※R18描写有
「紡ぐべき言葉すら、もはや僕は持ち合わせていなくて」
桜が散った頃、熊野を発った。
桜が咲いた頃、平泉に着いた。
告げるなら桜の頃の、満開を少し過ぎたあたりだと決めていた。
はらりはらはらと落ちる桜が好きだった。薄雲が柔らかに春の日差しを透かす空、まだ雪残す西の山々、そんな中で南から吹いた柔らかな風に、まさに雪のように舞う白き花弁。儚く落ちて、けれど溶けない。川に流れ土に還ることになれどもそれはまた、少し先の話。庭に落ちてもくるりくるりと踊る姿が、目では捕えられない風の流れを映しだす様が、好きだった。
だから言うならばそんな日がいいと思っていた。
僕が戻るなり、九郎は遅い待ちわびていた花見をするぞ、と……そう、やはり秋の日の告白などなかったかのように、………………あるいは、九郎もまた、酒の力で何かを言いたかったのだろうか、催促したけれど、そんな彼を、酒を飲まずとも花は愛でられましょう、なんてにこりと微笑みあしらえば、なにやら言葉を飲みこんで分かったお前に任せると言ってそれきりにしたので、そうさせてもらう事にして。
花落ちはじめた日に、僕らは二人きりの宴を開いた。
前日が雨だったせいだろうか、木々を庭を町を染めていた、雪とは違うあたたかな白色は、視界を覆い尽くすほどに一気に落ちた。
九郎は花を断たずに僕の隣でそれを見ていた。風に橙の髪がゆらゆらと躍り、淡い色の衣が翻った。姿が霞んだ。その中でもまるで綺麗な横顔。触れようとしても透けて通り抜けてしまうような幽玄なものに感じてしまったのは、僕の心境のせいだっただろう。
「君と桜を見るのも、これで4度目ですね」
「そうだったか? ……そうだったな」
風はまだいくらか冷たかったとはいえ、やはり春だ。日向の濡れ縁は暖かで、僕らはいつものように互いに好き勝手な事を語り合った。九郎は平泉の話、僕は旅先の話。
けれどいつもと違って話題は頻繁に途絶えた。九郎の事情は知らないけれど、僕からすれば、旅路の先で九郎の事しか考えていなかったから、話せることがなかった。
それに僕はまだ少しだけ怖れていた。それが僕を冷静にした。慎重にした。言葉を選ぶべきだ、と思ってしまった。
眼前の景色は鮮やかで、それに花を添える鳥の囀りも可愛らしくて、僕に追及もせずに微笑みかけてくれる九郎の目が愛しくて、落ちる花を目で追う姿は可憐で、つい、見つめてしまえど笑い返すだけで何も言わなかった九郎は本当に綺麗で、極上に彩られた既知の風景に目を細め、酒ばかり飲んでいた。御館にもらったそれも美味しかった。
それでもいつもより酔いはまわらぬままに夜が降りた。先程まで高らかにうたっていた鳥もどこかへ消えてしまい、あたりはただただ静寂に包まれた。蝋燭の灯りだけがじりじりと揺れた。
不思議な程に物音のしない夜だった。
何か言葉を発するのも勿体ないほどで、けれど、先延ばしはもうできなかった。
この頃も、僕は九郎の心を信じていなかった。
「覚えてますか? 今年の夏は暑かったでしょう」
桜の頃はまだ夜は寒い。普段より薄着だったから、ますますそう感じていた。だから夜更けを待たずに言葉を投げた。
九郎は透明な瞳でちらりと僕を見て、思い出したのだろう、眉を寄せながら答えた。
「……暑かった」
「その翌年の桜は見事に咲くそうですよ。そのせいかな、一段と綺麗に見えます」
「……そういえば、桜だけじゃなくて梅も多かった。御館も言ってたし」
「そうでしたか。それも、見たかったですね」
「でも、桜はお前と一緒に見れたから、俺はいいや」
会話は途切れた。九郎は静かに桜を見上げた。もしかしたら、彼はこのままこの静寂を濁したくないのかもしれなかった。
それでも僕は隣の九郎をじっと見つめた。
本当にこの方法でいいのか決めかねていた所もあった。
