「僕の罪は確定した」
「それでは、行ってきますね」
馬上から、僕は傍らの九郎に微笑んだ。
先立って鎌倉殿から賜った白の装束に袖を通した九郎は立派な若武者だった。九郎に白は良く似合う。源氏の家紋である竜胆も入った衣はまさに九郎のためにあると言っても過言ではなくて、当時、……あんなに兄に会いたがっていた九郎によくしてくれなかった事以上に、武家の棟梁としては妙な底知れなさ、清盛とは毛色の違う知略の深さを持った鎌倉殿に対して、内心敬意どころか好意も持ち得なかった僕だけれど、こういった見立ての良さはあるものだな、と、思ったりしたものだった。
その衣をはためかせた九郎は常と同じく笑顔で見上げてくれていた。
「ああ。だが、未だ京は混乱しているというし、道中も危険なんだろう? 気をつけて行くんだぞ。何かあったら俺の名前を出していいんだからな」
「ありがとうございます。ですが、皆が皆源氏の味方とは限りませんからね」
「それもそうだが……」
「君こそ、しっかりお務めを果たしてくださいね。僕が帰ってきた頃には鎌倉から追い出されていた、なんてことになってしまったら、探すのが大変そうだ。君に会うのが遅くなってしまう」
「だったら、早く帰ってくることだな」
「ふふ。そうします」
一刻も早く僕は京へ発つべきだった。けれど名残惜しくもあった。それでも手綱を手に取った。
「それでは」
「弁慶、本当に気をつけろ。お前は時々、妙なところで抜けているんだから」
「……常に抜けている九郎にそんなこと言われるなんて」
「なんだそれは?」
「自覚がないんですか? すぐ人の言うことを鵜呑みにするくせに。木曽や平家の女人に籠絡されてほいほいついていったりしないでくださいね」
「そんなことするか!」
僕が言うのも随分な言葉だな、なんて思いながらも、九郎と話しているとつい、言葉を続けてしまう。けど、意を決した。
「それでは、今度こそ」
「ああ、さっさと行け」
膨れて言う九郎は相変わらずで、平泉でも鎌倉でも変わらなかった。瞳の奥にひっそり籠った寂しさもそのままで。目に焼き付けて、ようやく僕は馬の腹を蹴った。
途端、僕の顔は曇った。恐ろしかった。現実の向き合うのは、いくらこの僕で、いくら自分のしたことの結果だとしても、あまりに大きくて、恐ろしかった。
冬を越え春を迎えた町は、空の色とは対照的に悪化の一途を辿っていた。病が流行っていたからまず僕は以前住んでいた小屋を片付けて診療所を開いた。幸いなことにいくらかの人を救うことはできた、けれど、それだけだ。また不作だったりしようものなら次は分からない、と思った。
僕は昔を思い出した。九郎とまだ京にいた頃。似たような事を思っていた。こうして僕が薬を処方したところで何もならない。だから根本を変えたかった。
そうして僕は龍脈を止めたはずだったのに。
結果は最低だった。
ようやく、僕は知った。
(思い上がりだったんだ)
愚かな僕は、本当にこの時になって漸く知ったのだ。
昼夜も構わず病に苦しむ人を診た。そうせざるを得なかった。じっとしていられなかった。と同時に、彼らを目にするたびに叫び出しそうになった。彼らをこんな辛い目に合わせたのは、他ならぬ僕だった。
合間には情報を集めに駆けまわった。
そして、最初に訪れた比叡で僕は嫌な噂を聞いた。
『平清盛は怨霊となって蘇ったらしい』
耳にした瞬間、闇の中に放り込まれたように視界が遠のき背筋が凍ったのを覚えている。
怨霊。この当時僕はこの目で怨霊を見たことがなかった、ゆえに、それは本来、気味の悪いお伽話や伝承の域を出ないものであったはずだった。
けれど、その噂は僕を支配した。在り得る、と思ってしまったのだ。それこそ生前のかの人に近づきすぎたせいで、あの人ならば、と思ってしまったのだ。
