「こうして君を置いてゆく」
※ヒノエ母を大捏造してます
頼朝殿は伊豆で挙兵し、鎌倉で東国の武家たちの中心的存在になったものの、東国の国司を殺めた罪や、今はまだ早いと諌める周囲の武家の棟梁の動きもあって、鎌倉殿は上洛できない、しないままだった。
それに変わって、随分と武勇をあげはじめたのが、九郎のいとこにあたる木曽義仲だった。
木曽から京、北陸一円争いに包まれ、ついにはその勢いは関東にまで広がった。頼朝殿は和睦を結びこれを止めたので、戦火そのものは伸びてこなかったけれど、一触即発の空気は続いていた。その間に平家はどんどんと義仲や、彼に同調する武士たちに押され、皐月にはついに倶梨伽羅で大敗を期した。
そんな頃。僕は兄から呼びだしの文を受け取り、一人熊野に向かう事になった。
「発つのか」
「すみません。なんでもどうしても兄が僕に話したいことがあるとかで」
「いや、それはいいんだ。お前は兄上……鎌倉殿から書状も託されているのだろう?」
「はい。君の郎党として、しっかり役目を果たしてきましょう」
鎌倉から熊野への書状は完全に偶然得た用事で……一触即発な状況下、鎌倉を離れることを禁じられてもおかしくない時世に、用を託されたのは渡りに船だった。中身は知らなかったけれど、宛先は僕の兄ではなく、源氏に縁の深い義姉だったので、多分、協力もしくは援軍の要請だったろう。あの方なら承諾できない中身だったらきっぱりと断るだろう、と思えたので、僕は気負わずに引き受けていた。
とはいえ、出立を決めたのは、この時にはまだ鎌倉殿は動かないだろうと判じてのことでもあった。当時の僕は鎌倉殿の人となりを詳しくは把握できていなかったけれど、もし出兵するとしたなら確実に、堅実に準備をするはずだったろうし、なにより平家と木曽をもっと争わせた方が得策だというのも大きかった。
「……弁慶」
「はい?」
「こんな時世だ、早く帰ってくるんだぞ」
「そうします」
そして何度も繰り返した、こんな、九郎との別れを僕はまた繰り返した。
繰り返しすぎて……九郎が『早く帰ってこい』といったのは、兄への返事を早く持ち帰れ、という意味ではなかったことに……彼の事などもう何も知らないのだと、分かっていた筈なのに僕は気付きはしなかった。
熊野に着いて、まずは別当に簡単に挨拶を済ませた。完全に形式だけのものだ。……長話など、どうせ後ですることになると分かっていたし、彼も引きとめはしなかった。
ので、早々に辞した僕は、次に、僕の義理の姉、九郎の叔母にあたる、兄の奥方に会いに行った。
そしてやはり形式だけの挨拶をし、手紙を手渡した。
兄が苦手であるのと同じく、この人もあまり得意ではない。
本題を早急に切り出しても嫌な顔ひとつしない所などは好ましい人だった。なんとなく、武家の娘、言うなれば九郎の血縁なのだな、と感じさせられる部分でもあった。
けれど彼女は……当然だけれどヒノエによく似ていて、あの兄の妻を務めるに相応しい方でもあり、つまり……やりにくい。
この時も、彼女はたおやかな指先でくるくると書状を開き、息も落とさずに、すっと文面を読み終えるなり、
「弁慶殿、中身はやっぱり手を貸せということだったわ。なにかこちらにいい条件でもつけてくれるなら考えても良かったのに、それもないみたいね」
と綺麗に笑い細い指でぴりぴりと、せっかく運んできた書状を破いてしまうような人で、
公家とも、武家とも、別当家とも馴染まない、ましてや女人らしからぬ所に、僕はいつだって、取りつく島もないのだ。
けれど……交渉相手としても、兄嫁としても苦手だった彼女だけれど、そう言った枠の外では、僕は気安さを感じていた。
ので……端から本気で彼女を説得するつもりなどなかったこともあり、らしさについ、顔を緩めてしまった。
「やはりそういう内容でしたか」
「あの子は分かってないわ。敵が平家だというなら協力もいくらかは考えるかもしれません。けれど木曽殿を追いつめるのに手を貸すわけないでしょう。私からすればどちらも可愛い甥なのよ」
