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「いいから、読んでろ」


「金、昼餉だ。心して食え」
「わん!」
「犬が飯を食うのに心してもなにもないだろう。阿呆か貴様は」
「そんなことないぞ……うん、よーしよし金は偉いな。しっかり食べろよ。昼は昼餉を食うものだ」
「……ふっ、それには同意だな。つまり、あれは犬以下か」
「そこまでは言ってないぞ。なによりお前の先生に失礼だ」
「言ったも同然ではないか」
「だから言ってない!」
「くっ、無様だな、むきになるのがいい証拠だ」
「くどいぞ泰衡!」
 と、九郎と泰衡殿がこちらを向いて話をしていたけれど、僕はまるっと無視した。
「それで、呪詛、というのは相手に危害を加える言霊を用いるばかりではないのですか?」
「呪詛に体系的方法など、そんなには存在いたしません。一般的に用いられるのは真言や人型でしょうが、言霊ひとつでかけることもできますからな。なので、多様にさまざまな呪詛を執り行うことができるのです。例えば呪いをかけたい相手がいる、けれど、どのような悪影響を与えたいか、というものは、時と場合によるものでございましょう?」
「まじないによって効果が変わる、と?」
「そういう面もございましょう。ですが、それだけとは言い切れないのですよ。たとえば、自らの安全を祈ってお祓いをしてもらう。そのようにして除いた穢れを一手に貯め込み封じておけば、一転、それを災いとなりましょう。このように、人を救うまじないを使っても、使い方によっては却って大きな穢れを生むこともあるのです。とは申しましても、このような特殊な呪詛をかけようとするならば、もちろんきちんと呪と祭具を把握し、用意しなければならぬものです。弁慶殿でしたら真言はご存じなのではないですか?」
「そう、ですね、いくらかは存じております。ですが、本当に触りの部分だけです。今まであまり縁がなかったもので」
「そうでございますか。では、まず真言を学ばれるがよろしいかと。もちろん比叡でもよろしいのですが、高野山に参られるのもいいかと思いますよ」
「ああ、それでしたらまた京に行くことになると思いますから、伺ってみようかと思います」
「でしたらその時、一筆添えさせてください。きっとお役に立てましょう」
「先生にご紹介いただけるとなれば、心強いです。ですが、悪い事はできませんね」
「ええ。くれぐれも、泰衡殿のように禍々しい何かを召喚なさったりしないように」
「そんな、ことがあったんですか?」
「おや、ご存じありませんでしたか?」
 そこでびしっと、外で鞭がしなる音がした。
「そこまでだ弁慶」
「兄弟子に怒られてしまいました」
「泰衡殿は厳格でございますから。きっといい領主になりましょう」
「そうですか? 僕はもっと融通が聞くようになった方がいいと思いますが」
「それは、一理あるやもしれませぬな」
 僕と先生は和やかに笑った。それに九郎まで騒ぎ出した。
「いいから、そろそろ飯を食え弁慶。先生にご迷惑だ!」
「……九郎にまで言われてしまいました」
「では、そろそろ従うことにいたしましょうか」
「申し訳ありません。先生との話が楽しくて、つい」
「私も泰衡殿や弁慶殿のように熱心な方に指南できるのは、楽しゅうございますよ」
 と、そこでやっと僕と先生は昼餉に向かった。

 泰衡殿に紹介してくださいと頼みこんで以来、僕は随分と、彼の師である安倍殿に色々と伝授してもらうようになっていた。
 とはいえ彼はそもそも奥州藤原家のお抱え陰陽師。僕が長々と拘束するわけにもいかなかったし、僕も京へ行ったり九郎とすごしたりする時間もあったから、そんなに頻繁ではなかった、と思う。それでも、京で清盛に出会って戻ってきてからは、僕は今までよりずっと長く、安倍殿に話を伺うようになっていた。
 京には……、『また会ってやる、ただし双六に勝つことが条件だ』と、出会った初日に清盛に言われた僕だったけれど、どうやらその日のうちに気に入られたようで、結局次の日も、その次の日も来いと呼ばれ、最終的に福原にまで赴いてしまったので、相当長い間滞在してしまった。夏をまるりと過ごしてしまった。それでも、日に日にきな臭さが増してゆき、本当に戦になりかねない状況になってきて、そのまま平家の郎党に組み込まれてしまいそうになってきたので、漸く平泉に帰った。
 得たものは、清盛という人を知った事以外には、時間の割には多くは無かった。けれど、なにやら呪いの類を使って平家に繁栄をもたらそうとしている(実際にはしていた)、ということを何度かほのめかしていたものだから、僕は今のうちに少しでも呪詛というものを触れておこうと、一層安倍殿の所に通い、あるいは毛越寺をはじめとした平泉の寺社で書物などを借り受けて、濫読するようになっていた。


