「敗北のあと」
そして、僕は負けた。
負けた。大敗だった。都から落ちようと時代の覇者が相手だ、戦力差が大きかったと兄は言ってくれたけれどそれは分かっていた事で、それをも覆せるだけの策を持っていったつもりだった。けれど負けた。何隻も船は沈み、少なくはない人数が共に沈み、あるいは怪我を負った。捕えられた人もいた。軍師は謝ってはいけないものだ、僕は解っていたつもりだったけれど、兄に頭をさげていた。
「ごめんなさい」
「謝るのは俺の前だけにしとけよ」
深手を負い、意識が朦朧とする最中でも兄はけして僕の前で弱音を吐かなかったし、僕を責めることもなかった。
僕は精一杯怪我人の治療をしながら船に揺られて熊野に戻った。ひどく遠い気がした。海流にも乗っていたのに遅い気がした。いつ平家が追撃してくるか、いつ治療に使う水や薬がきれるか、いつになったら怪我をした人たちを熊野へ連れて行ってあげられるのか。そんなことばかり考えていた。
だから熊野にたどり着いた時は、意識を手離してしまったほどに安堵したけれど、たからといって状況は改善するわけでもなかった。たしかに地上に戻ったことで元気を取り戻した人もいた。けれど快方に向かえなかった人もたくさんいた。
兄もその一人だった。たったひとつの矢傷によって兄の足は壊死していた。本来ならもっと早く切断しなければならなかったけれど揺れる海の上ではままならなかった。僕だけじゃなく水軍の皆がどこかに身をよせ施術すべきだと主張したけれど、元々紀伊より西は平家の勢力地。兄は頑として受け入れなかった。皆で早く帰るんだと言って聞かなかった。
「別当に大事があったらそれこそ一環の終わりでえ。わしらの事はいいから別当は生き延びなきゃならねえ」
そう死の淵で繰り返し訴えた人もいた。けれど兄は首を振らなかった。
「なに言ってんだ。俺こそもうかわりは用意してあるってんだ。だから熊野に戻るったら戻る」
痛みで顔をしかめながらも声は明るく、兄は駄々をこねるように繰り返していた。
そして、熊野に戻ったその日に、その言葉通り、「かわり」として別当にヒノエを据えた。
その後、ろくにヒノエと言葉もかわさぬままに……遺言めいたことも、心得のような事を伝えるでもなく、ただ、お前ならやれる、と、それだけを強く言い聞かせた兄の足を僕が切断した。
幸いにも処置はうまく行き、兄も一命を取り留めた。が、それは偶然だった。兄のまだ死ねぬという気負いと、ヒノエの祈りのお陰だった。僕一人の力では、彼ら親子を永遠に、別れもできぬままに引き裂いてしまったかもしれなかった。
それらは、京の龍脈を穢したことよりもはっきりと僕に罪の意識を……そんな生ぬるいものではない恐怖と悔恨をこれ以上なく植え付けた。
親子の永遠の別離などそれまでにだって何度も見てきた。京では横暴な貴族に傷つけられた人々がいて、平泉でも夜盗や獣に力なく襲われた農民がいた。流行病だってあった。
けれどこの件は、巻き込んではいけなかった人を巻き込んだ。
兄を傷つけたのは清盛の放った矢だった。
清盛は姿を大きく変えていた。あれが以前の彼の姿なのだろうか、少年と呼んでも差し支えないほどに幼い姿だった。
けれど禍々しかった。僕らの射た矢はひとつも届くことがなかった。僕が直接薙刀を振るい傷を負わせても、みるみる塞がっていった。
怨霊か。兄が呟いた。その兄を清盛は射た。
その時は口封じか、あるいは怒り任せかと思った。けれど違う、清盛が攻撃したのは僕だ。兄を傷つけることがすなわち僕への最大の攻撃だと、彼は知っていたんだと僕は悟った。
効果は絶大だった。
僕は何にも縋れなくなった。
僕はいよいよ、本当に一人になった。
それからしばらくの間の事は覚えていない。
怪我させてしまった人の看病はしただろう。薬も煎じていたのだろう。
夜はひたすら書を紐解いていた。水軍の戦法も学びなおした。
……と言っても、知識以外の記憶はない。逃げるように書物ばかり読んでいた、と思うのは後の兄やヒノエの言葉から推測しただけのことだ。
だからたとえば当時、兄たちにかけられた言葉とか、僕はこの後にどうするつもりでいたのか、なとどいうことはほとんど覚えていない。
例外としては、昔見た清盛の出てくる悪夢を頻繁に……あの時と違って、完全に彼に敗北したという実感を伴いながら見てはうなされたいたのは覚えている。朦朧と目覚めた僕を、森の向こうから昇る朝日が照らしていて……その美しさは目に焼き付いている。
そんな僕をヒノエは遠巻きに見ていた。近づきもしなかった。僕も何か積極的に話しかけるまでの気力はなかったので、そのままの距離を保っていた。