(僕は九郎を失うかもしれない、軽蔑されるかも。でも、)
それでも……兄の言葉が相当に効いていたのだろう、自覚もあって。
「君は」
僕はいよいよ切り出した。
「秋に、言いましたよね……僕が好きだと。覚えていますか?」
「覚えてる」
唐突だった筈だ、けれど九郎は驚かなかった。即答した。
だったらやはり、きっと長くは持たなかったのだろう。そして、僕は断定した。
「僕、あのあと考えたんですが……それは、君の気の迷いだと思うんです」
「は?」
それに、九郎は随分と間の抜けた声をあげた。
「何を言うんだ、俺は」
「ですが、君はなかなかに思い込みが激しい。だから何か、御館の郎党の誰かに妙な事を吹きこまれて、無意識に決め付けてしまっているだけではないんですか?」
「なんだそれは? お前、いくらなんでもそれは俺や皆を馬鹿にしすぎだ!」
さっきまでとは一転。雰囲気など切り刻むかのような怒声が響いて。
……僕は瞬きながらそれを冷静に見つめ、かねてから用意しておいた台詞を紡いだ。
「それでも、ですよ。ですが君が友情を恋情だと勘違いしたとしても、仕方がないことでしょう……僕たちは長く、一緒にいたから」
口にして、僕は様子を伺った。九郎は不愉快だと眉をつり上げた。
(かわいそうに)
僕も、心底で疑っているわけではなかった。それでも確認はしておきたかった。
至極当然な風で好きと僕に言ったあの姿が気にかかっていた。これで……勘違いなんて言われたところで、笑えない。けれどそれよりも、一連の台詞は、
言うなれば、罠だった。
「……僕も好きですよ、君が」
僕は極力感情を込めぬよう努めた。
「君と出会えたことは、僕の人生で一番の幸いでしょう。君のような友を得られて、よかった」
笑みを模り綴る言葉は思いの外流暢で。
「これからもずっと良き友として、共に励みましょう、ねえ九郎」
「弁慶……」
「そうあるべきです」
九郎は言葉を失った。僕はただ見つめた。
(九郎、これが最後だ)
彼に告げた通り、元々、僕らの境界はあまりに曖昧だった。あまりにも、あまりに曖昧で、
九郎に彼自身の気持ちを正しく把握させる必要があった。そして、九郎みたいな潔癖な性格の相手だったらそこに線を引いてやるのは簡単で。
故に、最後の忠告。
僕の言葉を受け、九郎が僕への想いを友情だと判じ、この距離に留まると決めたなら、それで構わなかった。僕は気持ちを今度こそ封印して親友として彼の隣に居続けることを選びそうしただろう。
けれど、そうでないのなら。
(ああ、やはり君は哀れだ)
現に、九郎は怯んだ。怯んで、
言葉を失って、俯いて、
ごとり、と、もしかしたらわざと大きな音で盃を縁に置いて、発声よく言った。
「……半年待って、今さらそんな事言われるとは思わなかった」
縁に落ちていた花弁がふわりと浮いた。月光に彩られ虹色にたゆたう雲が幻想的だった。それら背にした九郎の瞳はいつしか熱を帯びていた。
「無理だ」
僕はわざと首を傾げた。笑顔を消して、うんざりした風を装った。
「僕が拒否したら諦めてくれる、と、君は言っていたように、僕は記憶しているのですが」
「…………言った。でも今のお前の話はそれ以前じゃないか。……お前は、俺の気持ちを勝手に決めてる。確かに俺はそういうことには疎い、だからって、断定されるのは不愉快だ」
けれど。
「気のせいなんかじゃないし、そんなことできない。俺はお前が、お前がちゃんと……好きだ」
(……言ってしまった、か)
僕の手のひらに自らのそれを重ね、身を乗り出しつつ放たれた言葉に頬が焦げた。それでもそんな素振りは断じて見せまいとした。きっと炎の赤がそれを隠した。その為に夜を選んだ。星も見えないのは好都合だった。
「だったら」
僕はいよいよ切り出した。
「なら、見せてほしいな、君の気持ち」
「俺の? ……見せる、とは?」
