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「必ず糸口を探してみせる」


 久方ぶりについた京は、異様なほどの混沌に包まれていた。
「何かあったんですか?」
 僕の診療所で、いつもの患者さんに聞くと、「平家で何か大きな不幸があったようで、都中がその喪に服しているのです」と教えてくれたので、翌日、気にかかって仕方のなかった僕は様子を探りに六波羅へ向かった。
 いつもより人が多かった。というか、当時の僕が経験したことない程に多かった。
(これは、大事だ)
 判じた僕は、平家の家人を一人捕まえて話を聞くことにした。
「あの、少しよろしいでしょうか」
「何者だ」
「僕は旅の薬師です。平家の皆さまにいつも懇意にしていただいておりまして、今日も様子を見させていただきに来たのですが……何かあったのでしょうか?」
「何か、などという些事ではない!」
 そして僕は知った。摂関家に嫁いだ平家の娘と、なにより棟梁重盛が亡くなったということだった。
(敦盛くんではなかった)
 ……この頃の僕でもそれには胸を撫で下ろした。多分、ヒノエの事も頭を過っていた。
 けれどそれには蓋をして。
「そうでしたか……ですがそれは、ただごとではないではないですか」
 悲しそうな顔で答えた。
 好機だった。重盛殿の損失など、あまりにも大きな事柄だ。だからもしかして混乱に乗じて何かを成すことができるのでは、と、目を光らせてしまった。
 けれど、僕は相手にされなかった。
「そういうことだ。だからとっとと帰ってくれ。今は忙しいんだ」
「いえ、せめておくやみだけでも」
「薬師なんて今見つかると殺されかねないぞ! 悪い事は言わない。帰れ」
 と、中に入れてもらうことはできなかった。
 ならば、それで諦めればよかった……のだろうけれど、そうなれる僕では無く。
 しばらく、忠臣を装い平家の屋敷をあちこちとまわった。けれどどこへ行っても僕ははじき出された。
 そのうちに日が暮れて、六波羅の屋敷に赤い灯がともり、いっそう重々しい空気になって、僕はその日は帰った。

 次の日の朝。少し冷静になった僕はどうするか暫く思案したものの、結局、町を巡った。
 平家のことも諦めたわけではなかった。ただ、その為にも、そうでなくとも、もう少し京の様子を探りたいと思った。物騒にあちらこちらを歩きまわる貴族の姿が目について、きな臭さを感じてしまったのだ。
 案の定、彼らが足しげく通うのは後白河院のところだった。もしかしたら、ただの祭事かなにかだったかもしれないけれど、それにしてはあまりに人数が多かった。彼らの思惑は容易く見通せた。……見通せないはずがない。力あるものが並び立ち、片方が削がれたならばどうなるか明白で、ある意味当たり前のことだったのだから。僕だけじゃなく、この町に住み続けていた人々のほうがよほど感じていたようだった。誰も彼もが怯えや恨みや疲れを浮かべた瞳でまた戦になるんだと口にしていた。……そしてそれは、現実味を帯びていた、ように僕にも思えた。

 最終的に六波羅へも行ってみたけれど、やはり入れてもらえなかった。馴染みにしていた公達の姿も見つけられなかった。唯一邂逅できたのは、敦盛くんの父上だったものの、やはり取り付く島もなかった。