「義姉上はお優しい方ですからね。やむを得ません。そうお伝えしておきます」
「……まあ困ったわね、弁慶殿、あなたももう少し食いさがったりなさりませんの? 源氏の使者としてここに来たのでしょう?」
「困りますか?」
「ええ。貴方を口先で丸めこんで、諦めさせるなんて、楽しそうでしょう?」
と、彼女は扇で形ばかりに口元を覆い微笑んだ。ほら、だから嫌なんだ、と、僕は隠しもせずに思った。
「相変わらず、ですね。ですが、僕が頼まれたのは『渡すだけ』ですから。しかも目の前で破り捨てられてしまいましたしね」
「そんなんじゃ駄目よ。あなたの主君の顔に泥を塗るつもり?」
「その辺はお気づかいなく。……どうせ兄が僕を呼ぶなんてろくでもない話なんです。ので直接、僕が別当に鎌倉に得のある交渉を持ちかけて、その結果を貴女からの土産にさせていただきますから」
「……ああ、その手がありましたね」
と、微かな悔しさを滲ませながら義姉は笑った。こういう所は望美さんに少し似ているかもしれない。かの神子姫は可憐な見目まで持ち合わせているのだから、ヒノエが興味を持つのも当然という気がした。
そんな、まるで予定調和な面会を終えるために頭を下げた僕に、彼女は言った。
「……弁慶殿、別当殿は貴方を可愛く思っている。けれどそれに、貴方は必ずしも報いる必要はないのですよ?」
「報いる?」
顔をあげ、もう御簾の向こうの彼女に僕は問い返した。
答えは返って来なかった。だから、僕はきっと彼女が望んでいるのであろう言葉を、周到に返した。
「……随分な事を仰る。僕にそんな義理堅い感情など、ありませんよ。ご存じでしょう?」
(あるなら、こんな道を歩めるわけがない)
見据えた先で、彼女の腕が、扇がゆるりと動いたのが見えた。
予定調和だ。
彼女は僕に、釘をさす。優しさなら要らないと、利用するならすればいい、と。
「……そう、残念だわ」
と、零した口調がヒノエに似ていたのは、きっと、気のせいだった。
次は兄の所へ向かった。
気は重かった。熊野へ赴く前、鎌倉で大倉御所に呼び出された時ほどに重かった。兄が手紙に書けぬような用件はろくでもないものに違いなかったのだ。
だから、けして、もう二度と判断を間違えてはいけない僕は、括りきれぬ腹を抱えながら歩みを進めた。義姉には兄と交渉するなどとさらりと告げていたけれど虚勢もいいところだった。ふふ、と自嘲を零しつつ兄を探せば、
予感は当たった。
通されたところは熊野別当としての兄の執務室のようなところだった。ここに呼ばれた事は無かった。
挙句、入るなり、人払いまでされて、そうしていよいよ、僕の覚悟も据わったのだと思う。
そんな僕を、ゆったりと、まるで早くに訪れた暑さにやられてしまったかのような様子でたっぷりと見つめ……辺りから人の気配が消え十分な時が過ぎたころ、兄は語り出した。
「今、あちこちできな臭くなってるのは知ってるな?」
兄が酒を飲まずに僕に向き合うのも久しぶりだったはずだ。
「ええ」
「だからうちでは多量の烏をあちこちに放っている。その途中で知ったんだが」
なんでも快活に話す兄にしては随分と躊躇いを含んでいて、
「どうやら、近く平家が都落ちするらしい」
「!?」
語られた言葉はあまりに唐突すぎて僕は目を見開いた。
「で、だ。お前もどうせ知ってる通り、熊野は随分安定した。俺のお陰でな。ってことで、これを機に、平家の野郎でも潰してやろうかと思ってる」
まさか、源氏で、九郎の郎党としてよりも早く平家と戦う機会を得られようとは。
ばくばくと苦しいくらいに胸が鳴った。
「どうして、そんな無謀を」
「無謀でもねえだろ」
「たしかに今の水軍の力があれば……平家が京から出て行くというなら、可能かもしれない。けれど熊野になんの利がありましょう」