ならば僕は平家に潜入しなければならなかった。六波羅に向かった。けれど、過去に近づいた公達はもう誰もいなかった。源氏が立った事で戦の準備に慌ただしいらしいかった。敦盛くんや彼の母の所在も不明だった。
やぶれかぶれに、見知らぬ衛兵に清盛に会わせてくれと言ったら、『一周忌が行われた直後だと言うのに何を言うか!』と捕えられそうになってしまった。新たに誰かに取り入ろうともしたけれど、知らぬ者を近づけるわけにはいかぬと一点張りで、平家側から情報を手に入れるのは相当に困難だと、諦めざるを、得なかった。
その帰り。月の無い夜。
いつもの道がやけに薄暗く感じた。それに言い難き不気味さを感じつつ、薙刀携え僕は五条通へ向かっていた。
やはり何かがおかしい、と思った。
静かすぎたのだ、と、気付いた時には遅かった。闇をつんざく悲鳴でそれに気づいた。
「た、た、助けてくれーー!!」
声は近かった。とっさに僕は川沿いの道を駆けた。近づくにつれ、暗闇の中でうごめく影が見えた。
「たっ、……ぐっ、が」
呻く声はどんどん力を失っていった。僕は叫んだ。
「大丈夫ですか!」
けれど返事は無く、代わりに低い音があたりにこだました。風の唸りに似た聞いたことのないような音。
(まさか)
土の上に松明を置き、僕は薙刀を握りしめた。刹那、闇の中で何かが飛びかかってくる気配がした。とっさに感覚だけで薙刀を横に振りまわした。何かに当たった。
「!?」
目を凝らした僕の前に人がいた。正確には人の形状をしたもの。頭に胴体に二本の腕と足を持っていた。のに、どうみても、灯りに浮かんだ外見は、生きているとは思えないもので。
「これっ…!」
それまで幾度と薙刀を振ってきた僕が、久方ぶりに恐怖で足を竦ませた。
一瞬、平静を失って、闇雲に突いた。人肉とは明確に違う手ごたえ。だが相手はそれに怯まずに僕に向かってきた。闇の中、対象は見えず、恐怖は増して、一心不乱に僕はそれを突き、薙ぎ払った。幸か不幸か、動きは遅かったから一方的に僕は攻め立て続け、そうしているうちに『それ』は動かなくなった。肩で必死に息をしながら、僕はゆっくりと薙刀を引き、おそるおそる、松明の炎でそれをじっくり照らした。
大方、予想通りの風体をしていた。
「これが……怨霊」
ただし、絵巻物で見ていたものとは比べ物にならぬほどに禍々しき姿。この世の悲しみを背負った顔。呪われた体躯。
「こんなものが、京に」
その事実ひとつだけでもう、
僕はもう、立ち止まる訳にはいかなくなった。
我に帰った僕は、よろりと立ち上がり、襲われていた人の元へ歩みよった。
息はあった。けれどなんとか抱えあげ小屋まで運んでいるうちに、事切れてしまった。
身元は分からなかった。翌朝、簡単に河原に埋葬した。
祈りの最中、もう居ない筈の、黄泉にいるはずの男の高笑いが聞こえた気がした。振り払うように僕は声をあげ経を唱え続けた。
(町の人の為、なんて言っていたけれど、結局は自分の為、つまり、)
(自らの為に龍の力を奪った清盛と何ら変わりなかったんだ)
こうして、僕の罪は確定した。
どんな手段を使ってもそれを成さねばならぬと、決意だとか、僕の意志とは無関係に定められてしまった。原因と結果。因果と応報。
これ以降、そのために僕は生きた。少なくともそのつもりだった。
九郎がいて、最終的には八葉という仲間にも巡り合えた、咎人の生と呼ぶには恵みの年月だったけれど。
行程ばかりが緩やかで穏やかな旅路の果てに鎌倉へ戻った時、夜だった。
普段だったならどこかで一泊していただろう、けれど僕は地名や距離を間違えて把握していて、気付いた時には、町は目の前だったので、そのまま進んだ。
