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「こんなにもあっけなく僕はかの人を倒した」


 風が冷たい。いつになく思った。
 それでますます、寂しさに似た感情で僕は満たされた。郷愁とでもいうのだろうか、京になど頻繁に訪れていた僕だったのに、この時はやけに九郎を恋しく感じていた。
(緊張してるのかな、今更)
 冬の風になびく外套を押さえながら、僕は進んだ。
(九郎は鎌倉できっと頑張ってる。だから、僕も僕のすべきをする)

 秋。九郎は頼朝と再会した。黄瀬川に駆け付けた九郎は歓迎されて、
いよいよ、源氏の武士として、棟梁の弟としての歩みをはじめた。
 大きな転機だった。それまで御曹司と呼ばれようと九郎自身が持ち合わせていたのは志と矜持だけだった。けれど、その時から違った。東国の武士たちの頂点に立った頼朝の弟になった。
 結果的に、九郎は重圧にも負けずに真摯にそれを受け止めた。受け止め続けた。この時もきっと、再会した兄の為にと源氏の拠点を作る為に励んでいたのだろう。
 そんな彼から離れ、僕は京に来ていた……もちろん、平家を滅ぼす呪詛を試すために。
 鎌倉殿には、京で平家の情報を探りたいという名目で伺いを立てた。九郎の傍の怪しげな法師一人、どこへ行こうと誰も気にはしなかった。僕はやすやすと許可を得て。
 そして。
 訪れた町は、僕がこの時までには見たこと無かった程に混乱していた。
 福原遷都は失敗、再び京に政の中心は還り、人や物が動き、権力も平家から公卿たちへ流れ出そうとしていた。けれどかつて要職についていた公卿たちは既に左遷済みで、だかこそ、院と、平家の血を引く皇子の間で絶え間なき駆け引きが続いていて、中枢は混乱を極めていた。
 その上、鎌倉殿の挙兵はじめ、各地での武家の反乱の鎮圧のせいで、都の武力まで空洞化、治安は悪化、追い打ちをかけるような凶作で食糧も減り、枯渇し、飢えた民が町に溢れていた。この直前に訪れていた時から1年も経っていないはずだったのに、僕もかける言葉を失ってしまうほどに惨状が進んでた。
(これを更に、僕が悪化させるのか)
 それでも、やりきると決めていた。きっと混乱が収まれば良くなるだろうと信じていたし……なんて理由を携えて、僕は次々と仕掛けを施していった。
 古の時代に鬼が使ったと言う呪詛。東の逢坂山、南の宇治橋、西の神護寺、西の北山。それぞれに札を貼り、一時的に力を奪った。清盛が呪縛し操っていた応龍を消滅させるために、少しずつ龍の力を削いでいった。

 それなりに待った。
 待つ間、街を巡った。とはいえ、六波羅に潜入することはなかった。この頃はあまりにも平家周りはきな臭く……特に、先の師走に南都で大きな焼き打ちを行ったとも聞いていた。『山法師崩れ』である僕としたら、不用意に近づくのは得策ではないかと思えた。
 それに、終わりゆく一門よりもよほど貴族の動向に興味があった。そちらでも薬師を装い近づいていった。新しき流れに乗ろうと、僕と同じような輩が山ほどいたけれど、貴族から情報を得るのは平家より容易かった。少し持ちあげれば何でも語ってくれたのだから、僕は軽々と人脈を作っていった。身の程知らずだとか、いつだか清盛に言われた言葉も過った気がした。
(けれどそれも、なにもかも過去のことだ)
 そして年が明けて、九郎に新年の挨拶を書いて、僕は最後の仕上げに取り掛かった。
 最後に宙である神泉苑に呪詛をしかけ、龍脈を穢した。
(これで清盛の呪詛が龍神を滅する呪詛へと変貌する)
(そして、平家は力を得ることができなくなって、あわよくば……呪いが返れば、)
 無し終えても実感は無かった。正しく術を行使できていたかも定かではなかった。だから緊張のようなものは続いていて、だから、そんなことはむしろしてはいけないのに、僕は焦燥にかられ急ぎ神泉苑から離れた。
 美しい庭を抜けて、人を避けながら道も抜けて、川を橋を越えて行った。雪でも落としそうな厚い雲が広がっていた。なのに隙間から射す光が明るく僕を照らしていた。それに少しだけ、罪悪に似た想いを抱いたけれど、離れるにつれ、どんどんと高揚を繕う気も失せていって。
(やった)
 外套が風に煽られ重く乱れるのも構わずに、更に足早に僕は歩いた。
(……やった!)
 冷えた空気に頬が赤く染まった。指先も冷えてかじかんでいるのを感じたけれど、歩き続けた。意味も分からず、どこかも分からずに歩いた。ぐるぐるとひたすらに。そのうち拳を握って走っていた。
 胸が痛い、と思ったところで我に返った。どれほど駆けていたのだろう、息がすっかりあがっていた。途端、苦しさが沁みた。堪え切れず立ち止まり、荒く息を吸えど、冷たさに更に痛みが挿して、なのに、凍えるようなそれは心地よくて、橋の欄干にもたれ、僕は呼吸を繰り返した。
(ここは、どこだ……三条のあたりだったかな)
 胸を抑えつつ、そのまま辺りを見回していると、ふと遠くから、牛車が近づいてくるのが見えた。
 ゆったりと、ゆっくりと。僕も畏まった。
 なのに、それは僕の前で突如、止まった。
 普段ならともかく、この日の僕はそれに鼓動が跳ね上がった。汗が一気に冷えて、息も止めてしまった。
 そんな中でかけられた声に、僕は大きく目を見開いた。
「弁慶ではないか。久しいな」
 運命というものがあるのならばこれもそうだったのだろうか。奇遇というにはあまりに奇遇、眼前の牛車の中には、相変わらずに傲岸不遜で豪奢な衣に身を包んだ清盛が、僕が殺めようとしていたその人がいた。
 ひゅるり、と、風の音がやけに大きく僕の耳を打った。加茂川を滑る風。六波羅にいつも吹いていた。
「……清盛殿、でしたか。ご無沙汰しております」
「なんじゃ、京におったのか。だったら何ゆえ顔を出さなかった。丁度いい、我も屋敷に戻るところであったぞ、お前も来い。双六の相手をするがよい」
 口調も変わらずに、笑みまで浮かべて僕を見下ろすその人に、僕も、外套を整えててから、微笑んだ。
「申し訳ございません。今は少し、急いでおりますゆえ」
「こんな所で、川を眺めておったのにか?」
「久しぶりに走ったので、少し休んでいたのですよ。お恥ずかしい限りです。ところで、清盛殿もお忙しいのではないですか? なんでも、また政の世界にお戻りになられたとか」
「はっ、相変わらず耳聡い男よの」
「けれど、僕はそれで清盛さまに目をかけていただきましたから」
「口が回るのも相変わらずじゃな。……まあ良い、今日は許してやろう。折角おもしろき男を拾ったからお前に会わせて見たかったのだがな。仕方あるまい」
「おもしろき男、ですか?」
「ああ。面白い。お前もなかなかだが、あれはそれ以上かもしれぬな。どうだ? 興が沸いただろう?」
「確かに、そう言われてしまうと、気にかかりますね」
「だろう? ならば、用が終わったならすぐに駆けつけるがよい。我も当分、六波羅にいるしな」
 意外にあっさりと清盛は折れた。彼もまた、忙しかったのかもしれない。あるいはその男がよほど気に入っていたのだろう。機嫌も良かった。
 僕も本当のところ、少しだけ残念だった。
「ありがとうございます。是非、そうさせていただきます」
 この約束が叶うことはないけれど。
「それでは……さようなら、清盛殿。どうかお気をつけて」
「なに、…………我は不滅じゃ」
 御簾を降ろさせながら、最後に不敵に清盛は笑んだ。
「ゆえに、いつでも来い、弁慶。そなたならいくらでも可愛がってやるぞ」