「君は、僕を恋うているというのでしょう? 友人だと見れぬというのでしょう? でしたら……解りますよね、いくら君でも」
くつくつと声を漏らしながら重ねられた手を握り返すと、九郎の目がみるみる開いていった。
「弁慶、それは」
「できないでしょう? 無理でしょう?」
挑発めいた言葉でどんどんと、夜の色を塗り替えて。
落ちる白も、空の白も、もはやただ目に映るだけ。火の揺らめきばかりが九郎を映して。
ごくり、と、九郎が息を飲む音がした。
「それは」
掠れた声は既に艶やかに、僕には聞こえて。
途端、僕は押し倒された。
「くろ」
「こういうことか?」
勢いに、軽く背中を打った。痛いと口にするのも許されそうになかった。すぐ近くからまっすぐに僕を見下ろした目は、京で刀を握り振り回していた時のそれに似ていた。そして乱雑に、襟元にぐいと手を押し込んできた。
今度は僕が目を瞠る番だった。それは指先の冷たさのせいだけでなかった。
「ここで、ですか?」
「ああ」
「……誰か来るかも」
「もう夜更けだ、来るもんか」
「そうかもしれないですが」
九郎の言う事はもっとだし、僕の好きな景色の中で、というのも悪くはないような気もしていた。けれど、僕は強引に言い訳を作った。
「少し寒いです」
「……そうか。じゃあ」
すると、すんなりと九郎は頷いて、僕を抱き起こしてくれた。黙っていればそのまま手を引いてくれたり、あるいは抱きかかえてくれたのかもしれない、それでも僕はそれは丁重に断って、立ち上がって九郎の部屋まで先に歩いた。
仕切り直しがしたくなったのだ。
驚きだった。彼に見惚れた時よりなによりも。
『見せてほしい』と言ったのは、正しくそういう意味だった。けれど今度こそ、九郎は照れて赤くなって、内心はどうあれそんなことできるか!なんて慌ててくれると思っていたのに……緊張こそしていたようだったけれど、どれでもなかった。完全に誤算だった。
だから僕は、色気とかそういう物はかなぐり捨てるように、自ら衣を落とし、小袖姿で褥に横たわり、ご丁寧に両手まで広げて微笑んだ。
「さあ、改めてどうぞ」
馬鹿馬鹿しい意地だった。それでも九郎はそんな僕に何か不平を言うでもなく。
「分かった、行くぞ」
しゅるりしゅるりとやはり僕同様小袖姿になった後、完全に手合わせの口調で宣言して、今度こそぐいと僕の袷を開き横着に僕の衣を乱した。
手元の灯りは消してしまったし、淡い月明かりも部屋の中まで届いていなかったけれど、遠くの火鉢の灯りが九郎をほんのり照らしていた、けれど、表情はよく見えなかったものの、少しは緊張してそうだ、と思ったのは、ぺたり、と僕の鎖骨や脇腹のあたり置かれた手のひらに妙な存在感を感じたからだった。
ぎくしゃくと九郎は近づいて、僕の頬に唇を寄せた。くすぐったくて身悶えた。そして自分の体にも過剰に力が入っていると気付いた。九郎の緊張が移ったのかも、と、その時の僕は思った。
誤魔化したかったわけではないけれど、近づいてきた九郎の肩へ手を置き、堅さを味わうように撫でれば、九郎の唇がそのまま下へ移動した。首筋へ、鎖骨へ、更に下へ。おずおずと、そのまま僕の胸の頂を啄んだ。
「んっ、」
ちろり、と舐めた彼は一時、戸惑ったかのように留まった、けれど、『ほらやはり』と僕が咎めるより早く。強く吸われた、と同時に、九郎の動きが変わった。ただ置かれていた手のひらが滑って腕を掴んだ。骨に響く強さで意識が奪われた、その間に九郎の舌が胸やら腹やらへ這って肌を濡らした。もう片方の手など、やはり横着に僕の下穿きを解いていた。ゆるく立ち上がりかけていた僕の性器も晒されて、寒さに身震いした。それでも九郎は構わずに、僕の膝の間に割り入って、更にぐいと開いて、もしかしてもう、と僕が思い当たる間もなく、指で後孔の入口を叩いた。慣れない箇所に触れられ反射的に身が竦んだ、けれど、間髪いれずに九郎は指を奥へ進めた。
