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「きっとゆえに、僕は思ってしまった」


 福原で何日か過ごしているうちに、ついに僕は知ってしまった。
 清盛が京の町に施した秘密。
 一門を繁栄させるための呪詛。
 そして朽ちる都を貴族ともども投げ捨てるために遷都……否、福原の都があったからこそ、京を捨てることができたのだろうか、そこまでは僕の知るところではないけれど、計画だけは清盛本人から僕は聞いた。
 誇らしげに語っていた内容は傲慢だった。まさに僕の厭う平家の姿そのもので、けれど同時にあまりに大胆不敵。型破りにも程があった。応龍を縛り自らの為にのみ使うなど、実行する事はおろか、並の人間ならば思いつくことすらできないだろう。まさに、世をひっくり返し平家の地位と富を不動のものにした、平清盛という人物にしかできぬ、文字通り神をも畏れぬ生業だった。
 きっと僕はいくらか、そんな彼に感服していたのだろう。羨望もあったかもしれない。もう少し、僕の心根が違えば、あるいは九郎に出会ってさえいなければ、そのまま清盛に与していた未来もあったかもしれない。けれど、それは仮定の話でしかなくて、僕は九郎に出会い彼に惹かれてしまっていたし、なにより、そんな横暴な一門を許しておけない程度には正義感みたいなものを持ち合わせていて……などという言葉すら、言い訳かもしれない。
 清盛と過ごした時間はそう長くはない。それでもその器の大きさ、常識から離れた発想、そしてなによりそれらを実行してしまう行動力。そういったものに、僕はたしかに刺激を受けていた。双六したり、福原のあちこちを連れまわされている間に、途切れ途切れに聞かされた過去然り、老いてなお未来を欲する姿然り。
 また別の、興をひかれる呪いを……おそらく反魂の術を手に入れた時も、『これをもってすれば、千年先まで我が一族がこの世を統べるであろう』と煌々と語っていた彼の姿を僕は今でも覚えている。
 それは本来絵空事であるはずで、いくら僕が若く世間知らずであろうとも彼の誇張だと、普段なら思うはずなのに、妙な説得力があって、それこそ言霊のように、彼が言うならば本当にそうなるのではないかと、この清盛と言う人物は永遠に不滅なのではないかと錯覚し、心のどこかで畏れてしまうだけのの何かがあった。平氏という家は清盛が一代で盛り上げたようなものだ、と、比叡で老師たちが口々に言っていたものだけれど、そんな風に政さえも好き勝手にしていた晩年の栄華を築くまでの道のりを実際清盛は拓いてきたのだろう、と想像は容易く、
きっとゆえに、僕は思ってしまった。
(そんな、豪胆な清盛の思惑を砕いてやりたい)
 そうすれば、僕も彼のような人物へ近づけるのではないかと思ってしまった。

 そして、未だ雪降る頃に、僕は適当な理由をつけて福原を辞し、今度は比叡に籠って書物を漁った。もちろん清盛の仕掛けた呪詛がどういうものなのか自分なりに紐解くためだった。泰衡殿のところで大分学んだかいあって、以前、まだ京にいた頃に理解できなかったことも分かるようになっていた。高野山にも行った。これも安倍殿にお願いしていた親書のお陰で、すんなりと蔵書を見せてもらうことができた。
 梅も桜も散って。いよいよ福原遷都の動きが本格化してきた頃、後白河院の皇子が挙兵するなどして京周辺が一気にきな臭くなってきたので、僕は平泉に戻った。
 それでも平泉は変わらずのどかだった。この時は殊更にそれが嬉しかった。懐かしささえ感じた。蒸しはじめていた京より涼しかったのも嬉しかった。梅雨の気配さえ無い空は麗らかで、九郎と高館の濡縁でゆっくりと話でもしたい気分になっていた。