丑三つ時。皆を起こさないように静かに馬小屋に馬をつなぎ、足音を忍ばせて僕は部屋へと潜り込んだ。
そこに九郎がいた。
「あれ……?」
間違いなくここは僕の部屋だ。場所ではなく持ち物がそれを証明していた。けれどやはり間違いなく、目の前で九郎がすやすやと寝息を立てて褥で眠っていた。いつ帰るとも言っていなかったし、向こうを発つ前に連絡もしていない。だから彼がこの時ここにいたのは持ち前の勘だったのか。あるいは毎日こうして眠っていたのか。
判らなかったし、そんなことはこの時の僕にはどうでもよかった。ただ、彼の安らかな姿に、零れる白い息を両手で隠すことも忘れ、僕は立ちつくした。
「九郎」
静かに呼んだ。零れてしまった。いけない、と思う事も忘れ、ただ、けして起こさぬように忍び寄った。
安らかな寝顔だった。何もなかったかのように眠っていた。彼には何も無かったのだから当然なのだけれど、そんな九郎を見ていたら一気に視界が滲んだ。泣く場面ではない。僕に泣く権利は無い。それでも力なく枕元に膝をついた。
(嫌だ)
(もう、一人は…………嫌だ、)
そんなことを今まで思った事はなかった。僕がどこかへ行くたびに寂しいと口にした九郎の気持ちも本当のところでは解っていなかった。のに、今更そんな寂寞に苛まれた。
すべて九郎のせいだった。九郎のおかげだった。僕のこれまでの人生は全て九郎と共にあって、九郎に象られ、彩られていた。
それでも、こんなにも九郎に心を許していたなんて思わなかった。僕がこんなにも誰かを好きになれるなどと思っていなかった。……僕は、弱くなった。
そして、その弱さを認められる程の強さは僕には無かった。
明けた翌朝の朝日は綺麗で、とても綺麗で、春のうすらぼんやりとした空気がきらきらと瞬いては、夜の冷たい空気を浚っていった。それに照らされる九郎を僕は見ていた。
(この陽が昇り切って彼が目を覚ませばそれで……、)
(……終わらせなければならない、僕が)
僕が戻ってきてからずっと、九郎は健やかに眠り続けていた。柔らかに繰り返す呼吸。上下する胸。無造作に投げ出された腕。床に広がる髪。何度も見てきた姿だった。きっと他の誰よりも。ずっと一人占めしてきた。
けれどもう、薄く開かれた唇にくちづけを落とすことも無く、白い頬をこの両手で包むことすらなく、ただ、次第に、本格的に射しはじめた朝の光に彼が包まれ瞳を開けてしまえば、まるでこの溶けゆく闇のように、全てが潰えてしまうだけ。
恐怖とも、寂しさともつけ難い感情に駆られ、光を遮るべく、僕は身を乗り出した。起きて欲しくなかった。けれど、
(……そんな風に半刻一刻先延ばしにして何になる)
そんな事に何の意味が残るのか。思ってしまった、そんな想いがまるで言の葉に乗ってしまったかのように、九郎が身じろぎをした。
時が来た。
「ん……朝か」
息を飲む僕の前で、しかめ顔になった九郎の目がゆっくりと開いて、そして丸く見開かれた。
「弁……慶? 弁慶! 帰っていたのか!」
「ええ。先程。ただいま、九郎」
笑えていれば良かったと思った。うまくできたのか、九郎は飛び起きた。
「す、すす、すまん! まさか帰ってくるとは思わなくてお前の寝所を占領してた」
「ふふ、それは別に構いませんよ。でも、いつもこうしていたのですか?」
「ん、いやたまに……だな。寝れない時には気分を変える為に借りていた。でもちゃんと綺麗に使ってたからな! 枕だって自分のだ」
平泉にいた頃だったらそんな可愛らしい事を言われたら抱きしめずにはいられなかっただろう。もしくは寂しい思いをさせて申し訳なかったと詫びただろう。けれど既にどちらも選べない。
「ですか。でも、もうそういうことはやめてくださいね」
「そうだな、ああ、そうする」