(もう駄目なのかな)
 溜息を落としつつ、気落ちしてしまった僕は無造作に壁に寄り掛かった。
 と、そこへ。育ちのよさそうな子供が二人走ってきた。そして、僕の目の前を通り過ぎて間も無く、片方の子が転んだ。見事な転びようで、彼は膝に大きな擦り傷を作った。
「なにをしてるんだ」
「いたいよう」
「いそいでいるんだ、がまんしろ!」
 兄弟、だろうか、大きな子供が叱りつけるも、それは子供が絶えるには少し大きすぎる傷だった。
「うええええん」
 小さい子供は泣きだした。僕は近づいた。
「大丈夫ですか?」
「ん、なにものだ!」
「僕は薬師です。ほら、傷を見せてごらんなさい」
「……あやしいやつめ」
「ふふっ、そうかもしれないですね。ですが、僕はそちらの君のお役に立てると思いますよ。さあ見せてください」
 と、微笑んでも、兄の方はなお僕を警戒していたけれど、弟は素直にすりむいた膝を僕に見せてくれた。
「これは……少し我慢できますか?」
 こくりと頷いた少年に僕も頷き返して、懐から水を取り出して洗った。薬を塗り、布を巻き終わるまで、彼はじっと涙を湛えて我慢していた。
「はい。終わりです。よく頑張りましたね」
 ぽんと肩を叩きながら微笑むと、少年はこくりと頷いた。まだ痛いだろうに頑張る姿は健気だった。昔を思い出して、綻んでしまった。
「あなたがたは、平家一門の子ですか?」
「そうだ!」
 問えば、すかさず、兄が胸を張って言った。
「そうですか。きっと、立派な武士になれますね」
「当たり前だ! 行くぞ」
 誇らしそうに言って、兄は弟の手を引いてまた走り出して、
「ありがとう!」
途中、立ち止まり僕に手を振ると、二人は道の向こうに消えた。
 ……もしかしたら、あの二人も九郎の前に立ちふさがったかもしれない。僕が命を奪ったかもしれない。当時もその可能性を考えていた、けれど、助けたことに後悔はなかった。
(九郎がうつったかな)
 なんて思いながら、僕は荷を片付けるべく振り返った。その時、日の光が陰った。誰かが横に立っていた。顔をあげた。老僧だった。ただし身なりは良く、なにより僕を見降ろす眼光は、僕がこれまで出会った誰よりも……九郎や御館よりも更に強かった。
(あの子供の祖父だろうか)
 僕は少し気圧されていた。そういう感覚は久方ぶりだった。それでも平静を装って何食わぬ顔で返した。
「どうか、されましたか?」
「そなた薬師か」
「はい」
「今更何をしに来た」
 初対面の筈だった。なのに、僕は睨まれ蔑まれた。そして一喝された。
「来るのが遅いわ!」
「……そうですか。では、出直してまいりましょう」
 僕は老人から目をそらして、荷をまとめる作業に戻った。
 そんな事を言われる理由に見当もつかなかったけれど問い返しはしなかった。怖気づいた……のも、ないとは言えない、魂を吹きとばされてしまいそうな怒声だった、けれどとりあえず折れた風を装ってみることにした僕は、裾を払って立ち上がった。
 老人はなおもそこにいた。今度は視線が逆転、僕を見上げていた。
「噂とは違うではないか」
「噂、ですか?」
「随分と口が回ると聞いていたぞ」
「それは」
 薬師だから……病で棟梁を失ったから絡まれているのかと僕は思っていた。なのにそんな台詞。
(この人は僕を、知っている?)