 この日の午後もそうだった。金と遊びに行くという九郎と別れ、僕は高館の邸で山積みにした書やら巻物を紐解いて読みふけっていた。九郎と道を歩いていた時には気持ち良かったさらさらとした風も、部屋の中にいれば冷たいな、と思いつつも、僕は構わず読書に没頭していた。比叡にいた時には分からなかったような事も、この頃にはいくつか理解できるようになったりしていて、ますます楽しかった。
 知識を飲みこんでゆくのは好きだ。それこそ食事をとっているかの如くに僕は文字を読んでいった。
 そのうち、くしゃみが出た。
 と思ったら、日が暮れていた。月まで出ていた。
 そして、九郎がいた。
「九郎? いつ帰ったんですか?」
「結構前からいたぞ」
「全然気付かなかった」
 ずっと書に没頭していたことによることでぼんやりとしていた僕はゆっくりと焦点を九郎にあわせていった。寝ぼけているような感覚だった。
「呼んでくれればよかったのに」
 九郎は少し離れたところにいた。僕は栞を挟んで閉じた。
「呼べば顔をあげてくれたのか? いつも出かけてばかりだというのに、平泉でも随分と書物にばかり夢中みたいだ」
「……そう言われてしまうと返す言葉もないな」
 失言だった、と僕は思った。でもそれは一瞬。いつの間にか九郎がつけていてくれたらしい灯りと、月明かりに浮かぶ彼の笑顔は心なし柔らかで、
「冗談に決まってる。あまりに熱心だったから、邪魔したら悪いと思ったんだ」
「九郎」
 彼が冗談を言うなんて、意外だったけれど、声もからりと明るくて。
「お前にはお前の目的があるんだろう? 無事達成できるといいな」
 後押しされてしまった。
 明確な目的ができたのは、このほんの少し前だったというのに。
 僕はなんだか過剰な気恥ずかしさを感じてしまって、誤魔化すように、はにかみながら真実の半分だけ返した。
「ええ、そうですね。京でずっと気になっていた人に会う事ができたんです。その人が今、こういったものに興をそそられているらしいんですよ。それで、少し知識を身につけておこうと思って。今のままでは会話もままなりませんからね」
「ふーん、お前でもそうなのか?」
「僕などまだまだですよ。だからこそ、安倍殿の所にあんなに通ってる」
「俺からすれば、お前らが三人で喋ってると何言ってるかさっぱりわからんけどな」
「ふふっ、君も混ざりたいんですね? だったらいつでも歓迎するのに」
「……遠慮する」
 正直な九郎は顔をしかめ、ひらひらと手をはらった。
「邪魔したな。ほら、続きを読め」
 彼にありふれた仕草だった。普段ならばただ厄介払いをした、と、受け取るべき態度だっただろう。けれど僕はいくらかの違和感を感じて、目を丸くしてしまった。
「続き、ですか?」
「ああ。まだ半ばじゃないか。先が気になるだろ?」
「気になりますけど、ですが」
(……どうして、どこに引っ掛かっているんだろう、僕は)
 僕は内心、首を傾げた。探るように九郎を見た。
「ん、なんだ?」
「君は……君は今まで、そこで何をしていたんですか?」
「何って、見てたに決まってるじゃないか」
「何を?」
「そんなの、おま……っ、……」
 どうやらその問いは正解だった。
「……どうかしましたか?」
「いや、その、月だ! 月を見ていたんだ。悪いか」
 僕自身、なんでもなく口にした疑問だった。けれど何故か九郎が動揺したものだから。
 にこり、と僕が微笑んでしまったのは、僕の性格の悪さのせいだけじゃない。
「月ですか」
 ゆっくりと膝を滑らせて、九郎に近づいた。九郎は更に慄いた。
「馬鹿、いいから、読んでろ」
「いえ、」
 そして膝をついたまま九郎に覆いかぶさって、ごく間近からわざとらしく微笑みかけた。
「君がどうしてここにいたのか、そして何を言いたいのか、僕にはもう分かっています、九郎」
(成程、ね)
 どうも僕は昔も今も、文字を読み始めると現を忘れる癖がある。あまりにもひどいから、何度か直そうとしたものだ。……未だに直りきってはいないけれど。
 だから、九郎はそれを咎めるために僕をじっと観察していたのだ、と、僕が予測するのは容易いことだった。
 そうと分かれば先手必勝。僕は先に謝罪して、九郎の怒りをはぐらかしてしまおうと思っていた。
 けれど。
「そ、そうか」
 九郎は更に言葉を詰まらせながら視線を外した。
 それは結構、意外な反応。
(……照れている? どうして?)
