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※R18描写有

「僕たちはそんなことができなくなっていた」


 九郎の不意を突くのは簡単だった。腕に絡みつけばそれでよかった。夜はもちろんのこと、朝もしがみついて二度寝三度寝を繰り返して僕は九郎を困らせた。体をよく動かしているせいか九郎の体温はいつも高めで触れていて気持ち良かった。夏でも熱いくらいがちょうどよかった。秋や冬には尚更だった。君とこうして過ごすのが至福なんです、と隠しもせずに本音を告げれば彼はますます困っていた。
 そんな風にまどろんでいる時、稀に九郎は、俺のどこが好きなんだ?と、心底不思議そうな顔で聞いてきた。そんなところが好きなんです、と僕が返すと、茶化すなとよくむくれられたものだったのだけれど、本当にそうなのだから仕方なかった。なんでそんな事を聞こうと思ったのかは知らないけれど、まっすぐに問う、そんなところが好きだった。
 君は?と、僕も問いを返したことがあった。九郎は僕の顔が好きだと言った。九郎は(よほど極端で無い限り)外見で人を判断することはなかったので、意外だと素直に返せば、本人曰く、性格は元々友として好きだったから恋という意味での好き、と問われるなら、僕が近距離から彼を見上げからかう表情が浮かぶらしい。それはそれは生き生きとしているらしい。丁度この話をしていた時もそうだったそうだ。妙な所を褒められてもどかしいような気分だった。けれどそんな事をごくごく真面目な顔で話す九郎が僕はやっぱり好きで、見つめているうちに、瞳に熱が帯びていくさまも好きだった。そして目を伏せた様が好きだった……彼が僕を見上げるのが好きと言ったのと対称的に。彼が重んじる礼節や潔癖さに、情感や利己的な部分が混ざった瞳は罪深いほどになまめかしかった。なにより、それを抱き寄せ唇を奪うことのできる僕であることに満悦していた。
 九郎の髪も好きだった。彼が太刀を振っている時に彼の動きを彩るそれ。日頃はもう彼を織りなす一部として意識などしないものだけれど、体を重ねているときならば、蝋の灯りや月明かりにうっすらと浮かぶその髪がゆらゆらと揺れているのを眺めるのは、まるでせわしない感情を僕に向けてくれているようで嬉しかった。たまに僕はそれにくちづけてみたりしたものだけど、たいてい九郎にそんなもの弄るな馬鹿と言われて取り上げられた。
 からかうように仕掛けていたのはきっと羞恥の裏返しだった。そうでもしなければ、僕はまだ自分の感情を正面から受け止めきれず、最初の時のように正気を焼き切ってしまっただろう。余裕はあまり持ち合わせていなかった。
 程良く締まった彼の体を撫でるのも好きだった。診察以外では人に触れるのを好みはしない僕だったけれど、九郎は別だった。内腿のあたりが特に好きだった。張りのある背中や、締まった腕なんかも好きだったけれど、九郎はああいう性格だから傷が多くて、それが嫌だとかいうわけではなかったけれど、撫でるならばするするとなでらかな方が楽しくて、ならば腿が一番だった。
 とはいえ、僕の手のひらは、九郎の肌よりずっとただれてしまっていたものだから、もっぱら代替で頬を寄せていた。あんなに日向が好きなのに、露出させることない長い脚は白くて、それが闇に浮かび上がるのも淫猥で、舌も這わせて味わった。日頃鍛えている九郎でもそこは弱いらしくよく身悶えていたし、九郎がもっと別の、もっと直接的な事を勝手に連想して慌てて僕から離れようとするもの愛らしかった。そんな姿を見せられたら僕も期待に答えない訳にはいかなかったので、負けじと僕はしっかりと九郎の欲を口に含んで、丹念に舐めまわしてみたり、そうでなければ逆に、ふうと息を吹きかけるだけで焦らしたりもした。そんな時に素直にむくりと脈打つ九郎のそれはいじらしかった。