 高館の家に帰っても九郎はいなかった。きっと泰衡殿のところに行っているのだろうな、と、僕はそちらへ向かった。御館にも挨拶しなければいけないし、なにより泰衡殿に書物を借りたかった。
 伽羅御所にも九郎はいなかった。柳之御所にもいなかった、けれど、御館にお目通りすることができた。
「弁慶殿、無事の帰還、なによりじゃった」
「ただいま戻りました、御館」
 御館は相変わらずに快い笑顔で僕を迎えてくれた。
「京は変わりなかったか?」
「はい。と、言いたいところですが、残念ながら、そういうわけにもいかないようです」
 僕の言葉に、御館は怪訝な顔をした。ものの。
「……そうか。だがその前に、薬師殿こそ儂に聞きたいことがありそうだな。ともかくまずはくつろぐが良い」
 と、すぐに表情を和らげ僕にそう促すものだから、僕は別の問いを口にしてしまった。
「僕が、ですか?」
「ああ。御曹司殿の姿が見えないのが気になっているのだろう?」
「……御館にはお見通しですね」
 そして苦笑してしまった僕に、御館が実に愉快そうに続けた。
「弁慶殿もせめてもう一日早く戻ってきたらよかったんじゃがな。だが、その方があの二人の為にはなったのかもしれんな……ただ、もう戻ってきてもいい頃合なんだが遅いな。何かあった、とも思えんのだが」
「二人、というと、泰衡殿とどこかへ出かけたのですか?」
「水の利権争いが起きていてな。それを泰衡と収めに行った」
「九郎が?」
 意外な言葉に、驚きの声をあげてしまった僕に、にやり、と御館は笑った。
「そうだ。だが、最早この平泉ではよくある……ほう、噂をすれば? か、戻ってきたようだ」
 言うなり、にわかに慌ただしくなってきた、と思えば、馬の嘶き、足音が聞こえてきて、夏の熱気を先取りしたかのように騒がしくなってきた。
「戻ったか!」
 立ち上がり、御館が声をかけた。振り返ると同時に泰衡殿が視界に現れた。
「はっ、ただいま戻りました」
 後ろには九郎もいた。
「お疲れ様です、泰衡殿、九郎」
「弁慶!」
 呼べば、二人が僕を見た。
「帰って来たのか」
「待ちわびだぞ」
 けれど、久しぶりの再会に沸き立つ心は霧散した。
「僕も君に会いたかった……けど、どうしたんですか、そのいでたち」
 九郎は鎧兜…とまではいかなかったものの、小手やら胸当てやらを纏っていた。衣には血のような赤色が付着、顔も髪も土埃に塗れていて、さながら小競り合いでもしたかのような。
 農民の諍いをまとめに行った割には随分と物騒な。
 訝しむ僕の前を通り抜け、泰衡殿は御館の隣に跪きなにやら書状を手渡した。そして九郎も僕の横にがちゃりと座った。
「ああ、少しな」
 やり遂げた笑顔で返した九郎に、僕はますます眉をひそめた。
「その様子だと、丸く収めてきたようだな。立派立派!」
「はい。ですが俺は泰衡が無茶しようとするのを止めただけです」
「貴様が仲良く半分に分けろなど綺麗事を言うのがそもそも悪いんだろう」
「でも、まとまったじゃないか」
「まとめてやった、だ。調子に乗るな。あと、運もあっただろうが」
「ああ。だから、お前のお陰だ」
「…………ふん」
 と、泰衡殿と九郎も実に楽しそうで御館もそれをごく満足げに眺めていて。
 口にするのも野暮なのだろうな、と思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
「……畏れながら御館、この二人を見ていると、丸く収めてきた、なんて、僕には到底信じられないのですが」
「はっはっ、弁慶殿からすれば、この二人など未熟者であろうからな。だがほれ、証文まで書かせてきたようだ」
「ああ。ばっちりだ」
「不服ながらな」
 と、三人そろって言うならば、そうなのだろう。それでもどうにも九郎の姿が……返り血が気になった僕は、腑に落ちなくて、伺うように、誇らしげな九郎を見ていたら。
「くっ、成程そういう事か」
 と、泰衡殿が笑った。
「薬度殿も落ちぶれたものだ。この御曹司がそんなことをするはずなかろうが」
「それは」
「俺? 何が? どういうことだ?」
「こいつが叩いたのは農民ではなく、上流の集落に寄生していた落ち武者どもだ。奴らは領主さながらに水をせき止め勝手に代金として米を奪っていたからな」
 そして、簡単に僕の疑念を晴らした。
「そういうこと、だったんですか」
「もっとも、脅されていたとはいえ、農民にも罪はあるが」
 勘違いしたことより鼻で笑われたことより、疑念が杞憂ですんで、九郎が九郎のままで僕は胸を撫で下ろした。けれどもちろん九郎は目を丸くして。
「弁慶、お前まさか俺が農民を斬ったとでも思ったのか!?」
「そういう言い方をしていたでしょう」
「そんなことするか!」
「と、思っていたから、僕も驚いたんですよ」
「……はっ、どっちもどっちだな」
「成程、そういうことであったか。それは
 そんな僕らに付き合いきれんとばかりに泰衡殿が吐き捨てて、御館が扇で膝を叩いて笑い飛ばした。
「なにはともあれ、今日は御曹司殿は御苦労だった。弁慶殿も戻ってきたし、明日は宴を開くから来るのだぞ」
「はい」
「ありがとうございます」
 そして、礼を言い頭を下げた僕たちに満足げに頷いて、泰衡殿を連れて奥へと消えていった。
「あ、」
「どうした?」
「いえ、泰衡殿に用があったんですが……明日でいいかな」
「大丈夫なのか?」
「ええ、急ぎではないですから。さあ、僕らも帰りましょうか」
 本当は、すぐにでも読みたいものがたくさんあった。けれど、なんだか九郎に会って気が抜けてしまった僕は微笑みを向けた。
「……ああ、そうするか」
 九郎もすぐに頷いて、金に別れを告げて、早々に辞すことにした。