 ただ単に、僕が近づいたから、という風には見えなかった。
 つまり、僕の読みは違っていたようだ。にしても、ならば何故顔まで赤らめてるまでに照れているのか、そもそもここで何をしていたのかも分からなかった。考えても、答えはすぐにはでないような気がした。ならば。
「ええ……だから、改めて君の口から聞かせてくれませんか、九郎」
 素直な九郎に直接尋ねるのが手っとり早い、と、判じた僕は、九郎のひざの上の手のひらに手を重ね、じっと見つめて告げた。
 九郎が横を向いていてくれてよかった。彼の本心に見当はついていなかったけれど、方向性くらいは予測できた僕の口元はきっと緩んでいた。
「ね?」
「お前は相変わらず……性格が悪いな」
「そうかな、君の言葉なら、いくらだって聞きたいですよ。どんな些細なことでも、ね」
 なんて耳元で囁きながらくつくつと笑っているのだから、我ながら説得力がないなと思った。けれど九郎相手にそんなもの不要だ。現に。彼は素直に答えてくれた。
「……だから、その、見てただけだ」
 触れあっている指先が熱かった。
「……知らない事に夢中になってるお前は、いちいち目が輝いてて、このうえなく可愛いんだ」
「…………かわいいって」
「可愛くて、俺はどうすればいいのか分からなくなる……」
「……」
 可愛い、というなら、そんなことひとつ言うのにこんなにかかってる九郎の方だ、と僕は思いながらも……物を知っているとか、口がたつとか、そういうのではない妙な褒められ方をして、僕まで九郎のように言葉を詰まらせてしまった。
 けれど、そうなのか。そういえば、前にもこんな風に九郎が僕の事をみていた事があったような気もする、けれど、それにしても。
「…………いつからいたんですか、君は」
「夕暮れよりは前だから」
(二刻くらい経ってるんじゃないか、それは)
「悪いか、馬鹿」
 驚いて身体を起こしてしまった僕に、膨れながら九郎は言った。
(やっぱり君の方が可愛い)
 そんな言葉も呟きそうになったけれど、最近の九郎に可愛いは禁句だ。可愛いものを可愛いといって何が悪いと九郎は普段言い切ってる癖に、僕が言うと嫌がる。
 そういうところも含めて可愛いと思っているから構わないのだけれど、僕はついくすりと笑ってしまった。と共に、ぎゅっと指先に力を込めると、
「そんなことより!」
 九郎は唐突に、すっとんきょうな声をあげて、話題を変えた。
「それより、だから、読め」
「そんなに僕を見ていたい?」
「……読みたいんだろ?」
「そんな気分ではなくなってしまったかな」
 目を細めてしまいながら、僕は九郎の前髪をさらりと指で撫で上げた、けれど、残念ながら九郎はいつの間にやらすっかり真顔になっていた。
「違う! そうじゃなくて、読まないなら、聞きたいことがあるんだ」
「用があったんですか? だったらそれこそ、もっと早く呼んでくれればよかったのに。ふふっ」
「ああもう、だから言いたくなかったんだ!」
 そして、一蹴しつつさっと僕から離れて、更に僕を追いやるかのように隣に置いてあった包みを僕にぐいと押しつけた。
「まずは夕餉だ。こんなこともあろうかと握り飯を貰ってきておいた。食え」
「……君が夕餉の話を口うるさく言わないからおかしいと思ったら、そんな事にまで気をまわしてくれていたんですね……なのに、僕は、君が折角熱い視線を向けていてくれたことにも、少しも気付かなかったなんて」
「そうだな、俺が一人で好きだった頃にも全然気付いてくれなかった」
「今日は随分と絡みますね」
「それだけお前が好きなんだ」
(どこまで僕を動揺させる気なんですか)
(さっきまであんなに照れていたくせに)
 口にしそうになったけれど、それはまた失言になるような気がしたから、黙って、代わりに夕餉を受け取ってから微笑みを返した。
「君の愛も、分かりやすいんだか、複雑なんだか」
「複雑なつもりなんかないぞ」
「ええ、君はいつだってそうでしょうけれどね、僕からすれば、違う部分もあるんですよ。少しは加減してください」