「利も何も、邪魔だからに決まってんだろ。平家は随分と熊野に良くしてくれたよ。その恩を忘れたって訳じゃねえ。だが最近、ちょっとばかりそのことで口うるさいからな。落ちぶれたもんだぜ」
「……それで、どうしてそんな事を、僕に?」
動揺が声に出た。それを僕は必死に抑えた。
「鎌倉殿と手を組むおつもりですか?」
兄がなんのつもりで僕を呼びだしこんな話をしているのかは知らないけれど、
僕の罪の事を明かすつもりはこの時にはなかった。だから僕は冷静を努めて返した。
つもりだった。
「まさか。俺は、源氏の軍師殿にお話しているわけではないつもりだ」
「では僕個人に用向き、ですか」
「ああ、そういうことだ。ただし……ここから先の話をするかはお前次第だ。今どき大群を率いて攻め込むなんてやろうもんなら隙ができすぎる。いくら木曽勢と院勢は熊野と友好的といってもだ。だからやるなら極秘にやるつもりだ。つまり、お前も、お前の御曹司殿にこの話をしない、というのが条件だ」
兄は一見、ただの茶飲み話でもするように頬杖などついていたけれど、目は至って真剣だった。
「……そこまでするのなら、どうして僕を抱え込みますか?」
「それはお前が軍師だからだろ。うちにも頭のキレる奴はいるさ。だがどうせやるなら参考にする意見は多い方がいい。だろ?」
つまるところ、
一日も早く清盛を倒したい僕にとってあまりに都合のよすぎる話だったのだ。
だからこその不審はあった。相手が兄でなかったら罠を疑っただろう。けれど、だとしても、……もしかしたら、九郎によくない事を及ぼすかもしれないとしても、
「分かりました。受けましょう」
罪人である僕には断ると言う選択肢は最初から存在していなかった。
もしかしたら同じ過ちを……清盛の為に街を国を犠牲にした過去を繰り返すことになろうとも、それでも、ほぼ間を開けずに僕は頷いた。
「そう言うと思ったぜ」
兄は性格の悪い笑みを浮かべながらにんまりと言った。けれど纏う気は重く。
「まだ確定じゃない。だが、平家の連中はどうやら厳島へ逃げる算段らしい。……な? 俺たち水軍にとっては絶好の戦舞台だろう?」
「けれど、分の悪い戦です。いくら平定したとはいえ、熊野にそこまでの余裕があるんでしょうか」
「お前、見せかけだけが熊野の国力だと思ってねえだろうな?」
「思ってませんよ。ませんが、兄上も、見た目だけが平家の国力だと思ってないですか?」
「……それでもな、平家は怨霊武者を蘇らせているなんていう話を聞いちまったら、黄泉路からはずれ引き返す輩を見すごす訳にはいかないだろう」
「それは」
「やるしかないだろ」
後に兄は言った。
僕が京でせわしなく平家に取り入っていたのは知っていた事、
その時の様子が尋常でなかったこと、
僕の性格からして厄介事を一人で抱えているのだろうと思ったこと、
だから話を持ち掛け……すぐに乗ってきたが故に、おそらく何らかの理由で僕が平家をどうしても倒さなければならない状況に陥っていたと推測した、と、言った。
勿論、兄は平家をどうにかしなければ、と思っていたのも事実であったので、利害は一致していたとはいえど、つまり僕は兄に救いを差し出されていたのだ。
けれどそんな本心など知らないこの時の僕はただ、巡りやってきたチャンスで確実に清盛を今度こそ打ち滅ぼすべく、他の事を切り捨てていた。
鎌倉の事も兄の好意も、九郎のことも。こうして秘密を重ねてゆく。
終わらない螺旋。もうひとりは嫌だと零した言葉は本心だったのに、こうして彼を置いてゆく
けっきょくなんでたんかいさんが厳島に攻め込んだのか未だにわかってないのでなにか矛盾してたらすみません
昔は弁慶がそそのかしたんだと決めつけていた。その次はたんかいさんが何かを察したor弁慶が困って相談して攻め込んだのかなと思ってた。今はこんな感じでどっちかが強く攻め込みたかったっていうよりは二人の利害が一致したのかなあとか思っている、なんとなく。
ヒノエ母とあっつん母がかぶってしまっていたのに気づいてなかった痛い
(07.21.2017)