「お前がそんなだったからよかったんだろうな」
「それにしても、君は本当に立派になったものですね」
欲を吐きだした後のまどろみの中、仰向けに寝転がったまま僕は言うと、御簾の向こうで庭を見ていた九郎は繕うかのように軽く返した。
「またそれか。お前は少し、俺を褒めずぎだ」
「いやだな、本心ですよ。ただ、僕は君が好きだから公平な目で見れてはいないでしょうけれどね。それに……そもそも僕、そんなに褒め殺してますか? 困ったな、自覚がない」
「…………さっきまで散々、いいとか好きとか言ってたくせに」
「ああーそれですか、ふふっ、それはそれ、これはこれ、でしょう? ああそれと、さすがに今日はもう無理ですからね」
口調に微かに燻った熱を浮かべはじめた九郎に向けて、額に手をあて倦怠感のままにとろとろと口にした。この時間が心地よくて好きだった。きっと九郎もそれを知っていた。
「だったらもう黙ってろ」
「そうは言うけど、先に話題を直結させたのは君でしょう? そもそも、善いものを善いというのは感想だし、君が好きなのは事実だし、褒めてるのとは少し違」
「いいから! 黙ってろ馬鹿!」
「ふふ、九郎が怒った」
「怒ってない!」
御簾の向こうから、九郎ががぶりと柿をかじった音がした。この頃に九郎が知り合った御家人(景時の事だ、と、後から僕は知った)から貰ったらしい。濃厚な甘い香りが広がった。
「お前も食べるか?」
「そうだな……貰います」
脱ぎ散らかしたままにしていた夜着を無造作に羽織って、しゃらりと御簾をくぐり僕も縁の九郎に並んだ。晩秋の夜は肌寒く、酔いのような事後の心地が醒めるようで少し勿体ない気もしたけれど、近くで言葉を交わしたかった。
並んだ僕に、平静を装ったような素っ気なさで九郎が柿を手渡してくれた。齧った。それもまた、秋の夜風で適度に冷えていて甘かった。香りから正しく連想された味だった。
きらきらと、きらきらと星が輝いていた。たくさんの星を湛えた天の川は既にほとんど沈んでしまったけれど、かわりにどんどんと澄んだ、静かな瞬きは増していくようだった。
晩秋の侘びしさを助長させる木々のざわめきに混じって、遠く男たちの声がした。どこかの御家人たちだったのだろう。平泉と違って、夜半を過ぎるころまでは鎌倉では常に街から人の気配が絶えなかった。この町に勢いがあるという証、だったのだろう。
それにも慣れ始めていた頃だったけれど、こういう事があるたびに僕はふと、ああ武家の街だな、と改めてしみじみと思ってしまい、ゆるやかに表情を緩めてしまったものだった。
おそらく酔っ払いが楽しそうに帰宅していただけであろう、外からの声に聞き入っていたわけではないけれど、しばらくそうして続いていた僕たちの間の沈黙を、柿を食べ終わって暇を持て余した九郎が指を舐めながら崩した。
「俺は、そんなに立派になったか?」
考えを読まれたのだろうか、と、いくらか驚きはした。とはいえ真剣なものではなかったし、なにより先に口にしたのは自分の方だった、と思いだして、僕も気楽に返した。
「ええ。見違えました。今ではすっかりと御曹司です。僕も感慨深いです。あの牛若が、とね。僕も見る目があったのかな。ふふ、傍で君に仕えてきたかいがあったみたい」
「仕えたって……そもそもお前、源氏とか興味ないとか言ってたくせに」
「あれ、まだ覚えてましたか。これはもうずっと恨み事を言われ続けるのかな」
「そうだな。当時は俺を全否定された気分だったからな」
「うーん、昔の僕に『なんでも正直に言うものじゃないですよ』って言えればいいのに」
「お前のどこが正直なんだ!」
「正直ですよ。だから、さっきも素直に君が動くたびに喘いでしまったでしょう?」
「まだその話をするのか!」
くすくすと僕が笑うと、九郎も、呆れ顔を解いて笑みを浮かべた。月明かりがそれを随分と柔らかに浮かべていて……柿を持っていなかったら手を握れたのに、と思った。
「だが、今にして思えば、お前がそんなだったからよかったんだろうな」
「と、いうと?」
「ああ……もしお前が源氏の御曹司としての俺に期待していたなら、きっと俺は、もっと息苦しい想いをしていたんだと思う」
過去を語る九郎の顔はすがすがしく。月の光ほどに、いえもっと輝いて。
じゃあ僕は無罪放免ですね、なんて、軽口よりも、別の言葉が零れ出た。
「綺麗だな」
「月がか?」
「君がですよ」
「っ! だから、やっぱりもうお前黙ってろ!」
ああ、顔を歪ませてしまった。残念に思いながらも、結局僕はそんな九郎の仕草も好きで、つい口づけてしまった。
「……ああもう」
呼ぶ声と共に、九郎からも返された。啄むように唇を食めば甘かった。
「柿の味がする」
「食べかけですからね。……ああでも、もしかして僕が柿ばかり食べていたら、九郎がもっとくちづけてくれるのかな」
「そんなものなくたって」
意思は言葉のかわりに行動で伝えられた。僕の背が引き寄せられた。同じように僕も両腕を首にまわした。そして、重なり。僕はそれを受け止めた。
「……僕も。この先も君と」
うっとりと瞳を閉じてもまだなお眩しに目が焼かれている気がした。
酔いしれた。気安い力に、遠慮のない舌に、その熱さに、高鳴る鼓動に、吐息から零れる想いに酔いしれた。
ああ、これからずっと彼とこうして、源氏として生きていくのだろう。その道の先は見えずとも、どこまでも輝いている。そして九郎はその光を受けてもっともっと輝いて、まっすぐに、彼の信じるままに進んで行くのだろう。その傍らに僕がいられるのなら、それほど幸運なこともない。
きっと君は僕が守るから、だから君の全てを僕に見せて。叶うのならばこんな風に触れさせて。
「九郎、好き」
この先も君を、こんな風に甘く呼ばせて。なんて、
そんな希望がこの頃の僕を満たしていた。
(10.31.2014)