 だったら。僕は一拍置いて告げた。
「……平家に縁のある方とお見受けしました。でしたら、ひとつだけ伝言をお願いしたいのですが」
 それは賭け。
「敦盛殿をご存じでしょうか。熊野別当のご子息が、敦盛殿の事を気にかけ心を痛めております。ご子息はずっと熊野で待っておられるでしょう。ですからいつか叶う日が来たならば、是非今一度熊野を訪れていただきたいと、敦盛殿にお伝えください」
 僕が比叡に縁のあることは特に隠していない……どころか、公言している。そして、熊野と比叡、両方に縁のある者は多くは無い。ゆえに、そこから僕の素性が、九郎と共に平泉へ行っている事が知られてしまうかもしれず、危険でもあった。
 それでも口にしていたのは……ヒノエや敦盛くんの為の優しさなどではなくて、
これで相手の気が惹けるのではと思ったからで、
現に老人の眉がぴくりと動いた。
「敦盛? 心配するというならば、そなたが直接会いに行ってやればいいだろうが」
「……いえ、僕が参りますと、余計な諍いを起こしてしまいますから。それは敦盛殿にとって毒になりましょう」
「それで、我に言伝か?」
「はい」
 僕は怯まず、神妙を装い頷いた。何か見抜かれたかもしれなかったけれど、構わなかった。
 そう間はかからなかった。老人の口元がにい、と上がったかと思うと颯爽と僧衣を翻した。
「ふん、ついてこい」
 勿論、僕はその偉そうな御仁についていくことにした。
 通された邸は六波羅の整った建物の中でも上等で、家人の服装も振る舞いも一角を期していた。
「座れ」
 促され、従った。間には独特の雰囲気が漂っているような気がした。まさか、と僕は漠然と言葉を失った。
「敦盛は最近は調子も良いと聞いておるぞ。そのうちまた熊野詣にでも連れてゆこう」
「そう、ですか、それは、なによりです」
「ふん」
 たどたどしくなってしまった返答、けれど聞いてもいなかったかのように、老人は庭を見ながら言った。
「……ほんに、若いものから先に逝くのは口惜しくてならん」
 呪詛でもかけるような口調で。
「……もうすぐ都が完成するところだったというに。あれには見せられなかったか」
(やはり、)
 確信した。むしろ気付くのが遅かったくらいで、僕は自分の迂闊さに唇を噛んだ。
 平清盛。平家を、ひいてはこの京を、国を統べていると言っても過言ではない人物。……まさか、言葉を交わす日が来るなどと思っていなかったし、そもそも、京にいるとは思わなかったんだ。
「福原の都、でございますか」
「そうだ。貿易に適した港だ。そして宋から様々な品を仕入れ、この国も豊かになろう」
(この国ではなく平家だろう)
 と、顔に出ぬよう危惧する余裕すらなかった僕は、静かに外套を引き寄せた後、密かに深呼吸をして顔をあげた。
「……この国にとって大切な方を、失いました」
「そなたはあれと面識はあったのか?」
「まさか、めっそうもない……ですが、僕も是非、重盛殿のお役に立ちたかったものです」
「ふん」
 清盛は振り返った。
「面白いな、そなた。見目の割に、豪胆だ」
「よく言われます」
 僕はようやく微笑みを取り戻した。
「はは、だが、それは良きことだ。……お主、双六はできるか?」
「双六、ですか? 多少でしたら」
「ではあれを持ってこい」
 扇で指した先には双六の道具があった。控えていた家人がそれを持ち、静かに清盛の前に置き一礼をして去ったところで、清盛が賽をからからと振りだした。僕はいささか困惑しながらも応じた。数えるほどしかやったことのない僕は清盛殿に促されるまま賽を振り、石を進め、あっさりと勝負がついた。
「負けました」
「相手にもならなかったな」
「清盛殿がお上手なのでしょう」
 清盛は僕の賛辞をつまらなさそうに受け取って、なんでもなく賽を転がしながらぼやくように言った。
「つまらん。つまらんことばかりだ」
「……」
「だが、そなたは分を弁えている分、悪くはない。我が最も忌むべきは、自分の立場を分からぬものたちだ。媚び得ることしか能のない貴族どもなど可愛いものだ。そなたも、そうであろう?」
 ぐらり、と熱が揺らいだような気がした。僕は答えなかった。