 九郎は腕や体に傷も多かったけれど、何度も豆を潰した指や手のひらは更にごわついて硬かった。だからそれが僕の体をなぞるとざらざらとひっかいてゆくものだから、くすぐったくて身をよじってしまった。十分に火照った身体になら十分な刺激にもなったけれど、どちらかといえば大きな手で髪や頬を撫でられる感覚の方が、僕を満たした。九郎の手はいつも優しくて、それだけで、ああ、この手は僕を傷つけることはないのだろう、と、思えた。実際に行為の最中に僕を傷つけることは無かった。ただの一度もなかった。それこそが彼の本質だと散々に知らされていたのに、抱き合うたびに再認識していた僕はきっと浅慮だった。
 僕の中に指を挿れる時が殊更に顕著だった。解す指は固さと彼の頑なな性格に似合わず柔らかでくすぐったさを感じたものだ。それと同じくそうしている間、九郎がきゅっと眉間にしわ寄せて、耐え忍んでるかのような顔をしていた事を良く覚えている。自分がされるのを想像でもしていたのだろう。眺めていれば、行為自体よりも彼の心根に僕は体中が甘く痺れて広がっていくようだった。首だったり腕だったり背だったり、じんわり汗ばんだ彼に抱きついてその想いを九郎にも伝えてみようとしたものだけれど、きちんと伝わっていたのかは分からない。
 いざ貫くときにも息をとめて真剣そのものな仕草だった。同じ晩に幾度かそうしたり精を吐きだした後だろうと変わらなかった。だというのについに達してしまう時になると、今度は泣き顔のような……昔、僕の診療所から鞍馬に帰る時にしたような顔をして、僕はそんな彼がやはり好きで、そんな彼を見ていたくて、だから九郎に向き合って繋がるのが好きだった。座していれば尚更で、ごく間近から息を荒げ浅く呼吸を繰り返す彼を見、もっと乱れてしまえばいいと言う代わりにしがみつき動いたものだった。九郎は僕を押し倒す方が好きだといつだか言っていた。その方が好き勝手できるから好いのでしょう?とからかえば、腕の中に僕をすっぽりと囲える感じが好きなんだとかむきになって言い返していた。どちらもたいして変わらない、と僕は思ったけれど、九郎が言うには、その時の僕が一番『可愛い』らしい。無防備でされるがままに善がる僕がきっと彼は好きなのだろう、と僕は勝手に思った。たしかに、そういう時はどろどろと溺れながら縋りつくばかりだった。
 特に、九郎と想いを確認しあって半年ほど経ったあたりからはそうだった。それまでこそ、不意を突いたりじゃれあったりして楽しんでいたものだけれど、どんどんと僕たちはそんなことができなくなってしまっていた。朝も夜も耐えることなく、とか、そういうわけではなかったけれど、触れあってしまえば互いに慣れ親しんだ欲を連想して、もっともっとと貪欲に暴いていった。接吻だって最初の頃九郎は軽く触れるだけか痛いくらいに貪るかしかなかったのに、いつの間にか要領のようなものを掴んでからは、ますます抑えがきかなくなっていた。自分の髪には意味などないとばかりに振る舞うのに、僕の髪をきつく握りしめ指を絡めながら口内を浚われても、息苦しさを感じても離せと主張することすら煩わしいほどに、もっというなら日頃の延長のような軽口さえなりを潜め、互いの呼吸さえも音さえも互いに飲み込んで、飲み込みきれない唾液が零れようと拭いもせずに、舐めとりもせずに、舌も腕も絡ませ合った。水音ばかりが響いた。互いの先走りを塗り込め合えば尚更で、僕は喘ぐより息を堪える癖があったし、日頃はあんなに話すのが好きな九郎も黙るし、つられて僕もやはり黙るようになったから、いよいよ夜を彩る音に僕らは沈んだ。卑猥だ、と九郎は口にしなかったけれど、思ってはいたようだった。音自体よりもそのことの方がよほど僕を羞恥させた。