「九郎っ、…ふ、はあっ、」
ぬるりと中をなぞった。ちゃっかり何か潤滑を付けていたらしい。椿油の香りがほのかに香った気もしたけれど、それどころではなかった。
摩擦の足りない指は滑らかだ、それでもいくらなんでも唐突に、本来触れるものじゃない箇所を弄られたら当然に異物感がひどくて吐き気に襲われた。肉壁も反射的に押し出そうと、していたけれど九郎はくるくると無遠慮に僕の中を侵した。
僕は呻いた。膝が強く曲がって、覆いかぶさってきた九郎の腕に反射的にしがみついた。自分で自分の、いくらか硬くなりはじめた陰茎に触れれば楽になるだろうか、と、誘惑にかられたけれど、この日は九郎にすべて委ねるのだと決めていたから、堪えた。
すぐに九郎は指をもうひとつ増やした。僕はますます背を丸めてしまった。さすがに僕が辛そうに見えたのか、袖をひらりとさせながら、九郎が僕の胸に唇を落として、膨らんでいたらしい乳首をぺろと舐めた。当初のくすぐったさは消え失せていた。ゆっくりと息を吸った。甘く痺れて、秘所を探られる不快感も薄れ、空いている手のひらが肌を撫でるだけでも快感が増して、僕の欲も少しずつ大きくなりだしていた。
けれど、僕はいくらか困惑しはじめていた。
九郎は随分と性急で強引だった、と僕は感じていた。それはただ、焦っているからとか、もしかしたら酔っているからかも、と思っていた。僕に触れる指先の冷えも消え、呼吸も浅くなっていたから先を急いていたのは気のせいじゃなかった、と思う。それは、いい。
問題は。裏腹な指使いだった。ぐいぐいと奥へ進み本数を増やす、そんな強引さの割に、撫でる仕草はひどく丁寧だった。彼の指先は粘膜を少しも余すことなくなぞっているように錯覚した。傷つけぬように、きちんと解れるように、と言いたげな動きは、木彫りで像など掘っている、あの時のような繊細さを想起させた。
ちぐはぐなそれに、僕が出した結論はつまり。
……九郎は冷静だったということだ。挑発で仕掛けた情交だ、衝動に任せて動いているのだと、動くだろうと思っていた。けど、九郎はきっと冷静だった……多分、本当は性急に進んでしまいたいのに思い留まっている。僕を慈しむ心が勝っている。つまり。相当。
(それほど僕のことが、九郎は)
喜びや照れよりなにより、その事実は僕にとっては驚愕だった。彼が僕に抱いた恋情は、もっと淡いものだと思っていた。だからこそあんなに素っ気なく僕に好きだなんて言ったのだと思っていた。
(……これをずっと隠していたのか? あの素直で不器用な九郎が?)
瞼を上げれば、丁度九郎も僕を見上げていた。交差した視線に思いきり動揺した。九郎も多分、動揺した。
「…………あんまり他の奴にそういう顔見せるなよな」
(見せるか)
一体九郎の中で僕はどういうことになっているのだろう。なんて思いながら、悔しいから、無理矢理笑った。
「嫉妬してくれるんですか? ……ん、嬉しいな」
「そっ、……いや、そういうことだ!」
やっと顔を赤らめて照れた九郎に僕はなんだかほっとした。
けれどそんなの、当然束の間。仕返しとでも言うように(多分、そこまで考えていなかっただろうとは思うけれど)九郎はなおも指を増やした。僕はまた声を漏らし九郎の衣をぐしゃりと潰した。けれどそれに随分と甘さが混じりだしてる、と、他人事のように思いはじめていた。はむ、と柔らかに内腿を噛む感触に身悶えた。そんな折。ふいに、一際高く。
「ん……あ、あああっ!」
上ずった声が引きずり出されて、自分で目を瞠った。さすがにぴくり、と九郎の動きが止まった。
(いけない)
予感がした。九郎はすぐにまた、偶然見つけた弱い箇所に触れた。体が揺れた。声は今度は無意識に抑えた、けれど、震えた。
(これは、駄目だ)