「……その犬どもに乗せられたあやつめが今度は我らを追い出しにかかるなど……許さん、許さんぞ法皇め! 今までの我の加護に手のひらを返すなら、全力でつぶしてくれるわ」
 ぴしゃり、と、盤を扇ではたきながら言う清盛の顔には明確な怒りが……いや、殺意が浮かんでいた。
 豹変。先程までの穏やかさは消え失せて。
「全力で、というと」
「決まっておろう。我らは武士だ。武士が今力を振るわずになんとする! 京の街など焼き払ってくれるわ!」
 禍々しさを帯びた、耳にするだけで呪われそうな声音に、僕は、目を見開いた。
「どうした?」
「いえ、京には民もたくさんおりますから、」
「そんなもの、福原へ移してしまえばいいだけだろう。福原はまこと素晴らしき地だからな。京など最早不要だと、心の底から実感することができようぞ」
「……さすが、清盛様、仰ることが型破りでいらっしゃいますね」
「ふん」
「なにより……貴方はそれを実際に行うことができる御仁でいらっしゃる。そのような方は、他におられないでしょう」
「そんなもの、する気も無い事を口にする者が愚かなだけであろうが。ああ、そうだ、そなたも来るか?」
「いいえ、僕は旅をしている身ですので」
「そうではない。戦場にだ。随分立派な薙刀を持っておるではないか」
「これは護身用ですよ。自己流ですし、所詮僕は一介の薬師。武勇で知られる平家一門のお役にたてるとは、とても思えませんから」
 清盛が僕を見る目は一貫して探るようなそれだった。僕の正体がばれているのだろうかもしれない、けれど、僕にとって今それはある種どうでもいい事になっていた。
「案外つまらぬ男よの」
「清盛様にかかれば、誰も彼も凡人でございましょう」
「……その割に、その見目と口先で随分と我が一門の者を籠絡してきたと聞き及んでおるが?」
「なにを仰います。薬師風情に随分とよくしてくださった、一門の皆さまの器の大きさゆえにございます」
 心から微笑まずにはいられなかった。
(だって、ようやく出会った)
 この時に全てが繋がったのだ。
(僕の敵は、この人だ)
 比叡で見下ろしていた混沌の街。五条で見つめた奈落の街。どこか遠く離れなければ生きられなかった九郎。
 そんなものに漠然と不満を僕は抱き続けていた。ままならぬ理不尽が心の奥底でずっとくすぶっていた。それがついに形となって、僕は理解した。
 全ての元凶はこの人だ。
(僕はこの人を倒さなければならない)
(ついに僕は僕のすべきを理解したんだ)
「ですが清盛様、もし僕が福原へ寄ることがございましたら、お邪魔してもよろしいでしょうか」
 言葉が自然に口をついて出た。なんとしてでも約束を取り付けなければ、と、とっさに僕は動いていた。それに清盛は簡単に返した。
「はっはっは、好きにするがいい。ただし、次に来たときに我に双六で勝つことが条件だ」
「それは……腕を磨いてこなければなりませんね。よろしければ、今もうひと勝負していただけませんか? 清盛殿の技を盗み見ておきたいのです」
「…………お主、名は?」
「武蔵坊弁慶と申します」
「弁慶、か。また、見目に似合わぬ随分と荒い響きの名じゃ」
 それが気に入ったのか、僕が盤を整えると、清盛は相手をしてくれた。
 僕が学ぼうと必死で賽を振っている間、彼はほんの少しの武勇伝や、嫡男重盛の話を僕に語ってきかせた。
 それは一見、ただの穏やかな昔話だった、けれど節々から、いかにして朝廷を押さえつけるか(あるいは、そうしてきたか)という彼の本音が透けて見えるようだった。実際、邪魔者は排除してきたという彼のやり方も相俟って、ひどく傍若無人に僕は感じた。
 彼でさえなかったら、ただの戯言、ただの愚痴で終わっていたような内容だったけれど、
僕は終始微笑んでいた。ごく自然に浮かんでいた。
 心には怒りの炎が燻っていた。
(自らの覇権争いの為に京を荒らすなど……いくら時の権力者といえど、いいえだからこそ、そんな傲慢が許されるものではない)
(やはり平家は滅ぶべきだ)
(必ず糸口を探してみせる)
 この時はじめて平家一門に、清盛に明確な敵意を抱いた。




(01.18.2013)


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サソ