「これでもしてるつもりなのに」
「……へえ?」
「…………疑われるのは気分が悪い」
 視線が強めに重なった。すると、漸く九郎が僕の腕を掴んで引き寄せた。ぎし、と床が軋んだ。僕も肩に手をかけた。すると、どこまでも可愛い九郎は、
「弁慶、」
と、とろりと僕を呼んだのに、
「その、いや駄目だ!」
唐突にぐいと押し返した。僕は体勢を崩してしまった。
「どうして」
「だって駄目なんだ!」
 いつもの事だから慣れてはいるとはいえ、折角の雰囲気を壊されて僕は怨みがましい目を向けてしまうけれど、こうなってしまうと九郎は頑なだ。
 そして僕も、理由の方へ心を傾けていた。
「『僕に聞きたいことがある』からですか?」
「それもあるけど、でも違う、明日は御館と狩りに行くだろ、だから」
「だから、体力を明日に残しとかなければいけないと? ふふ、一体そんなに何をするつもりなんですか、君は」
「ちがっ!! だから勝手に決めるな! そうじゃなくて、ほら、御館に誘われて狩りに行くんだ、万全の態勢でなければ失礼だろう。もう今年最後かもしれないし」
「それは確かにそうですけど?」
「……っ、それに、俺も本気のお前でなければ楽しくない」
「それも、確かに」
 この頃は僕も九郎との行為にそれなりに慣れたつもりだったけれど、久しぶりの狩りだったから、僕も全力で九郎と競いたいと思ってしまった。
「では、仕方ないですね」
 納得させられた僕が姿勢を正すと、九郎はあからさまにほっと息を落とした。完全に僕が悪者だ。その役回りに不満はなく、むしろ、変わることのなかったやりとりを楽しんでいた。
「……いい笑顔だな。荒法師そのものだ」
「悔しかったら退治してみせなさい御曹司殿」
「そろそろ本題に入ってもいいか?」
「そういえば、そうでしたね。聞きたいことがあるんでしたか」
「ああ」
 もう少し続けていたかったけれど、短気な九郎をいよいよ怒らせてしまいそうだったので、僕が相槌を打つと、九郎はやはり傍らに置き去りにしていた巻物を手にした。
 するすると紐解く音が響くと共に、甘い空気は霧散、何もなかったかのように、清浄な夜の空気が場を満たした。
 そんな中で開かれた巻物。どうやら、戦の布陣を記した図のようだった。
「こういう時に、どういう戦法をとるべきなのか、と思って」
 僕は覗き込んだ。ざっと見ただけでも、なかなか難しそうな戦局のようだった。
 けれどそれ以前に。
「これが、君の用事ですか?」
「悪かったな、くだらない用事で」
「逆ですよ。これは簡単にはいかない戦況でしょう。君の話はいつだって歓迎だけれど、こんな話ならますます、僕をもっと早くに呼んでくれればよかったのに」
「しつこいな。まだ言うのか」
「だって、楽しそうじゃないですか。君と色々考えるのは、ね」
「そうか?」
「ええ、そうです」
 別の言葉も浮かんだけれど、もう口にしなかった。折角こんな風に僕を頼ってくれた彼を、向学心を抱いた彼を、踏みにじりたくなかったのだ。
 だから邪な気持ちは今度こそ封印して。
「分かりました。僕の知識でよければ、いくらでも君にお貸ししますよ」
「弁慶」
 告げれば、九郎の目が輝いた。輝いて、すぐに真摯な色に染まった。
「助かる。ではさっそく、こういう風に敵が攻めてきた時は……」
 そして、すぐさま話を進めて行く九郎。
「そこは、囮を使うのが一番有効だと思います。そうですね、どうせなら大胆に……」
(ああ、僕も見惚れていたいな)
 書面に線引く姿を、僕をまっすぐに見返す姿に、抱きもしたけれど、それよりも九郎の言葉を聞くことに、彼の満足する答えを返すことに、共に戦略を紡いでいくことに、僕はすっかり夢中になってしまって、
結局、夜更かしをしてしまった。
 睡眠不足で挑んだ狩りは、基礎力で勝る九郎に惨敗した。




いつも色々適当に書いてますが、前半部分、今回こそいよいよ適当です
雰囲気で
(01.26.2013)


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サソ