 きっと僕は思った以上に京と福原で心をすり減らしていた。
 九郎と並んで帰る帰り道は優しくて、僕は自然に九郎の手をとっていた。
 いつもなら照れる九郎は、役目を果たせて上機嫌だったのだろう、満面の笑みで僕の手をぎゅっと握った。いつだか、九郎が僕に『そんな顔他に見せるな』と言っていたけれど、僕こそ九郎にそう言いたかった。
(これが僕だけのものだったら、嬉しいけれど)
 そう思いながら僕も握り返した。


「と、そんな感じだったかな。それであとは泰衡が、小難しい事を言ってまとめたんだ」
 夕餉の後、囲炉裏を囲んだまま僕は改めて昼間の九郎の武勇伝について聞いていた。
「十分じゃないですか。……立派でしたね、九郎」
 僕は心の底から言った。酒のつまみにするには贅沢な話だった。昼間に彼らが言っていた通り、水の分配に赴いた所、更に彼らを牛耳る賊が出てきたから痛い目に合わせただけ、と、それだけの話ではあったけれど、結構な人数が……それこそ、いくつかの集落を脅せる程の人数だったそうで、ちょっとした戦になったようだった。
 その指揮を九郎が執り、結果、見事に制圧したという。きっとその頃、泰衡殿や彼の家人から詳細を聞いて御館も僕同様に喜んでいたことだろう。
「そうか?」
「ええ。御館と平泉のお役にたてたんですね」
「うん、そうだったらいいな」
 たいしたことない、と言うかな、と思っていたけれど、九郎は沈む灯りを目に映し、少しはにかみながらそんな風に言った。
「僕も見たかったな、立派な九郎」
 九郎の盃に酒を注ぎながら僕は口にした。すると九郎は意外な言葉を返した。
「ああ、でも、お前のお陰でもあるんだぞ?」
「僕の?」
「ああ。覚えてないか? 今日とった戦術、前にお前に教えてもらったやつだ」
「そう、なんですか?」
 と、九郎は満面の笑みで誇るように言ったけれど、僕はすぐには思い出せなかった。
「去年も似たような事があったんだ。やはりお前がいない時に。それで、その時は半分くらい逃げられてしまった。それが悔しかったから、お前に聞いてたんだが、それがほぼそのまま役に立ったぞ、弁慶」
 と、きっぱりと言う九郎を眺めていて、ようやく思い至った。
「ああ……分かった。思い出した。君は覚えていてくれたんですね」
「聞いたのは俺だ。当たり前だ」
「しかもそれを実践してくれたなんて嬉しいな」
「それこそ当たり前だ。他の誰でもない、お前の策だぞ?」
 そんな僕に、卑下するでも驕るでもなく、まるで誇らしく九郎が言うから。
(そんなことないのに)
 なんて、言えなかった。胸が詰まってしまった。
「なんだ? どうした?変な事言ったか?」
「いえ、なんといえばいいのか……」
(なんだろう、幸せだ)
 という言葉も素直に紡げずに。冗談めかしてを告げてみた。
「そんなに君が立派になったら、僕は用なしになってしまいますね」
「そしたら家で大人しくしてればいいだろ?」
 ぐいと酒を飲みほしながら、からっと返す彼に本心は伝わらなかったらしい。でも、それでよかった。
「ふふっ、君は大人しい僕が好き?」
「ん? あっ! そそそそそそういう意味じゃない! お前はすぐそれだな」
「そうですか? これでも僕、随分と丸くなったと思いますよ」
 そして僕はふわりと抱きついた。言葉の代わりに、たじろぐ九郎の背に手をまわした。鼓動が聞こえた。
 そんな僕を九郎はどうするでもなく躊躇いをみせていたけれど、ふいに続けた。
「本当は前に聞いた時、少し迷ってたんだ。お前に教えてもらっていいのか、って」