恐怖のようなものがさあっと僕に降ってきた。一気に身が強張った。
なんにせよ、多分もう、僕は今までのように九郎の顔を(まともに)見れない、と思った。
「九郎、そろそろ大丈夫だと……、あっ、おもっ…」
だから僕は促した。けれど抗議はあっさりと否定された。硬い声で。
「いや、まだ、」
幸いな事に、九郎は執拗にその箇所を触れることはなかった。また先程までのように肉壁を満遍なくなぞる作業に戻っていた。
「九郎」
実際恐らく、まだ早かった。それでも僕は流れていた九郎の髪をくい、と掴んだけれどお構いなし。ただ、僕の首筋をぺろりと舐める表情は見えなくも、濡れた瞳と、服越しに触れた昂りの固さに、彼の限界は感じられて。
それに僕はますます昂ぶってしまった。単調なくせに……否、だからこそ、時折感じるところを掠めて行く指に焦れた。
(……たりない)
そんな言葉さえも脳裏をよぎって、ぎくりとした。……そもそも、冷徹に彼を見てようと、そのうち事が終わって、我に返った九郎に、ほら気のせいだったでしょう?と言おうと、更に追い詰めようと思っていた僕は、少し焦った。
(なんにせよ、このままは駄目だ)
「くろ…はぁっ…ん……っ、あっ、もう……もう僕は、九郎」
ゆえに僕は可能な限り情欲的に、九郎の袖を引いた。
それでようやく、九郎は……何を思ったのか、我に返ったような、悲しいような顔で、ほだされてしまった僕を引きずり上げた。
(目を、逸らしたかったのかな)
なんとなく、僕が思ったのは、これ以上見られないことに安堵したからかもしれなかった。どんな顔を今自分がしているのか、自信がなかった。
九郎は僕を座した膝の上に乗せ、背後からしっかりと抱えつつようやく自分の衣を、やはり横着に崩した。
(脱がないんだ…)
思った僕は、音が止まったところで意外だと告げようと体をねじった、矢先、彼の昂り突き立てられた。
「っぁあ」
背が仰け反った。いきなりのことに声をあげた。
「痛むか?」
「き、つい」
僕はそんな言葉で彼を咎めた、けれど、
「力を抜け」
「無理……っ」
場違いな、まるで日常そのままの口調で九郎が言った。挿れられたものは見ずに分かるほど張りつめていて、じわりと悦びが僕ににじんだ、けれど同時になのになんで今まで耐えていたんだ、と、罵りたくなった、ものの、それどころではなかった。
とはいえ散々慣らされていたせいか、圧迫にぞくりと快感が背に響いて、ますます僕は竦んだ。一度入ったものはずぶずぶとすぐに僕の奥へ進んだ。思っていたよりもずっと、中を侵されるという感覚は、気持ちよかった。
(なるほど、これは、繋がっているみたいだ)
けれど。肩で大きく息をした僕を、とろけるような声で九郎が呼んだ。
「……弁慶」
それが僕に冷静を返した。
(何、を)
半端に腕にかかったままの衣を握りしめた。今更に思った。
僕が慣れるのを待っているであろう九郎が堪らないとでも言いたげにことりと頭を僕の肩に預けた感触が、だらしなく乱れ切った裾から覗いた自分の足が、今までになく生々しさを伴っていた。
(……僕は本当に、九郎と、こんな)
急に把握した。一気に体が火照った。膝が震えて力が抜けて、体が沈んだ。そのせいで最奥を突かれて、僕は背を仰け反らせた。
それですぐに九郎が動き出した。中をめいいっぱいに擦っていく熱に浚われた。声が掠れた。
(……今更だ)
もはや、止められなかった。異物感が消えたわけじゃなかった、抉られる感じは残っていた、それでも馴染み出した圧迫は僕を昂ぶらせた。まるで自分を抱きしめるように、僕を上下させる九郎の腕を頼った。
「はあっ、はっ、弁慶、」
首筋をかすめる熱い息。九郎の腕の力が強くなっていった。そう早い動きではなかった、でも、この時の僕と九郎にとっては十分すぎるほどで。
(とける)