 九郎の腕も雄弁に時の流れを語っていた。本当の最初以外はぎくしゃくとしていた九郎の動きだったけれど、いつしかすっかりと、僕の分までと言わんばかりに全身で僕に触れていた。僕も負けじと九郎の肌を嬲っていったけれど、その上で反撃を許さないとばかりに定期的に腕や指をからめ捕りに来たものだから、すっかり僕はなすがままだった。まるで出会った頃の彼の太刀筋のようだった。簡単に追いつめられた。僕を傷つけぬ努力はしていても、僕が悦くなる方には少しも手加減なんてしてくれないのだ。しかも多分、やはり、無自覚に、暴かれてしまった僕の感じるところをを随分と奔放に攻めた。息も絶え絶えに僕は素直に縋った。こんなに的確によくしてくれるのを受け入れない方が負けだとも思ったし、そもそも好きなようにする九郎はいい。素をさらけ出す九郎を見て僕の想いも悦もくるりくるりと膨らんだ。僕になど、という思いは拭えない、けれどそれと、九郎が僕にぶつける姿は別だ。全てを投げ出す九郎は僕を高揚させた。想いを通わせる前はあんなにも見たくないと思っていた彼の一面に、どうしようもなく夢中になっていた。
 しかも、この頃だろうとどんなに滾ろうとも九郎は僕の中を念入りに解すのを省きはしなかったので……元々普段触りもしない箇所だ、弱くあったのだけれど、それにしたっていつしか快楽ばかりが勝ってしまって、だからますます僕は白旗を掲げ欲に耽った。九郎の指がくるりと回るたびに僕は息を震わせた。足をぐいと開かれれば多少は残っていたらしい羞恥も相俟って、なにより指が奥まで滑りこむものだから、更にだった。そうなれば喉は絶えず声を発し、瞳は焦点を合わせるのを億劫がった。ときたま滲む視界で薄く目をあけ九郎を見上げたりもした。かわいい九郎はそれだけで挑発と受け取ってくれた。そして馬鹿、なんてひどく甘い声音で囁きながら唇を寄せ、指のかわりに熱く滾った彼の欲を押しあてて。僕に覆いかぶさって。濡れた腕でしっかり頭を抱えられ揺さぶられながら僕も必死に彼に縋った。爪をたててしまって、翌日に手当てをしたこともあった。とはいえ当時10代だった九郎はいれてしまえばそう耐えもせずに腰を打ちつけて、そうかからずに達してしまったものだった、けれど、そのままくちづけをかわしているうちにすぐに欲を思い出し、そのまま僕の肉壁を惜しげも無く擦り、弱い箇所を突いた。一度目と違いぬるぬると滑らかな圧迫と生ぬるさに今度は僕が喘ぐ番だった。きつく抱き抱きしめられれば目の悪い僕にも九郎の顔や吐息までがはっきりと見え、熱くて、息が途切れそうなほどに荒ぶり、身を強張らせ欲に耐え、身をよじって欲を求めた。繰り返し名を呼ばれる事だけは慣れなかった。どれだけ悦楽に思考を侵されていたとしても冷静が過り、状況に、彼の吐息に姿に頬を焦がして結果、更に惚け昂り、狂れて散った。一番酷かった頃にはこわれてしまうんじゃないか、と思う時もあった。そこまで行けば、さすがの九郎も冷静になって、加減をするようになったものだけれど、僕としたらどうせなら限界を見てみたかったので、九郎を随分と唆したけれど、彼が聞いてくれることはなかった。(とはいえ、僕がそんなになるまでは控えもしなかったけれど。)それもまた、僕の好きな九郎だった。
 平穏な日々だった。
 花咲きほころぶように麗らかな日々だった。
 僕は九郎を慈しみ、九郎はそれを享受していた。戦も無く、変わり映えもしない、ただ柔らかな日常にこれ以上なく包まれながら、僕は九郎と肩を並べ、手を繋ぎ言葉を交わして、そんな行為の延長で、唇や身体を重ねあっていた。たったそれだけのことだった。
 僕は九郎だけを見ていて、九郎もきっとそうだったのだろう……否、彼の気持ちは僕が結論付けることはできないだろう。それでも、
遠く離れた今も愛と呼ぶべき、確かな日々だ。




(02.01.2013)


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