 触れあう頬を音で震わせながら、ぼそりと明かした。
「……そう、なんですか?」
「ああ……俺は、お前に頼られるような俺になりたいと思っていたんだ。なのに、お前に聞くのもなんだかな、と思って」
 その言葉で、いよいよ僕は沈んだ。
「…………」
「やっぱり、駄目だよな」
「……さっきから君は、そんなに僕を困らせたいんですか」
「え、は?」
「僕は十分、君を頼っていると思うけど、でもやっぱりそんな事を言われてしまうと、うん、弱い」
 堪え切れなくて、九郎の肩と胸に力の全てを預けてしまった。
「弁慶?」
「さながら君は僕の龍脈ですね」
 九郎から見えないのをいいことに、とろける心のままに微笑みを浮かべていた僕と裏腹に、九郎は至って生真面目だった。僕を抱き返した仕草も生真面目だった。
「龍脈? また随分と仰々しい例えを出してきたな、お前も」
「ああ、すみません。最近そういうことに没頭していて。帰り道もそのことと君の事ばかり考えていたから」
「……良く分からんけど、褒められてるのか?」
「ええもちろん。それだけ君に力を貰っている、ということですよ。君がいなくなったら、僕はきっと……」
 と、くすくすと笑みを漏らしながら返していた僕だったけれど、唐突に、はたと気がついた。
(そうか!)
「弁慶……」
 九郎が一際甘く僕を呼んだ。ゆっくりと顔が離れた気配がした。けれど構わず僕はがばりと上体を離した。間近に九郎の瞳があって、それはそれは大きく見開いていた。
「なっ、ななななななんなんだいきなり!!!」
「思いついた!」
「は?」
「思いついたんです!」
 そして僕は立ち上がって僕の部屋へと駆けだした。
「なんなんだ、お前は!」
「すみません、今日はもうこのまま寝ますから、おやすみなさい!」
「……っ、もう、朝餉は食えよ!」


 そして九郎を置き去りに、僕は僕の部屋にいくらかはあった書物をかき集めて読み漁った。日が昇ったら朝一番で泰衡殿の所にも向かった。何日も通った。
 目的は、京の龍脈の流れる箇所。それを枯らす術。
 平家が龍脈から力を得ているというならば、それを一時枯らせばいい。そうして清盛か、あるいは平家の術者を壊滅させればいい。
 思いついた僕は朝晩構わずに没頭した。
 それを、とても優れた方法だと僕は疑っていなかった。京の街の為にも必要だと思った。
 使えば彼らを犠牲にすることになる法だ、躊躇いも感じたけれど……既に呪詛されている町は、放っておいても犠牲は出る、既に何人も僕は看取ってきていた。救えなかった人、その家族、あるいは一人きりで息を引き取った人たちの手を僕は握ってきた。呑気に構えてなどいられなかった。そうしている間にも平家に延々と吸い取られてしまうし、なにより早く清盛に痛手を与えないと、きっと清盛は京を物理的に壊す。戦場にする。以仁王と源氏縁の武士が挙兵していたこの時、それはいよいよ現実味を帯びていた。その為に、すでに枯渇しそうな龍脈を一時眠らせるなど、長い目で見れば些細な事だと確信していた。足を壊死させてしまった患者のそれを切り落とし生きながらえるのと同じだと。万物は流転すると。
 今でも僕はそう思っている。
 ただ、それをこの僕が、このやり方で、しかも僕一人で成そうとした、
それこそが僕の罪なのだ。




大河の1部終盤〜2部中盤くらいのあたりで下書きしていたと思われるので
清盛さまリスペクトが過分である
(02.08.2013)


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サソ