僕も喘ぎ混じりの息を漏らしながら、感じた。
(とけてく……なくなってしまいそうだ)
ぐい、と、僕を動かす九郎の腕に力が籠った。息を殺して、何度か激しく、奥の奥まで貫いて。
「ふ、あ…くろっ……ああっ!」
まずい、と思った。けれど息を止めたのは九郎が先だった。僕の中で彼のものが一際脈打って、どくりと熱いものが注がれた。
ぎゅっと僕を抱いていた力が抜けて、
(ああ、終わった)
僕は思った。
……終わったならば言うことがあった筈だった。その為の夜だった。
なのに愚かにも僕は一瞬、惚けてしまった。駆けのぼる欲から途中で放り出されたせいで、思考が追い付いていなかった。
それは致命傷。その間に、達したばかりの九郎が、左手で僕の頭をぐいと引き寄せた。
「……っ、九郎、」
先手をとられた。僕は九郎に背を預ける形になった。結合が深まって、僕は小さく喘いだ。九郎はそのまま、乱れた息を整えもせずに、今度は僕の陰茎に指を絡めた。それにはさすがに身じろいだ。
「九郎待っ…あ、」
そのまま柔らかく握り揉んだ。既に張りつめている僕にとってそれは十分すぎる刺激で、
そこに一気に熱が集まった。とは裏腹に、僕は一気に青ざめた。腰を浮かした。けれどあっけなく九郎に引き戻された。
「その姿勢は辛いだろ? 支えるから、力を抜け」
「そうじゃなくて、待って」
想定外だったのだ。
九郎の愛撫は……率直に、善かった。けれどそれはあくまで、彼のついでだ。可愛い九郎が僕を使って僕の中で達してくれさえすればよかった。存外に満たされたし、そこで僕の目的は終わりだった。僕は九郎を手に入れたかっただけだったのだから。
だから、僕も善くしてもらうという発想は、一切なかった。しかも九郎に!
「待って……」
悦なのか羞恥なのか分からない感情に呑まれ、僕はいよいよ混乱していた。
「やっぱり俺じゃ……嫌なのか?」
「それは、」
そう言われると答えに困った、真実であって偽りだ。それでも繕えなかった僕の唇から本音が零れた。
「だって、こんなだなんて……思って、」
(思ってなかった)
友人に恋をする、ということはとんでもないことだと僕は改めて、痛烈に感じていた。やはり僕にとって九郎は思い人である以前に慣れ親しんだ友だ。その九郎の声が熱っぽく僕を呼んで、なにげなく繋いだりしていた手が僕を乱して、あのいつもくるりと瞬く瞳がきっと、今僕の醜態を映していて。そして、そんな僕にあの九郎が欲情しているという現実。
その全てに僕も欲情しているという事実。
それを更に九郎に全て知られているという現状。
「……九郎」
名を紡ぐだけで震えた。誰より彼に見られたくなかったし、知られたくなかった。のに、僕の身体は九郎にもっとされたがっていた。さらけ出されるのを悦んでいた。現に九郎に握られた箇所がだらだらと液体を流し続けているのが見なくても分かった。
(どうなってしまうんだ、僕は)
いつだか兄が言った言葉を虚ろに思い出していた。恋というのは自分では操れない、どこに行くかも分からない。悔しいほどにその通りだった。
けれど……とっくに賽は投げられてしまっていて。
「……でも、もう、俺はだめだ!」
ゆえに九郎は残酷に告げた。
「赦さない」
耳元で鳴る声が鼓膜を震わせそれさえも愛撫に変わった。
「見せろと言ったのはお前だ」
「もう、十分です、君の気持ちは」
「ばかな事を言うな! ……俺は、お前が好きだって言った。だったら俺だけがよくても意味ない。……それをやれって言ったのは、お前だ」
言い終わると同時に耳を食まれ弄られた。堪え切れない喘ぎが漏れた。
「ふあっ……んっ…やめ、九郎、」
完全に立場は逆転していた。容赦なく、九郎は僕を攻め立てた。先端を揉まれ先走りの液を塗り込められた。九郎の熱も復活してきて、再び僕を圧迫しはじめていて、それが更に僕の熱を助長させた。