当然、ただ窘められたとしか思っていない九郎は恥ずかしそうに乱れた前髪を整えたあと、すっと僕に寄り添った。
「あ、」
おそろしいほどに慣れた動作だ、とこうなってはじめて気付いて、九郎がどれだけ近しい存在で、九郎にそうされたいと思っていたかを知った。
そのまま唇が重なった。僕は身じろいだ、けれど九郎はさらにぐいと引き寄せて。
「……おかえり」
甘ささえ感じる声音。離れなきゃ、ととっさに思えど、結局九郎がふわりとした気配と共に遠ざかるまで動けなかった僕は、後から、慌てて、まるで取繕うように、九郎の肩をぐいと押した。
「あ、すまない、大丈夫だったか?」
「いえ……」
震えていたかもしれない。気付かれる前に柔らかに目を細める九郎に僕は続けた。
「九郎」
「ん、なんだ?」
「こういうことも、もう、やめてくださいね」
「…………弁慶?」
顔も見ずに、見れぬままに、寝起きで衿さえ整えていない九郎に僕は一方的に切り出した。
「終わりにしてください」
「何を?」
「君と僕との関係を。いわゆる恋仲、というやつを」
「……え、は? 待て、意味が」
九郎の声が一気に揺れを帯びた。
「分からないんだが、どうした? なにかあったのか?」
「言えません」
「そんなん無茶苦茶だ!……好きな奴でもできたのか?」
「……そんなところです」
九郎がすぐに頷かないことを、僕は当然予想していた。だからいくつかの場合を想定し反復してきたつもりだった。なのにいざ本人を前にしたら、言葉を交わしてしまったら言葉が淀んだ。瞬きすらできなかった。九郎相手だといつもこうだ。何が軍師だ。僕は思った。
「無理だ」
対する九郎はきっぱりと言った。清浄な声音に心が軋んだ。
それでも僕はいよいよ顔を上げた。まっすぐに九郎を見据えた。愛しい九郎は怪訝な顔で、おそらく、僕の言う事をまだ理解できていなかったのだと思う。それでも僕は話を続けた。
「無理でも聞いてください」
「そんなこと聞けるか!」
「お願いです九郎。でなければ僕は源氏を離れなければならなくなる」
「は? なんでそうな………………お前は、正気なのか? もしくは、また俺をからかっているのか?」
「こんな嘘、いくら僕でもつくはずないでしょう。見くびらないでください」
(そう、いくら僕でもそんな嘘を君につけるはずがない!)
それでも、ひどいことを言っているのには違いはなく、九郎の焦燥が一段増した。顔色が文字通り青ざめていった。
「待て、よく分からない」
「分からなくて結構です。承諾さえくれればそれでいい」
「承諾さえって……お前は俺をなんだと思っているんだ!そんな簡単にはいそうですかなんて言える話ではないだろう!?」
「言える話ですよ」
だなんて、言いたくなかった。逆の立場だったら譲るわけがなかった。けれど僕にはもう許されていなかった。優しく慰めてもらうことも、傍にいることも、僕の近くに九郎を置いておくことも、
なにより、この先は形振り構っていられるわけがなかった。
彼を悲しませたくなかった。たとえ、この時この場で切り捨てようとも。
「君こそ、僕をどう思っているんでしょうね」
「それは、好きに決」
「『好き』なら、僕の想いを尊重してくれるのではないでしょうか?」
「……汚いぞ」
「なんとでも言ってください。ああでも、夜伽の相手でしたら、たまには付き合いますよ。それくらい今更躊躇うことでもないですし、君とするのは悪くなかった」
「お前っ!」
「なんですか?」
弱い僕は笑顔を纏いそんな事を言った。ただ、十分に卑怯ではあった。とことん九郎の甘さを利用した。
こう言っておけば、九郎は僕に二度と触れることはなかっただろうと確信があった。そうさせるのは彼の純情や潔癖さが起因だ。けれどそれだけではない。
(覚えているでしょう?)