 そして龍脈は絶えた。
 霊力のない僕でも分かるほどに京の空気がぴたりと停滞した。
 僅かの後、都中にある報せがとどろいた。
「清盛殿が御薨去された!」
 繰り返し繰り返し、それは消えた龍脈のかわりかなにかのように駆け廻った。
 僕は笑った。高らかに笑った。
 終わった。こんなにもあっけなく、僕はかの人を倒した。



 呪詛を解き、報を持って、僕は急ぎ鎌倉へ戻った。
 鎌倉は苦手だ。今でもよく道を覚えていない。京のように整っているわけでなく、かといって平泉のように平坦で広いわけでもない。僕は何度か道を間違え、道行く武士や彼らの郎党たちに何事かと遠巻きに見られながらも、鎌倉殿から譲り受けた九郎の新居に戻り、馬を急ぎ繋いで中に駆けこんだ。
「九郎!」
「……弁慶? 弁慶か!」
 幸運な事に九郎は在宅していた。僕を見るなり笑顔で立ち上がってくれた九郎に、僕はめいいっぱいの速さで飛び付いた。
「弁慶!?」
「ただいま戻りました」
「あ、ああ。だがどうした、何かあったのか?」
「ふふっ。一刻も早く君に会いたくて」
 多分、痛かったと思う。なのに必死に受け止めてくれた九郎は、喜びを隠さない僕に驚いていたようだった。無理もないだろう、これまで僕がこんなにはしゃいで九郎のところに帰還したことなどなかったのだから。
 けれど僕は止まれなかった。更に九郎に自重をかけ押し倒した。
既にきっちりと背にまわしていた両腕が床に打ちつけられても気にせずに九郎の胸に頬を埋めた。
(だって、あの清盛を滅したんだ、この僕が、一人で)
「えっ……えっ!?」
 戸惑いながらも、そんな僕を九郎も抱き返してくれた。
「何にせよ、お帰り弁慶」
「ふふ、帰って来ました」
 ぎゅっと、きっと彼も僕を待っていてくれたんだろうな、と思わせる強さだった。帰ってきた。僕は噛みしめた。鼓動の音すら愛おしくて、甘えるように身をすりよせながら微笑みのままにくちづけた。柔らかに触れただけで嬉しかった。それだけでたまらなく身も心も甘く陶酔した。九郎も照れもせず応じてくれた。もしかしたら彼の方が熱心だったかもしれない。それも嬉しくて、結局、唇を食み深く奪い舌を絡めてしまった。いつまでもそうして……むしろもっと先まで欲していたけれど、僕は堪えて一時離れた。
「九郎、報告したいことがあるんです」
「どうしたんだ?」
 ぼんやりと頬を染めた九郎を真上から見下ろしながら、僕は告げた。
「平清盛がこの世を去りました」
「なんだって!」
 その報せには、さすがの九郎も驚き、僕が乗っているのも構わずに起き上った。
「兄上のところに行かなければ。お前も来い!」
「分かりました」
 そして口元をぐい、と拭った、それだけですっかりと引き締まった顔に戻った九郎は、すぐさま支度を始めた。僕が放り投げたままにしていた荷を部屋に運ぶ間にそれは終わり、僕たちは鎌倉殿が造営したばかりの大倉御所めがけて駆けた。




 [完] 
とかつけたくなるよね
途中で出てきた「面白い男」は将臣くんのことですが、フラグとか伏線とかでは一切ないです
この頃にはもういるよっていう自分メモ的なかんじ
(03.14.2013)


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サソ