気概でどうこうできるとか、そういう域はもう越えていた。僕は大きく首を振り無意識に腕が顔を隠した。
そんな僕に九郎は濡れた耳元で更に続けた。
「お前が好きだった。すごく好きだったから、返事は要らないふりをしてた、けど、本当はずっとこうしたかった……俺だっていつもずっと恥ずかしかった!」
言われても、言葉の意味がもう分からなかった。
「だからもう、隠さない」
それでも心を読まれたと、やはり僕の羞恥も、欲しがりひくつき絡む肉壁も筒抜けなのだと思った。終わりだ、と思った。慣れ親しんだ絶望が僕を覆った。それでも。
「だから、見ないから。お前の顔は見ないから、だから、俺を、」
言いながら九郎は腰を浮かせて、僕はそのまま前に倒された。這うように伏せた僕に九郎が上から覆いかぶさって、僕の陰茎を握りしめたまま、また僕の中で動き始めた。
「呼べ、呼んで弁慶」
僕だけでなく九郎も浮かされていたように思えた。それにつられ促されるように僕は呼んだ。
「……九郎」
まるで倒錯的だ、と今になれば思うけれど、
「……九郎、っ」
二度。言の葉にすれば、かあと僕の理性が焼けて、褪せた。陥落した。ただ、僕の中を九郎の劣情が掻き回す様を突っ伏しながら感じていた。喘ぎを聞かれる羞恥すらも薄れていったけれど、僕の肩をたまにふわりと撫でる橙の髪が目に映るたび、僕をかすめるたび、これは九郎だと言うことが過って、熱くて、張りつめた。
(もう、駄目だ)
どこかで何かが言った気がした。耐えられるはずがなかった。きっとそれが恋なのだ。
(九郎で良かった)
いつしか僕は思っていた。呑まれる事を許容した。手放す怖れは愛しさへ反転した。溢れて、気付いた時には僕は九郎の手の中に白濁を吐きだしていた。たぶんそう間を開けずに九郎も二度目の精を僕に放った。
どさり、と、僕は地に伏した、ひんやりとた床に一瞬身が強張った。けれどぼんやりとしたままの頭は覚めず、だらりと内腿に伝わるものの感触だけがくっきりと浮かんだ。
そのまま僕は仰向けに転がり九郎を見上げた。瞳は欲の残滓に染めたまま浅く唇を開いて、息をしながら僕を見下ろしていた九郎。
僕が見たくなかったはずの九郎。
けれど、そんなことも、惑っていた日々も、なにもかも遠い感傷になっていた。
僕が積み上げようとしていたものさえも、例外でなく。
「これでいいか」
「……ええ」
だから、乱暴なままの目で言った九郎に、繕うことなく僕は頷いた。
これは、策だったはずだった。
九郎を離さない為の罠だったはずだった。
……九郎が好きだと言うなら、僕が彼を籠絡し押し倒し奪ってしまう方が簡単だった。それでも僕はその方法を選ばなかった。
欲したのは罪悪感。『九郎が、自分の欲望を僕にぶつけた』という事実。
きっと九郎はそれを忘れない。それこそがこの綺麗で可愛い九郎を繋ぎとめる最善で、
ゆえにこんな風に彼を焦らし、挑発し、一方的に好きにさせた。だというのに。
予言めいた事を言ってくれた兄を腹立たしいと思う余裕も記憶も無く、
九郎をまんまと毒牙にかけ捕えた達成感も、紡ぐべき言葉すら、もはや僕は持ち合わせていなくて。
「…………僕も、君が好きでした」
ただ、こちらを伺う姿につくづく思い知らされた本心を告げるしかなかった僕の前で、九郎はこの上なく顔を赤らめた。
逃げそうだ、と僕は思った。それは嫌だな、と僕は思って、届くところにあった九郎の手を握った。すると九郎はさらに顔を真っ赤にした後、一転、どこか泣きそうな顔と縋りつくような仕草で、また僕に覆いかぶさって、
「よかった」
あまりに無防備な声で安堵を零した。
聞きながら僕は、ああ、半年無駄にしていたんだなと思い知った。
九郎と手を取り飛び降りた。その先がまさか、こんなに胸踊るだけの場所だったなんて。
(12.27.2012)