(先に好きだと言ったのは、君だ)
彼を手に入れ離れないようにするために植えつけた罪悪感を、今度は突き放すために利用した。
「それは、」
嫌われるならそれでもよかった。九郎の心がそれで済むならよかった。
「いやだ」
それでもなおも九郎は言った。
「お前のことなんか忘れられるはずがない」
怒りは消えていた。真摯な目がただそこにあって。
「お前が好きだ、誰より大切なんだ。大事なんだ。なのに……そんなの、どうしろっていうんだ!!」
「『誰より』は、違うでしょう? 君は、鎌倉殿を優先しなければならない。ね、九郎?」
「っ!」
「……是非、そうしてください。そんな君こそ、僕の望みですよ」
九郎が、僕が言葉を紡ぐたびに心に刃が刺さった。
(ああ、こうして僕はこんな風に、きっと京でも、数えきれない人たちを不幸にしたんだ)
「弁慶!」
九郎が僕の両肩を掴んだ。揺さぶった。泣きそうな顔で、いつかの少年の顔で。
「無理、です」
僕も精一杯に口にした。
「もう……駄目なんです、九郎」
これが精一杯だったのだ。
途端、九郎の指から力が抜けた。するり、と落ちた。項垂れた。そして。
沈黙が降りた。九郎はぴたりとも動かなかった。瞳は色を失い呼吸の音だけが荒く響いていた。僕は外套を整え、深くかぶりなおした。そして瞬き、促した。
「だから、どうか」
確信はあった。九郎は結局、僕の言い分を全て飲んでくれると思っていた。
そして実際、彼は言った。ゆるりとこちらを向いた視線にはもう、先程までの揺らぎは見えなかった。
「っ、……、…………源氏の、兄上の役に立ちたいというその気持ちは変わっていないんだな」
「勿論です。鎌倉に来る時に僕は言った。平家を滅ぼしたいのだと。その気持ちに一点の曇りもありません。ですから君に不利益になるような真似はしない」
……本当に九郎の事を思うなら。僕はここで出て行くべきだったのだろう。
けれど僕には源氏の力が当然に必要だった。その力を利用する機会が来るなら利用するつもりだった。
「勿論、あの日、君を助けたいと言った言葉にも嘘はありません。ですから、これからも微力ながら、どうか支えさせてください。君の、源氏の悲願の為に」
だから、僕は九郎を利用するために最低の嘘を吐いた。
言葉を紡ぎ、彼を傷つけて、いつしか感覚は消えていた。傷ついた目の九郎を見ても何とも思わなかった。
九郎にとって、この時点で僕は既に情をかけるに値するものではなくなっていたのだ。
(ああ、簡単だ)
それでも気は抜けなかった。彼は僕の予想しないことを簡単に見抜くから息を殺し慎重に彼を見つめていた。
すると案の定、九郎は一度、ゆっくりと目を閉じてから、僕に手を差し出してきた。意図は分からなかった。
「……これは?」
「はっきりさせておきたい」
苦虫を噛み砕くような口調だった。
「お前は、俺の顔も見たくないのか、それともそういうわけじゃないのか」
そんなこと、言われるとは思わなかった。
かすかに僕を見下ろす目は苦渋に満ちていた。そんな姿すら綺麗に見えた。かけがえのないものだと思えた。
ゆえに躊躇った僕を、肯定ととったのだろう、「分かった」と、九郎はそのまま僕の手を取って、握った。
「……お前の事を好きになんてならなきゃよかった」
力は強く、零れ落ちた言葉は、九郎に似合わぬほどに闇を帯びていた。
「ええ、忘れなさい、一刻も早く、今すぐに」
「……言われなくても」
こうして。
結局九郎は一人で僕を許してしまった。
時として、こんな彼がひどく憎かった。結局、この僕の見惚れた聡明さで、彼は一人でも生きていける。僕の守りなど必要ないのだ。それがひどく憎く、寂しく、
嬉しかった。
「ありがとうございます」
ゆるやかに、息を継ぐように告げ、目を細めた。
これで僕と九郎の道は違え、何でもできるようになった。九郎を巻き込まずに済むようになった。
それは九郎にとっては幸いだった。と、僕は信じている。
放置すれば放置するほど九弁パートは短くなって他のとこが長くなっていったこの話
(12.29.2014)