しじゃないですか。これくらい、なんてことはないですよ」
 と、ひとつ、包みから栗を取り出し、皮をむいて、九郎の前に突き出した。九郎はそれに唇を寄せようとして、はたと止まって、指でとって食べた。
「……美味いな」
「それはよかった」
 そして僕は微笑み、改めて九郎の隣に腰を降ろした。
「…………戻ってこないかと思った」
「まあ、それを考えなかったかと言えば嘘になりますね」
「そうか……」
 前を見たまま静かに落ちだした九郎の言葉は雨粒のようだった。
「……なら、撤回するか?」
「そうですね。望美さんの事をひどく言ったこと、謝ります。僕も気が立っていたみたいです。すみませんでした」
「俺に謝ることでもないけどな。けど、分かった」
 僕自身、これについてはあの後すぐに失言だと思っていた。……あんな優しい人達を評する言葉としては、実に不適切だった。
 更に僕は続けた。
「それと、裏切るのはやめました」
 まるで散歩に行くのをやめた、程度の言い方だな、と自分でも思いつつ言っても、九郎は栗の包みを抱えたまま表情を和らげはしなかった。
「……ああ」
「あれ、もっと喜んでくれるかと思ったのに」
「…………」
「九郎?」
 覗きこむ。九郎は暗い目をしていた。更に、体温が伝わりそうなほどに近づいた。
「九郎」
 そこでもう一度呼べば、ようやく九郎が深く深く息を吐きながら、ばたんと後ろに倒れた。
「よかったー」
「脅かしてしまってすみませんね、九郎」
 やや複雑な思いのままに、とりあえず微笑みながら返した僕に、
「ああ。どう戦えばいいか、どうすれば損害を減らせるか、お前相手に考えながら戦うのはさすがに辛いからな」
と、真顔で言うから驚いた。
「……そこですか?」
「そこだろう。どうせお前の事だ。『敵を欺くには味方から』とか言って、どんな策を使うかなんて教えてくれずに全力で俺たちを潰しにくるんだろう? お前に巻き込まれた兵は救わなければならないし、厳しいだろ」
「……僕がここを出てくことを怒ってたんじゃないですか?」
「あの時はカッとなったが……落ち着いて考えてみれば、お前がふらふらするのは今にはじまったことじゃないし。望美たちを無駄に傷つけるのは、許せんが」
「それは」
 口ごもった僕に九郎が向ける目が、『それみたことか』と言っていた。どんどんと、ただの呆れたものになってゆくから、僕は。
「ぷっ……ふふふ、ははははは」
「何がおかしい!」
「おかしいですよ。ああ、やっぱり裏切っておけばよかった。君と戦うのは楽しそうだったな」
「ほら、やはりそういう事をお前は言う。だったら明日は朝から手合わせする。絶対する」
「それじゃ楽しくない。戦場で見えてみたかった」
「だから、そういう回りくどい事をいちいちするなって言ってるんだ」
 そして、呆れを通り越して九郎は膨れた。
(ああ、本当に君は)
 僕が裏切る夢を見たという。それでも、平家に付きたいからとか、九郎を見限ったからとか、考えてない。裏切るふり、としか思ってない。
 その上、実際に対峙したところで、九郎は自分が勝つと結局確信していて、そんなところも全く九郎らしくて、
(だからやっぱり、不安なんだ)
(さすがにもう分かってる。九郎は……実際は心配だってしてくれたんだ。だからあんなにさっきは怒ってた)
(これも、僕の咎、なのかな)
僕は何度も何度も九郎を置き去りにしてきたから。何度も九郎を捨ててきたから。そのたびに九郎が繋ぎとめてくれたからここにいるだけで。
 それでも僕の思いはずっと変わっていない。でも、九郎はそれを知らない。
 彼の唇に指先で触れて、唇を重ねて僕がどれだけ君を大事に思っているのかという想いを伝えてしまいたいという衝動に駆られた。それはもう許されない。
 燻る想いを再び、九郎に伝える日は来ない。
 けれど。
(今なら。今の僕なら)
 ……将臣くんの言葉は認めたくないけれど、やはり九郎は親友で。
 だからこそ話せることもあると、思った。
「……僕は罪人なんです」
 心にずっと貯め込んでいた言葉は思いのほか重く。しとしとと雨の落ちる音に浮かせて吐きだしたら、けれど九郎が鮮やかな橙の髪を揺らしながらやっと僕を見た。
「なっ……、唐突にどうした」
「いえ、少し話をしてみたくなったんですよ。……詳しい事はまだ言えないけれど、僕は少し悪事を働きすぎて、それを償うためにここ数年、時間を割いてきました」
「何で……って、聞いても無駄か。どうせお前は話したくない事に関しては嘘をつくしな」
