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「星は最後まで見えなかった」


 なんだか星が見たくなって、九郎を誘って外へ出た。
「夜にお前と出かけるなんて久しぶりだな」
「ここへ来てから色々と慌ただしくしていましたからね」
「そうだな……あれから一月か」
「ええ。それにしてもこれ、まるで遭い引きみたいですね」
 なんて言ったら九郎が照れるんじゃないかな、と思って口にしてみたら、案の定、闇の中でも分かるほどに彼は動揺して、それは、なんて言いながらうろたえた後、必死の抵抗みたいな顔でぐいと僕の手をとった。
「『みたい』じゃなくて『そう』なんだ! ほら、行くぞ」
「ふふ、分かりました」
(どこにいても九郎は九郎だ)
 僕もそれ以上からかうのはやめて、素直に九郎の手を握り返して、夜道を進んだ。
 目的地は源氏山。かつて、八幡太郎義家殿が奥州へ出陣する折に、山頂に旗を立て勝利を祈ったといわれる、九郎からすればこの鎌倉の中でも一際特別な場所。
 夜の帳の中、視界は乏しい。けれど、訪れるのはこれがはじめてだったわけではなかったから、僕たちは気楽に歩みを進めた。
 北へ進むにつれて街の灯りが少なくなっていく中で、九郎の持った灯りがゆらゆら揺れて、暗い森もゆらゆら揺れて、けれど小さな丘のような山だったから、間も無く視界は開けて。
 それでも、山頂まで辿りついても、空は薄雲りで星なんて少しも見えなかった。
「困ったな、僕はついに神に見離されてしまったようです」
「お前はまたそういうことを」
「でも、僕には君がいるから、って続けようとしたのに?」
「……なんでそうなるんだ。意味が分からん」
 と、その割に照れ混じりに九郎は言って、黙って、僕は笑って、柔らかで短い草の上に腰を降ろして、ついでに寝転んだ。
 どう頑張っても星は見えそうになかった。髪や服を揺らす風も弱く、ただ、きっと円いだろう月が、向こう側から雲を虹色に照らしていた。
 九郎も僕の隣で、両腕を枕にして静かに星を見ていたけれど、ふと言った。
「なんだか、京にいた頃を思い出すな」
「ああ、そうですね。曇り空、多かったですし」
 数えたことがあるわけではなかったけれど、僕と九郎が一番長い時を過ごした平泉に比べれば、京は曇天の日が多かったように思えた。
「それもだが、お前とはじめてまともに言葉をかわした時も空を見てた気がするし」
「そういえば……そうでしたね。いやだな、本当に懐かしくなってきた」
「嫌なのか?」
「少し恥ずかしいですね。色々と、若気の至りでしたから」
「ははっ、大丈夫だ、今も昔も、お前はあまり変わってない」
 と、妙に自信に充ち溢れた口調で、称えるように言うけれど、僕にはどうすればそれを褒め言葉と受け取れるのか見当もつかなかったから、息を吐いてしまった。
 けれど『京』の話で、僕は思いだした。
 というか、一応、これが目的で誘いだしたところもあったのだけれど。
「九郎」
 懐を探り、小さな包みを彼の眼前に差し出す。
「ん、なんだ?」
「君への贈り物です」
「なんだいきなり……うわっ」
 早速、九郎は嬉しそうに開けてくれた。けれど寝転んだままだったので、ぽてっと中身が九郎の顔の上に落ちた。
 それに懲りたのか跳ねあがってから九郎は改めてそれを見る。
「これは……香袋か?」
「ええ。京の僕の小屋から、君の昔の服が出てきたんですよ。それで作ってみました」
「へえ。……いいにおいだ」
「ならよかった」
 目を閉ざす彼の髪を気まぐれな風が優しく揺らして、詰めた香りを僕の元まで届けてくれた。そう、こんな香りだった、と、想いを過らせる僕に、九郎は綻びつつも硬めの口調で問う。
「でも……お前、大丈夫だったのか? 無理はするなとあれほど言っているのに」
「無理? なんの、ことですか?」
 唐突な言葉だった。でも実は心当たりのあった……香を分けてもらうのに、少し乱暴な手を使ってしまった僕は、どうして分かったんだろう、と、目を丸くした。けれど彼は見当違いの事で杞憂を浮かべて。
「どういうもなにも、お前、いつも縫物すると手に針をさしまくってたじゃないか」
「え?」
(……ああもう、これだから九郎は)
 僕は笑いだすより先に、あっけにとられてしまった。
「それ、いつの話ですか。平泉に行く前の話でしょう?」
「そうだったか?」
「ええ、そうです。……そもそも君と比べるからおかしくなるんですが、僕も別に、際立って不器用なわけではないですよ」
(多分)
「そうか……ならいいか。なんにせよ、ありがとう弁慶」
 と爽やかな九郎に、ああでも実際、それなりには苦戦したな、なんて、今更思いだしもしたけれど、僕は敢えてそれには触れず、胸の上に手を戻して、九郎をただ見上げた。
 そして、笑みを零しながらぎゅっと香袋を握り締めてくれた彼を見、ふと思った。
「お守りにでもしてください」
「お守り?」
「ええ、君の夢がかなうように」
「……そんなもの、もう叶ったぞ?」
 九郎は心底不思議そうに僕を見下ろしたけれど。
「何を。君は今、ようやく君の望みの起点に立っただけじゃないですか。これから、でしょう?」
「これから、か?」
「ええ。君がここで何を成すか。どう生きるか」
「そうか、うん、そうだったな」
(それを、僕は目に映していくのが楽しみなんです)
 そんな想いは秘めたまま、瞳にだけ込めて見つめれば、もしかしたら九郎には届いたのかもしれない。少し気恥ずかしそうにしながら、僕に返した。
「……だが、お前もそればっかりだな。俺のことばかり気にしてないで、お前こそ励めよ」
(励めよ、か)
それはなんて、いつまでも九郎らしい。
「善処します」
「約束だからな」
「……信用されてないな、僕も」
「信用してないなら、今こんなところにお前と二人きりでなんていないだろう」
「それは、確かに」
 九郎は至って真顔で本気で言っているようだったけれど、相変わらずの天然で困る。
 面映ゆさをひっそりと隠し包んでしまおうと、僕はまた空を見上げた。
 それすらもやはり見透かされたのかあるいは……きっとおそらくいつもの天然か。
「やっぱり、お前がいなければはじまらないな。弁慶、お前が共に来てくれてよかった」
 言うから、僕はますます困ってしまって。
 苦し紛れに手を握った。九郎はぎゅっと握り返してくれた。少し熱くて硬い手で。がっしりと。
(九郎の手)
 そうして、まるで彼から伝わってきたかのように、僕の中を穏やかであたたかな感情が、それとは対称的に乱暴に巡っていった。あっという間にそれは僕をいっぱいにしてしまって、なにより、
(なんだか勿体ない)
思って僕は……九郎もそうだったのだろうか、しばらくの間、僕たちはただ手を繋いで、寝転び空を見上げていた。
 ふわり、と香の香りをやわらかに風が巻き上げる。抱えきれない過去を込めて、僕は息を細く吐く。それさえも甘さを帯びてしまうような。夜の闇。微かな熱。離せずに、引き寄せずに、ただ繋いでいた。
 星は最後まで見えなかった。




九郎の好きな香りってなんなんでしょうね決まってたりするのかな
梅使いたかったんだけどそれ景時さんだった
(03.06.2013)


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サソ