すべてが朧げな記憶の中、ヒノエの視線だけが鮮明に残っていた。彼に似合わずどちらかといえば負の感情を帯びた視線。だから記憶に残っているのかもしれないし、他の、もっと他の理由かもしれない。
といってもそれだって随分と曖昧な記憶しかないのだけれど、一度だけ、観念したかのように渋い顔でヒノエが僕の部屋へやってきたことがあった。
足音を忍ばせたりせず、普通に部屋へ入ったようだったけれど、にゅっと目の前に彼の手が差し出されるまで僕は彼が近づいていたことに気づかなかったので、たいそう驚いた。ヒノエも驚いていた。
「なんだよ」
普段なら「それは僕の台詞でしょう」くらい言い返していたと思うけれど、気力がなかった僕は、
「……いえ、それは?」
と、ヒノエの突き出した何かへ言及するだけで、するとますますヒノエが嫌な顔をした。
「……あんたのだろ?」
「?」
そして改めて僕は彼の手にあるものをまじまじと見たら、それは確かに僕の所有物だった。
「これは」
「あんたが投げ捨てた兵法の書物に挟まってた」
ずい、と更に突き出されたままに、僕はそれを受け取った。
「邪険に捨てていいやつじゃねぇだろ、それ。見りゃ分かる、って、一応言っとくけどあんたの為に返すんじゃねえからな。紫陽花の君の涙はみたくないからね」
「紫陽花の君?」
ヒノエの出してきたものは竹の栞だった。うっすらと紫陽花の花が彫ってあるから、僕にそれを贈った相手の事を勝手にそう呼んだのだろう。
けれど『紫陽花』と、どちらかを呼ぶのならばそれは送り主の方でなく僕だったけれど、当然知らないヒノエはそっぽを向きながら続けた。
「あんたにそんなもの贈っちまう時点でもう不幸だけどさ。でも、それを踏みにじって捨てちまうほどあんたは最低じゃないだろ」
「……君に、そう言われるとは思っていなかったですね」
その栞を捨ててしまったのは偶然だった。けれど実際僕はこの送り主を……意外と僕に贈り物をくれていたらしい彼を踏みにじってきた。だからそう告げてしまってもよかったし、目の前でもう一度投げ捨ててしまってもよかった。のにそうしなかったのは、間違いなく、小柄で体も細い、いかにも年下の甥、に対する矜持だけだった。
最低最悪まで落ちていた僕だったけれど、それ以上落ちたくなかったのだ、少なくとも、大いに代償を背負わせてしまった彼の目の前では。九郎を傷つけた事も引きずっていてせめてヒノエだけは、とも思っていたのかもしれない。それ以上に、このなんだかんだ優しい甥に心配されたくなかったのだ。叔父だから。
「ありがとうございます」
「……べつに、礼を言われるほどじゃねえだろ」
「たまには素直に感謝くらいしますよ、僕だって」
そんな僕にヒノエはいよいよ心底嫌そうな顔をした。それが可笑しくて、僕は久しぶりに笑みをこぼしてしまった。
「ま、なんでもいいけどさ。それだけ」
ヒノエはそのまま出て行って、僕はそのまま栞を眺めていた。この時に熊野に来る前に壊れてしまった鶴の置物の事をぼんやりと思い出していた。
あの置物を貰ったのは遠い遠い、まだ平泉について一年経ってなかった雪山での話だ。遭難してしまった僕を、九郎は心配だから、と探しに来た。友人だと言ってくれた。
今となっては「たったそれだけ」とか「九郎らしい」の一言で片が付くような出来事だったけれど、あの頃の僕にはかけがえのないもので、ゆえに大切な、大切な思い出で、
だからこそ、九郎を捨てるように熊野へ行き平家を討つことを選んだ僕に、よりにもよってあの時に木彫りが壊れたことは堪えた。
それは暗示だったのだ、と言いたくなるほどに状況はどんどんとこじれ続けていた。
九郎を見捨て熊野に来たのに平家は倒せず、兄やヒノエを大変な目に合わせたのに何もできなかった。しかもよりにもよって清盛が生きていた。……その事実を知れたこと自体は収穫なのかもしれないけれど、熊野はもう頼れない。僕には手段はなかった。先へ進まなければならないのに、
だから鎌倉へ帰らなければならないのに、どうしてもそうできる気がしなかった。
どうすればいいのか分からなかった。
これまで負けず嫌いな僕は危なげな戦はしない主義だった、その報いも回ってきていたのかもしれない。策を講じ続けなければならないのに、負けようがなりふりかまわず進まなければならなくなったというのに、身勝手な僕はただ、ぼんやりと朝日を眺めることだけを繰り返していた。
ところで湛快さんの足って片方無いって思い込んでるんですけどそれで正しいのか今になって全く自信ないんですが、
もし見当違いの事書いてたらこれはさすがに修正したい
(08.10.2017)(04.22.2022)