「信用ないですね」
「そりゃそうだ」
「ああ、ある種の信頼ですね、これはこれで」
「開き直るな」
 憮然と言い切る九郎に愛おしさを感じて、僕は笑いを零した。
「…………そう、だから、僕は僕の罪を償わなければならない。その為に、僕はどうしても清盛を打ち滅ぼさなければならない」
「……清盛?」
 ぴくり、と、さすがにその言葉に九郎の眉が揺れた。
「生きているのか!?」
「ええ……怨霊として蘇ったと聞きました」
「そうだったのか」
 九郎は黙っていた僕を責めなかった。そのかわりに、
「それで?」
と、先を促したけれど。
「いいえ、終わりです。だから僕はもっと手っ取り早く彼を打つために裏切ろうと思った。それだけですよ」
(そして、九郎を守りたかった。それだけだった)
 話を締めくくった僕に、九郎は頬を膨らませた。これ以上ないくらい拗ねた顔をした。
「九郎?」
「お前は本当に俺が……」
「え?」
「馬鹿!」
 そして、ぐい、といきなり手を両手を……僕がさっき躊躇して触れられなかったそれを掴んだ。
「敵は最初から同じじゃないか。それを何を、ぐだぐだと」
「ぐだ…?」
「だからお前は回りくどいことばっかりやって、いつも足元を見てないんだ」
 それは若干図星だったし、いきなり暴言を吐かれて、僕の眉はかすかに釣り上がった。けれど。
「って、失礼ですね」
「失礼なのはお前だ」
 九郎は。
「弁慶、清盛を倒そう」
「いや、それは」
 言い切った。それは正論で正着だ。九郎はいつか清盛に辿りつく。確実に。けれど。
(僕は僕の罪を)
「俺は、俺の戦いに、」
 九郎は、たまに恐ろしく、僕の心を読んだかのような事を言う。
「お前を巻き込んでしまった。すまないと思っていた所もあった。だがそういうことなら安心してお前に相談できるな」
 これもそうだった。僕は軽く目を見開いた。
「相談、いえそれは」
「ありがとう、弁慶」
「ありがとう、って」
(君のためなんかじゃなかったのに)
(君を巻き込んでいたのは、僕だ!)
 なのに強引に、いつものように、九郎は僕の気持ちを自分勝手に絡め取って、
当たり前に善意に満ちた世界で僕を捉えて、
さびしがりで自信がないくせに、こういう時だけそんなことは二の次みたいな立ち振る舞いで、
外は雨だったのに、天高き秋晴れのごとき笑顔で、
そんな彼の姿勢に、僕は少しの苛立ちをなおも感じながらも、
(でも)
(そういうことなのかもしれない)
僕の手を握る九郎を僕はぼんやりと見つめていた。
 九郎はきっと、僕を生かそうとして……否、きっと九郎のことだから、そんなことは当たり前の前提であって、当たり前の気持ちで言葉を紡いだに違いないのだ。
 けれど皮肉にも僕はそれで気付いた。将臣くんの言葉が過った。
(『あいつはどこへ行ける?』か)
 九郎も戦っていたのだ。自分の血と。宿命と。それに伴う孤独と。苦しみを伴う夜もあっただろう。それに僕は気付きもせずに。
「本当に君は……」
「『君は』、なんだ?」
「……九郎、ありがとう」
 こんなにも僕は君をないがしろにしてきたというのに、九郎は僕の事も思ってくれて。
 その上僕が欲しい言葉を的確にくれる。僕の欲しい笑顔をくれる。
 そして僕に救いをくれる。
「あたりまえだろ、そんなの今更だ」
 雨音は柔らかに。僕も九郎の手をしっかりと握った。
「約束してください、九郎。清盛を倒すと」
「言われるまでもない」
「では……改めて、僕を源氏の軍師としてくれますか、九郎」
「それこそ言われるまでもない。お前は鎌倉に来た時からずっと俺の軍師だ、弁慶」
 九郎の瞬きに雨粒は無く。


 こうして。
 僕はついに、僕が九郎のために命を賭すに足る理由を、九郎を最優先にすべき理由を作り上げてしまった。
(九郎の命がある限り……九郎と鎌倉殿ならば確実に、清盛を逃がしはしないだろう。平家を赦しはしないだろう)
(つまり、僕になにかあっても、かわりに九郎が僕の罪を祓ってくれる。僕の悲願を彼がなしてくれる)
(ならば、あとはただ、僕は九郎のためにあればよいのだ)
(これこそ利用以外のものではないな。身勝手だ。けれど、それでも)
(僕は九郎を救えなくとも、守ることはできる)
(道が、重なる)
 あとはただ、九郎のためだけにありたいのだ。




(03.05.2018)(04.26.2022)


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サソ